村井正一氏が収容所生活をしたハバロフスク地方
村井正一氏が捕虜生活を送ったのはハバロフスク地方。ホール、ビアジンスカヤ、デウといった小さな町の収容所だ。ここまで突き止めるのも図書館で4時間かかった。それはともかく、検索してみると、町の断片が出てきたところもある。ホール地区にあるホール病院には村井氏がはいっていた可能性がある。ハバロフスク地区キーロフ収炭坑で労働をした可能性もある。デウ、ビアジンスカヤも調べ方次第では出てくるだろう。
抑留者のための特別措置法があった。これが「昭和20年9月2日以後に旧ソ連またはモンゴルにおいて強制抑留された者とする。推定57万人以上。」とあるのだが、昭和20年9月2日は、降伏文書調印の日だ。ところが、実際には9月2日より前に男がりに遭い、シベリアに強制連行された人々がいたはずだ。それと、この57万という数字も、追っていくと、「シベリヤ抑留者の徹底調査を」によると、これとはかなり食い違っている。
さまざまなことに行きあたるのだけれども、やはり辿りついたのは戦争の悲惨さ。証言はさまざまにある。もうみなが忘れかけてる。その過酷さを縷々のべても、ああ、知ってる、そんなのもういい食傷気味というひともある。ただこうしてみてゆくと、戦争はホラー映画やサスペンスドラマではない。戦争は地獄というけれども、その過酷さをまだまだわかってはいないのではないか。
村井氏は戦争のほんとうの悲惨さとは何かを仰っている。
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コメント
どなたかは存じませんが、人物を書く場合の注意項目、履歴書のような書き方はしない方がいいのではという御忠告ではないかと受け留めました。有難うございました。
投稿: | 2014年1月31日 (金) 17時44分
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
投稿: 履歴書の書き方 | 2014年1月 8日 (水) 12時24分