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2013年10月

たとえ霧に閉ざされていてもその向こうには道がある

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視程100メートル。霧に閉ざされたむこうに道は見えない。しかし歩いていくと、道は尚も続いている。右側には銀杏の大木。その右側にかすんでいるのが岩手県民会館だ。朝6時の景色だ。

10月もきょうで終わる。文芸誌『天気図』の原稿締め切りの日。朝は霧に閉ざされたが、今は快晴、空は高く晴れあがり、恒星が青い光を放っていると信じよう。たとえ厚い雲に覆われていたとしても。

「しかしついには上から霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる」
「この戦いは主の戦いである。あなた方は黙って見ていなければならない」

ともかく、原稿を一旦編集長の立川さんに添付で送信する。400字詰め換算で約80枚。不備な点が多く、また書き落としなどもあるが先ずは提出。目に疲労感があるが、そのほかの健康は保たれている。今回は前編。続けて中編、後編と書き続けたいものだ。無理はしないことにする。だいたいの一区切りで今日を締めくくることができる。感謝なことだ。

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デジタル・コンサート・ホール

 近頃は、何といっても地域にある地域の楽団がありがたいとの思いが強くなっている。それを飛び越えて、いきなり世界の最高峰を片言なりとも書くということに、若干の齟齬を覚えないではないけれども。
 11月のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(PBO)来日で、この誌ならずとも、音楽雑誌は並べてこの関連記事満載ということになっているだろう。
 デジタル・コンサート・ホール(DCH)の記事に目が留まった。自宅にいながらにして、ライブを観、聴く事ができる。ドイツ時間との時差があるので、此処で言えば8時間後のライブであったりする。夜更かし出来る方には都合がいいのかもしれない。しかしすこし待つとアーカイブスで聴くことができfる。
 どうもホールの内部にカメラが7台設置され、リモコン式。遠隔操作されている。カメラには約50のアングルがプリセット。ボタンで角度を変化させる。芸術責任者はクリストフ・フランケで、ドイツ有数のトーンマイスターであるという。解説はまだまだ続くのだけれども、1927(昭和2)年に海外クラッシック音盤を日本でプレスできるようになってから86年経っているわけだが、遂げたこの想像もできなかった技術革新には、ただただ驚いている。

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朝の盛岡市肴町ホットライン

 ウォーキング。きょうの曙光は6時半。一日を背負った太陽が眩い光を、河川や草木、家やビルの側面を照らしだす。6時に家を出て1時間。きょうは中ノ橋経由で肴町のアーケードを歩いてみる。7時開店のドーナツショップやカフェ、パン屋の奥の照明の下に人が動いている。ライトを点けたトラックが荷おろしをしていた。ウォーキングの人影もなく、こんな心やすまる絵が、夜明けを待ち、訪れる人々を待っている。

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シンフォニエッタ盛岡 in、太田

  盛岡市太田。大正時代、この旧太田村に、太田カルテットが誕生しました。メンバーは佐々木休次郎、館沢繁次郎、赤沢長五郎、梅村保の4人。佐々木休次郎、館沢繁次郎は太田きっての大地主。赤沢長五郎は柔道7段の猛者。梅村保は戸田一心流免許皆伝の剣豪です。それが弦楽で意気投合。彼らの弦楽四重奏が上手かったかどうかt、当時のプログラムなどを見ると、難易度からすればそれほどでもないように思われるでしょう。しかし、当時と現代をそういった比較で見ることは妥当ではない。ただ、彼らは、西洋音楽の遅れ克服しようと猛烈に努力したことは確かです。このカルテットの業績は、演奏そのものよりも、幾多の文化事業(質の高い音楽家や小説家を中央から招聘するなど)と啓蒙にあります。
 太田カルテットのメンバーから直接指導を受けられて現在ご存命であるのが成田浩氏であり、その系統の音楽団体がシンフォニエッタ盛岡です。そこで今回、10月27日の午後、太田地区活動センター・分館まつりに招かれました。

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 大正当時、太田カルテットは、館沢宅、佐々木宅、梅村の音楽堂で練習をしていました。

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 「あまちゃん」にはじまり、モーツァルト、グノー、日本の歌の数々、等々が次々に演奏されました。ふっと後ろの観客席を振り返ったときに、たくさんの地域の方々が演奏に耳を傾けておられ、これが梅村保が、宮澤賢治が望んでいたことではないかと、何ともいわれない思いがしました。勿論、私語を交わしている方々もいましたが、私は、選択的に演奏を聴く習慣があるせいか、まったく気にはなりませんでした。熱心に聴く方大勢、私語を楽しむ方もあり。これでいい、みんなが楽しんでおられる、そう思いました。

 真ん中のお子さんは特別出演? シンフォニエッタ盛岡団員のお母さんがお子さんをおんぶして楽器を演奏なさったのです。こんな姿を初めて見ました。お子さんが背中でけっこう動いていたので、演奏がたいへんだったでしょう。日本でも、いえ、世界でもめずらしい場面かもしれない。お陰で楽しかったです!!

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きょうのことば 「神を知る恵の生涯」

日曜日にはインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇で語られたメセージをおつたえしています。2013年10月20日國光幾代子先生です。

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【聖書引証】マタイ
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16 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
17 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

【説教】―神を知る恵の生涯―

盛岡へは、2007年の7月に参りまして、それが最後と思っておりましたけれども、皆さまに篤いお祈りをいただいて、このようにまた機会が与えられ感謝に思っております。私の視力のためにもお祈りいただき、ほんとうに有難うございます。

いまここに立っておりますと、姉妹方が4人腰かけていらっしゃって、兄弟のむこうは白い上着を来ていらっしゃる方がいちばん前におられて、もう一人左におられるというその程度しか見えておりません。あとは霞んでいるような感じです。黄斑変性と診断を受けました。20106月から治療し、5回手術をいたしましたけれども、目の中心に出血したものは癒されるということはなく、これ以上出血しないようにという手術でした。その後も視力は少しずつ衰えておりますが、これは、加齢のためということです。もっと見えたならば、もっとお仕事ができるのにと考えますとき、第二コリント12章にある、パウロも眼が悪かったこと、しかし、このパウロに、神様は「わが恵汝に足れり」と仰っていることをすぐに思い出させていただいております。私のこの眼は、一つのトゲ、高ぶることのなからんためにと神様がお与え下さったもの、はい、そうですか、わかりました。このような問答を神様としながら過ごしてまいりました。

ここまで来ることができまあして、きのうは、一日ゆっくりと教会を見せていただき、また、お庭の方も見せていただいて、わたしは6年前に伺った時よりも、何か教会が広く大きくなったような感じがいたしますし、また、お庭の植物も色々なものが植えてありまして、のどかな感じを受けてほんとうに皆さまが教会を愛してくださっておられる、ほんとうに祈って戦っておられるということを推察させていただいて、感謝したことでございます。有難うございました。

