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2013年7月

盛岡バッハ・カンタータ・フェライン in  ドイツ

 毎年夏に聖会が開かれているが、ことしは自宅にいることをおゆるしいただく。

 はやくも7月が終わる。しかしまた新しい8月がやってくる。月末のきょうは、明日配布しなければならない地域関係の広報物の仕分け、庭の見廻りなどなど。

 毎年、庭師さんが奥さんと娘さんの3人で樹木を刈ってくださっていたが、何と、きのう夕方の6時ごろに仕事を終えて仰るには、もう高齢で高い木の作業は危険なので今年限りになるということだった。丁寧に格安にしてくださっていたので残念だった。たしかに枝に梯子を立てかけて登っていくようすを拝見していて、ことしはすこし不安を覚えたのもたしかだった。これまでやってきた仕事をやめるのはどんなお気持ちだろうかと思いながら、いままでお世話になったお礼を申し上げた。

 8月には宮古ジュニア弦楽合奏団主幹「音楽の夕べ」がある。またアーサー・ホーランドの公演も。それとジュンク堂に取り置きしてもらっている立川さんの連載が載った「SFマガジン」まだ取りに行けないでいる。またもや自分で仕事を作り出してしまった結果だ。

 いま盛岡バッハ・カンタータ・フェラインがドイツ入りしている。HPに出ているが、8月7日聖トーマス教会(ライプツィヒ)、 4日(日) フランシスカーナ教会(ローテンブルク)、 9日(金) 聖ニコライ教会(ロストック)で演奏する。ほんとうに喜ばしいことだ。

 11日14時からは岩手県民会館でいわてフィルの第二回定期演奏会がある。

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山響のブルックナー7番CD

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 これが山形交響楽団のブルックナー交響曲第7番のCD.。解説書には山形交響楽団と指揮者飯森範親氏についての英訳も付されている。いつ海外に飛んでもOK.。 このブナの林がとても自然で共感できるのでアップしてみた。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 きょうもカーテンを買いに。もう一つの窓は後日にと考えていたのだが、きのう障子戸を外しカーテンを取りつけてみてこんなに明るくなるなら一日もはやくと。これで一つの部屋に南と東から光が差し込むことになる。

  
神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。(創世記)

 
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ伝)


 これを神話と読むか、文学と読むか、神のことばと読むかは、その人によってさまざまだろう。どの位置づけで読むとしても、心を明るくしてくれることには変わりないのではないか。

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きょうもブルックナー

 ブルックナーの交響曲第7番を飯森範親の山響で聴き、こんどは、朝比奈隆の新日本フィルで聴いてみた。山響の方がすっきりとしているとも感じられる。これは編成の数の違いかとも。第一楽章、終章のさいご部分、ブルックナーの特徴ともいうべき低音の持続、これはオルガンポイントと言われているようだが、これが私にとっては 最も興味深い聴きどころとなっている。ブルックナーは、ぐいんと食い込むようなドラマ性はないが、世界の広がりの遥かなところまでを聴きとりたいといつの間にか願わせられるような楽曲のように思う。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 きょうは居間の雪見障子をはずしてカーテンに変えてみた。部屋が格段に明るくなった。

 庭に佇んで風や光を浴びながら、自分もいま周りの植物と同じ一本の草となっていると感じる時、家の中にいるときとは違った安らぎがある。こんなときは確かに自分もやがては土になるものであり、土の器であるにちがいないと思われる。

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きょうのことば 「主イエスから湧き出る水」

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の説教の要旨をおつたえしています。20137月21 日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

013

【聖書引証】ヨハネ伝73739

37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

【説教】

先週は、イエスさまの名刺のお話しをしました。「救い主・イエス」という名刺の裏側には、ヨハネ1413141415161623が記されていると申しました。これは十字架を信じた人々に与えられています。

 ひろ子先生が、この名刺を実際に作りましたので、帰りに皆さまに玄関でお渡しします。

先だって、所用のために東京でレンタカーを借りました。高速道路に向かっていました。ゲートに近づいたとき、車のアナウンスがありました。「この車にはETCカードがセットされていません」というのです。ETCカードを忘れてきたことに気付き、別のゲートをくぐったことがあります。天国に入るときに、イエスさまの“ETCカード”を持たないばかりに、“別なゲート”をくぐることにならないよう、イエスさまのお名前と信仰を自らにセットしましょう。そして地上にある間、このカードを、神様の御栄光のために大いに使わせていただきましょう。

 さて、きょうはヨハネの福音書の7章からです。

ユダヤの三大祭りは、「過越しの祭り」、「五旬節」、「仮庵の祭り」です。

「過越しの祭り」は、まことの過越しの子羊(イエス様)が十字架で屠(ほふ)られ血を流されたそのことを象徴しております。三つの祭りの中で最も大切にされています。「五旬節」は、収穫、初穂を網様に感謝する祭りですが、根付くまでのあいだに、神様が石の板にご自分の指で記した律法、即ちモーセの律法を与えてくださったことを記念する日であるとされるようになりました。私たちクリスチャンにとって、五旬節、つまりペンテコステとは、聖霊降臨のことです。ヨハネ739節の「イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」というのは、まさしくペンテコステのこと。このときに降される聖霊が、天からくだされる生ける水なのであります。

さて、37節にある「祭り」というのは、実は「仮庵の祭り」であります。「仮庵の祭り」は、モーセが民を引き連れてエジプトを脱出し、約束の地カナンに入るまで40年間荒野を旅したときに、神様に導かれ養われ守られたことを決して忘れないようにと、ユダヤの人々の生活に今も根付いています。この祭りの期間、祭司たちは、毎日シロアムの池から水を神殿に運んで神様にお捧げしました。しかし、この祭りの終わりの日には、この水を捧げませんでした。その祭りの終わりの日に、イエス様はわざわざ立って大声で言われました。ですからよほど大切な意味のあることをその時に言われた。イエス様は「この水を飲む者はまた渇く」と言っている。旧約における儀式をまもり、水をどんなに運んで渇きをいやそうとしても、ほんとうの意味で、それで渇きは癒せない。そして「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」イエスさまは立って大声でこう言われたのです。

