正月休みには帰るはず
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朝6時半。盛岡地方気象台から。気温-0.6。雪がちらついている。それでも東の山際には朱色が微かに。
ふだんは投げ込まれた空き缶、ポリ袋などが目立つ旧岩手県立盛岡短期大学の敷地内も、きょうは雪に覆われている。
冬の到来。それでも3カ月待てばまた春が。この雪の下では虫がねむり、球根がすこしは芽を出し、山のどこかでは冬眠している動物たちも。人は毎日動きまわる。
血圧対応の料理休室に出てみた。そこで教えられたことは、人の血管の長さは10万キロメートル、これは地球を2回半回るに相当。一日の心拍数は10万回。一日に押し出される血液量は8t、ドラム缶40本分だという。昼夜を問わず最もよく働いてくれているのは心臓だったらしい。人間創世のはじめから、血は送りだされ脈打ちながら流れ続けている。厳粛なことだ。この冬もこの機能を機能たらしめるために健康の維持には注意を払いたい。
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大作を書いているわけでもない、ただ書かせていただいているといったものなのだが、文芸誌に向けた原稿書きの途上で、さまざまなことに気付かせられる。
今回の終盤、時代背景は太平洋戦争、日本は連合軍相手の戦いに突入していくのだが、村井正一氏が、2,3の事実から類推して、昭和19年の2月に徴兵されていると思われる。これはかなり遅い方だ。それまで、村井氏が病気がちであったことで、徴兵されないできたからだと思う。
太平洋戦争の年表を見ると、昭和18年の5月に学徒戦時動員体制が決まる。戦争は既に下り坂だった。10月21日に、明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会が開催されている。これが驚いたことにyou tubeに学徒出陣として動画が出ていたのだ。出陣学徒2万5千人、見送る女学生2万5千人、この日競技場を埋めたのは7万5千人だった。動画をどう見るかはそれぞれかと思うが、涙が溢れて仕方が無かった。勝ち目のない戦争に、これほど多くの若者たちを送りこみ3千人も戦死させ、また生き残ったとしても多くが地獄の経験をすることになったのだ。ならば勝つ見込みがあるなら出陣させてもいいのか、そういうことではないだろう。隙だらけ好きだらけ日記には、映像を資料とした当時の学徒の心境なども綴られている。
村井氏に赤紙がきたのは学徒出陣の3カ月後。終戦間近だった。この後通信兵として従軍し満州に渡り、シベリアに抑留され、帰還したのは昭和23年1月だったという。村井氏は、御長女に、戦争の場面がテレビに映し出されるたびに、「こんなきれいなもんじゃない」と繰り返されたという。
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わたしたちの上京で、一日おつきあいさせられたHちゃん2歳。ほんとにほんとにありがとう!!
国立新美術館であった日展。絵画の写真を撮っていた方があったので、では私もと、係の方に「いいでしょうか」と訊いたところ、ウェブ上に載せるなどの目的ではなく、記念にしたいとか家族に見せたいというのであればOKですとのこと。腕に黄色いテープを付けてくださいました。ある美術館では、作家の同伴がないと許可しませんということがあったために、この寛大さには驚きました。こんどは写している私を見て、許可を取りに戻った方々がいました。
日本画で目に留まった絵の多くは、京都の作家の方が描かれていました。京都というところはやはりすごい!!