 私は今94歳と8カ月。これまで一番嬉しかった事、一番良かったと思うことは、神様を知らせていただき、神様を信じる者とならせていただいて、また、神様が私をよく知っていてくださるということも分からせていただいたことは、人生の色々、嬉しいことや楽しいことの中でも、それらに勝って、神様を知らせていただいたことが、何よりも、一番大きな感謝すべき恵でした。そのいきさつを、出会う方々どなたでも、おみやげに話しておきたいことだと思っております。

マタイ28章の終りにある「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」をポイントにお話しします。

私はこれまでの生涯を、1~5期に整理しております。第1期は0歳~16歳までです。16歳で初めてイエスさまを知らされたわけです。それ以前は、神様は私を知っていてくださったわけですが、私の方はキリスト教をまったく知りませんで、西洋史で多少イエスキリストの存在を学びました。家は日蓮宗に熱心でしたから、そのしきたりに倣って生活をし、また宗教は、歳を取った人がするものだと思いながら色々な手伝いだけはしてまいりました。それが13歳ごろから、家庭に色々な課題が生じてまいりまして、昔の高等女学校2年生のときに、岡山から東京の高等女学校に転校いたしました。16歳の時に、家庭の問題や自分自身の問題などで、いったいこの世の中ってどういうものなのか、不公平や理不尽はたくさんある。私は何のために生まれてきたんだろうか。誰も人間はみな死んでいく。いったいこの世界、世の中、人間てどうなるのだろうと、肺尖カタルという病気で休んでいたことも手伝って、しきりに考えるようになりました。そして、ほんとうに寂しいセンチメンタルな気持ちになっていたのです。私がそんな気持ちになります前に家庭の事情で2度目の母が嫁いでくれておりました。その母が、難しくわがままな子どもたちの反抗に、進むに進まれないという心境で、教会を訪ねてクリスチャンになっていたんです。そのことに対して長女の私は、母さんが後から来て、家に変わったことをするとさんざん怒って、教会に行く邪魔をしておりました。でもある日、何気なく、開いていた聖書をちょっとのぞき込んだんです。マタイ5章にございます山上の垂訓でした。

3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

 赤エンピツで線が引いてありました。さきほど申し上げましたようなことを考えて、私の心はもやもやもやもやし、何もかもわからない、そんな気持ちでおりましたから、そこに書かれてあることは、私が考えている幸いとはまったくあべこべ。貧しい者が幸い、悲しいものは幸い、この本はいったい何なんでしょう、そういう気持ちで、聖書ということも知らないで、ただ、マークがついております御ことばを拾うように読んでいたのです。この二つだけは、ほんとうに焼きついたように心に留まったのです。そのようなことをしておりますうちに、私も教会へ行ってみようかしらという気持ちになりまして、母に、私も連れてって、私にも讃美歌を教えてといいだして、それが教会への第一歩。それから教会について行くようになっておりました。でもキリスト教に対しての色々な理解というものは、何もありませんで、聖書のおことばに心をひきつけられて何かあるのだろうなと思いながら行っておりますうちに、母に嫌がらせをしたり、意地悪をしたことを、とても責められるようになりました。それで、ある集会で、「クリスチャンになりたい人、お祈りして貰いたい人は残ってください、お祈りします」という促しに応じて、残ってお祈りしていただいたのが16歳の6月だったのです。それが、神様と私との魂、心との出会いの第一歩だったのです。ですから、0~16歳までは私の第1期、神様を知らなかったけれども、まあ何となく過ごしてきた時代というふうに理解しております。それから神様を知らせていただくようになって、聖書をも少しずつ読むようになり、教会にもだんだん惹かれて熱心になり、一生懸命お手伝いをするようになってまいりました。

2期は、1628歳までと心の整理をしております。この間は12年間でした。一生懸命教会に励んでいるとき、そのうちだんだんと戦争に移り、戦争が激しくなってまいりました。それでも私は天皇陛下を神様にするとか、まことの神様を否定する、疑うという気持ちはぜんぜんありませんでした。軍国日本でいうことと、キリスト教でいうことと、何とかいい具合にマッチしないのかしらということは勝手に一人で考えたことはありました。けれども。防空壕に入れば、「守ってください」と天の神様にお祈りしていました。そういう中を通って、空襲を経験し、終戦を迎えたわけです。これから何をどういうふうに生きていけばいいのか空白状態にありましたけれども、これではいけないと思いながら導かれましたのは、戦争で虎児になった子どもさんや、家庭が大変で育てられない子どもさんたちを預かっている救世軍の施設、「子どもの家」というところに私を使ってくださいと行きました。初めは、「あなたのような人はここでは働けませんよ」、と断られたのですけれども、それでも23度通いましたところ、「それじゃ家庭教師のように学校から帰って来た子どもをみてください」と頼まれ、決心し、そこに入って子どもさんとおむつが取れたお子さんたちと寝起きを一緒にしながら3年間そこで過ごしました。その間に、私は、救いの恵みをいただいた次の第二の転機、きよめの恵みをそこでいただいたのです。それはなぜか、子どもさんたちの世話をしましても、心が変わらなければ、そこで大きくなった人たちの言葉を聞いていますと決して幸いではない。私は幸いを幾分経験しました。心を変えられたからなんだ。心が変わらなければ、ほんとうの人間の幸いはわからない。求めても求めても求め続けていくものでしょうと思ったり、色々そこで考え悩みました。そこですっと神様に自分をお渡しして、私はこうやりたいから、私はこう望むからというのではなく、神差が導いてくださる通りに、それが私にいちばん嫌なことであっても、それを神様が望みなさるのであれば、その通りにいたしますと決心にまで至ったのです。これが第二の転機、教会では、きよめの恵みというふうに名付けていますけれども。きよめの恵みをいただきましょうなどと言っていただいたわけではなく、ともかくともかく幸いにしてあげなければいけない。自分が幸いを得たように、というような想いからそこに導いていただきました。その間は2年あまりですけれども、短いですけれども、私にとっては、転機の期間ですので、第3期と整理しているのです。そして「こどもの家」で働いておりますときに、蔦田先生をご存じの方が次々に訪ねてこられて、その園長先生も、会って御覧なさいと勧めてくれ、そのうちに蔦田先生にお会いすることになりましたのが、インマヌエルに入るきっかけになりました。ですから振り返ってみますと、自分自身はほんとうに計画もたてているわけではないし、そんなに、強い願望を持っているわけではないんですけれども、次第次第に神様が導いてくださったのです。インマヌエル綜合伝道団が創設された挨拶状だけは何かの折に見ておりました。そして、3回目の年会のときに、「子どもの家」から教団の方に献身してまいりました。それは、昭和23年の311日、忘れられない日です。戦争直後ですから、もんぺを着て、下駄ばきで、風呂敷包みをもって、先生方が居られるインマヌエルのホームをお訪ねしました。第4期といいますのは、献身しましたのは、ちょうど30歳だったのです。そのときは、まだ神学校もありませんでしたから、先生方の使い走りをしたり、御台所をしたり、今献身しても女中さんになるだけですよと止める方もありましたけれども、でも私はもう一生懸命だったんですね。そのうち、1年あまりして、浦和に神学校ができ、初めて一期生として入学させていただきました。神学校も浦和から移転し、現在は横浜の藤が丘にあります。30歳で神学校に入り、3年で卒業しました。

