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2013年6月

きょうのことば 『時と私たち』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。20136 23日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

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【聖書引証】詩篇3115

15 私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。 

【説教】

 私は、この教団で厚生に携わっております。そして、ここに今お二人の先生方が重い病にあることが報告されております。ふつうですと、教会を然るべき牧者にゆだねて治療に専念するところですが、お二人とも引き続き講壇に立たれる道を選択され、この朝も変わらずにそれぞれの教会で説教を取り次いでおられます。先生方は、自分の「時」をしっかりと受け留められ「御手の中にあります」と信仰にかたく立っておられます。

 これを機に、「私の時」というものをどのように位置づけ、それに臨んでいくべきかをおわかちし、ともに恵をいただきましょう。

 「私の時」を考えるとき、先ず、イエスさまが、時をどのように捉えておられたかをみましょう。黙示録2213には「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」とあります。神様は時を超越しています。被造物である私たちは、その絶対者の制約の中で生を受け、存在をゆるされ、今にある。いわば地上に於いては閉じた時間に生かされているわけです。制約された時に生きる私たちが、時を超越した支配者である神様と、信仰的にどう折り合いをつけるのか、この折り合いの付け方が、私たちの信仰の実質を決めていくことになるのではないでしょうか。

 イエス様の御生涯には、究極の謙遜さを見る事ができます。永遠者であられるお方が、制約された時の中に、つまり人間の世界に入り込んできてくださり、その中に生きてくださった。ですから、イエス様が「私の時」と仰る「時」には格別な意味があります。カナの婚宴でぶどう酒が無くなった時、母マリヤは、こんなときイエスなら必ず何とかできると期待して、イエス様にぶどう酒がありませんと告げる。しかし、イエス様は、「私の時はまだ来ていない」と答えられている。なぜイエスさまが制約ある時の中に来て下さったのか、それはただ一つ、十字架に架かり罪の贖いを成就するためでした。イエスさまは、天のお父様から課せられたこの任務を自覚しておられた。イエス様の時とは、十字架の贖いの成就の時のことであり、イエスさまはいつでもご自分の目的である十字架に向かって歩んでおられました。

 このイエス様のおすがたを見ながら、私たちは、自分の時をどのように位置づけているでしょう。私たちはこのイエス様の前に、どのように生きていますか。考えさせられます。

 パウロは、どのように位置づけていたでしょう。テモテ第二46には、「 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました」とあります。パウロは、自分の使命を果たし終えて、世を去るときが来たと言っています。パウロが為し終えたこととは、テモテ第二412にあります。

1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」

 パウロは言うのです。私は生涯を賭けてこれに向かって前進してきた、そしてそれを果たした、私の時はいま来たのだと。伝説では、このときパウロは斬首刑で殉教しています。

 ヨハネは、パトモス島に幽閉されるなどしましたが、100歳という当時としては驚異的な長寿をゆるされ使命を全うしました。殉教したペテロもパウロも、そしてヨハネも「私の時は、御手の中にあります」、これを納得し、自分の時を締めくくっています。

 では私たちは、どのように時というものを捉えたらいいのでしょう。

コリント第二612を見ましょう。

1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」

 今日私たちがあるのは、自覚しているいないに関わらず、神の憐れみと恵による。この恵の時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた、今は恵の時、今は救いの日であると神様は仰っている。私たちはゆるされて今制約された時の中にあるのですが、この恵を自覚することなくただ徒に過ごしてはいないでしょうか。この世にあって、私たちは悔い改めてイエス様を信じたときに初めて人生が意味あるものとなります。これがなければ存在の意味は失われてしまいます。「今は恵の時、今は救いの日」、この今という時をしっかりと受け留め、そして、これに意味あらしめるのはイエス様の十字架の贖いであることを覚えましょう。

 時というものを考えるとき、ヨハネの11章にあるラザロの死とよみがえりのことを、皆さまどう思われるでしょうか。マリヤとマルタは、ラザロが病気であるとイエス様に使いの者を送ったのです。ところがイエス様はラザロが死んでからやって来られた。なぜ死ぬ前に来てくださらなかったのか、どうして? これはマリヤとマリヤならずとも、私たちの率直な思いでもあります。お一人お一人そのケースは違いますが、これと同じような、時の制約の中に生きている悲しさ、辛さに直面することがあります。どうして? そのときイエス様は、もし信じるなら神の栄光を見る、と仰いました。神様の前に率直に問題を持ち出すとき、神様は最善を為してくださいます。イエス様はラザロをよみがえらせてくださいました。

イエス様のゲッセマネの祈りを思い出してください。十字架刑を目前にしてイエス様は苦しみ悶え祈りました。この十字架を「杯」といい、できるならこの杯を取り除いてくださいと願った。しかしついにイエス様は「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」(マタイ2639)と意を定められ、この世に来られた御目的を果たすために十字架へと向かわれました。