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23日、岩手県民会館中ホールで松見先生の教室のヴァイオリン発表会を聴きました。知っている子どもたちが出るので、楽しみにしていたわけです。松見先生方は双子の姉妹でらっしゃいます。わたしが知っている子どもたちも双子+1
この場面は、松見先生指揮でブランデンブルグ協奏曲№3ト長調第一楽章
大崎光ちゃん(年中)、ゴセック『ガボット』
大崎かれんちゃん(小2)ヴィオッティ『ヴァイオリン協奏曲№23』第一楽章
大崎太郎ちゃん(小2)モーツァルト『ヴァイオリン協奏曲№3』第一楽章
この大崎3兄妹を聴きに行ったわけです。協奏曲第一楽章演奏には驚きましたが、小2で協奏曲演奏は、この2人ばかりではなく、以下の通りです。
ひたすらに、無心に、一生懸命にヴァイオリンを弾く子どもたち、嬉しく拝見しました。時間的に厳しい状況下、プログラムの半分ほどしか聴くことができず、ほんとうに残念でした。
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日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会の講壇のメッセージを、1週間遅れでおつたえしていますが、2013年11月17日は、この教団の世界宣教聖日であり、教団制作のDVD、各宣教地からの宣教報告と、蔦田緑乃宣教師のメッセージを視聴しました。
聖書引証のうち、ヨシュア記3章のみ、掲載させていただきます。
1 ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょに、シティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、そこに泊まった。
2 三日たってから、つかさたちは宿営の中を巡り、
3 民に命じて言った。「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。
4 あなたがたと箱との間には、約二千キュビトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」
5 ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行われるから。」
6 ヨシュアは祭司たちに命じて言った。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」そこで、彼らは契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って行った。
7 主はヨシュアに仰せられた。「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。
8 あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」
9 ヨシュアはイスラエル人に言った。「ここに近づき、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」
10 ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたのうちにおられ、あなたがたの前から、カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、エモリ人、エブス人を、必ず追い払われることを、次のことで知らなければならない。
11 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立って、ヨルダン川を渡ろうとしている。
12 今、部族ごとにひとりずつ、イスラエルの部族の中から十二人を選び出しなさい。
13 全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」
14 民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。
15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、―ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあるれるのだが―
16 上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
17 主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。
豊田宣教師がYoutubeに台風の被害の様子と支援のアピールをしています。IGMフィリピン被災地支援PR(http://youtu.be/-RIeYRIo7zA)をご覧ください。伏して、ご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。
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2002年にサイモン・ラトルを首席指揮者、芸術監督に迎え、演奏の質がどのように変化したか私は知らない。それ以前に、この楽団は、誰が指揮者、監督になろうとも見事に弾いてのけるという思い込みがある。実際に聴くチャンスが巡ってくるとは思ってもいなかったが、2013年11月19日、神はチャンスを準備くださった。感謝!!
