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きょうのことば 「神を知る恵の生涯」

日曜日にはインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇で語られたメセージをおつたえしています。2013年10月20日國光幾代子先生です。

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【聖書引証】マタイ
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16 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
17 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

【説教】―神を知る恵の生涯―

盛岡へは、2007年の7月に参りまして、それが最後と思っておりましたけれども、皆さまに篤いお祈りをいただいて、このようにまた機会が与えられ感謝に思っております。私の視力のためにもお祈りいただき、ほんとうに有難うございます。

いまここに立っておりますと、姉妹方が4人腰かけていらっしゃって、兄弟のむこうは白い上着を来ていらっしゃる方がいちばん前におられて、もう一人左におられるというその程度しか見えておりません。あとは霞んでいるような感じです。黄斑変性と診断を受けました。20106月から治療し、5回手術をいたしましたけれども、目の中心に出血したものは癒されるということはなく、これ以上出血しないようにという手術でした。その後も視力は少しずつ衰えておりますが、これは、加齢のためということです。もっと見えたならば、もっとお仕事ができるのにと考えますとき、第二コリント12章にある、パウロも眼が悪かったこと、しかし、このパウロに、神様は「わが恵汝に足れり」と仰っていることをすぐに思い出させていただいております。私のこの眼は、一つのトゲ、高ぶることのなからんためにと神様がお与え下さったもの、はい、そうですか、わかりました。このような問答を神様としながら過ごしてまいりました。

ここまで来ることができまあして、きのうは、一日ゆっくりと教会を見せていただき、また、お庭の方も見せていただいて、わたしは6年前に伺った時よりも、何か教会が広く大きくなったような感じがいたしますし、また、お庭の植物も色々なものが植えてありまして、のどかな感じを受けてほんとうに皆さまが教会を愛してくださっておられる、ほんとうに祈って戦っておられるということを推察させていただいて、感謝したことでございます。有難うございました。

 私は今94歳と8カ月。これまで一番嬉しかった事、一番良かったと思うことは、神様を知らせていただき、神様を信じる者とならせていただいて、また、神様が私をよく知っていてくださるということも分からせていただいたことは、人生の色々、嬉しいことや楽しいことの中でも、それらに勝って、神様を知らせていただいたことが、何よりも、一番大きな感謝すべき恵でした。そのいきさつを、出会う方々どなたでも、おみやげに話しておきたいことだと思っております。

マタイ28章の終りにある「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」をポイントにお話しします。

私はこれまでの生涯を、1~5期に整理しております。第1期は0歳~16歳までです。16歳で初めてイエスさまを知らされたわけです。それ以前は、神様は私を知っていてくださったわけですが、私の方はキリスト教をまったく知りませんで、西洋史で多少イエスキリストの存在を学びました。家は日蓮宗に熱心でしたから、そのしきたりに倣って生活をし、また宗教は、歳を取った人がするものだと思いながら色々な手伝いだけはしてまいりました。それが13歳ごろから、家庭に色々な課題が生じてまいりまして、昔の高等女学校2年生のときに、岡山から東京の高等女学校に転校いたしました。16歳の時に、家庭の問題や自分自身の問題などで、いったいこの世の中ってどういうものなのか、不公平や理不尽はたくさんある。私は何のために生まれてきたんだろうか。誰も人間はみな死んでいく。いったいこの世界、世の中、人間てどうなるのだろうと、肺尖カタルという病気で休んでいたことも手伝って、しきりに考えるようになりました。そして、ほんとうに寂しいセンチメンタルな気持ちになっていたのです。私がそんな気持ちになります前に家庭の事情で2度目の母が嫁いでくれておりました。その母が、難しくわがままな子どもたちの反抗に、進むに進まれないという心境で、教会を訪ねてクリスチャンになっていたんです。そのことに対して長女の私は、母さんが後から来て、家に変わったことをするとさんざん怒って、教会に行く邪魔をしておりました。でもある日、何気なく、開いていた聖書をちょっとのぞき込んだんです。マタイ5章にございます山上の垂訓でした。