 この「渇いているなら」に注目しましょう。詩篇421にも神に渇きを訴えている詩がある。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます」。渇きを自覚しているうちはいい。渇きの自覚がないときは危険です。

 きょうこの礼拝に集われているみなさんは、それぞれに渇きを持っていらしている。ところが、渇いているという自覚がなくなったときには、自分が何のためにここに来ているのかがわからなくなります。自問自答すべきところです。

 渇きを自覚できるのは健全な証拠です。この渇きが自覚できなくなる前に、どうぞ集会に集ってください。週に一度、或いは、祈祷会にも集っていただきたい。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」

これはイエス様の招きのおことばです。私たちの渇きをよくご存じのお方は、私たちが求める以前に、ご自身の方から身を低くして来てくださったお方です。聖なる渇きをもってこのイエス様の前に出ましょう。「主よ、そうです。私は渇いています」と出ていくとき、神様は、「その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出る」ようにして下さいます。そして、リバイバルとは、このようなことを言うのではないでしょうか。

 第二列王記の4章では、エリシャが、空の器を持ちださせました。そしてその器に次つぎに油を注がれでゆき、空の器がなくなったところで油の出は止まった。そうです。聖霊の注ぎは、空しい器を差し出すときに満たされる。必要な限り、日々差し出し求めるところに従って満たされ続けます。

申命記3325にもあります。

「汝(なんぢ)の能力(ちから)は汝が日々に需(もと)むるところに循(したが)はん」

神様が永遠の水を与えておられる今日です。

ヨハネ73738で締めくくりましょう。

37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

  

※読みやすくするために、例話を一つ割愛するなどし、短めに編集しております。文責:中ぶんな

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山響のブルックナー7番

  午前中は、お客様がふたり。午後は、もりおか童話の会に出席。私は、村井氏に関する原稿を10枚ばかり、皆さまに聴いていただいた。先はまだまだ険しい道のりだ。100枚ぐらいには書きたい。

 いま山形交響楽団のブルックナー交響曲第7番を聴きながら書いている。2013年山形テルサで収録されたものだ。作曲家うに・木島由美子氏のブログにちょくちょくお邪魔している。そんなわけで山響の定演の様子も知っており、というよりも読んでおりなのだが、たまたま山響のCDが土産物といっしょに送られてきたときには、おお! と。
 もう第2楽章に入っている。1、2楽章とも、ブナの林のような光の透過のよさを感じる。
山響は1972年生まれ。東北で初めてできたプロ・オーケストラだ。音楽監督は飯森範親氏。2006年日本初の自主レーベルを立ち上げている。「日本オーケストラ連盟の正会員24団体のうち、本拠地の人口が市の単位でも県の単位でも最も少ない楽団」と岩野裕一氏。しかしこの24団体の中では、山響は、産物と温泉を結んで演奏を展開するなど、これまでにない斬新な運営を考えだし、アイデアは日本一かも。「この10年間の充実ぶりは特筆すべきものがある」と岩野氏。
 今晩は第2楽章までにしておこう。音が消えて浮かんだのは、なぜかサクランボ
 。しかし音楽の余韻はすこしも損なわれてはいない。

 ブルックナーの7番は全曲記憶できるまで聴いておきたい。

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眼に休養

 今朝がたの雷雨。稲光とともに物凄い轟。全地を驚愕させた。オケの全打楽器を総動員させてもこうはいかないだろう。そして地面を打ちたたく土砂降り。神は侮るべきものにあらず。そんなことばが浮かんだ。

 

 この2日間は、近くの天満宮のお祭り。賑やかな音楽が聞こえていたが、この雨模様で閑散。主人とようすを見に出かけてみると、かなり声のいい方がカラオケで歌っていた。昔は大層な賑わいだったらしい。階段の下の商店街あたりにまで屋台が出たものだという。

 

 10時まえにPCを切り、眼を休ませるとしよう。

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止んだ雨

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  この地域で、きょうは子ども神輿があった。運行開始は午後3時予定。今朝からの雨に、これは中止になるかと思っていたが、午後1時近くになると雨が止んだ。子どもたちが町内を練り歩くあいだ、雨はふらなかった。元気いっぱい楽しむ子どもたちに、協力する父兄に、世話役の方々に感謝、感謝。

きょうはもう半分どこかが眠ってるそれでも更新きょうのブログを

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ノウゼンカズラ

 

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 世話を怠っているうちに、木の根元に立派なアリのマンションができていた。たくさんのアリがせわしく出入りする。巣穴の奥には、アリの卵がこれもまたものすごい数。よく木が倒れなかったものだ。そしてよくこれだけの花の蕾ができたものだ。木が死んでしまう。滅多に使わない殺虫剤を噴射、アリはほぼ全滅。瞬間的にこれは死んでしまうと思った方を救った。アリは死んだ。そしてノウゼンカズラは生きている。もしかすると、何かが死ぬことは何かを生かすことなのかもしれない。
 アリを助けるために巣穴をそのままにし、出ている脇芽を育てる方法もあった。しかし巣穴に気付いたのは、先に脇芽を刈ってからだった。
 

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ノカンゾウ

009
ひとさまにニッコウキスゲだといってしまったことがある。ニッコウキスゲは、花がもっと明るい黄色。ノカンゾウは橙色がかった黄色。

ノカンゾウについてネットを2、3巡ったところ、驚いたことに、89歳でブログ更新しておられる方が。ノカンゾウについては、そちらのブログで見ていただいた方がよさそうだ。89歳のブログ「紫蘭の部屋」

ノカンゾウが裏庭に増えながら広がっている。増えすぎたので半分減らそうと根を抜いたが簡単に抜けるものではない。生命力の強さの通り、花にしては太い根がびっしりと生えている。スコップで一抱えもある根をやっと掘り起こした。根には薬効があり、葉っぱは食べることができるようだ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

丹精した桃太郎トマトが、朝に出てみると、いちばん大きく赤くなったトマトが3個、何ものかに食べられてしまった。食べ残しの半分を見ると、鳥ではない。ここにたまに出没するのはネコ。しかしネコがトマトを食べるだろうか。先ごろまで出没していたハクビシンはもうどこかに移動していなくなっている。天井裏に潜り込まれた方が、ニンニクを摺って置いたところ来なくなったという。一匹は車にはねられたかで、近くの路上で死んでいたと聞いた。トマトを食べたのは…?

