きょうのことば 「依り頼む杖」
日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)のメッセージをお伝えしています。きょうは、2013年8月18日の國光勝美牧師の説教です。何らかの参考になればと願っております。
【聖書引証】詩篇23:1~6
1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
【説教】
きょうは「より頼む杖」と題し、お話しいたします。きょうの午後にはY姉妹の納骨式がございます。その式次第に野田秀(しげる)先生のトラクトを入れさせていただきますが、野田先生は、この中で三つの杖を語っておられる。それは、慰めとしての杖、威厳を表わす杖、イエス・キリストという杖です。
そこで、ここでも、野田先生のトラクトを踏まえまして、人生において依り頼む杖をお話ししてみたいと思います。
1、 神の杖
2、羊飼いの杖
3、信仰の杖
4、御国に導く杖
このように4つの杖を挙げてみました。
1 番目は、神に使命を与えられたモーセの手に握られた神の杖。杖とは神様の言(ことば)です。人生の道にどうすべきかと迷う時、牧者なるお方が、詩篇にあるように、むちと杖をもって導いてくださいます。
ご存じと思いますが、ストラディバリウスはヴァイオリンの名器中の名器です。数億で取引されるほどのもの。尤も、財団などからの貸与で使っている演奏家が多いでしょう。17世紀の工匠の作。ヴァイオリニストの夢の楽器です。この楽器でさらに名演奏にと誰もが望んでいるでしょう。これも一つの依りすがる杖に違いありません。
しかし、私たちにはこれに勝るとも劣らない杖がある。歴史の中で幾多の人たちが、苦しい迫害を通る時にも、詩篇23篇「1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」といった聖書にある多くの御言を杖とし、支えられ、難局を乗り越えてきている。
ジョン・ウェスレーが、「もう私は説教することができない、私は信仰がわからなくなった」、そんな苦しい中にあったとき、「義人は信仰によって生きる」という聖書の言で悩みを解決することができた。この御言という杖には、すでに歴代の多くの人たちにテストされ、そしてその人たちを導いたという実績がある。それが、いま私たちの手元にあるのです。モーセを、ウェスレーを斯くあらしめた神の言、それは、決して変わることがない。何も数億積まずとも、いま私たちのうちに与えられています。
國光幾代子先生が、「このおことば、どこにあったかしら。人にプレゼントしたいんだけれども、それが見つからない」と言ったことがあります。90過ぎという高齢で、視力も人の顔の輪郭がやっとわかる程度です。活字を読むことが困難な状況ですが、しかし、幾代子先生には、他人にお伝えしたい温言がいっぱいあるわけです。聖書の何章の何節かを訊かれたときには、私は、検索機能を使い見つけては拡大コピーしてファックスしています。試みにある方にできることは、御言をお届けすることです。私たちは聖書の言(ことば)、神の言、神の杖を持っている。これをもっと多くの方々にお届けしたいものです。
2番目は、羊飼いの杖です。これは武器としてオオカミや外敵から羊を守るための武器でもある。神の杖は、外敵、サタンを退かせます。イエスさまは、御言を以ってサタンと戦い勝利しました。またこの杖は、私たちを打ちたたくためにある。神の言によって自分が神様から打ちたたかれるのはすばらしい経験です。神様は、愛する者をこらしめたもう。自らの足りないところ、欠けているところ、直さねばならないところを、神様が温言を以って打ちたたいてくださる。これは、主の羊の特権です。神の言、神の杖は、私たちを外敵から守り、そして私たちを打ちたたく恵の杖です。
3番目の信仰の杖。山歩きの時、特に下山の時、杖があると労力が軽くなる。ある方に言わせると疲れが4倍軽くなるそうです。ちょっとした支えでもそう、まして神の言なら尚更です。人生のちょっと大変なときに、その支えがある。経験したことがある者にはよくわかります。ところが、折角与えられている神の杖を、いったいどれだけ握ることができるでしょうか。しっかりと握り、握りつづけていると、握力が増してきます。ですから、日々聖書を読んで、ほんのちょっとした言でもいいから、それを握る。これがきょうの神様の言として握る、これを毎日続けることです。大きな試練の時に大きな御言を与えられる、それもすばらしいことですが、そうではない日常の中で、きょうはこの御言をいただきます、きょうはこの御言をいただきますと握り続けていくとき、握力がついてくる。すると一大事があったときにも、積極的に神様の御言を掴みとって握りしめることができます。
神様のおことばを日々握りしめるには、デーリーライトでもいいでしょう。それを握りしめてお祈りをする。蔦田二雄先生は、自分の密室の最後に、きょうのスケジュールを確認して、締めくくりにデーリーライトを読み、その御言を握りしめて立ちあがるのがいつものパターンだったと聞いています。
4番目は、御国に導く杖です。人は、この地上の旅路を締めくくるとき、ただひとりで、つえ一本で御国にはいっていく、御国に入るときに携えていくただ一本杖とは、それはイエス・キリストという杖です。私たちのために死んでよみがえって今も生きておられ、ともにいてくださる、まさに、杖とは、一緒にあるからこそ杖なのです。野田先生のトラクトの最後の締めくくりにもあります。最後の杖一本、御国に旅立つのが生涯の最後だとすれば、その時に頼りとする杖をあなたはお持ちでしょうか。死んだ後に復活されたイエス・キリストを心に留めさせていただきましょう。
※先週の復習と、例話の一部を割愛しました。若干編集してございます。文責:中ぶんな
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