きょうのことば 「リバイバルの祈り 2」
「きょうのことば」は毎週日曜日に掲載しておりますが、台風接近のため、自治会関係の仕事を優先しましたので今日となりました。インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の國光牧師による20013年9月8日の説教です。
【聖書引証】詩篇126篇
1 主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。
2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」
3 主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。
4 主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。
5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
【説教】
世の中は2020年の日本オリンピック開催決定に湧きたっております。ここで1964年の東京オリンピックを思い巡らされるでしょう。私は高校生でした。授業中でしたが、先生がマラソンを見せてくれました。円谷選手、銅メダルでした。こんどは2020年、自分が何歳になっているかを思います。首都高速ができたのもあのときですし、日本全体がオリンピックの工事などで湧きたっていたという憶えがあります。今回の決定は、震災の復興を願っている私どもにとりまして、プラスに働きますように、特に、今、国際的に汚染水の問題がさまざまに取りざたされ、世界大の会議の中でクリアされるというメッセージが打ち出されたのですが、これがほんとうにプラスに働き、また、実際に福島で苦しんでおられる方々にとっても、この問題への取り組みが真実になされますように心から願いながら、この決定は神様が赦してくださったことと覚えてゆきたいと思っております。
さて、先週は、リバイバルとは信仰復興であり、詩篇126篇から、リバイバルの主体は主御自身であること、そして申命記7:7などから、リバイバルに用いられる器は、むしろ人の眼から見れば、最も小さな価値のない弱い者たちであり、神はこのような器を通して大いなる働きをなさることを学びました。
普段は涸れているように見える川、かつてはそこに水が流れていたところを、主が一たび憐れみ顧みてくださるとき、そこには水が溢れ大河としてくださる。ネゲブの川、南の川の流れのようにしてくださいます。
「主よネゲブの流れのように、私たちの繁栄をもとどおりにしてください」
この祈りを、10月に迎える秋の特別集会のために、御前に祈らせていただきたい。かつて共に主の礼拝に集った人たち、今は涸れているとしても、しかし主が顧みてくださるとき、主が私たちのために大いなることを為された喜びをいただく、そのような営みをさせていただきたく心から願うことでございます。
リバイバルのための祈りを思い巡らしておりましたとき、ジョージ・ミューラーの伝記が心に留まりました。日本にも来ており、新島襄にも影響を与えています。彼は、信仰と祈りによって孤児院を運営していました。その彼が、祈りのあり方を、5つのポイントで語っています。これは彼の生涯の祈りのまとめです。
1、 大祭司なるお方に依り頼む。
私たちのために祈り、とりなしをしてくださる主イエス様に、全面的に依り頼むこと。
ヨハネ14:13、14「13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」
ヨハネ15:16「それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」
ジョージ・ミューラーはイエス様のお名前によって祈った、イエス様のお名前をふんだんに用いた人物した。
2、 知れる罪から離れる。
私たちは、無意識のうちに、或いは、分かっていても罪を犯してしまう弱さを持っています。ここでいう罪とは、明らかに神様の御心を悲しませると判っていながら、自分がそうしたいからと神様のお喜びにならない道を敢えて選ぶことです。往々にして、それが神様の御心に反すると知らずに選ぶこともあり得る。後になってまずいと気づく。気が付いたら悔い改めることです。そうではなく、最初からそれをしてはいけない、むしろこちらをするべきだとわかっていながら、尚それを選び続け、そして尚神様にお祈りを続けるということは、これは祈りをさ捧げるのに決してふさわしいものではない。もし気付いたなら、罪から離れて、或いは罪を示されたなら言い訳をせずに悔い改めて、罪から離れなさい。
本には「私たちの心によこしまなものが残っているなら、主は私たちに耳を傾けてはくださらない。もしきかれるとすれば、私たちの罪を容認してしまうことになるからです」とありました。まさしくそうです。詩篇66:18には「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない」とあります。
3、 約束の御ことばを信じる。
約束なさった神を信じないということは、取りも直さず神を偽りとし、神を偽証人としてしまうものである。
神様が「なさる」と仰ることを額面通りに信じなさい。神の御言を信じることです。
ヘブル11:6「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」
ヘブル6:13、14「神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、こう言われました。『わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす』」
神は偽りを仰ることのないお方。ですから、御言を捉えて祈るなら、御言を語って下さったお方は必ずこれを為し得たもう。これを心に留めたく思います。
4、 神の御心と一致した祈り。
私たちの動機は敬虔なものでなければならない。私たち自身の欲望を遂げる目的で神に求めてはいけない。神の御心と一致した祈り。これは深く心の中に吟味しなければなりません。たとえば、10月の特集のためにお祈る動機が、良いものを求める動機さえ不純であることがあり得る。人からの評価を気にするなど、動機が不純であることがあり得るのです。警戒すべきことです。ほんとうに滅びゆく魂のために、血潮が注がれた人たちのリバイブのために、心を尽くして祈るその祈りが、神の御心と一致した祈りならば、神は必ずこれに答えてくださるのではないでしょうか。
第一ヨハネ5:14 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」
ヤコブ4:3「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」
人からよく言ってもらたいから、よくやったねと褒められたいから、いいえ、そうではなく、ほんとうに神様の御心に適う動機をもってこれに向かわせていただきたい。
5、 必要な忍耐強い祈りであること。
不正な裁判官とやもめのたとえ話は皆さま方よくご存じでしょう。自分の願いを何とか聞いてもらいたいやもめ女が裁判官にやってくる。こんなやもめ女の訴えなどに、耳をかしたくない裁判官は、面倒くさいから放っておいた。放っておくとまたしてもまたしてもやってくる。裁判官はついに、私は不正なものだけれども、こんなにうるさくて敵わないからこたえてやることにしたのでした。いつでも祈るべきであり、失望してはならないのです。
詩篇126篇5、6節「5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」
この福音の種まきをさせていただきたい。その労苦が決して虚しくない、そのことを証しさせていただきたいと心から願うことであります。
※先週の復習、補足、讃美歌集「ひむな」122、123番、ジョージ・ミューラー先生の詳しい紹介などがありましたが、祈りの5つのポイントのみを中心に書かせていただきました。文責:中ぶんな
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