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童画家・杉田幸子

Photo

 きのう、教会のある会員の方が、童画家杉田幸子さんをご紹介くださった。というのは、その会員の方が、立場上、このほど杉田幸子さんの弟にあたる方を存じ上げることとなり、杉田幸子さんがクリスチャン童画家であると伺ったのだった。
 その方から、教会のみなさんがにカードを頂戴したのですが、この写真がその一枚。金子みすゞ童謡集に寄せた「花屋の爺さん」。

 「花屋の爺さん」アップで、花の写真のマンネリ化からやっと救われた感じが。上記の青文字をクリックいただくと、公式サイトにおじゃまできます。
 盛岡市出身の杉田幸子さんは、残念なことに、2012年1月27日に亡くなられました。けれども、心温まる多くの挿絵や絵本、カレンダー、カードなどをのこしてくださいました。

 私の行っている教会の会員の方に弟様がご縁あったことも不思議に思われ、ブログに書かせていただきました。 

     ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 予想通りの自民圧勝。投票所に足を運び、投票用紙を受け取るときから、何か無力感が。投票箱に落とすときの紙片の軽さ、なぜか「軽きに泣きて三歩あゆまず」が思い出された。

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きょうのことば 「主イエスの御名」

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。20137月14 日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

006

【聖書引証】ヨハネ伝141314
13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

【説教】 聖書の中から、大いなる祝福を得た人を見ますと、自らを直視し、くだかれ、ありのままのすがたで神の御前に出ています。放蕩息子もそうでした。これが、人生を180度転換させる方法です。神様は、このような人たちを、想像をはるかに超えた祝福をもって迎えてくださいます。秋に、私たちは、特別な集会を計画していますが、今からこのような心備えをし、祈りをお捧げしてゆきたいと思っております。

 きょうは、「主イエスの御名」という視点からお話しいたします。

 みなさんは名刺をお持ちですか? 数年前、A姉が「お父さんとお母さんに名刺をプレゼントするから書き込みたい事項を知らせてほしい」といってきました。その頃、さまざまな印刷技法を紹介するイベントがあり、それに触発されてのことのようでした。型ではなく空押加工というのがあるから、是非それで作ってあげたいとのことでした。私は、この教会で使っている魚のマークを入れてくれるように頼み、印刷屋さんで引き受けてくれる最低の枚数でよいと付け加えました。出来上がったものを見、頼んでほんとうに良かったと思いました。けっこう使う機会があり、好評をいただいております。ひろ子先生のほうは使う機会が滅多にないので、ほとんどそのまま保管してあるようです。

 さて、もしイエス様が名刺を作られるとしたら、いったいどのようなものになるのでしょう。考えてみました。表書きは。

ヨハネ316

救い主・イエス

(インマヌエル)

 どうでしょうか。イエスさまは「わたしはこういう者ですが」といって渡して下さるかもしれません。それでは、裏書きはどうでしょう。

またわたしは、

あなたがたがわたしの名によって求めることは

何でも、それをしましょう。

父が子によって栄光をお受けになるためです。

(ヨハネ1413

霊的な意味で、実際この通りです。私たちは、イエスさまからこのような名刺を貰い、名刺入れに入れている。しかし、これをどれだけ活用しているでしょうか。この名刺を持っていることをもっと意識してほしいのです。

 

まだまだ裏書きはあります。

あなたがたが、わたしの名によって

何かをわたしに求めるなら、

わたしはそれをしましょう。

(ヨハネ1414

これを使っていますか。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。

わたしがあなたがたを選び、

あなたがたを任命したのです。

それは、あなたがたが行って実を結び、

そのあなた がたの実が残るためであり、

また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、

父があなたがたにお与えになるためです。

(ヨハネ1516

譬えとして話すこともいいですが、ほんとうにこの名刺を作って、みなさんにお配りしようかと思います。

その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。

あなたがたが父に求めることは何でも、

父は、わたしの名によって

それをあなたがたにお与えになります。

(ヨハネ1623

困ったときには、どうかこの名刺を裏返して読んでいただきたい。

 

どうしたらこれを手に入れることができるでしょう。それには、イエス様の贖いを信じて新生することです。神の国に生まれ変わり、転入届が神の国に受理されていなければならない。新生した人には、確かに自分は神の子となっているという聖霊の頷きがあります。イエス様の名刺は、こういう人たちに与えられています。

 

さあ、これを何回使いましたか。ひろ子先生はどうもA姉が作ってくれた名刺をあまり使う機会がなかったようですが。みなさんがいま持っているイエス様の名刺が、まだたくさん残っているとすれば、これはもったいないですね。使いきっても、また与えられます。この名刺の価値をみなさん知っているでしょうか。用いないのは価値がよくわかっていないのです。また、これをどんな目的のために使うべきでしょう。神様のためですか、自己満足のためですか。自分の事業がうまくいくためですか。

 

このイエス様の名によって祈るとき、私利私欲ではなく、神の栄光のため、奉仕のためである場合には大胆に祈ることができます。私たちは、常に、使用目的を注意深く確かめなければなりません。自分の事業のためだとしても、この事業によって神様の栄光があらわれるようにと願っているでしょうか。吟味しましょう。このようにして使うならば、使う者が成長いたします。

 

最後に、「メルキデゼク的大祭司」をご紹介します。ヘブル7245をご覧ください。

24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

 ユダヤ人のおきてによれば、大祭司はアブラハムの血を引くアロンの子孫が務めることになっています。しかし、アブラハムは、アロンの血筋ではない唐突に現れたメルキデゼクという不思議な人物から祝福を受けたことが聖書に書かれています。実は、このメルキデゼクがイエス様なのです。イエス様は、過去と未来永劫を通じておられるお方です。クリスマスに人の形をとって地上に生まれてくださる以前からすでに存在しておられ、そして今も存在しておられます。そして私たちのために、大祭司としてとりなしをしてくださっているのです。