16歳の時に救いの恵みに与ってイエスさまを所謂書物のうえではなく、心に経験させていただいた救いの時、それから28歳の時にきよめの恵みをいただいて、イエスさまを第一としてまいりますと心が決まったのが第二の転機でございます。そして、その後、ずっと今日まで来ておりますけれども、その、段階ごとに、色々なご奉仕にあたらせていただいて、その中で、学びました事は、自分自身の弱いこと、醜いこと、乏しいことなど、自分自身をようく知らされたことですし、それからまた世の中の人間世界というものがどんなに、罪のために大変かということを知らされたこと、そしてその解決が神様にある、神様にあるだろうということではなく、神様にあるということを知らされて現在になっているわけでございます。そして今になって神様を知らせていただいたことが、どんな物をもらうよりも幸いであることがわかりました。誇張なのではなない、ほんとうにそうなのだから、ほんとうにそうなんですよと申し上げられるように、また、そう思うようになっておる現在でございます。今は、神学院教会の近くにおりまして、週3回、ヘルパーさんに来ていただいて、また介護ステーションの方にも時折来ていただいて一人で生活しておりますけれども、私が牧師をしていたことをご存じですので、色々相談を受けたり、また、おことばを教えて差し上げたり、色々な事をして日を過ごしておりますけれども、ある、もう60ぐらいのヘルパーさんが、「ここには神様がいると思ったんだけれども、きょう来てみたら本当だわ」、そう仰るので、「ああそうですか。私も神様と一緒にすごしていると思っているんですよ」と言いましたが、そんな会話をヘルパーさんたちとしながら日々を過ごしております。さきほど賛美いたしましたけど、ほんとうに「主イエスを告げぬるこの日の嬉しき」、イエスさまをお知り申し上げた、またイエスさまは、私が生まれる前から、どんなことを考えどんなところを歩んでおり、何を願っているか、ぜんぶ知っていてくださった。今も知っていてくださるということを納得し、ほんとうに感謝しているものでございます。こちらに参りますときも、東京駅で、信者さんに新幹線に乗せていただいたのですけれども、6年ぶりに東京駅に行ってみましたら、ほんとうに変わっているので、見えないんですけれども、神様は機に適った助けを与えてくださり、過ちなくここに来させていただくことができ感謝しております。私の経験を通してどのように神様を知るのかということを幾分おわかりいただけたかと思いますが、神様を知ることは、ほんとうにどんな不思議よりも最も大切な事だと、言葉を尽くして申し上げても足りないほどの想いがいたします。聖書を見ますと、神様を知る手段が記されております。詩篇の19篇、神様がご自分を紹介するのに三つの手段があることが書かれてあります。

一番目は自然界を通して、2番目は聖書のおことばを通して、3番目は人間の心、良心を通してと出ております。神様を知って神様を敬うものは幸いだということが言われているところでありますけれども、枯れ木のような樹木に一輪花が咲いているのを見て、神様の存在を認めたという世界的に有名な方がおられます。そういうふうに、自然界を見て神様を知る、ほんとうに自然界の法則を研究しているのは科学者です。神様が造りなさった法則を見つけて神様の存在を認めた、また法則を見つけても、神様の存在を認めるまでには至らないで、学問で終わる段階もあるのでしょう。この間も、科学者が議論していましたが。遺伝子を研究してらっしゃる方が、神様とはいわず、サムシング・グレイトという表現をして本を出しておられる。ある偉大なもの、このような本が出ておりますけれども、そのようなこともあります。この自然界を通して神様の存在が語られている。それから聖書。不思議な書物と言われる。著者は神様。たくさんの宗教書がありますが、聖書の著者は神様。モーセだ、パウロだといわれますが、それは霊感を与えられて記録した人たちです、記録した人たちは50人余りいます。年代も違います。そういうものが羊皮紙に書かれたりして残っている。それがイギリスの博物館にあったり、土の中に埋められていたのが掘り出されたり、研究されて、今現在の66巻が聖書に定められ、聖典といわれるようになったのですけれども、記録した人たちは違いますし、年代も違いますけれども、66巻が1冊の聖書になって、そこには、時代が違い人間が違うのですけれども、矛盾がない。一つのストーリーに納まっている、その一つの点からだけ考えても、聖書はふつうの書ではない、神様によるものだということが証明されると神学校で学びました。聖書は、迫害を受けて焼かれたりした時代もありましたけれども、今なおベストセラーと伺っております。聖書の冒頭には、「元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり」と始まっておりますが、聖書を通して神様がおられるということが証明されております。それから人間には良心というものが与えられており、良い悪いを判断する。そういう人間の心も何を選ぶかということに用いられます。その三つを通して、神様と申し上げるその方がおられるということが証明されていると、これも神学校で学びました。その通りだと思いますし、また、そうだとわかったというだけではなく、そういう客観的な理論も或る程度知っておりますと、動かされない信仰を持たせていただけるものですから、学ぶということも、大切なことでございます。よく神様といっても、たくさんカミサマあるでしょうと、そんな質問を受けることもあります。日本語ではどれも同じく神様と表現しますから、ちょっと、ややこしいですけれども、ぜんぜん内容は違う。ですから、このまことの神様をお知りいただく。色々なカミサマではなく、この唯一の神様をお知りいただくということはほんとうに大切だと思います。ジョン。ウェスレーは、イギリスが頽廃していますときに、宗教によってイギリスを改革したという優れた人物でありますけれども、ジョン・ウェスレーという方が亡くなるときに、臨終の床において、私の生涯で神様を知らせていただいたこと、これが最もよいことでしたと周りの方々に言い遺しました。私は、そのことばを、ずっと若い時から教えられて知っていました。でもそういうふうに言えるかしらと思いながら何十年かを過ごしてまいりましたけれども、今日、天国が近くなってまいりましたから、第5期を終わって、あとは、天国への道だと思うのですが、あと何年かは神様がご存じですけれども、ここまでまいりまして、ほんとうにジョンウェスレーが言っているとおり、この地上の生涯に於いて90年あまりの生涯で最もよかったことは、神様を知らせていただいたこと、そして、神様は私にとって、天のお父様、愛する父であり、アバ父と呼び申し上げる、そういう関係に入れていただいている、また神様も私のすべてをご存じである。私の時はすべて神様の御手の中にある、そういう信頼で心は一杯でございます。それはひとりよがりのことではなく、そういうものですということが、聖書に書かれています。「視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり」「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」。どんなことでも私は皆知っている。そういうふうに聖書に書いてあります。私が勝手に言っている。私が勝手にそう感じているということではなくて聖書にそう書いてあるからそうなんです。聖書の御聖言(みことば)が、神様が、語っておられる、神様が約束しておられる。御聖言のみでございます。私が10代から歌っている讃美歌をみなさまと一緒に歌いたい。「世の終まで常に汝らと」、汝らと、複数で書かれてありますが、一人一人の終わりまで、あなたとともにいます。ですから、強いて神様がおられないところはないとそういうふうに納得することができます。またこういう幸があるんですよとお伝えしたい気持ちでいっぱいでございます。色々辛いこと、大変な事ありますけれども、それらのすべてを神様は益にしてくださって、そういうことを通して神様がどんなに良いお方であるかということを私は60年の牧会に当たりながら信徒の方々と一緒に喜んだり、一緒に泣いたり、一緒に笑ったり、一緒に楽しんだりしてまいりましたけれど、「すべてのことが相働きて益」となる。ロマ8:28に書かれていますけれども、ほんとかしら、疑問をもつことはあっても否定はしませんでした。歳をとるにつれてほんとうにそうであることがわかりました。私の生涯を顧みましても、神は愛する者御旨に依りて召されたる者のためには、すべての事相働きて益となり、このおことばは、ほんとうにそうですと、歳をとるにつれて申し上げられるようになりました。どうぞ皆さん楽しみをもって信仰生活を、課題はおありでしょうけれども、進んでいただきたいと思います。