ブーレーズ『ノタシオン』、初めて聴く。それだけに注意深く耳を傾ける。現代人の行きつく心情といったものをストレートに聴いた気がした。ブルックナー『交響曲第7番』、アダージョで、朝比奈隆の聖フローリアン大聖堂ライブの7番が強く印象にあったせいか、こうだろうか?という思いがなくもなかったが、それはそれとして、終始一貫息をのむ素晴らしさ。2階席だったこともあり、オケ全体を隈なく観ることもできた。なぎには細く繊細にあるときは悲しいまでに静まり、嵐には全存在を賭けて力強く鳴り響かせ的確に、確実に喰いこんでくる。ベルリン・フィルはやはり大海だった。
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日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇のメッセージをお伝えしています。きょうは2013年11月10日、國光勝美牧師です。
【聖書引証】第一テサロニケ5:16~24
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
19 御霊を消してはなりません。
20 預言をないがしろにしてはいけません。
21 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
22 悪はどんな悪でも避けなさい。
23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
【説教】
―今朝の説教に入る前に、この度のフィリピンの被災された多くの方々のために、また御地にある多くの働き人の方々、福音のために労されている方々、兄弟姉妹方、この教団から派遣されております宣教師、兄弟姉妹方のためにお祈りが捧げられましたー
私たちには、インマヌエル教団が大切に受け継いできた、これからも受け継いでいかなければならない「きよめ」という信仰の要素があります。創設者蔦田二雄先生が、亡くなるすこし前に、きよめとは何であるかを語ってくださいました。私は恐らく瞬時的なきよめ、或いは、継続的な罪性の除去、聖霊の満たしといったことを期待しておりました。しかし、先生は、きよめとは、人格の円満さであると仰いました。すると、よく修養を積んで円熟することがきよめなのだろうと私は思いました。その時は違和感を抱きましたが、歳を経るごとにそれが納得できるようになりました。
円満さを一般的にいえば、協調性に富むということでありましょうか。しかし、これを別な角度から、波風を立てたくない、長いものには巻かれろか、自主性に乏しいというように思われることもあります。
さて、人格の円満とは。それは、自分の感情をコントロールできるということではないでしょうか。私たちを取り巻く環境、職場、家庭などにおける暮らしはみな違います。取り組まねばならない問題、課題も違います。そこに於ける自己主張が通らないときに、往々にして怒り、焦燥感、不快感に見舞われる。こういった感情をコントロールできるかどうかです。ちょうど東京でビリー・グラハム大会が開かれる直前、蔦田先生は、いまだかつてない教団の大きな問題に直面していました。先生が、きよめとは人格の円満さ、自分の心、自分の感情を制御できることであると話してくださったのは、実に、この悲しい出来事があった直後でした。だからこそ、あの時の先生の言葉が一層心に沁みるのです。今私はこれを、自分の多くの思い出の中の宝の一場面と振り返っております。
きょうの聖書引証の16節に「いつも喜んでいなさい」を、私たちは大切な個所と知っております。あの國光幾代子先生でさえ、この御ことばにあるように本当にできるのかしらと疑問に思ったことがあるといいます。真剣に聖書に生きようと思えば思うほど、捉えようとすればするほど、「果たして…」というところを通るでしょう。現に、蔦田先生に「このこと、ほんとうにできるんでしょうか」と質問されたらしい。すると蔦田先生は、「これは贖いの恵みをどれだけ知っているかに懸かっています。贖いの恵みに深められ、贖いの恵みに生きることによって、このことは叶います」と答えられています。罪が赦され、神の愛を知る者とされ、贖いの恵み喜びが心の中に更新されるとき、たとえどのような反対、批判、問題があったとしても、つまり環境がどんなに過酷であったとしても、自分が神様の御前に、神様の贖いの恵みによって生きているなら、神からの喜びが乱されることはありません。パウロは言いました「神の国は何処にはあらず、聖霊の喜びにある」と。さらに言うならば、たとえ涙を流しながらもこの喜びはあるのです。もうすでに、私たちはそれを経験してきました。贖いの喜びがあるから人格が円満なのです。「いつも喜んでいなさい」、贖いの恵のゆえにこれを為し得るのです。
17節に「絶えず祈りなさい」とあります。これは聖書でいうところの「愛」として申し上げるのですが、“愛する人”といるという事が絶えず祈ることができるポイントであるかと思います。