 

 私たちには、メルキデゼクの押印のある名刺があるのです。他の名刺にはない力ある名刺を持っている。この名刺は私たちの心の中に押されているものです。もういちど、ヨハネ1413141415161623を読んでみましょう。そして、この名刺を離さずにしっかりと握っていましょう。

 

※ICレコーダーから起しておりますが、文面にするうえで、編集を加えさせていただいております。文責:中ぶんな

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どの子も尊い

012

 毎日花の写真ばかりじゃ…とためらいながらもアジサイをアップ。
 どこぞの巷では、キャサリンさんの出産まつり。一人の女性が赤ちゃんを産むというごく自然なことで、なんでこんなに大騒ぎ? しかし、はたと思いなおした。あまりにも暗いニュースが多すぎる。これを自分の喜びとできるなら、その人の喜び項目が一つ増えているわけだ。無事に生まれると地球の仲間がまた一人増える。めでたいことだ。

 国際学術会議のサイトにある世界の年間出生数、年間死亡者数を単純計算すると、1分間の出生者数は38,35人。1分間の死亡者数は13,70人となっている。キャサリンさんのお子様が生まれるあたりの1分間には、たぶん38、9人は生まれるだろう。等しくめでたい。どの子も尊いいのちのはずだ。

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きょうは何をしたっけ

005
 2回も地震があったきょう、耳に眼にしたのは、埼玉西武ライオンズ菊池雄星の2013年7月18日現在の成績がネットに出ていた。19の項目別に数字が出されている。きょうの新聞には13項目で出ていた。パ・リーグ投手成績で2位。すべてが点数化される。プロの厳しさだ。
 
 主婦業も働きとしていくらになるかが数字で出せるものらしい。しかし項目を設けて点数を書きこまれるなどということはない。いまのように夫婦で働く方々が多い場合には、この仕事は当然分担されるべきなのだろう。人様のことはともかく、さて、自分の主婦業に項目を設けたなら、これはもう成績表を人の前には出せない破目となる。それ以前にどのような項目を設けるかも難しい側面もある。

 朝にきょうやるべきことを書き出し、序列をつけよと言った方がいる。さらにそれを自分の使命が何かを踏まえて序列をつけ、最初の二つをこなせば、もうその日は為すべきことを為したことになるというのだ。なるほどと思った。さて、自分の使命は何か、これがまだ曖昧であり、実のところ見定めかねてもいる。自分の好きなことよりも、自分の使命に則った選択順とする、そうすれば悔いのない人生となるのだそうだ。せめて余生だけでもまともに生きようとすれば、これに従ったほうがよさそうだ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 一昨日は何をしたっけ、主人の所用に同行とミニドライブ。きのうは何をしたっけ、近所の方と茶道。きょうは何を、同級生の息子がはじめた店で主人も一緒にランチを。これ以外の時間が家事、そして自分の趣味をすこし。庭仕事はどんどん減っている。

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ジョヴァンニ安東「フォルティシモ」

舟越保武を検索していると、ジョヴァンニ安東のHPに行きあたった。ちょっとその先に進んでみると you tube に。東日本大震災復興応援歌「フォルティシモ」を岩手県ゆかりのジョヴァンニ安東が演奏、合唱していた。ひとりで合唱? つまり多重録音なのだ。

   フォルティシモ

お前の涙も俺を止められない

いまさら失うものなど何も無い

言葉にならない胸の熱いたぎり

拳を固めろ 叩きのめされても

激しくたかぶる夢をねむらせるな

あふれる思いをあきらめはしない

愛がすべてさ いまこそ誓うよ

愛をこめて 強く 強く 

遠くに離れていても わかりあえる

わずかなぬくもり わかちあったように

お前の涙をふりかえりはしない

すべての祈りが かなえられるまで

愛がすべてさ いまこそ誓うよ

愛のかぎり 強く 強く

愛がすべてさ いまこそ誓うよ

愛をこめて 強く 強く

 これがいったいどんな範囲の人たちへの愛かはよくわからない。まったく鈍感なんだけれど。でも、ちょっと、グッとくる。聖書にも「愛」がでてくる。知ってる、アガペーの愛でしょ。そうなんだけど、こんなことばもある。

「愛は律法の完全なり」ロマ13:10

これも、ほんとうにすごいことばでしょ。

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雑感ーやさしいことをむずかしく書くか、むずかしいことをやさしく書くかー

 おかしなものだ。主人が童話を書くようになってから、この家に書くものが一人いるならそれでいい、二人まではいなくともよい、どこかそんな心境になっている。主人が童話を書く、これはもう私からみれば奇跡のようなものだ。読書はするが文筆めいたことを為すことはないだろうと思いこんでいた。それが、わたしが書いた下手な童話を読んで、これぐらいだったら自分にも書けるかもしれないと思ったのが始まり。こうなると下手な童話も捨てたものではない。主人には、おなじ書くなら、よいものを書いて欲しいと願っている。

 今自分にはチェリスト村井先生という懸案事項がある。個人的な心境はともかく、判っている範囲でだけでも書かなければならない。私が書くことには誰も反対していない。事実を主体にという縛りはあるけれども、自由に好きなように書くことができるはずなのだ。それが、どこか緩慢になってしまっている。あるプロの女性作曲家が言っている。自由に好きなように作曲した曲にはよい作品がないと。これが本当かどうかを、こんどは、プロのグラフィックデザイナーとプロの七宝作家に訊いてみた。やはりそのとおりだという。となれば、自分に足りないのは何なのだ?

