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汚れっちまった悲しみに

 きょうも雨。「(自分の部屋を)すこし片づけたら」と主人に言われ、半日かけて大掃除。極力持ち込まないようにしていてもプリント、メモ書き、出版物、紙袋、古封筒などが積もっている。選別し捨てにかかる。45リットル入れのゴミ袋に3分の2。これが、今後取っておいても自分も見ないかもしれず、家族たちも関心がないだろう紙屑なのだ。雑誌類はヒモでひとくくりに。

 滞らせているものが幾つか出てきた。送るべき写真、返事を書くべき時候の挨拶、返すべき写真、返すべき資料、返すべき本、「欠席」の出し忘れ。

 どこかに雲隠れしていた「盛岡ノート」も出てきた。一瞬、中原中也のノートだったかと錯覚したが、立原道造と書かれてある。そうそうと手に取ったところで、立原には失礼なのかどうか、中也の詩の方を思い出してしまった。

汚れっちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れっちまった悲しみに/今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは/たとえば狐の革袋(かわごろも)/汚れっちまった悲しみは/小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは/なにのぞむなくねがうなく/汚れっちまった悲しみは/懈怠慢(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

汚れっちまった悲しみに/いたいたしくも怖気づき/汚れっちまった悲しみに/なすところもなく日は暮れる

「汚れっちまった悲しみに」、これを「汚れはてたる悲しみに」としたらどうだろうと考えた時に、「汚れっちまった悲しみ」という表現にある無惨にもひび割れ砕け、それでも尚容赦なく底を抉られやまない悲しみの深さを理解できたような気がした。「汚れっちまった悲しみに」、もうこれだけで、あとの言葉は要らないほどに、心境が言いつくされている。初めて読んだときはこの痛々しさをどういってよいかわからなかった。このふたつの濁音「っ」の語感が奏でている痛々しさ。すごい詩だとつくづく思う。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

aostaさん
中也がどんな詩人であったか、まだ調べたこともなく、ただ詩だけを知っていることに今気付いています。
また今私が思うことは、中也はかなり神経を病んでいたのではないかと感じます。何をもってしても癒しがたい、或いは、それが最早心の底に結氷となって沈んでいたのではないか。中也の心の震え、寒さがかたかたと音をたてている、そんなふうにも感じられます。
「汚れっちまった」には自嘲も感じますが、「また来ん春」には厭世感もあるような。そしてああ、こんなはずじゃなかったという呻きが聞こえるような思いがします。
またさまざまお教えいただければ感謝です。

投稿: 中ぶんな | 2013年7月 9日 (火) 17時16分

aostaさん
コメントいただいて有難うございます。
あまりにも有名な中也の詩、しかし新しい発見があったという心境で書かせていただきました。悲しみにある時、雪という清浄な美しさは繊細な神経の襞に一層染みるものかと思います。確かに、自らを「汚れっちまった」と認め詠じる中也に、慈愛のお方は、あたたかい雪をもって慈しみを現わされたのかもしれません。
わたしの理解はすこし浅いかもしれません。その私にもこの魂の持つ悲しみが痛いばかりにつたわってきます。純粋であればあるほど、その悲しみは深いのでしょうね。

投稿: 中ぶんな | 2013年7月 9日 (火) 16時58分

でも、鋭敏に過ぎる中也の精神にとって、優しさは痛みに通じるものであったのかもしれません。雪はだんだん激しく降りしきり、吹雪になって、今や慰めはどこにも見出せない中也がいるように思います。
同じく中也の詩「また来ん春」の中での第一連と最終連に同じ思いを見るような気がしてなりません。


また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない


中略


ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……

投稿: aosta | 2013年7月 9日 (火) 12時59分

「汚れっちまった悲しみ」
生まれた時は誰もが持っていたはずの無垢性。
失われるからこその「無垢」なのでしょうか。
中也のこの詩は私もその昔繰り返し読んだものです。
悲しみの上に降り積もる雪の、何と清浄で優しいことか。
しかしこの雪の優しさ、美しさは、中也の悲しみを際だたせる存在として、ただ音もなく降り続ける。
でもこの雪は、ささくれ傷ついた心をそっと包んでくれる暖かい雪でもあるのではないか、という気がします。それはすべてを知っておられる方の慈愛に満ちたまなざしの優しさでもあります。中也にとって、掃いて捨ててしまいたい汚れ。その汚れさえも雪は柔らかく丸く包みこむように降り続けている。
何十年もたって読み返してみたら、そんな風に感じました。

投稿: aosta | 2013年7月 9日 (火) 11時31分

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