きょうのことば 「キリストと共なる生涯」
日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の説教の要旨をおつたえしています。2013年7月28 日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。
【聖書引証】コロサイ書3:1~4
【説教】
きょうはキリストと共なる生涯ということで、コロサイ3:1~4をテキストに語らせていただきます。
キリストと共にということばに注目していただきたいと思います。
1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。
2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
4 私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。
キリストと共に、これが、クリスチャン信仰生活のエッセンスです。これに見事に集約されております。
ヨハネ3:3には、次のようにあります。
3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
クリスチャン信仰生活の始まりは、キリストによる新しい命が与えられ神の国に生まれ入る、新生という経験であります。コロサイ3:1にも「キリストとともによみがえらされたのなら」とあります。みなさん、クリスチャンになりますときに洗礼を受けます。私たちは主に、滴礼という形式をとっていますが、本来、洗礼というのは、水にどっぷりと浸す。それが本来のありかたでございます。これは何を意味するかといいますと、水の中に浸されることによって、今までの自分に死んで、そして水から上がるとき、水から出てくるとき、キリストとともによみがえらされる。キリストとともなる新生です。さきほどのヨハネ3:3のように、「新しく生まれる」とは、この場合、キリストとともによみがえらされたという意味であります。キリストとともなる新生です。
それからもう一つは、キリストによる自我の死。さきほどはキリストと共に生きるといいましたけれども、キリストによる死というものがあります。3節をご覧ください。
3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
そしてここにガラテヤ2:20
20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
これはクリスチャン生活の大切な意味を持っております。それは、キリストと共に死ぬという経験です。さきほどは第一番目に、洗礼の時にふるい自分に死んで、新しいキリストの命に生きること、新生、キリストと共に生きるということをいいましたが、今は、表面的に見ると逆のようですけれども、謂わんとするところは非常に理に適っているのです。キリストと共に死ぬ経験をするのがクリスチャンです。どういうことかといいますと、クリスチャンとして新しい命に生きているけれども、依然として自分の心の中には神に喜ばれない性質、罪の性質を持ったままの自分がある。これに、実は、自我に死んで初めてクリスチャンとして大切な意味のある生き方をすることができます。これをきよめといいますが、多くの人たちはこのきよめを理解しないままでいるので、信仰生活が芯止まりになってしまう。しかし、聖書がいっているように、あなた方はすでに、死んでいる、キリストと共に十字架につけられたのだという、このきよめを受け、キリストと共なる生涯にはいることは非常に大切なことであります。
3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
私たちの命はすでに、キリストとともに神様のうちに隠されている。隠されているということは、まもられているということです。私たちにとって天国はほんとうに慕わしい。コロサイ3:2をみると、「2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」とある。キリストは、私の命をかくまって、大切なものとして隠していてくださる、まもっていてくださる。私たちの命はキリストと共に隠されている命なのです。
コロサイ3:4には、「 私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます」とあります。
私たちの命は、いまキリストと共に天に隠されている。しかし、イエスさまは、もう一度栄光のうちにこの地上に現れなさる。これが再臨です。 かつては、罪を贖うためにベツレヘムの馬小屋にに初めていらしたこのお方、罪の贖いを成し遂げて天に帰られたこのお方は、こんどは王の王、主の主として、この地上にもう一度いらっしゃる。その時私たちの命もキリストと共に栄光のうちに現れます。ならばなおさら、私たちは天にあるものを思いましょう。
2節、「2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」。この天にあるものとは、それは物質的なものに勝る天にあるお方のこと、そしてキリストご自身のうちに隠されている私の命のことです。いつでもこのことを心に留めましょう。
これら4つのポイントを、ジーザス (Jesus)の「J」でまとめてみました。
1、イエス様と共に新しい命に生きる。新生
2、キリストと共に死ぬ。十字架につけられる
3、いま私たちの命は、キリストのうちに隠されている命である
4、だからイエス様と共に栄光のうちに現れる
この4つを繰り返すと信仰生活が豊かになります。朝ドラの「あまちゃん」で、ジェジェジェがはやっていますが、じぇじぇじぇじぇ、J,J,J,J,、この4つの「J」に生きましょう。
※先週の復習は割愛しております。文責:中ぶんな
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