 はたと気付いた。忙しくなるような状態、環境を作り出しているのは他のだれでもなく自分自身。庭のこともそう。年々、世話が要る植物を増やしている。アガバンサスも、ほんとうに種から増やせるものかどうかやってみた。8、9粒の種を植え、現在4株が素晴らしく育っている。親の株分けもし、いま3つの鉢と、これもまた試しに3株を地植えにしてみた。冬越しができるかどうかを試すつもりでいる。アマリリスのピコティも、いま種を育てている。植物も一旦はじめると興味が尽きなくなる。野菜もそうだ。これをセーブしなければ、余生を植物の育てにつぎ込んでしまいそうだ。植物の面白さは尽きるところがない。農家の耕地面積に比べたなら、猫の額ほどの土の雑然とした花々であってもそう思う。

 友だちが言った「あまり硬く書かないでね」。ある講演で聴いた「やさしいことをむずかしく書くか」「むずかしいことをやさしく書くか」。わたしが書くことでむずかしい内容というのはないわけで、とすれば…

 

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しかしついには

 しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。ーイザヤ32:15

015

 きのうは午前中は地域のために動く。久しぶりの晴れ間。湿度は高かったけれども気分は快晴。きょう午後も4時ごろまでは地域関連に出席する。倒れた芙蓉を起して束ねたり、ポットを強すぎる日差しから日陰に移したり。タチアオイはそろそろ咲き終えそう。帰省中の息子も帰っていった。

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きょうこそ22時就寝

Gibosi

 ギボウシ。ボケの下に大きな葉っぱだけが毎年繁っているとばかり思っていた。花は咲かないのだろうと。それが去年、藤色の花が咲いていることに気付いた。この周りの草をとるようになって初めて気付いたのだ。植物を生かそうという意識もなく、ただ繁るに任せていると、さまざまなことを見失ってしまう。

 ノウゼンカズラにたくさんの蕾がついた。まあまあ元気そうだから、そこの草取りは省略しようと、近づいて根元を見ることもしなかった。雨上がりに、やはり繁り過ぎた草が気になり、始末しはじめてすぐに、根元にアリの巣ができており、アリの卵までが無数に作られた穴から覗いている。これでよく蕾がこれだけついたものだと驚く。滅多に殺虫剤は使わないが、これだけは完璧に退治すべく、アリには気の毒だが、しっかりと穴に吹き付けた。もし気付かないでいたなら、花が見られるのは今年で終わりになっっていたかもしれない。

 健康的な生活のリズムをと22時就寝をめざすも、なかなかに難しい。できるだけこのペースをつくろうと思う。

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きょうのことば 『走り寄る神』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。201377日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

005

【聖書引証】ルカ伝151124

11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』

【説教】

 きょうは「走り寄る神」と題して、ルカ伝151124に書かれている放蕩息子を取り上げます。放蕩息子のは章からは、すでに多くの名説教があります。ここには、神と人間の関係がよく凝縮され言い表わされています。1518をご覧ください。

 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

 ここで放蕩息子はありのままの自分を直視しています。自分がどん底に落ちてしまった原因を、環境が悪かったとか、あの人のせいで、この人のせいだと、自分を正当化したり言い逃れをしたりしていません。

アムとイブが罪を犯したときはどうだったでしょう。神様が食べてはならないといった木の実を食べてしまったアダムは、「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」と言い訳をし、エバは「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」と言い訳をしました。

しかし、放蕩息子は、アダムとエバのように自分を正当化したり言い逃れしなかった。そして自分の現状をありのままに認め、彼は言ったのです。19節、

もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。

 ダビデも自分の罪をありのままに認めているところがあります。詩篇51篇です。ダビデがバテ・シェバと姦淫の罪を犯し、預言者ナタンに指摘されたときに、ダビデは率直にこれを認め全身全霊で悔いあらためている、その詩篇です。 

5 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。
6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、ぶことでしょう。
9 御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。
10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。

 神様は、放蕩息子が悔いあらため、このように告白するのを待っておられた。神様は砕かれ悔いた魂をさげすまれません。ルカ1521で放蕩息子が『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』といったとき、父親は、父なる神様はどうしたでしょう。

22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』

 放蕩息子は想定外の祝福で覆われたのです。

 ルカ伝15章はよく伝道メッセージとして語られますけれども、しかし、それだけではない、クリスチャン一人一人が神の御前に砕かれたとき、神は想像をはるかに超えた祝福をもって私たちを覆ってくださる。

 この息子は、こんなものでしかない自分だ、お父さんのところで雇い人という身分で置いてもらうしかない、いやそんな資格さえも自分にはないのだと思って帰ってくる。それをお父さんは、神様は、ご自分の方から走り寄ってきて、想像をはるかに超える祝福を与えてくださいました。

 私たちの歩みも、2013年の下半期に踏み出しています。一人一人、神様の御前に真実に悔い改め、心を新たにして進みゆくとき、必ずや神様は祝福を与えてくださいます。信じましょう。  

※先週の復習は割愛しています。また読みやすくするために短めに編集しております。

      

  ☆  ☆  ☆  ☆

この7日にはH兄が、岡山から音響の設備を整えるために来てくださいました。H兄は、小学校5年のときに、蔦田二雄先生から洗礼を受けたということです。礼拝の後で、例会という茶話会が持たれますが、そのときにH兄が、大原孫三郎のことをお話し下さいました。

大原孫三郎は、大原美術館の創設者。大原孫三郎は、岡山孤児院の創設者である石井十次との出会いによって自らもプロテスタントに改宗。大原美術館のみならず、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院を設立。親の代からの紡績業(現クラボウ)を営んでいたが、大原は、当時の女工哀史にあるような冷遇はせず、女工に教育の機会を設けるなど、大切にしていた。日本キリスト教団倉敷教会の創設者の一人。このときの創設者の中には、1657年創業の薬屋である林源十郎もいたということでした。 

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村井正一氏が収容所生活をしたハバロフスク地方

 村井正一氏が捕虜生活を送ったのはハバロフスク地方。ホール、ビアジンスカヤ、デウといった小さな町の収容所だ。ここまで突き止めるのも図書館で4時間かかった。それはともかく、検索してみると、町の断片が出てきたところもある。ホール地区にあるホール病院には村井氏がはいっていた可能性がある。ハバロフスク地区キーロフ収炭坑で労働をした可能性もある。デウ、ビアジンスカヤも調べ方次第では出てくるだろう。
 