 

 

 

※聴きとりが不十分である点がございますが、御容赦ください。文責:中ぶんな

 

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シンフォニエッタ盛岡 チャリティーコンサート 2013/10/27(日)午後1時~ 太田地区活動センター

 うっかり、ご案内が遅れてしまいましたが、10月27日午後1時~太田地区活動センターで、シンフォニエッタ盛岡のチャリティーコンサートがあります。太田カルテットにまつわるピアノを復活させるための修理を願っています。どうぞおでかけ下さい。

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再生をのこして

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 今朝は雨が降っていた。5時はまだ暗い。お茶を淹れて本をひらきゆったりと寛ぐ。時折カーテンの間から外をのぞく。5時45分ごろに、小雨の暗がりに幾分かの明るみがさす。傘を片手に木戸を開ける。上ノ橋に向かって歩く。
 上ノ橋から中津川の川底を見ると、浅瀬に鮭が7、8匹、居場所をもうそこに定めたかのように狭い範囲を動いている。すぐそばには、役目を果たし白く腐乱した鮭が底に揺らめいていた。無惨な光景だ。しかしこの無残さは、全力で新たな再生を自然界にのこしてくれた結果なのだ。雨模様であるし、30分も歩いたら帰るつもりでカメラを持ち出さなかったが、すこし残念だった。

 写真は1週間ばかり前のもの。朝日に照らしだされた大樹の重量感を仰ぎ見る。

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落ち葉、豊かに

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ゆっくりとあるく。一歩、また一歩。ふかふかの落ち葉をふんで歩く。

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となりびと

  私にはたしかに兄弟姉妹たちがおり、遠く離れたところに暮らしている者であっても掛け替えのないものだ。万が一、誰かに何かが起きたなら、かなりショックを受け、力が削がれるだろう。しかし、齢重ねるごとに、身近にあって、近所にあって声をかけてくださる方々、これはもう有難い存在であると思うようになった。きょうは早朝散歩をしなかったので、その代わりにと、午前9時ごろからかなりの長距離を歩いた。いつもはバイクか車を使う距離だ。1時間以上はかかったろう。流石に帰りはバスとなったが。今は、これだけの体力があるから歩ける。しかしいつまでもそうとは限らない。運転免許も返上するときが来るとすれば、行動範囲は限られてくる。今自分の身近にいる方々、多少のことは大目に見て下さり、受け入れてくださる方々を有難いと思っている。
 きのうは近所の方々3人とお会いしている。朝一番は蝶々夫人と呼んでいる方。昼過ぎには人物画を描かれるT子さん。用事のついでに新聞記事のコピーをお持ち下さったのだが、実はこれは本人にも申し上げていないが、とても不思議なことだったのだ。そして午後2時近くだったろうか、通りかかったのが、

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 maruseiさん。息子の同級生のお母さん。ずっとお声をかけてくださる。老舗まるせい呉服店の経営者夫人。お店に立ち寄ればいらっしゃるでしょう。

 このほかにも、さまざまな方々にお世話になっているわけです。お世話になっているのは、近い、遠いにかぎらずなのですが、感謝なことです。

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きょうの料理

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 ぼくたち、きょうは、こんなお料理も食べました。
 てっぺんに付いているつまみを持ってカボチャのふたを開けると、中に干しシイタケやエノキダケ、そう、マツタケじゃないんだけどね、それとニンジンの線切り、タケノコの線切り、鳥のひき肉がぎゅっと詰まってて、だし汁と片栗粉のスープがはいってたの。干しシイタケの香りがカボチャに浸み込んでいて、けっこうおいしかったな。
 僕が勝手に写真を取ったの。お母さんがね、「写真を撮るならテーブルをもっときれいにしたのに、白いお皿に盛りつけたのに、ナイフをきちんと揃えたのに」だってさ。でも言ってたよ、何も高価な食材を使わなくても、ちょっと手をかけると美味しいものができるんだって。まわりの黄色いものは、コーン入りのフレンチエッグさ。このパセリは裏庭に生えてたっけな。う~ん、このボリュームじゃ、あしたもこれを食べさせられるのかな~。カボチャをまるごと使った料理は、僕たち大好きさ。圧力なべ7分でできあがり~。

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何か変、どこか変

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  きょうは5時に目を醒ました。自分のいたらなかったことなどを思い出し、神様申し訳ありませんと唱えていた。眼を醒ましてぐずぐずしていると、だいたいは思考が下降線となることが多い。つまり考えなくてもいいことを考えるのだ。そこですぐさま起きあがる。5時だ。外はまだ暗い。湯を沸かし、コーヒーにしようかと思ったが、きょうは緑茶にする。やはりあまり暗いうちから外を歩くのは好ましくない気がし、5時半まで待つ。2日前まで一緒に早朝散歩をしていた方は、今年はもうここまでということで、来年までお休み。ここでやめてしまうのが惜しい私は続行。早朝は「さあ太陽を呼んで来い♪」の歌詞にもある通り。朝には格別な天の祝福が満ちている。それが雨であろうと晴れていようと。雨で中止したのは、今まで2回だけだ。その1回は台風26号通過の朝だった。たとえ雨予報でも、5~7時には降らないことが多い。家に入った途端に降ってきたりする。きょうは主人が歩く気になったらしく、同行。