宗教関係の番組ではありませんが、たまたま日本を代表する女性のハープ奏者が出演している番組を観ました。司会者が「いったいどれぐらい練習するんですか」と訊きますと、「1日8時間は練習します」と答えていました。さらに「だってそうでしょう、大好きな人と8時間一緒にいても飽きないでしょ、9時間、10時間一緒にいたいと思うでしょう」といっておられました。これが一流のハーピストとハープの関係です。祈りはちょうどこの関係に似ています。私とイエス様なのです。「絶えず祈りなさい」というのは、何も、やるべき仕事を放り出して四六時中手を合わせていることではありません。いつもイエス様を心に留め、意識し、無意識に意識していること。だからいつまでも祈る事が出来る。
コロサイ3:3には、「あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです」とあります。パウロがこう言っているのですが、これは、神とのまじわりが深められることで見出した真理でしょう。祈りはこういうものだと思います。
独りごとというのは相手がいないので、そう長くは続きません。話し相手が居てこそ会話は続きます。祈りは神との会話です。これは愛するお方と一緒に居ることなのです。「絶えず祈りなさい」とは、こういうことであり、これが円満な人格を形づくる要素だということです。
18節には、「すべての事について、感謝しなさい」とあります。どういうことでしょう。「すべての事」、これはロマ8:28にもあり、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」と記されております。神の御支配がすべてに及んでいることを頷くとき、私たちは、この御ことばを信じる事ができ、たとえ目に見える現実がどうであろうと神に感謝しています。
そして「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」と続いていきます。
第一テサロニケ5:23には、「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように」とあります。
人間を構成する要素は三つあります。一つは、「霊」です。これは神とまじわる機能です。一つは「心」であり、これは私を私ならしめているものです。一つは「体」で、これは切ってだけも切り離せないものです。この三つが見事に調和するのは、それは神様というお方が中心に据えられているときだけです。もしこの中心に神ではなく、罪が入り込んでしまったとき、この三つの調和は破壊されます。先ず、神とまじわる機能が狂ってしまう。そして心のバランスを失います。三つのどれもが歪んでしまう。この罪というのは、私は罪ですよ、悪ですよという形をしては現れません。厄介で怖ろしい。三つのそれぞれが暴走し、ブレーキが利かなくなる。神からの逸脱の多くが、個性だと看做されたり、罪だとは認められていない。これが多くの人間のすがたです。しかし、この真ん中に神がしっかりと納まり、この三つの調がとれるとき、これをきよめられた状態といいますが、このときに円満な人格を現わします。
とにかく心の中の罪、神に逆らう性質を取り除いていただき、神を愛する生活をしたいものです。「その子イエスの血、すべての罪より我らをきよむ」、この御ことばで、きよめの信仰に立つことです。
幾代子先生のお話しの中で記憶に残るのは、「きよめに立った後でも、失敗や未熟さはいっぱいあったけれども、私はきよめの恵みを一度も疑わなかった。一旦神にお捧げしたものを、やはりこれは嫌だといって取り戻したことはありません」と仰ったことです。多くの方々が、きよめの信仰がわからなくなってしまうのは、まだこんな失敗をするのだからきよめができていないのだと、堂々巡りをするからです。イエスさまの十字架の贖いを100パーセント信じて自分を差し出したなら、「御子イエスの血、すべての罪よりわれらをきよむ」「もはや我生くるにあらず。キリスト我が内にありて生くるなり」、こう信じて、そのまま成長していくことです。「きよめ」が人の為せるわざならそれは怪しい、しかし、これは神様がくださるもの、「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいます」。自分が頑張って聖なるものとなりなさいとは書いていません。平和の神ご自身が、あなた方をきよくしてくださるのです。どうぞこのことを心に留めていただきたいと思うことです。
※この日は、教会を欠席しましたが、データ便をお願いし、起しました。若干編集させていただいております。文責:中ぶんな
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きょうは朝5時からの2時間を自治会の仕事に充てた。なぜかこの時間帯には滅多に雨が降らない。下の写真は氷点下2度、霜が降りた朝の写真だ。実物よりも水に映る虚像のほうが美しい。
午前中は片付けと自分の部屋にこもっての作業。午後2時過ぎてから買い物に。店舗数か所を物色するのも時間がかかるので、1店舗ですべて間に合うところにする。靴屋さんに行くのも億劫、洋品店に行くのも億劫で、それなりで間に合わせていたのだが、今日こそは意を決して出かけ、あまり動きまわらずに買い求めた。
そして今、ある音楽家の方が、ネットでドレスを求めたという話しを思い出した。ネットでは書籍かCDぐらいしか買ったことがない。花を買ってみようかと思ったこともあるが、いまだ購入してはいない。