3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

 赤エンピツで線が引いてありました。さきほど申し上げましたようなことを考えて、私の心はもやもやもやもやし、何もかもわからない、そんな気持ちでおりましたから、そこに書かれてあることは、私が考えている幸いとはまったくあべこべ。貧しい者が幸い、悲しいものは幸い、この本はいったい何なんでしょう、そういう気持ちで、聖書ということも知らないで、ただ、マークがついております御ことばを拾うように読んでいたのです。この二つだけは、ほんとうに焼きついたように心に留まったのです。そのようなことをしておりますうちに、私も教会へ行ってみようかしらという気持ちになりまして、母に、私も連れてって、私にも讃美歌を教えてといいだして、それが教会への第一歩。それから教会について行くようになっておりました。でもキリスト教に対しての色々な理解というものは、何もありませんで、聖書のおことばに心をひきつけられて何かあるのだろうなと思いながら行っておりますうちに、母に嫌がらせをしたり、意地悪をしたことを、とても責められるようになりました。それで、ある集会で、「クリスチャンになりたい人、お祈りして貰いたい人は残ってください、お祈りします」という促しに応じて、残ってお祈りしていただいたのが16歳の6月だったのです。それが、神様と私との魂、心との出会いの第一歩だったのです。ですから、0~16歳までは私の第1期、神様を知らなかったけれども、まあ何となく過ごしてきた時代というふうに理解しております。それから神様を知らせていただくようになって、聖書をも少しずつ読むようになり、教会にもだんだん惹かれて熱心になり、一生懸命お手伝いをするようになってまいりました。

2期は、1628歳までと心の整理をしております。この間は12年間でした。一生懸命教会に励んでいるとき、そのうちだんだんと戦争に移り、戦争が激しくなってまいりました。それでも私は天皇陛下を神様にするとか、まことの神様を否定する、疑うという気持ちはぜんぜんありませんでした。軍国日本でいうことと、キリスト教でいうことと、何とかいい具合にマッチしないのかしらということは勝手に一人で考えたことはありました。けれども。防空壕に入れば、「守ってください」と天の神様にお祈りしていました。そういう中を通って、空襲を経験し、終戦を迎えたわけです。これから何をどういうふうに生きていけばいいのか空白状態にありましたけれども、これではいけないと思いながら導かれましたのは、戦争で虎児になった子どもさんや、家庭が大変で育てられない子どもさんたちを預かっている救世軍の施設、「子どもの家」というところに私を使ってくださいと行きました。初めは、「あなたのような人はここでは働けませんよ」、と断られたのですけれども、それでも23度通いましたところ、「それじゃ家庭教師のように学校から帰って来た子どもをみてください」と頼まれ、決心し、そこに入って子どもさんとおむつが取れたお子さんたちと寝起きを一緒にしながら3年間そこで過ごしました。その間に、私は、救いの恵みをいただいた次の第二の転機、きよめの恵みをそこでいただいたのです。それはなぜか、子どもさんたちの世話をしましても、心が変わらなければ、そこで大きくなった人たちの言葉を聞いていますと決して幸いではない。私は幸いを幾分経験しました。心を変えられたからなんだ。心が変わらなければ、ほんとうの人間の幸いはわからない。求めても求めても求め続けていくものでしょうと思ったり、色々そこで考え悩みました。そこですっと神様に自分をお渡しして、私はこうやりたいから、私はこう望むからというのではなく、神差が導いてくださる通りに、それが私にいちばん嫌なことであっても、それを神様が望みなさるのであれば、その通りにいたしますと決心にまで至ったのです。これが第二の転機、教会では、きよめの恵みというふうに名付けていますけれども。きよめの恵みをいただきましょうなどと言っていただいたわけではなく、ともかくともかく幸いにしてあげなければいけない。自分が幸いを得たように、というような想いからそこに導いていただきました。その間は2年あまりですけれども、短いですけれども、私にとっては、転機の期間ですので、第3期と整理しているのです。そして「こどもの家」で働いておりますときに、蔦田先生をご存じの方が次々に訪ねてこられて、その園長先生も、会って御覧なさいと勧めてくれ、そのうちに蔦田先生にお会いすることになりましたのが、インマヌエルに入るきっかけになりました。ですから振り返ってみますと、自分自身はほんとうに計画もたてているわけではないし、そんなに、強い願望を持っているわけではないんですけれども、次第次第に神様が導いてくださったのです。インマヌエル綜合伝道団が創設された挨拶状だけは何かの折に見ておりました。そして、3回目の年会のときに、「子どもの家」から教団の方に献身してまいりました。それは、昭和23年の311日、忘れられない日です。戦争直後ですから、もんぺを着て、下駄ばきで、風呂敷包みをもって、先生方が居られるインマヌエルのホームをお訪ねしました。第4期といいますのは、献身しましたのは、ちょうど30歳だったのです。そのときは、まだ神学校もありませんでしたから、先生方の使い走りをしたり、御台所をしたり、今献身しても女中さんになるだけですよと止める方もありましたけれども、でも私はもう一生懸命だったんですね。そのうち、1年あまりして、浦和に神学校ができ、初めて一期生として入学させていただきました。神学校も浦和から移転し、現在は横浜の藤が丘にあります。30歳で神学校に入り、3年で卒業しました。