 月曜日はゆっくりしようと思っていた。ところが、家の裏が立ち枯れで無惨な有様。一旦やり始めたところが、ここもあそこもとなり、外回りを片づけながらついでに昼食の支度も交えて、午前はとうとう片づけ方となった。
 午後は買い物にでようかと思ったが、これも片づけがおわらず続行していたが、こんなことではと、パソコンに向かったが、またしてもそのままでは書けない項目が。図書館に行くにはもう遅い。何としても球根を植えるスペースを作らなきゃ。10月中には植えなくちゃ。やっと庭に三角スペースを。とここまで書いて22時5分。

 きょう5時ごろか5時半ごろか、時計は見なかったけれど、ひと息ついてTVを点けてみると、食べ物の番組だった。チャンネルを何回か変えるとまた食べ物番組。「うん、おいし~い」、こんな美味しいものは食べたことがないという大袈裟な演出。いったいこれは何だろう。近頃は目くじらをたてることも滅多になくなったが、きょうというきょうは、旨いものはないか~、旨いものはどこだ~をこっちが美味しい、いやもっと美味しいものがあると視聴率稼ぎをしているさまを見てゲンナリしてしまった。なにもガタガタ言わないで楽しんだらいいじゃない。何も悪いことしてるわけじゃないでしょ。あんただってそんなに立派な人じゃない、美味しいもの食べたくないわけじゃないでしょ。そうですね。そうかもしれない。でもどこか変、何か変。というわけで、即刻TVは消しました。 

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きょうのことば♪ 内藤容子先生の音楽宣教ライブ

 2013年10月13日、インマヌエル盛岡キリスト教会(019-646-2924)に、音楽宣教師内藤容子先生がいらっしゃいました。先生は、聖書のことばを作曲、この歌でイエスさまをお伝えしておられます。参考のために you tube につないでおきましたが、ライブは、聖書のことばに自然に親しめるようなすばらしいものでした。音楽を文字でお伝えすることには無理があるのかもしれませんが、その断片をお分かちします!!

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こんにちは!

最初は「真理のことば♪」という曲でした

 

イザヤ書408「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」。この曲は私がコンサートをしながら回っているときに、長野県の教会で出会った女の方、まだイエスさまをよく知らない方でしたけれども、真理を求めていました。生活している中で、お友達や近しいひとになぜか裏切られてしまう、そんな事が続いた。どこに行ったら真理があるのかなあと私に訊かれた。しかし私は、その方に、上手に話すことができなかった。私が知っている決して変わらないものは、一つあるなと思いました。それは聖書のことばです。この聖書のことばだけは、私たちがどんなに変わっても、世界がどんなに変わっても変わらないです。その一点一画さえも落ちないと書いてありますけれども、真理なんですね。そして、この聖書に信頼していくなら、決して裏切られることはない。他のものは、私をも含め弱いですけれども、ここに真理があるなあということを、その彼女ともう一度再確認してこれを歌にしたいと思って作った曲をお届けしました。

 

 私の片書は、音楽宣教師です。ゴスペルシンガーとは違います。聖書のメッセージを音楽にのせてお届けしています。ゴスペルシンガーというのは、神様への想いを賛美することが多いとおもいますけれども、私はなせか高校時代から曲を創りましたけれども、神様のメッセージを届けたという思いがありました。神様からみなさんへという、そういうメッセージを送っているものです。

 

 きょうはみなさんと歌っていきたいなあと思っています。みなさんとても大きい声で歌われると聞いております。私のうたですから、みなさん初めて聞く曲だと思うんですが皆さんと歌っていきたいです。

 

「いつも喜んでいなさい♪」を一緒にうたいましょう。

 

第一テサロニケ51618
「絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」

 

 これは、私が初めて行った教会の牧師が退任されるとき、送った感謝の歌です。その先生は、誰の聖書にもこの御ことばを書いておられました。聖書のことばが一字一句憶えられるように創った曲です。

 

「神の家とは♪」

 

第一テモテ3

 

 私の母教会は、新潟県三条市にある三条福音キリスト教会といいます。三条市は刃物で有名です。盛岡のこちらの会堂よりも小さくて、一つ大きな礼拝堂があって、小さな流し台がある、それだけです。そこに幼稚園から通い始めて、高校3年を卒業するまでお世話になりましたけれども、ずっと会堂建築をお祈りしていました。建つまでに20年かかりました。幼稚園の時は、「君たちが小学校になったら新しい教会が建つよ」と言われて、とても楽しみにしていました。それが高校卒業しても建たない。そのための御ことばを掲げていたのです。これはパウロの言ったことばなのですが、その時代、道の両側に一定間隔に柱が建っていたらしい。その上には皇帝の像とか他の神々の石像などがのっかっていた。それを見ていたパウロが、柱に掲げるべきものは真理だよというような意味でこの御ことばを書いた。そして、教会というのは、この真理を示す、そういう柱であり、真理を支えている土台なんだよということで、この御ことばを書いた。この教会、建物、そして、この集まり。建て物であり、信じる群れ、一人一人が教会なんです。教会は他の何物でもなくイエス・キリスト救い主を掲げる柱、この世に知らしめる役割を持っている。会堂建築のことですが、ほんとうに神様の奇跡が幾つも幾つも表わされていきました。昔の教会は、雨が降れば、廊下にバケツを2つだして雨漏りを受けるという状態でした。ビーダマを中心に置くと、ころころと転げ走ります。婚約式で青年会が賛美で御祝いしようとしたところ、立っていたところがズボっと抜け落ちたこともありました。お金も無かったのですが、新会堂建築予定地が都市計画に入った。あるときに、1000万円の献金があり、具体的に動き出した。ある日台風が来て、古い教会の屋根が剥がれた。屋根の塗装工事のために材料をぜんぶ取り寄せていたあとだった。その写真を保険屋さんに見せたところ、材料費、工事費以上の保険が下りた。教会の脇にボヤがあった。それにも火災保険が下りた。三条市に車が流されてくるほどの水害があった年があったのですが、もしこの前に建てていたら被害は避けられなかった。子どもも入れてたった30人の教会ですが、結果、300坪に会堂と牧師館を建てさせていただき、十字架を立てさせていただきました。

 

 私も何か協力したかったのですが、私にはお金がない。そこで、この神様がしてくださった大きな御業を覚えるために、そして、この教会から出て行って宣教の業に励むためにこの歌を創らせてくださいと創った曲がこの「神の家とは♪」です。

 

第一テモテ3章15「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です」

 

最後に「聖別♪」という曲をうたいます。

 

 これは聖書から取った歌詞ではありませんが、イエス様のように生きていきたい、という決意を歌ったものです。自分が頑張ってきよく生きよう、他のものとは違うんだと頑張って生きるとかそういうことではなく、神様のためにとりわけられた、それがきよい、という聖書の考えを歌っています。たとえば、給料が10万円だとして、その中の1万円を神様のためにお捧げするとしたら、それはきよいもの、聖別されたものとみなされます。クリスチャンも同じようなことじゃないかと思います。価値が上だとか下だとかではなく、神様のために取り分けられた、きよくある生き方をしていきたいなと思います。

※若干言い回しが異なる部分があります。文責:中ぶんな

今日10月20日は國光幾代子先生が講壇に立たれましたが、これもまたすばらしかった。これは来週お伝えいたします。

 

 

 

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國光幾代子師の信仰の生涯を聞こうー2013/10/20(日)午前10時半、午後2時 インマヌエル盛岡キリスト教会  

 20日に、國光幾代子師がいらっしゃいます。大正、昭和、平成を通じ、神とともに歩まれました。集会では、その体験談をお話しくださいます。どうぞお出かけください。また昼食も出ます。はじめての方もお気軽にどうぞ!!