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新庄浄水場付近の今朝6時の気温は-5と表示されていた。ニュースでは盛岡の最低気温は-3ほどだったようだが。あれこれと祈りながら歩いていたときに、唐突にフィリピンが意識され、胸を衝かれた。それが2度あった。とてつもない大災害に、自分の祈りのどこが役にたつのだろうかと思われもする。しかし、促されているようでもあり、力ないかもしれないと思いつつも、そのためにも祈った。
今ブログが若干不安定になっているようで、事実、文字を大きくしようとしたが、反応がない。そんなわけで今日はここまでにしようと思う。
主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
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この1週間のうちに結婚式と葬儀が続いた。結婚式は祝い楽しんで帰宅。その日に楽天の勝利があり、人並みに拍手喝さい。今回の葬儀は3日間出来る限り手伝わせてもらった。その葬儀の前日にはレイテ島の台風30号被害。最大瞬間風速90m。またしても甚大な被害。すさまじい天災が次つぎに降りかかる。
今朝も歩いた。暗かったが5時半から歩いた。歩く途中で見た気温は6時現在氷点下1度。まだ明けきらない時間帯に歩く。今からは夜が明けてくるばかり。必ず朝日がのぼる。来るのは夜ではなく朝なのだ。どんなに暗くとも今そこに近づいているのは朝、たとえ霧雨であろうと厚い雲の蓋に覆われていようと、朝だけがやってくる。暗闇は去り、必ず地上は明けるのだ。
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日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇のメッセージをおつたえしています。きょうは2013年11月3日の國光勝美牧師の説教です。
【聖書引証】第一コリント15:51~57
51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
【説教】
この朝は、召天者記念礼拝ですが、『死は勝利にのまれた』という題とさせていただきました。きょう皆さまに是非ご紹介したいのは、『イムマヌエル教報』に掲載されました内山勝先生が書かれた体験談でございます。内山先生の妹さんもやはり牧師でした。1ヵ月前に天にお送りいたしました。ガンでした。日々天の御国へと導かれゆくその病床の傍らにあって、実際にそれを看ながら、死とはいったい何なのか、私たちに避ける事ができないこの死にどう向き合えばいいのか、向き合うべきなのか、そこに身を置いた者でなければ知り得ない内容が記されております。
肉体の死は、すべての人に定められていることで、誰も逃れることができません。死は、罪によって人類にもたらされました。まことに悲惨な結果です。内山先生が、どんなお気持ちでこの文章を書かれたのかを思います。
私たちは、聖書を、神様が与えてくださった真理の書、啓示の書として受け留めております。聖書は、なぜ人間が死という現実に直面しなければならないかをはっきりと示している。人間が神に背き、その結果としてもたらされたのが死です。聖書の最初の方、創世記にこう記されてございます。そして、聖書のそのほかの大部分には、どうしたなら人間が死から救われることができるのか、神様が手配してくださったその方法が書かれてございます。
私たちの心には、何とかして死を避けたい思いが潜在的にあります。人間はそれにどのように向き合い、そして神様は、どのような救いの道を与えてくださったのか。聖書にはこのことが書かれている。さらに先生のことばを続けますと、
聖書に救われる方法が書かれてある。とはいえ、日々死に近づいている人に寄り添っておりますと、複雑な思いに捉われることも事実です。なぜ私ではなくこの人なのだろう。なぜもっと後ではなく今なのだろう。なぜあの人は癒されたのに…等など。そして私たちは、この問いに答えが与えられないことも知っています。たしかに死は、抗うことのできない神の領域に属することです。神が、「人の子よ帰れ」と宣告されるときに、人は主の御もとに帰るのであって、決して病気で死ぬのでも、交通事故で死ぬのでも、災害で死ぬのでもありません。それらは表面的なことであって、実は、主が定められたときが来たので、人は主の御もとに帰るのです。しかし、究極的な勝利が与えられているとはいえ、尚死に対する恐怖、嫌悪感、避けたいと思う心は、潜在的に私たちの心にあります。
三浦綾子さんは晩年、「自分には最後に、死ぬという大きな仕事がある」といい、死に真正面から取り組みました。私たちも必ずやってくる死に対して、逃げずに取り組みたいものです。改めて、主のみことばから大きな希望が与えられます。人は死ぬときも、死ぬ場所も、死に方も自分で選ぶことはできません。そして、まわりから見て、悲惨な死、可哀そうな死、早過ぎる死もあるでしょう。しかし、主に繋がっているのなら、どのような死に方であっても、神の栄光を表わすものとなるのです。ですから私たちも、死にいたるまで、最期まで、主に忠実でありましょう。
