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チェリスト村井氏のショック ーエマヌエル・フォイヤマンのチェロリサイタルー

私がリサイタルを聴いて度肝を抜かれたのは、ナビル・シェハタのコントラバスだった。低音域をカバーするこの楽器が、まさかリサイタルで登場しようとは思いもよらなかった。その意外性ばかりではなく、あの等身大を超える大きな楽器を自在に弾きこなすテクニックの凄さに恐れ入ったのである。ベルリン・フィルの首席奏者であるという程度の予備知識しかなかった。後に指揮者を目指し、バレンボイム、ティーレマンらに師事して研鑽を重ね、2007年にドイツで指揮者デビューを果たしている。ただ私としては、指揮者となったナビル・シェハタを聴きたいとは、今の時点では思わない。そう思わせないほど、あの時に聴いた演奏は強烈に斬新に焼き付いている。また来日することがあったとしたら、私はコントラバスをこそ聴きたい。
 音楽に興味があれば、まして楽器奏者であってみれば、一生のうち何度かは、素晴らしいというよりも、もうそういったレベルを超えて度肝を抜かれる演奏に出会うことがあるだろう。盛岡のチェロ奏者村井正一(1912~1998)先生にもあった。 

1934(昭和9)年ロシア出身のチェリスト、エマーヌエル・フォイヤーマンの来日である。パブロ・カザルスに学んで独自の奏法に磨きをかけたという。1933年まではベルリン高等音楽院の教授であり、齊藤秀雄もフォイアーマンに学んだ。作曲家でありヴィオリニストとして有名なパウル・ヒンデミット弦楽三重奏団を組み、その他、ヤッシャ・ハイフェッツ、ウィリアム・プリムローズ、アルトゥール・ルービンシュタインなどと共演を果たしている。しかし33年4月ナチ党の権力掌握とともに音楽院を解雇されている。このような目もくらむような経歴を持つ。村井先生は、このチェロを東京の軍人会館(九段開館)で聴いた。驚いたことに、この時の聴衆はたったの三百人だったようだ。日本での知名度はいまひとつだったようだ。これには、当時フォイヤーマンのレコードを出していたのが、最も強いビクターではなく、二番手のコロンビアだったこともあり、カザルスをメインに押すビクターに圧されていたという背景もあるらしい。しかし、実際には、ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)やルービンシュタイン(ピアノ)とトリオを組めるほどの実力があったのだ。このトリオを降りたのは、どうもヒンデミットが作曲したトリオ曲の演奏の時に、ヒンデミットが別なチェリストを指名したかららしい。ハイフェッツ、ルービンシュタイン、この両者は今以って世界のトップクラスの座に在る。フォイヤーマンはカザルスの後継ぎか、或いは凌げるかといわれていたほどの奏者だ。彼の演奏を聴いたとき、村井先生は、そのもの凄いテクニックにショックを受けたという。帰ってからしばらくはチェロを弾く気にもなれなかったと語っている。このとき、フォイアーマンは、リサイタルの他に、近衛秀磨が指揮する新交響楽団と共演。11月の告別演奏会では、とにかく凄いと口コミで評判が評判を呼び、聴衆は最初のリサイタルの10倍に膨れ上がったという。

 

フォイヤーマンの演奏は、抒情性に欠けるとも言われていた。これは、ヤッシャ・ハイフェッツも言われたことだ。しかし野村あらえびすはフォイヤーマンをテクニックは卓越しているが、冷たいなどと言ってはいない。あらえびすは、「フォイアーマンの技巧は技巧のための技巧という感じが全くなく、自然の流れの中に技巧が生かされ、自在な表現で聴衆を魅了した」とこう言っている。これが村井先生を震撼させたチェロの音だったのである。

 

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