 以下に、あらましをご紹介いたします。

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※この紹介文は、國光勝美牧師が書いたものを、國光牧師のご息女A姉妹がチラシとして作成。このチラシをコピーして掲載しております。

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津波 -東日本大震災の記憶ー

 きょうこの地域で、19時から、津波の記憶を新たにしようと、岩手県沿岸の被災DVDを観る機会があった。

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 この地域に出向き、解説してくださった方が、「津波の怖さは、時間が経過してもエネルギーが衰えない事です」と話された。たったの15分、20分という短時間で、各沿岸をひと呑みにし破壊しつくすさまは、多くの方々が叫んでいたとおり、「地獄だ」「終わった」というそのまま。「うそだろー」「止めて!」「逃げろー」「そっちでね、市役所の方だー」「ひでぇ」「ひでぇー」。みるみるうちに音をたてて破壊され、波間に引き込まれ、揉まれ、流されていく凄さは、9分通り瓦礫が片づけられた後に行って見たところで決してわかるものではない。ほんとうのところ、今だに自分が直接体験した震度5強以外は実感が伴わないところがある。よくこれだけの映像記録が残ったものと思うが、やはり実際に体験した方々の身近にあって、また被災した直後に現場に駆けつけて行動した方々から生の声を聞くことが、実体験に迫ることであると思われる。生き証人の存在がいかに大切であることか。
 ただ、これらの動画が、心揺さぶり、反省と対策をもたらしてくれる重大で重要な記録であることは確かだ。東日本大震災がまだまだ復興しておらず、原発もなんら解決をみていない。そこにオリンピックが決まり、決まったところにまた次々に台風などの災害が撃ち込まれてくる。これをどう言うべきなのか、知恵が回りそうにはない。

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写真一枚

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文章3行修業は、ワードのページですでに完了。というわけで、きょうは写真一枚。

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さあ太陽を呼んで来い♪

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一昨日の朝明けの写真です。

さあ太陽を呼んで来い♪ 

   作詞 石原慎太郎作曲 山本直純

1)夜明けだ 夜が明けてゆく
 どこかで誰かが 口笛を
 気持ち良さそに 吹いている
 最後の星が 流れてる
 暁(あかつき)の空 明けの空
 もうじき若い 日が昇る

2)みんながみんな 歌うんだ
 あの口笛に 合わそうよ
 流れる雲が 輝くぜ
 若いみんなの 歌声で
 暁の風 朝の風
 すばらしい朝を 作ろうよ

3)この世に夜は いらないぜ
 みんながこの手で 暁の
 扉を空に 開くんだ
 さあ太陽を 呼んでこい
 暁の雲 朝の雲

 望みの鐘を鳴らそうよ

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武田千宣ソプラノリサイタルvol.5 & 千菅道子(ピアノ)・ゲスト 大向佐保(クラリネット)を聴く

 10月14日(月)がコンサートでした。第1部、武田千宣(ちよ)先生。電話での会話を歌う、特に抑揚のないことばを音楽的に歌うのはかなり難しいことではないかと思われた。それがプーランク作曲モノオペラ「人間の声」。第2部のアンコールをも含めて、悲劇も喜劇もよい意味で自在に操作し歌いあげる。声量、迫力には圧倒された。短い時間の中で、出し惜しみをせずに聞かせてくださった。武田先生は世界の舞台を踏まれており、これを語るには諸石幸生先生あたりが相応しいのではないか。オペラには疎い私などは早々に引っ込むべきだろう。武田先生と岩手の音楽家お二人との共演、大向先生のドラマティック且つ繊細、緻密なクラリネットのヴェルディ「リゴレット」、千菅先生のグリンカ「ひばり」のすてきな響き、感謝でした。 

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~2013年シンフォニエッタ盛岡 with fレンズ~秋のアンサンブルコンサート を聴く

 10月12日(土)、聴きに行ってきました。シンフォニエッタ盛岡は、その昔太田カルテットのメンバーだった赤沢長五郎の弟子、成田浩氏のアンサンブルミックスを核として、2007年に創設されています。ことしも秋のアンサンブルコンサートに行ってきました。

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 プログラム第1部は、成田宏子夫人のピアノでしたが、これは65歳から始めたと伺いました。60歳でヴァイオリンを始めた例は知っていましたが、65歳には驚かされたことです。また小、中学生の方々、気取りがなく、軽快で流暢に、また明るく切れ味よく弾いてくれた方があり楽しく聴きました。親子カルテット、音楽が家庭で暮らしの一部となっているものと拝見。ギターとフルートのデュオ、すでに幾たびもライブを重ねておられるのかも。

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 第2部、さまざまな楽器編成があり、それぞれを興味深く聴きました。最後の管弦楽、コンサートミストレス宮野ゆかり氏の弦でチューニング。そのあと、指揮者の畑村保裕氏から、創設からの第一ヴァイオリン奏者高橋文二氏が10月に享年60歳で逝去されたことが知らされました。プログラム演奏の前に、高橋氏を悼み、心こもるモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が献呈されました。
 最後のプログラム演奏の佐藤公治氏編曲の「村祭り」、これが最高に楽しかった。何と指揮者までが手をたたき、足を踏みならしました。楽器と、用いることのできる“打楽器”の総動員というわけで、こんな楽しいアレンジもあるんですね!!
 成田浩先生が最後まで観客席でステージを見まもっておられました。

※第2部の「木管六重奏」は「木管合奏」と訂正されました。

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きょうのことば 「大きな口と空の器」

 毎週日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇のメッセージをおつたえしています。きょう10月13日は内藤容子先生の特別集会でした。神様はすばらしいサプライズをくださり、以前いらっしゃった方々、そして新しい方々を迎えてくださいました。この集会のメッセージ、音楽集会ではありますが、文章で来週お伝えします。きょうは、2013年10月6日の國光勝美牧師のメッセージです。

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【引証聖句】第二列王4:1
~

1 預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」
2
エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」
3
すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。
4
家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」
5
そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。
6
器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。か
7
彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」

【説教】

先週は『感謝の先取り』という説教を取り次がせていただき、ヨシャパテの次のような祈りに学びました。

12 私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」

 どうでしょう。臆病者と見えるでしょうか。しかし、信仰という角度から見ますと、私たちが多く恵をいただくそのあり方です。私たちも、このヨシャパテの祈りを捧げるものでございます。そして17節には、