亡くなられた内山繁実先生は50代、単身の女性の先生で、素晴らしい働きをしておられました。体調の不調を感じられたのが今年の3月。検査をしたところ、手の施しようがないという結果でした。それでもどのように対処するのがを考え祈りながら懸命に歩まれ、そして、10月に主が御もとに召されなさいました。この妹さんを、傍近くで天に送ったひとりの牧師の率直な心の表れが、この文章の中にあるのだと思います。
私は先ほど、聖書には、なぜ死が私たちの世界に入ってきたのかが書かれており、そして、その聖書の残りのほとんど全部のところに、人はどのようにしたら救われるのかが書かれてあると申しました。神は私たちの死に対する勝利のために、神ご自身が最も愛しなさっている御子キリストをこの世に人として送ってくださった。まったく罪のないお方、死なねばならない理由が何一つなかったお方を、ご自分の最も愛する独り子キリストを、この地上に誕生させてくださった。それは何のためか。罪を犯してしまい、死という鎖の中にがんじがらめになっているこの者を、罪なき神の独り子主キリスト・イエスが私たちの罪を一身に背負ってくださる。罪のないお方が、罪の刑罰である死というものを具に経験してくださった、それがキリストの十字架です。クリスマスのとき、世の中は賑々しくクリスマスをお祝いします。しかし、神がなぜ馬小屋に誕生せねばならなかったのか。このお方は死ぬために、私たちの罪を解決してくださるために、死ななくてもいい方が、私たちの身代わりになって死ぬために生まれてくださったお方なのです。
私たちはそれを知っています。この方が十字架の上にお架かりになり、自分の罪はこの方の上に、この方キリストが神の刑罰をすべて受けてくださった。それを信じる時、罪を悔い改めてただ信じる時、神は御子キリストの十字架のいさおしのゆえに、キリストの十字架に免じて信じるすべての者を救ってくださる。「死はキリストの十字架にのまれてしまった」とは、それはキリストは十字架に死んで、その証しとして三日後によみがえってくださった。。これがあるからこそ、このキリストの復活があったからこそ、私たちクリスチャンは、希望と確信を確かなものとしています。これは、薄っぺらな慰めとしての死に対する解決ではおいう、このキリストの十字架とキリストの復活という神様が備えてくださった救いを、ただ信じる信仰にあて私たちは救われています。
そしていま、私たちは召天者記念礼拝として、故人を偲ぶときを持っております。この方々はどなたも、神様の恵みのうちにある地上生涯を歩み、そしていま天に迎えられていることを覚えるものです。
神様は独り子キリストさえも、この地上にお降しくださった愛に溢れたお方です。この愛に溢れたお方にすべてをゆだねて、私たちはこれからの日々を歩んでいきたく願うことでございます。
※召天者記念礼拝では、この盛岡教会から召されたお一人お一人を皆さまで偲ぶときを持ちます。この日は、結婚式があるために筆者は欠席いたしましたが、音声記録をデータ便で送っていただき、筆記いたしました。神われらと共にいます。
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この合唱団の位置、価値に気付いたのはつい最近です。必ず対訳が準備されており、聖書のことばがそのまま歌詞となっているわけですが、これは歌う伝道であること。個人が聴いて心に響くところがあれば、必ずしもそれを文字に表わす必要はないのでしょうが、しかし、内容がどうであるかを第三者につたえようとすれば、それが必要となる。それが自分のことばでとなると、なかなかに難儀なもの。ところが、かなりきちんとしたプログラム、解説が出されている。上の写真の通り。自分がいわく言い難いところも、この中には的確に書いてありました。全部となると大変ですので、ほんの断片を抜粋してみます。
代表:茂木容子氏
…東日本大震災の犠牲になられた方々、今なお心身ともに傷ついておられる方々の平安のために本日の演奏を捧げたいと思います。…この夏、…ドイツに旅行し、佐々木聖歌隊の一員として演奏してまいりました。…彼の地では、教会の響きの良さに驚き、天を目指す空間を目でも楽しみ、本日演奏する曲を作った3人が辿ったかもしれない道を歩きました。…聴衆の皆さまと、演奏会開催に奔走してくださったすべての方々に、深く感謝しながら歌いました。そのときの感激を胸に、また新たな気持ちで音楽を捉え、本日も誠をもって演奏したいと思っております。…。
コンサートマスター:佐々木幹雄氏
…「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。これは『ヨハネによる福音書』の第3章16節です。神は独り子イエスをキリスト(救世主)としてこの世に送りその十字架上の死をもって万人を救いました。救いという神の愛を示したともいえます。神が創造したこの世界はいかなる苦難に見舞われようと神の愛とともにある、というのがキリスト教の教えです。つまり、死後の安息を待たずしても、現世に神の愛が満ちている、ということでもあります。…
ごあいさつ:佐々木正利先生
…思いがけず発展していったフェラインの音楽を、わたしは第二の故郷であるドイツで試したいと思うようになりました。…こうした夢は盛岡に帰ってから4年後の1986年に実を結ぶことになり…第1回ドイツ演奏旅行が実現…最終演奏地デュッセルドルフの演奏会場には何とNHKボン支局が取材に訪れ…海外特派員便りで十数分に亘って全国放送された…音楽の本質は、ひとりごちがオーソライズされ、共有されるようになったとき、その魅力が最大限に発揮されます。…