16歳の時に救いの恵みに与ってイエスさまを所謂書物のうえではなく、心に経験させていただいた救いの時、それから28歳の時にきよめの恵みをいただいて、イエスさまを第一としてまいりますと心が決まったのが第二の転機でございます。そして、その後、ずっと今日まで来ておりますけれども、その、段階ごとに、色々なご奉仕にあたらせていただいて、その中で、学びました事は、自分自身の弱いこと、醜いこと、乏しいことなど、自分自身をようく知らされたことですし、それからまた世の中の人間世界というものがどんなに、罪のために大変かということを知らされたこと、そしてその解決が神様にある、神様にあるだろうということではなく、神様にあるということを知らされて現在になっているわけでございます。そして今になって神様を知らせていただいたことが、どんな物をもらうよりも幸いであることがわかりました。誇張なのではなない、ほんとうにそうなのだから、ほんとうにそうなんですよと申し上げられるように、また、そう思うようになっておる現在でございます。今は、神学院教会の近くにおりまして、週3回、ヘルパーさんに来ていただいて、また介護ステーションの方にも時折来ていただいて一人で生活しておりますけれども、私が牧師をしていたことをご存じですので、色々相談を受けたり、また、おことばを教えて差し上げたり、色々な事をして日を過ごしておりますけれども、ある、もう60ぐらいのヘルパーさんが、「ここには神様がいると思ったんだけれども、きょう来てみたら本当だわ」、そう仰るので、「ああそうですか。私も神様と一緒にすごしていると思っているんですよ」と言いましたが、そんな会話をヘルパーさんたちとしながら日々を過ごしております。さきほど賛美いたしましたけど、ほんとうに「主イエスを告げぬるこの日の嬉しき」、イエスさまをお知り申し上げた、またイエスさまは、私が生まれる前から、どんなことを考えどんなところを歩んでおり、何を願っているか、ぜんぶ知っていてくださった。今も知っていてくださるということを納得し、ほんとうに感謝しているものでございます。こちらに参りますときも、東京駅で、信者さんに新幹線に乗せていただいたのですけれども、6年ぶりに東京駅に行ってみましたら、ほんとうに変わっているので、見えないんですけれども、神様は機に適った助けを与えてくださり、過ちなくここに来させていただくことができ感謝しております。私の経験を通してどのように神様を知るのかということを幾分おわかりいただけたかと思いますが、神様を知ることは、ほんとうにどんな不思議よりも最も大切な事だと、言葉を尽くして申し上げても足りないほどの想いがいたします。聖書を見ますと、神様を知る手段が記されております。詩篇の19篇、神様がご自分を紹介するのに三つの手段があることが書かれてあります。

