誰の管理下?
これは岩山動物園にいったときに見かけた子どもの写真。きょう書こうとすることには関係ないけれども。心ひかれる一枚なのでアップ。
一日がひと段落してみると、夜の9時、10時になっている。窓から風が吹き込んで心地よい。夕刻に涼を求めて庭先に出ると半月が見えていたが、今はまた靄におおわれてしまったようだ。近頃の天気の変化に抒情性はあまり感じられず、突然の雷雨に驚かされたり、手の平を返したようなカンカン照りに炒られたりの繰り返しだ。温暖化とひと括りはしたものの、先行き環境がさらに厳しくなるだろう不安が付きまとっている。
しかし今思った。身近に感謝なことはたくさんある。今こうしてブルックナーの7番が聴けること。第4楽章が始まっている。連日聴いてもあきない音楽があるこの有難さ。
聴きながら思ったことは、自分の知らない、知らされていない、見えない、聴こえていない多くのものがあるけれども、今神がそれらを私に隠しておられるとしたら、どうしてそれを私が知ろうとする必要があるだろうか。どうしても知らねばならないことは、必ず知らされることになるだろう。しかし、私が知る必要のないものだとしたら、何もこじ開けるようにしてまで見聴きする必要はない。私に見えないものを管理しておられるのは神なのだから。これでスッキリ明解だ。
遠くに車が駆け抜ける音がしている。今バイクも走り去っていった。そして今7番も終わった。そう遠くないビルの駐車場の街路灯が湿り気を含んだ空気を静かに照らしている。
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