このときの現地新聞評が4通紹介され、絶賛されている。以下は、その中からの抜粋です。
「視覚的にも深い感銘を与え、また、声の均質さ、明瞭で繊細かつ精巧な声の訓練、および明瞭な発音によって聴衆を魅了した。特に注目すべき点は、この大勢さにもかかわらず合唱が決して圧倒することなく、小ぶりなオーケストラ或いは独唱がほどよい気分にさせてくれたということである。
今回の演奏会でオケはついていませんが、わたしは、この新聞評に同感します。これは1986年のものですが、よく言い表わしてくれている。このように言いたくともことばが出ないところを代弁してくれていると思います。当時の演奏は聴いていませんが、1986年にそうであったというが、2013年の今もこのようであると言えるかと思います。またこれまでのバッハからは安息をいただいています。第2回ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞、神への祈りの声がたちのぼり、立ちあがる合唱団にはまことにふさわしい、そんな気がいたします。
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日曜日に掲載しております「きょうのことば」、多忙のために遅れましたことをお詫びいたします。きょうは、2013年10月27日、インマヌエル盛岡キリスト教会、國光勝美牧師の説教です。
【聖書引証】箴言22:28 あなたの先祖が立てた昔からの地境を移してはならない。
【説教】
きょうは、教団創立礼拝を皆様方とともに守らせていただきたいと願っております。
この教団の創立者は蔦田ニ雄先生です。蔦田先生を神のごとくに崇めることはすべきことではなく、蔦田先生が油注がれ、神に用いられた重要な人物の一人であることをフォーカスしてみましょう。
蔦田先生は、1906(明治37)年、シンガポールで、歯医者であり、正式な領事館のない時代の民間領事の立場でもあった蔦田顕理のもとに生まれています。父はメソジストであり、蔦田二雄先生はその青年会で大変良い働きをしていました。クリスチャン家庭にあって、この道に励み善行を積めば救われ天国には入れると信じていました。まだ一個人としてクリスチャンとして生まれる新生経験やきよめの経験を持っていません。ところが、国際連盟などの機関で働くために学ぼうと、ロンドン留学のために乗った船上で、オーウェン・ガントレット先生に出会います。彼も熱心に聖書を学んでいました。そして、私は救われて今すぐにでも天国にいくことができると言います。聖書に「信じる者は永遠の命を持つ」と書いてある。「もつだろう」ではなく「持つ」、つまり、信じたその時にもう持っているのだと言いました。蔦田先生はこの後、イギリスに着いてから1年後に新生経験をしました。イギリスにあって、蔦田先生は、バークレー・バックストンやドロシーエレン・ホーアを宣教師として日本に送りだしたイギリスに本部を置く日本伝導隊と関わりを持つようになります。ここで、蔦田先生はバックストン師とすばらしい関わりを持ちました。
治安上も大変な地域に大阪伝法教会がありましたが、英の日本伝導隊から貴族の出身でもあるホーア先生が遣わされてきました。そのときに救われたのがヤクザだった朝比奈カノン先生です。この方は、命を賭けてホーア先生と大阪伝法教会を護りました。蔦田先生は、このカノン先生に、イギリスで出会いました。そして、「君は日本に帰ってキリストの大使になれ」と勧められました。
帰国し、中田重治のもとで日本ホーリネス教会に身を投じ、東京の日本橋教会で働き、献身していたガントレットとともにリバイバルリーグの中心となる。日本橋教会が多くの若者たちの信仰の刷新の場ともなっていった。その流れが、川口始、大橋武雄、杉村道夫先生方であり、戦争がはじまったときに中国から欧米の宣教師が引き揚げた後、上海、新京に宣教に赴いたのが、こういった先生方でした。
1942年には、蔦田先生は、東条軍閥内閣の宗教弾圧に遭い、巣鴨刑務所で2年間の独房生活となります。そのときに、すべてを奪われても、神の同行と隣在を奪われることがないことを体験、「神われらと共に在す」ことを確信します。
終戦で岡山の元軍艦の艦長であった横田という家で静養していた時、広島に原爆が投下されたときに爆心地の近くにいた双子の長谷川姉妹とともに、1945年10月21日に祈りインマヌエル綜合伝道団を創立した。大きな式典などはなく、ただ3人の祈り会で祈っているときに、「今建つべし」という主の導きがあり、それで創設がこの日となっています。後には、この家の横田元艦長もクリスチャンとなっています。先ず千葉県船橋市に「医務部」、1946年3月に「伝道部」、そして同年に「農耕部」が発足。同年6月には、第一回年会がひらかれました。また同年9月に、青森県の三本木、現在の十和田市にインマヌエル綜合伝道団三本木教会が開拓されました。三本木に疎開していた方と藤原先生との出会いにより、その方が私財を擲っての会堂建設であり、これは、日本人の手により建設された初めての教会です。