一番目は自然界を通して、2番目は聖書のおことばを通して、3番目は人間の心、良心を通してと出ております。神様を知って神様を敬うものは幸いだということが言われているところでありますけれども、枯れ木のような樹木に一輪花が咲いているのを見て、神様の存在を認めたという世界的に有名な方がおられます。そういうふうに、自然界を見て神様を知る、ほんとうに自然界の法則を研究しているのは科学者です。神様が造りなさった法則を見つけて神様の存在を認めた、また法則を見つけても、神様の存在を認めるまでには至らないで、学問で終わる段階もあるのでしょう。この間も、科学者が議論していましたが。遺伝子を研究してらっしゃる方が、神様とはいわず、サムシング・グレイトという表現をして本を出しておられる。ある偉大なもの、このような本が出ておりますけれども、そのようなこともあります。この自然界を通して神様の存在が語られている。それから聖書。不思議な書物と言われる。著者は神様。たくさんの宗教書がありますが、聖書の著者は神様。モーセだ、パウロだといわれますが、それは霊感を与えられて記録した人たちです、記録した人たちは50人余りいます。年代も違います。そういうものが羊皮紙に書かれたりして残っている。それがイギリスの博物館にあったり、土の中に埋められていたのが掘り出されたり、研究されて、今現在の66巻が聖書に定められ、聖典といわれるようになったのですけれども、記録した人たちは違いますし、年代も違いますけれども、66巻が1冊の聖書になって、そこには、時代が違い人間が違うのですけれども、矛盾がない。一つのストーリーに納まっている、その一つの点からだけ考えても、聖書はふつうの書ではない、神様によるものだということが証明されると神学校で学びました。聖書は、迫害を受けて焼かれたりした時代もありましたけれども、今なおベストセラーと伺っております。聖書の冒頭には、「元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり」と始まっておりますが、聖書を通して神様がおられるということが証明されております。それから人間には良心というものが与えられており、良い悪いを判断する。そういう人間の心も何を選ぶかということに用いられます。その三つを通して、神様と申し上げるその方がおられるということが証明されていると、これも神学校で学びました。その通りだと思いますし、また、そうだとわかったというだけではなく、そういう客観的な理論も或る程度知っておりますと、動かされない信仰を持たせていただけるものですから、学ぶということも、大切なことでございます。よく神様といっても、たくさんカミサマあるでしょうと、そんな質問を受けることもあります。日本語ではどれも同じく神様と表現しますから、ちょっと、ややこしいですけれども、ぜんぜん内容は違う。ですから、このまことの神様をお知りいただく。色々なカミサマではなく、この唯一の神様をお知りいただくということはほんとうに大切だと思います。ジョン。ウェスレーは、イギリスが頽廃していますときに、宗教によってイギリスを改革したという優れた人物でありますけれども、ジョン・ウェスレーという方が亡くなるときに、臨終の床において、私の生涯で神様を知らせていただいたこと、これが最もよいことでしたと周りの方々に言い遺しました。私は、そのことばを、ずっと若い時から教えられて知っていました。でもそういうふうに言えるかしらと思いながら何十年かを過ごしてまいりましたけれども、今日、天国が近くなってまいりましたから、第5期を終わって、あとは、天国への道だと思うのですが、あと何年かは神様がご存じですけれども、ここまでまいりまして、ほんとうにジョンウェスレーが言っているとおり、この地上の生涯に於いて90年あまりの生涯で最もよかったことは、神様を知らせていただいたこと、そして、神様は私にとって、天のお父様、愛する父であり、アバ父と呼び申し上げる、そういう関係に入れていただいている、また神様も私のすべてをご存じである。私の時はすべて神様の御手の中にある、そういう信頼で心は一杯でございます。それはひとりよがりのことではなく、そういうものですということが、聖書に書かれています。「視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり」「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」。どんなことでも私は皆知っている。そういうふうに聖書に書いてあります。私が勝手に言っている。私が勝手にそう感じているということではなくて聖書にそう書いてあるからそうなんです。聖書の御聖言(みことば)が、神様が、語っておられる、神様が約束しておられる。御聖言のみでございます。私が10代から歌っている讃美歌をみなさまと一緒に歌いたい。「世の終まで常に汝らと」、汝らと、複数で書かれてありますが、一人一人の終わりまで、あなたとともにいます。ですから、強いて神様がおられないところはないとそういうふうに納得することができます。またこういう幸があるんですよとお伝えしたい気持ちでいっぱいでございます。色々辛いこと、大変な事ありますけれども、それらのすべてを神様は益にしてくださって、そういうことを通して神様がどんなに良いお方であるかということを私は60年の牧会に当たりながら信徒の方々と一緒に喜んだり、一緒に泣いたり、一緒に笑ったり、一緒に楽しんだりしてまいりましたけれど、「すべてのことが相働きて益」となる。ロマ8:28に書かれていますけれども、ほんとかしら、疑問をもつことはあっても否定はしませんでした。歳をとるにつれてほんとうにそうであることがわかりました。私の生涯を顧みましても、神は愛する者御旨に依りて召されたる者のためには、すべての事相働きて益となり、このおことばは、ほんとうにそうですと、歳をとるにつれて申し上げられるようになりました。どうぞ皆さん楽しみをもって信仰生活を、課題はおありでしょうけれども、進んでいただきたいと思います。

 

 

 

※聴きとりが不十分である点がございますが、御容赦ください。文責:中ぶんな

 

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