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きょうのことば 「継承のバトンを受けて」

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の説教の要旨をおつたえしています。20138 11 日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

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【聖書引証】第二テモテ418

1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め
4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
5 しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。
6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

【説教】

きょうは「継承のバトンを受けて」と題し、語らせていただきます。

 

私たちには、必ずや、さまざまな人生を走り終えて、現在の私たちにバトンを渡してくれた存在があります。ここで、私たちが受けたバトンの持つ重みというものを確認することが必要ではないかと思っております。

 

今年の86日、広島の第68回平和記念式典では、広島の小学校6年生が「平和への誓い」を読み上げました。「さあ、一緒に平和をつくりましょう。大切なバトンをつなぐために」と。意義深いことです。さて、この小学校6年生の子どもたちは、引き継いだバトンの重みをどのように理解しているでしょうか。彼らの親も、恐らく戦争を実際には知らないでしょう。その親たちの話しや社会的な学びで伝えられての戦争です。

 

私自身どうだったか振り返ってみました。終戦は昭和20年。私はいま66歳です。あの年頃に、太平洋戦争をどのように意識していたか。

私の両親もやはり終戦後に旧満州から引き揚げてきております。私は、敗戦直後の昭和22年に生まれ、戦争の話しはもう幼いころから聞かせられました。記憶にあるのは小学校1年頃からです。ですから、私はたぶん、この小6の子たちよりも、戦争を直接経験した話しを生々しく聞いている。NHKラジオでは「尋ね人の時間」という番組があり、大人たちが必死に耳を傾けていました。誰々が誰々をさがしています、誰々さんが何々部隊で、どこそれに行き、などといった内容で、子どもにとっては長い退屈な番組だったのを覚えています。また、お祭りの時には、傷痍軍人の方々が、首から袋をさげて救済を求めている姿がそちこちに見られました。ですから私は、戦争を現代の子どもたちよりは知っているはずなのですが、しかし、どれだけ理解していたか。

 私が、戦争を立体的に理解できたのはずいぶん後のことで、盛岡に赴任してからでした。ベストセラーになった藤原ていの「流れる星は生きている」、満州の実体験に基づいた著書ですが、この映画を見たとき、子どものころに親から聞いたのはこのことだったのだと得心したのです。さらに、山崎豊子の「大地の子」で、いよいよ納得したわけです。

私の両親は旧満州の新京の開拓団におりました。終戦の冬、新京の開拓団には食料がなく深刻な状況でした。しかし、両親のいる開拓団には食料が豊富だった。団長が新京の銀行にはまだ使える紙幣があることに気付き、団から血気盛んな3人の若者を募った、その中に私の父もいました。母が作った目だし帽をかぶり、銀行に押し入って札束を奪い、リュックに足で詰め込んで持ち去り、これで開拓団の食料を調達したのだそうです。「大地の子」で見ますと、新京の日本人街では餓死する人々が続出している。その中でひと冬の食べ物があったのはこういうことだったのかと理解したのでした。

そして、岩手に来てから新たに知ったのは、釜石の艦砲射撃でした。昭和20714日にアメリカの戦艦が製鉄所を中心に砲撃し民間人423人死亡、そして、89日には、米・英の合同部隊が砲撃、民間人271人死亡しています。山側から順に海側へと銃撃され、平野の方に逃れようとした人々が、こんどは機銃攻撃されました。この8月には長崎、広島ばかりではなく、私たちの身近な釜石でも途轍もない悲劇があったことを、311とともに忘れてはならない。この記憶を次世代にしっかりと渡していかなければなりません。

これらを思いながら、第二テモテ4章をご覧ください。ここには信仰のバトンタッチが記されています。 

1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
 これから殉教しようとするパウロは、自分のバトンを愛弟子であるテモテに渡そうとしている。厳粛なバトンタッチの場面です。いいかテモテ、しっかりと、しっかりと、しっかりと、私は、あなたにこのバトンを渡すのだよ、いいね、こうパウロは言っているのです。そして、そのバトンが何かが2節にあります。

2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

 今夏の東北聖会で、錦織先生は、第二テモテをメインに御言(みことば)を
4回にわたって解き明かしてくださいました。これは私に向かって開かれた神さまからのメッセージだなと思いました。私は元来、人の前に立って話すなどということは苦手です。この点ではテモテと似ています。そのテモテに、パウロは、大胆に述べ伝えるよう勧めている。  

 

第二テモテの1:67には次のようにあります。 

6 それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

 パウロはテモテに大胆に福音を述べ伝えるように、そして、ときがよい、悪い、などといってはならないと言っています。

 

いま、これを、パウロからテモテへのバトンタッチとしてお話しましたが、このインマヌエル綜合伝道団がなぜ建てられたのかを確認しましょう。当初の目的、使命は何であったのか。

 

蔦田二雄先生や、中田監督、そして車田先生方のように一世代上の方々は、ウェスレーたちが持っていた霊的な深さ、そして、メソジズムを間近に見て、さきほどの戦争のことではありませんが、体験していた、そこに身を置き、その真理に目が開かれていた。蔦田二雄先生は、戦争中の弾圧を潜る中で、聖と宣をバトンタッチするための新たな教団創設というビジョンを抱き、出所後に実現しました。このはじめを知っているのは蔦田先生と共に働いた、山本岩次郎、大橋武雄、川口始、朝比奈寛、松村導男といった先生方です。

余談ですが、かつて川口始先生が関わっていたインマヌエル神戸教会から、随分前に知らされたのですが、妹尾河童原作『少年H』の映画ロケがインマヌエル神戸教会に来たと聞いております。ちょうど戦時下の蔦田二雄先生の時代のことです。

話をもどしますが、この草創期の先生方は、教会のリバイバルを経験していますし、戦後のインマヌエルの始まりを知っている。そして、さらに建てられたのが聖宣神学院です。1期生には國光幾代子先生がいます。河村襄先生は5期生だったでしょうか。すると河村襄先生、田中敬康先生、また竿代信和先生の世代の先生方は、蔦田二雄先生がインマヌエルを創設したビジョンそのままの中で訓練を受けた人たちです。そして前代表の竿代照夫先生は、神学院の第17期生。勿論初代総理(代表)の薫陶を受けておりますが、河村先生方とはすこし違う、次の世代です。そして私は、初代総理が天に召されたときに、神学院生でした。その場面を見届けてはいますので、蔦田二雄という人物を知っている最後の世代ということになります。私より若い世代の先生方は、蔦田先生を知りません。その方々にとっては蔦田先生はもう伝説の人になってしまいました。

 パウロがテモテにバトンタッチしたように、蔦田二雄という人は次の世代にバトンを渡しました。それを私たち一人一人が大切に大切に受け留めて、いまのレースをしっかりと走っていきたいと思います。今、会堂の改築が進んでおりますが、教会の外側がどんなにきれいになったとしても、先ず、私たちの内的なものが整えられ整備されなければなりません。そうして確かな足取りをもって、これからの秋の働きに向かい、神様のわざに加わらせていただきたいと思う事でございます。  

※講壇の花は國光ひろ子牧師が生けました。説教中、先週の復習は割愛しています。若干編集させていただいております。文責:中ぶん

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