 抑留者のための特別措置法があった。これが「昭和20年9月2日以後に旧ソ連またはモンゴルにおいて強制抑留された者とする。推定57万人以上。」とあるのだが、昭和20年9月2日は、降伏文書調印の日だ。ところが、実際には9月2日より前に男がりに遭い、シベリアに強制連行された人々がいたはずだ。それと、この57万という数字も、追っていくと、「シベリヤ抑留者の徹底調査を」によると、これとはかなり食い違っている。

 さまざまなことに行きあたるのだけれども、やはり辿りついたのは戦争の悲惨さ。証言はさまざまにある。もうみなが忘れかけてる。その過酷さを縷々のべても、ああ、知ってる、そんなのもういい食傷気味というひともある。ただこうしてみてゆくと、戦争はホラー映画やサスペンスドラマではない。戦争は地獄というけれども、その過酷さをまだまだわかってはいないのではないか。

 村井氏は戦争のほんとうの悲惨さとは何かを仰っている。

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西武 VS 楽天

 きょうのブログには盛岡のチェリスト村井正一氏が、果たして何年頃に満州からシベリアに連行されたろうか、その思い巡らしの中で、モンゴル、シベリア抑留者に対する特別措置に関して、設定の仕方に疑問を持った。そんなこんなをもうすこし具体化しなければと思いつつ、ついつい宝塚市の市役所火災のニュースに引き込まれ、次には7時半からのプロ野球 西ー楽 に捕まってしまった。22時10分で決着がつかないのにしびれを切らし、3-3 のところで一旦ブログ書きに自室に引き揚げる。これほど長時間野球を見たのは、2009年花巻東高校が大活躍し甲子園で春に準優勝、夏には岩手県勢としては90年ぶりのベスト4進出を果たしたとき以来のことだ。肩を痛め、それを克服した菊池雄星の快投ぶりを見てみようとついつい22時過ぎまでテレビの前に。雄星は3-3の時点で交代になったが、さて、いま試合はどんな展開となっているか、こうなればもう最後まで成り行きを追ってみよう。またまたの夜更かしである。

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来客

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 きょうは10時半に私関係の来客あり。外で過ごしたいと仰っていたのが、この雨で家の中でのお茶となった。

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立原道造の「アダージョ」

 立原道造は1938(昭和13)年9月に盛岡を訪れている。「盛岡ノート 立原道造」の中にも、立原がいかに「アダジオ」を愛したかが記されている。「アダジオ」、これはベートーヴェンのピアノ協奏曲第五番「皇帝」第二楽章アダージョ(youtubeでお聴きください)のこと。思えば、私も20代のころに毎晩のようにきいていたのだ。

 
僕のきいた音楽
 そのなかで 僕の魂はふたたび解き放たれた
 とおいとおい行けないところへの郷愁


 やはり私も、この「皇帝」の世界に自分を解き放ち、そしてそこを自分の心の置きどころとしていた。

 
きょう「皇帝」の アダジオをきいた
 あのような美しいアダジオを 僕の言葉は うたうことはできないだろうか


 そして、盛岡市愛宕山にある詩碑には、

         
アダジオ
   光あれと ねがふとき
   光はここにあった!
   鳥はすべてふたたび私の空にかへり
   花はふたたび野に満ちる
   私はなほこの気層にとどまることを好む
   空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ


 この夜更けに、梅雨にしめった路面に行き交う車を窓外に、この詩をよみながらアダージョをきく。


 

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やすみ

 ブログを書いている最中にトラブル発生。続行はあやぶまれるので、きょうはやすむことに。
 午前中は近所のTさんと買い物。午後は掃除と、コメントやら何やらを書き、外周りの草とりをしておしまい。この地域でも、この7月はゴミキャンペーンが行われている。正しくゴミが出されているかどうか集積所に見張り役が立つのだ。今週の可燃ゴミ火曜、金曜は我が家の番。今朝は問題なし。10時の収集後も問題なし。このゴミ問題だけはどこまでいっても解決することはないように思う。地球上で、どうして人間という生き物だけが、こんなにゴミを出して生きているのだろう。ここからにして他の動物とは違うようなのだが。

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汚れっちまった悲しみに

 きょうも雨。「(自分の部屋を)すこし片づけたら」と主人に言われ、半日かけて大掃除。極力持ち込まないようにしていてもプリント、メモ書き、出版物、紙袋、古封筒などが積もっている。選別し捨てにかかる。45リットル入れのゴミ袋に3分の2。これが、今後取っておいても自分も見ないかもしれず、家族たちも関心がないだろう紙屑なのだ。雑誌類はヒモでひとくくりに。

 滞らせているものが幾つか出てきた。送るべき写真、返事を書くべき時候の挨拶、返すべき写真、返すべき資料、返すべき本、「欠席」の出し忘れ。

 どこかに雲隠れしていた「盛岡ノート」も出てきた。一瞬、中原中也のノートだったかと錯覚したが、立原道造と書かれてある。そうそうと手に取ったところで、立原には失礼なのかどうか、中也の詩の方を思い出してしまった。

汚れっちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れっちまった悲しみに/今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは/たとえば狐の革袋(かわごろも)/汚れっちまった悲しみは/小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは/なにのぞむなくねがうなく/汚れっちまった悲しみは/懈怠慢(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

汚れっちまった悲しみに/いたいたしくも怖気づき/汚れっちまった悲しみに/なすところもなく日は暮れる

「汚れっちまった悲しみに」、これを「汚れはてたる悲しみに」としたらどうだろうと考えた時に、「汚れっちまった悲しみ」という表現にある無惨にもひび割れ砕け、それでも尚容赦なく底を抉られやまない悲しみの深さを理解できたような気がした。「汚れっちまった悲しみに」、もうこれだけで、あとの言葉は要らないほどに、心境が言いつくされている。初めて読んだときはこの痛々しさをどういってよいかわからなかった。このふたつの濁音「っ」の語感が奏でている痛々しさ。すごい詩だとつくづく思う。