17 この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。

 ここにあります「主がともにおられる」という励ましのおことばをしっかりと捉えさせていただこうではありませんか。そしてまた、主に感謝せよ、これはちょうどエリヤがカルメル山の山頂において、バアルの預言者たちと戦い、大いなる勝ちを得まして、その後まだ音が聞こえていないのに、「大雨の音が聞こえる」と彼は、このように言いました。そして王さまに、雨に留められないうちに行くように、ここを下りるようにと言いました。まだそのわざが為されるまえに、既にそのわざが為されたと同じように、ここで賛美の歌をうたう。まだ勝ちを得ていないのですが、主に向かって、早くも勝利の歌をうたう。有難うございますと感謝を捧げたときに、事実、神様は大きなみわざを為してくださいました。

 そしてきょう、『大きな口と空の器』という、興味深く面白い出来事を取り上げたいと思っております。

一つは、詩篇8110

10 わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。

 このおことばの中には、心したい三つのことば、「あなたの口」、「大きくあけよ」、「わたしが、それを満たそう」があります。信仰はいつでも、人と神様との関係云々ではなく、神様と私に関わる営みです。信仰においては、いつでも神様は「あなたと、そしてわたし」なのです。神様はこの朝、皆さまお一人お一人に「さあ、あなたの口を大きくあけるんだ」、こう呼びかけ、語りかけ、命じておられる。ただ「あけよ」というのではなく、「大きくあけよ」とあります。遠慮せずに、あつかましいほどの大胆さをもって「大きくあけよ」と言われます。

狡猾でもある一筋縄ではいかないヤコブという人物がいました。それがなぜ後には、「ヤコブの神はわれらの高きやぐらなり」とか「ヤコブの神はわれらの神」と人々に言わしめるほどになったのか。それは、神様の恵みに対して、ほんとうに大きく口をあけ神様の大いなる祝福を勝ち得たからです。長子の特権が欲しい、祝福が欲しい、そのためには、手段をえらばないほどに、彼は口を大きくあけた人物です。そして神に大変愛されました。私たちはどうでしょう。まだまだこの程度といったところではないでしょうか。

私の子どもの時の思い出があります。美ヶ原を源流とする女鳥羽川という小さな川がありました。戦後、その川沿いに露天商が並んでいた。たまに行くととても面白かった。バナナなどはまだ簡単に口に入る時代ではありません。そのようなものも売っていました。またここで言いますとK百貨店のような店もあり、ショーウィンドウには500円という高価なな機関車も飾ってあり、飽かずにながめたものです。子ども心に親の懐具合はわかっているのです。ねだって買ってもらえるものではありません。ところが、そこを出た通りには、小さなブリキのおもちゃやお面がいっぱい並べてある。50円程度です。これならおねだりできる、そう算段し執拗におねだりする。どうでしょう、神様の前には、子どものようにひっくり返って、足をばたばたさせておねだりしてもいいのではないでしょうか。いつの間に「この程度なら」と自分で制約を設けたのでしょう。ヤコブなら、あのショーウィンドに入っている機関車欲しさに足をばたばたさせてねだったのではないかと思うのです。私は500円のものにはそれができず、50円のものにはそれができた。神様はこう言われる、「私はあなたをエジプトから連れ出した主じゃないか、わたしは紅海を二つにわけたあなたの主じゃないか、あなたの口を大きくあけなさい。わたしがあなたを満たそう」。この神様に期待して、主に信頼して思いっきり、あつかましいほど大胆にヤコブに倣いたいと思います。満たしてくださるのは神様のみわざなのです。神様ご自身が「私がそれを満たす」、こう言っておられるのです。

夏の東北聖会で、錦織先生が面白い話をしてくださいました。彼は、牧師の子どもとして成長し、献身されております。そのお父さんが特集を開いた。お父さんが椅子を並べていたので、子どもである錦織先生は、神様に期待して、椅子を50脚準備した。するとお父さんは「2030でいいよ」と言った。それでも、「だって神様に満たしてくださいとお祈りしたんだから、やっぱり僕は椅子をたくさん並べたい」と準備したそうです。集会が始まってみると、いつも来ている人だけで新しい人は誰も来なかったというのです。

 私は現実を知らないわけではありません。厳しさを知らないわけではない。しかし、現実を認めて尚アブラハムは信仰が弱まるどころか、さらに強くなったと聖書にあるではありませんか。サラの胎が死んでいるのを知りながら、尚神に栄光を帰した。その生き方、そのあり方を神様からテストされているのではないでしょうか。どうか現実を認めながら尚、それを大きくあけ、神様のみわざを期待する者となりましょう。この10月、皆さんと一緒に神様に口を大きくあけましょう。これが私たちの側のできることです。満たしてくださるのは神様の側の問題です。私たちが、できることは、期待をして、口をあけることです。

そして、きょうの聖書引証の第二列王4:1ー7には、非常に面白い恵に溢れたお話しが続いております。はしための家には油のつぼ一つしかなかった。エリシャは、隣の人みなから、からのつぼをかりてくるようにと命じます。ここにも私は三つのことを読みとります。「外に出ていって」、これは行動することです。ヤコブ書にありますが、「あなたは信仰信仰というけれども、私はことばだけの信仰じゃない、その信仰を行ってみようじゃないか」。信仰は行動によって表わされる。期待をするから行動を起こすのです。それから、「隣の人みなから」、これはどういう意味なのか、これは証人になるということではないでしょうか。かしてくださいというと、何に使うの?と訊かれるでしょう。預言者の先生がからの器を満たすと仰っていると知らせることができるでしょう。かりるごとに証しすることができます。そして器を返すときには、ほんとうに油がいっぱいに、次々に満たされたことを、その通りになったことを伝えることができます。良い証です。教会に行き神様の愛で私はこんなに恵まれています。教会?教会ってなにするところ? 喜びの油、罪ゆるされる、今までかつてないほどの油が、ほらわたしの心にいっぱいあるんです。これは、人にくれたら無くなってしまうものでしょうか。いいえ。お分かちして無くなるものではない。隣の人みなからかりると言うことは、私たちが他の人たちに証しをする機会であり、私の心を神様が満たしてくださることを期待していまいるということ。これは証しです。器をかりてくるということは、まだ満たされていないのですが、しかし、大雨の音がするといってその通りになったように、器を借りてくる。多くかりればかりるほど、油はそこに満たされる。口を大きくあければあいただけ神様は満たしてくださる。「子どもたちと一緒に戸を閉じなさい」、そして油を注いでくださる。子どもたちと一緒に、それは私も、教会員の皆さま方も、つまり全員一緒にです。みんなが一つとなって戸を閉じる。あなた方は一つになって、戸を閉じて祈りなさい。こう教えてくださった祈りがあります。これは神様に集中して祈るということです。そして「油を注ぐ」、これは実行することです。

この10月、13日には内藤容子先生の特集が、そして20日には國光幾代子先生の特集があります。いよいよです。口を大きく、そしてできるだけ多くからの器を、そして皆さん方お一人お一人が、ご一緒に、隣のあの人この人に、器をかりに行く証しのときがあったなら幸いです。

※若干編集させていただいております。聴き間違える場合もございますので、お気づきの際はご指摘ください。文責:中ぶんな

 

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内藤容子ゴスペルライブ 2013/10/13(日)10:30 ~・14:00~ インマヌエル盛岡キリスト教会

ゴスペルシンガー内藤容子、この秋、盛岡に!!