また蔦田先生は、1967(昭和42)年のビリー・グラハム国際大会で、本田弘児慈、羽鳥明先生とともに、これをサポート、日本福音同盟及び福音派の教会のほとんどが協力しました。聖書はすべて誤りなき神のことばと信じるクリスチャンたちが結束し、大いなる救いのわざに参画し働きに用いられました。蔦田先生は、日本聖書信仰同盟、日本福音同盟に深く関わりました。インマヌエルの「聖」と「宣」の入ったマークがございます。「聖」は厳正なる聖書信仰を表わしています。これは聖書を拝むということではなく、聖書が誤りのない神のことばであり、人間の救いに関わることはすべて神から啓示され、必要にして十分に含まれているとするものです。たとえば、奇跡のことなど、私たちに理解しにくいことがあったとしても、合理的、自由主義的に理解するのではなく、そのまま聖書は誤りのない神のことばであるとする。もう一つ大切な事はきよめです。きよめがインマヌエルから外れたなら、それは、辛みのない塩です。神がこの群れを起してくださったのは、「きよめ」、全身全霊をもって神を愛すること、「御子イエスの血すべての罪よりわれらをきよむ」というこのキリストの十字架の贖いは全きものであると信じる。いつの時代にもこの信仰をしっかりと持っていなければなりません。
もう一つは「宣」。世界宣教です。多くの教会が自分の問題として捉えてはいませんでした。日本は被宣教国であるという意識、宣教師は向こうからやってくるものという意識です。使徒1:8には、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とあります。しかし、戦後のキリスト教会は、外から受ける事に馴れてしまった。占領国アメリカは、日本を統治する政策上、キリスト諸教会を日本キリスト教団と統一し、宣教活動もそうですが、ララ物資の窓口とし、ここを通して分配しました。これを拒否し、教会は信仰をもって、神をこそあてにして進みゆくべきであると真っ先に日本キリスト教団から別れたのがインマヌエル綜合伝道団です。そして、いつまでも被宣教国であってはならない、使徒1:8にあるように、日本から世界に出て行って福音を述べ伝えようとのビジョンを持ちました。そして当時、6人の先生方が世界宣教に就き、以降、これに次々に続いております。日本人の宣教師を海外に派遣したのもインマヌエル綜合伝道団が初めてです。
さて、盛岡教会も同じビジョンを持っているでしょうか。国外宣教のために重荷を持つて関わること、「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで」とあります。私たちの働きが健全であれば、世界宣教は何も特別な事ではありません。箴言22:28「あなたの先祖が立てた昔からの地境を移してはならない。」をもう一度心に留めましょう。
※若干編集してございます。文責:中ぶんな
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本日11月3日、甥の結婚式、落成式、来客、帰省したものなどがり、多忙のため、「きょうのことば」、後日といたします。
詩篇46篇
1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ
4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。
5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。
6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。
7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
8 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。
9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」
11 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
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朝でその日一日が決まるのではないかとさえ思われることがある。朝明けの街のようす、公園のたたずまい、山の稜線からにじり出てくる太陽の眩い光に顔を向け、目に留まったものを写真に撮りながら1~1時間半歩くと、その日は、よほどの用事でもないかぎり、またどこかに出かけてみようかなどという気にはならない。家まわり半径5メートルもあれば、一日やることには事は欠かないようだ。朝の短時間で、生きる上で必要な何かが注入されるのかもしれない。
やたら足腰が痛いときがあった。今から15,6年もまえのことだ。整形外科に通ったがなかなか治らなかった。今思うと運動不足だったのだ。あの時に、今のように朝すっきりと起きあがり、歩くなりジョギングでもしていれば、心身ともに健全に日々をこなすことができたのではないか。運動不足がさまざまな病気の原因にもなり得るのでは。今の運動量が足りているとは思わない。理想的には水泳でもプラスすれば、さらに良い効果が期待できるかもしれないが、水に入ること、それが温水に近いとしても、すこし抵抗がある。こんな程度でまた当分のあいだ歩いてみよう。
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