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きょうのことば 『信仰と不信仰の狭間』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。20136 30日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

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【聖書引証】ヨハネ伝1130~46

30 さてイエスは、まだ村に入らないで、マルタが出迎えた場所におられた。
31 マリヤとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、マリヤが墓に泣きに行くのだろうと思い、彼女について行った。
32 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」
35 イエスは涙を流された。
36 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」
37 しかし、「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか」と言う者もいた。
38 そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。
39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」
40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」
43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
45 そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。

46 しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた。

【説教】

前回お話ししましたY先生の御病気のことが教団の広報に載りました。すばらしい信仰の証しをたくさん持っておられる先生です。突然痛みを覚えて受診したところ末期ガンであることが判りました。肺ガンから頸椎と肝臓に転移、もはや手術できる段階ではなかったといいます。先生は、「流石にそれを知ったときはショックでした。入院はせずに漢方で自宅療養することに決めたところで気持ちが落ち着きました。御言も与えられております」と仰っています。

 私たちが今生きていることが、どんなに恵の時、憐れみの時であることか。今を徒に生きるのではなく、悔い改めイエス様を信じる、このような時を持たせていただきましょう。いつ信じたらいいのでしょう。それは今です。今を高く値づもり、「今は恵みの時、今は救いの日です」(第二コリント62)、これをしっかりととらえましょう。

 きょうはヨハネ伝11章をお開きします。マリヤとマルタの兄弟が死んでからイエス様がおおいでくださったというところです。マリヤが「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」とつい本音を言ってしまった。イエス様はラザロが葬られて4日も経ってから言われました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」。

 結局、「私の時」は、神様の御手にあります。私たちには如何ともしがたい生と死、そしてすべては神の御支配の下にある。これが信仰者のたどりつく結論です。私たちはいったいどのようなプロセスを経て、ルカ2242の「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」というような信仰にたどりつくのか。

 私たちは神様が全能であり、被造物すべての支配者であることを知っています。そして聖書を通して、人間は罪を犯してしまい死から免れ得ないことも知っています。人間は罪を犯しがちであり、この弱さにあって尚信仰に生きている。弱さを持ちながら全能の神を信じている。世の中には総論と各論があるようです。神様は全能であるという総論には誰もが賛成します。ところが、大きな課題に直面すると、往々にして、神は全能だっていうけれども、だけど、このことばかりはどうにもならないんじゃないの、総論賛成、各論反対。しかしこれは矛盾です。信仰と不信仰の狭間にある。よくあることです。

 マリヤとマルタは神様の全能を信じていた。それでも目の前で自分たちの兄弟ラザロが死んでしまった時、イエス様に「なぜここにいなかったのですか」と問う。いったいなぜ?どうして? ここにはクリスチャンの建前と本音がよくあらわれています。神は何でもおできになると信じているつもりが、実は信じ切ってはいない。

 ダブルスタンダード。外に向かっては筋通りに言い、身内に向かっては違うことを言う。言う相手によって話すことを変えるというダブルスタンダードが当たり前になってはいけません。ほんとうに悩んで祈って、各論にも総論の真理を当てはめた信仰生活をしていかないと、ダブルスタンダードクリスチャンになってしまう。

 みこころに従うとはどういうことを言うのでしょう。神様にすべてをゆだね、どうぞみこころのままになしたまえと祈る。が、祈りながらも、この事だけはどうにもならないだろうなあと諦めの心境になっている。このような思いで従うことは果たしてどんなものでしょう。よく陥ることです。諦めに支配されている。総論はみこころに従う、しかし各論は実はね~といった具合になっている。表面的にはどちらも同じに見えますが、その中身には雲泥の違いがある。諦めで従うのか、葛藤を克服したうえで従うか、大切なのはここです。

 Y先生の葛藤を克服された証しが会報に載っています。いきなりガンの末期と告げられ、すぐに「主が御心をなしてくださり感謝します」とは言えないでしょう。先生の思いはどのようでしたでしょうか。しかし、先生はここのところを克服されました。

 先ずイエス様の御前に出ることです。マタイ伝17章、マルコ伝9章には、てんかんで苦しんでいる子どもを持った父親のことが記されています。この父親はイエス様に嘆願します、「信じます。不信仰な私をお助けください」と。父親は自分の信仰の弱さをそのままイエス様に持っていった、そのままイエス様の前に出てゆく、これが信仰です。イエス様でさえ葛藤されました。イエス様は苦しまれ、苦しむことの意味をよくご存じでした。人の弱さ、葛藤をよくご存じであられるイエス様は、このような私たちのために大祭司として父なる神様に私たちをとりなしていてくださるのです。

ヘブル47で締めくくりましょう。

「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」

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兎に角更新

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 習慣でこの時間帯になるとブログを更新している。いつまで続けられるのか。書くことがあろうとなかろうと兎に角更新。

 金曜日には朝のコーヒータイムの後で、何としてもアマリリスが描きたくなり、スケッチブックを持ちだして描いてみた。いつも思っていることをついに実行に移したのだ。ところが、花びらが6枚あり、先ず内側の3枚を描いてから、外側の3枚で内側を包むような雰囲気で描かなければならない。めしべは一つ、これは先を湾曲させて重なっている6本のおしべを下から持ちあげる雰囲気で描かなければならない、などなど、先にこれだけじっくりと観察したからには、描けないはずがないと鉛筆を走らせてみたところ、1時間経って出来たスケッチは実物にはほどとおいものとなった。つくづく思った。毎日弛まずに継続しているものにこそ成果が期待できるのだなと。何年と忘れていた絵画を唐突に描いてみたところで、そう一朝一夕にうまくいくものではないのだ。水曜デッサン会や青の会の作品を継続して観ているが、やはり長い月日を経て段階を踏んで独自の画風といった境地に至っている。そう思いつつも、アマリリスはちょっと難しかったかな、ドクダミか樹木を交えた風景画であれば、そこそこに描けるのではないかなどと、やはりまだ諦めていない自分がいる。こんど描くのは数カ月後、或いは数年後かもしれない。


