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きょうのことば 「完走を目指して」

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の説教の要旨をおつたえしています。2013年8 月4 日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

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【聖書引証】ヘブル1378 

7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

【説教】

きょうは、「完走を目指して」と題して、ヘブルのおことばをテキストに語らせていただきます。

 さて、ならうべき人物としては、日本の福音派の多くの教会に影響を及ぼし、私たちにもよい影響を与えたバークレー・バックストンがいます。1860(安政7)年に生まれ1946(昭和21)年に帰天。私が生まれたのは1947年ですから、その前年までバックストンは生きていたわけです。

 他にもこのような信仰の先達がおりました。同志社大学を設立した新島襄は1843(天保14)年~1890(明治23)。八重は新島襄より2歳年下で、1932(昭和7)年に帰天。歴史上の人物たちではありますが、私たちの時代とそうかけ離れてはいない。笹尾鉄三郎というすばらしい人物は、1868(明治元)~1914(大正3)年。ホーリネス教会の原動力となった中田重治は1870(明治3)年~1939年(昭和14)。蔦田二雄は1906明治39)~1971(昭和46)年です。このとき私は、聖宣神学院の一期生でしたので、その最期について、つぶさに知る機会がありました。

蔦田二雄先生が中田監督のもとで働いたときには、もう笹尾先生は帰天していました。蔦田先生は「笹尾鉄三郎先生はほんとうにすばらしい人物だった、いちどだけでもお会いしたかった」と言っておられましたし、また、キリストを実在する人物のあいだに探すとすれば、おそらく笹尾鉄三郎先生のような人だろうとも書かれています。戦後に日本ホーリネス教団を創設した私たちの教団と近しい車田秋次先生は、1887(明治20)~。ですから、このあたりの時代でよく名前が出てくるのが蔦田、中田、車田です。それと、ホーリネスの山崎亭治先生、米田豊先生もおられます。晩年には教団のあり方などをめぐり中田先生と意見の違いがあり、車田先生、蔦田先生がたは、中田先生を離れて新たに群れを興したという経緯はありますが、それは、きょうの主題ではありません。むしろ心に留めたいのは、これらのお一人お一人が、その人生において、信仰と神様からの賜物を生かしきったということです。

さらに、そのようなお一人である本田弘慈先生は1912(大正元)年~2002(平成14)。蔦田先生よりも6歳年下です.

 私がお茶の水の会館でお救いに与って間もなくのことです。ビリーグラハム大会の遺産ともいえる日本福音同盟が組織されようとしていました。初代委員長は蔦田先生でした。その後、改革派や各方面の先生方が集まって、お茶の水の会館でお祈りをされた。当時、会館にはこのような先生方が頻繁に出入りしていました。そのとき、お年寄りが大きなダンボールを2個抱えて歩いてらした。本田弘慈先生です。有名な方ですからすぐにわかりました。ところが偉い先生だと思うと、近づくことさえ不遜に思われ、話しかけることもできずじまい、いまだに申し訳なく思っております。このようなすばらしい先生がたがおられました。それから、羽鳥明先生、1920(大正9)年~。太平洋放送協会のラジオ牧師として活躍しました。日本福音派の本田弘慈先生、羽鳥明先生といえば、大きく用いられたことを皆さんよくご存じです。 

河村襄先生は昭和7年生まれ。そして今回東北聖会に講師として招かれた錦織寛先生のお父さんである錦織博義先生が昭和8年生まれ、河村先生とは同世代といっていいでしょう。そして、錦織寛先生と、河村従彦先生とはまったく同年代です。こういった先生方を通しての時代の大まかな流れを、東北聖会の壮年部でもお話しをしました。

新島襄、新島八重、そして、中田重治、笹尾鉄三郎、蔦田二雄、次の世代として、本田弘慈、羽鳥明、次世代として、河村襄先生方、これらの方々をこのように輝かせたものはいったい何だったのか。彼らが特に優れていたから神様は用いられたのでしょうか。もしそうだとすれば、この私には先生方のようなことはできないでしょう。お名前をあげたのは、キリスト教会の歴史に名を留めるすばらしい先生方です。でも私はあの先生方とは違う。しかし、今回の聖会で、田辺先生が言われました。みんな賜物を持っている、最低一つはもっていると。先生はケニアで教鞭執ったときに、神様に与えられている賜物を三つ書きなさいという宿題を出したそうです。あのすばらしい先生方は、神様から与えられた賜物を、誰彼と比較するのではなく、それを精いっぱい神様に忠実に生かしていた。羽鳥先生は羽鳥先生のように、本田先生は本田先生のようにです。

その信仰にならいなさい」とあるすぐ後には何と書かれていますか。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです」と続いているでしょう。私たちみんなに賜物があるのです。ないとは言わせない、言ってはいけない、それは神様を愚弄することになります。用いられた先生方は、賜物を精いっぱい生かした。イエスさまを土台として、イエス様を見上げて生かしたのです。だから彼らの信仰にならえというのです。あの人たちが偉いというのではない、この人たちが立派だというのではない、彼らは与えられている賜物をそれぞれ忠実に、イエスさまを土台にして、イエス様を見上げてその信仰をもって働きをした人たちに過ぎない。同じことが、あなた方にもできるじゃないかと神様は、聖会において私に語ってくださった。そして皆さんにも語ってくださっているはずです。あの人のようにはなれないと失望したり、自己卑下することはありません。いつも彼らは眼をあげ、先ず一歩を踏み出した。私たちも、先ず、眼の前の一歩を踏み出しましょう。

私が鳥海山に登ろうとしたとき、まだ裾野あたりから見る頂上は小さくはるか向こうでした。正直とても登れそうになかった。でも目の前の一歩一歩をこなしていったときに、ついに頂上に立つことができました。目の前の一歩は誰でも歩ける。登山に熟達するには、早歩きをしないことです。自分のペースでゆっくりと登る。すると必ず頂上に立つことができる。一歩、一歩、それでいいのです。私たちが、きょう、或いは明日、今歩かねばならないそのときに、きのうもきょうもとこしえまでも変わりたもうなきお方は、彼らを斯くなさしめたお方は、私にもそうさせてくださるお方、一歩一歩、きょうの一歩を歩めばいい、それを忠実にやっていくならば、或る意味人からどう思われようが関係ない、そのような信仰を私たちはお証しすることができるのではないでしょうか。完走を目指して、教会の皆さま方とともに、一歩、一歩、歩ませていただきたいと思っております。

※短かめに編集してございます。文責:中ぶんな。

 

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