   2013/10/13(日)午前10時半~・午後2時~

さて、この日、あなたに届けられる曲と言葉とのメッセージは?

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太文字の名前をクリックしてみてください。ユー・チューブにつながっています。えっ 、これが讃美歌? そう、これは讃美歌。イエスをつたえてくれる、イエスの心をつたえてくれる歌。ちょっと聴いてみてください。そして今度の日曜日に、会場までおでかけください。

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大信田時子さんの最新作

 

喫茶ママでの水曜デッサン会に出品した大信田時子さんの作品です。

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 20分×3回で描きあげ、描き込んだものではないということです。
描き込んだ絵もいいですが、デッサンといった感じのものも、真っ先に捉えた新鮮さが飾られることなく率直に表現されているので、私はいいなと思います。
 そうですね、私ももっと楽な気
ちで描いてみるといいのかもしれません。

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内藤容子ゴスペルライブ 2013/10/13(日)10:30 ~・14:00~ インマヌエル盛岡キリスト教会

ゴスペルシンガー内藤容子、この秋、盛岡に!!

   2013/10/13(日)午前10時半~・午後2時~

さて、この日、あなたに届けられる曲と言葉とのメッセージは?

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太文字の名前をクリックしてみてください。ユー・チューブにつながっています。えっ 、これが讃美歌? そう、これは讃美歌。イエスをつたえてくれる、イエスの心をつたえてくれる歌。ちょっと聴いてみてください。そして今度の日曜日に、会場までおでかけください。

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 この辺りで、早朝にこれだけの灯りがついているのは、このビルだけ。それが川面に映っている。

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以下2枚は、盛岡市中央公民館の庭。明けてゆく池周辺が水に映る。

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この2枚、美しいけれども、平凡だと感じられる。この樹木が、石が、自由に空に浮かびゆく光景を想像してしまった。

もう見あきた、もう新鮮な素材はどこにもないと思いこむのは事実とは違っている。視点を変えることだろう。或いは時間を変えることで、また千変万化の陰影が、光演出があるはずだ。ミクロにマクロに意識のレンズを付け変えること。何も遠くにいかないまでも、そうするだけで、かなり多くの発見があるだろう。

 なぜか早朝散歩は続いている。相棒に、そろそろ6時出発に切り替えようかと打診すると、5時半でいいという。なぜかこの時間帯、本格的に雨が降っていたのは1日だけだった。いつまで続くものか。ただ来年の夏は4時半起きでもいいと思う。
 午前は祈り会。あとは家に。ここのところ家にいる事が多い。朝の外出だけで、一日足りてしまうようだ。

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盛岡バッハ・カンタータ・フェライン&仙台宗教音楽合唱団「ドイツ・レクイエム演奏会」 2013/11/4(月)マリオス大ホール午後3時開演

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黙りこまない

もうかなり目が疲れ、休んだ方がベターだと思うのだが、ブログの習慣がついてしまっている。実はブログを書いているばあいではない。文芸誌の原稿の方を書くべきと思うのだが、原稿を書くほどの注意力、パワーがすでに切れている。

今朝も5時起床。5時半に玄関を開けたが、友だちのすがたはまだない。きょうはダウンかと思っていると、手を振って近づいてくる。1時間の散歩。児童公園での休憩時間も含めて1時間のウォーキング。午後は図書館で3時間。

ぜんぶ掘り上げてしまったチューリップの球根を何とか土の中に埋め込もうと思いつつ、できないでいる。

ほんとうはきょう見つけたフォイヤーマンのことを書きたかったのだが、もうこの辺で。
今朝起きて直ぐに読んだイザヤ書にはこう書いてあった。

シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。

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きょうのことばー國光幾代子師の信仰の生涯を聞こうー2013/10/20(日)午前10時半、午後2時 インマヌエル盛岡キリスト教会  

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会の講壇で語られるメッセージをお伝えしていますが、きょうは、國光幾代子師の集会の御案内をいたします。
 國光幾代子師は、大正、昭和、平成を通じ、神とともに歩まれました。集会では、その体験談をお話しくださいます。以下に、あらましをご紹介いたします。

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※きょうの紹介文は、國光勝美牧師が書いたものを、國光牧師のご息女A姉妹がチラシとして作成。このチラシをコピーして掲載しております。


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また写真

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 きょうは午後、大信田時子さんの絵画を観に喫茶ママに行ったところ、近所の方が先にいらしていて、続けてまた3人いらして、さながら自治会の茶話会といった雰囲気に。
 絵画の写真を数枚撮ったところが、どれも出来がよくない。とてもこのまま載せることは失礼というわけで、またまた景色の写真の登場。

 きょうは主人のフルートの調整をしてくださる方が見えた。主人との会話の中に、音楽仲間ということばが出ていた。音楽仲間、いい響きだ。楽器一つまともに弾けない私に、いまのところ音楽仲間はいるのだろうか。すこし残念だ。

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安息

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歩く。毎朝歩く。彼女がいう「この折り返し地点で、もう 5000歩超えてる」。往復で10,500歩、1時間半の散歩。

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中津川沿いには、トチの実が、栗の実が、クルミも落ちている。誰かが植えたキューイ、柿もたわわだ。まだまだコスモスやシュウメイギク、キバナコスモスも咲いている。そして川面に映る美しい景色。水に深く落ちた高く晴れわたる空。すべてが自然の豊かさと、今この瞬間、瞬間が平和であることを感じさせてくれる。天がくださる安息のひと時だ。

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武田千宣ソプラノリサイタルvol.5 & 千菅道子(ピアノ)・大向佐保(クラリネット)2013/10/14(月祝)14:00マリオス小ホール

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葡萄棚の後始末


 けさ5時半には小雨が降っていた。内丸教会を通り過ぎ、四ツ谷カトリック教会の前を通って、自宅の方向に折り返した。書道教室の犬に声をかける。子どもたちに人気がある犬なのだ。帰って時計を見ると、ちょうど1時間経っていた。
 午前は葡萄棚を片づける。それが午後の2時まで気付かずに続けてしまったようだ。書き物をしていた主人も気付かなかったらしく、「もう2時だよ」と出てきたところで中止。近頃は庭に手をかけていなかったので、一旦始めると、そちこちが目に付いてしまうのだ。久しぶりに1区画だけはきれいさっぱりとなった。10月初日はこれだけでおしまい。
 明日からは、また時間の使い方を変えてみよう。

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