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岩手県民オーケストラの草創期 新聞記事

  岩手県民オーケストラの立ち上げ当時の経緯について、昨日のこのブログの説明では不十分ですので、図書館で新聞記事のコピーをあつめてきました。掲載します。

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「県民オーケストラの“序曲”ー盛岡の愛好者 設立準備委は発足」岩手日報新聞 1972(昭和47)年6月29日 11面

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「九月に第一回練習ー初代会長は新藤氏 県民オーケストラが誕生」 岩手日報新聞 昭和47年7月10日 10面
 
 ここに第一回練習は9月とありますが、これはあくまでも予定。実際の初の合同練習は昭和47年8月27日午後2時から、中ノ橋通のたつみビル3階ホール(開場提供は同ビル社長工藤隆三氏)で、団員41人、練習指揮者千葉了道氏でした。曲はベートーヴェン「交響曲第一番 ハ長調 作品21」 詳しくは47年8月28日岩手日報でどうぞ。

※設立準備委員会の委員長は村井正一氏でしたが、7月9日の設立総会で、初代会長に新藤武氏が選出された。新藤氏は、元岩手大学教授。これはマイクロからのコピー、写真が不鮮明だが新藤氏の写真。大正時代には太田村に発祥した弦楽四重奏団太田カルテットとも深く関わっている。

 岩手県民オーケストラの設立は昭和47年7月9日です。朝日新聞岩手版も一応ご紹介します。

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市民オーケストラとありますが、市民のオーケストラということで、岩手県民オーケストラ誕生の記事です。

この後は、1973(昭和48)年4月1日に岩手県民会館オープンで、ワグナーの楽劇「ニュールンベルグのマイスタージンガー 前奏曲」を演奏。続いて同大ホールで、4月14日午後6時半から第一回定期演奏会を持つことになる。第一回定演は70人編成。指揮は浜田徳昭、千葉了道の両氏。このときのオーケストラのメンバーの最年長はチェロの村井正一氏で61歳であった。

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岩手県民オーケストラの草創期は

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ベルケア。なかなか写真うつりがいい。すこし枯れ気味と見えても、カメラには無難におさまってくれる。花のことは一先ずおいて、

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 きょうは、岩手県民オーケストラについてすこし思い巡らしてみた。そもそもの創立のきっかけはいつだったろう。 

 1972(昭和47)年、○27日夜、盛岡市内で「県民オーケストラ」(仮称)結成の設立準備委員会が開かれた。委員長はチェロ奏者村井正一。

 

 79日に設立総会を開き、正式に発足することを決める。

 

 この時点で、東北地方ではすでに仙台、山形、秋田、郡山の各市に市民オーケストラが結成されており、定期演奏会をはじめ、巡回公演をするなど、幅広い活動で市民・県民の芸術文化活動に大きく貢献してきているが、本県でもおそまきながら、県民オーケストラが誕生することになり、各方面から期待されている。

 

 県民オーケストラを結成しようという機運は過去に何回となく生まれたが、そのたびに一致した協力態勢がなかったことや、経済的な問題、会場難も手伝い、実現の運びにいたらなかった。しかし、県民会館建設で、音楽愛好者の間から再度オーケストラ結成の声が強まっていたことと、県教委が同開館落成記念式典に、県民によるオーケストラの演奏を行いたいーと音楽愛好者に呼びかけたことで、話がトントン拍子に進み、同日の設立準備委員会開催となった。

 

 準備委員には、長年の夢を、これを機会に必ず実現させたい、という盛岡、花巻の愛好者15人が出席した。設立に必要な組織案や役員団体募集要項、事務局などについて話し合われ、事務局は盛岡市本町通3丁目岩手医大教養部物理研究室磯部寛教授気付けに置く。団員は経験者に限り、年齢、性別を問わず広く県内から募集する。同オーケストラの設立総会を79日に開き、正式発足させる。-などの具体策を決めた。

 

 準備委員長の村井正一氏は、「盛岡市内ばかりでなく、花巻、宮古、釜石にも賛同者がおり、とにかくみんなが集まってオーケストラをつくろうということになった。運営は、それぞれ団員の分担を決め、全員が責任を持って当たるようにしたい。また団員は上下隔てなく平等で、楽しいものにしていきたい。文字通り、“県民”の名で発足させるが、県民の力強い協力とバックアップをお願いしたい」と話している。

 

               (以上、当時の新聞記事から)

 

 

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アマリリスのピコティ

015

 これは、きのうの夕方に写したアマリリスのピコティ。アマリリスはヒガンバナ科。原産地は南米。ほかのヒガンバナ科と同じく、球根にはリコリンを含み有毒とWIKIには出ている。画像検索すると数十種はあるのではないか。同じ品種の写真が重複して出ているようなので、数えてみようという気にまではならなかった。

 

 アマリリスの中ではこのピコティに私はいちばん趣きを覚える。清楚で控えめ、花びらにはまるで細い筆で細心の注意を払い輪郭をなぞったかに赤い縁取りがある。日差しが強い日には葡萄棚の下のテーブルに置いていたが、降りだしそうな空もように、室内のテーブルに移しておいた。眺めていると、花びらの描く曲線が大仰ではなく実に繊細で美しい。こんなときは写真に撮ろうというよりも絵に描いてみたくなるのだが、結局は描かないでしまった。いつものことだ。果たして何日咲いていてくれるだろうか。定められた間だけその美しさを見せてくれる、これもまた種の命脈を絶やさぬための深い知恵のうちにあることなのだろう。 

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大活躍

  30日の日曜日の午後、教会では大掃除がありました。一生懸命お手伝いするお子さんたち。いつかこのお子さんたちの写真を撮らせていただきたいと思っていたのですが、やっとこの日に。

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僕はガラスふきさ。

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わたしもガラスをきれいにするの。となりはひろ子先生。いつも見まもってくれるの。

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よいしょ、こらしょ、ホースをあっちにはこばなくちゃ。

お子ちゃまたちの大活躍で、たのしいたのしい大そうじとなりました。

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