私の時は、私の目的は、それはイエスさまが身を以って示してくださっています。今私にできるイエスさまのような生き方をさせてください、どうぞみこころの通りにしてください。このようにある時が私の時、私の目的でしょう。

ここに今一つの例があります。ある先生が膵臓に悪性腫瘍が見つかり、長くて2年との医師の診断でした。厚生という立場上、その後も連絡をとったところ、その医師から、「あなたは生きているのが不思議だ。悪性腫瘍の肥大化が止まったままの状態が続いている。このまま安定してくれればいいのだが」と言われたそうです。先生の方からも電話があり、「私が生きているのは奇跡です」と仰っていました。これは神様の御手の中にあってのことです。

パウロにはパウロの我が時、ペテロにはペテロの我が時、ヨハネは弟子たちのうちでいちばん長生きし我が時を全うしました。生きているのが奇跡だと言われた先生も、みなそれぞれに「みこころの通りにしてください」との信仰が昇華された生き方をしておられる。

制約ある時間に生かされている者が、時を超越した神様に折り合いをつける、これは決して諦めではありません。イエス様がゲッセマネで「みこころの通りにしてください」との想いになられるまでには、どれほど血の汗を流し、もだえ苦しみ、涙を流して祈られたことでしょうか。これを忘れてはなりません。皆が、そういうところを通って「私の時」をしっかりと受け留めている。そして「私の時は、御手の中にあります」というこの真理を捉えるに至ったのです。

どうでしょう。私たちは今の時をどのように位置づけていますか。為すべき使命を捉え、それに向かう生き方、在り方をしていますか。そしてイエス様のように「みこころの通りにしてください」とおゆだねしているでしょうか。おゆだねし、淡々と歩むすがたに、私たちも倣わせていただきたいと思うことでございます。

※説教を文面化するために、若干編集させていただいております。文責:中ぶんな

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わが恵汝に足れり

 きょうは、もりおか童話の会をやすむ。時間の確保もあるけれども、目が疲れ気味。持っていく原稿を書きかねた。代表の菊池さんに申し訳ないと思いつつお電話する。

一日の労はこれで足りたのかどうかわからないが、きょうの分はこれぐらいでよしとしておこう。

わが恵汝に足れり

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楽団雑感

 いつもは開いているかどうかを確かめてから行くのだが、金曜、だいじょうぶでしょう、年度末でもないしと、開館に間にあっていったつもりの図書館が休館。小雨がぱらつきだし、急いで家に逆戻り。群馬交響楽団なぞを検索したところ、大友直人が第492回定演の紹介のなかでチェロ協奏曲のはなしを、というわけで、昼まではドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴くことに。カザルスを聴いてみたが、やはりすごいなと。実際に間近に聴いたならどれほどであったか。群響は1955年に映画化。「ここに泉あり」。岸恵子が出ている。2003年10月14日には、NHK「プロジェクトX~挑戦者たち」で「第九への果てなき道」と題し取り上げられている。関係図書はないかと探すと、「泉は涸れずー丸山勝廣と群馬交響楽団」(林健太郎、辻村明著・毎日新聞社刊)が出てきた。
 紹介するというよりは、ここにメモっておいている。

 岩手県民オーケストラの成りたちも様々な壁があったようだが、詳しい苦労ばなしを聴く機会があるかどうか。何とか音楽会を成功させるために廃品回収までして、収益を足しにしたのは、一ノ関市民の第九演奏のときだったろうか。はなしは飛ぶけれども、アメリカの楽団ではバザーを開いた例もある。
 山響の飯森範親は、コンサートとさくらんぼなどの地域の特産品や温泉泊とのドッキングを考えだした。各方面からのサポートがあっても尚、楽団の運営は厳しいもののようだ。

 夕方からは、庭の手入れ。すこしやり過ぎ。夕食後は説教の起しなどをして、きょうも穏やかな一日であったことに感謝する。


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緑の中で

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       アマリリス、ピコティの蕾

 きょうは、樹木が爽やかな生命力を拡散させるに程良い風が一日中吹いた。緑の木陰に避難させたアマリリスのピコティの蕾。アマリリスの中では遅い開花となる。木立の中にいて差し込む光を仰ぎながら、樹上が、木陰が風に揺れるさまを飽かずに眺めるときが、私には、いちばん贅沢ですばらしいひとときである。

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もの寂しいヒバの木に掛けたシンプルなハンギングバスケット。

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葡萄棚を見上げると、緑を貫く細く明るくさざめく弦の光。
 

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ドクダミは強靭

 ドクダミが庭中にびっしりと生えている。もう除くことを諦めて、その強靭さに感心し呆れはてもしてただ眺めている。ふっと、これほど強い植物なら何らかに抵抗してくれるのではないかなどと思いめぐらす。煎じて飲むほどのもの、もしかすれば悩まされている指先のかゆみにも効くのではないかと期待は膨らみ、葉っぱを揉んで指に貼り付け、キズテープで留めてみた。それが確かに効いたのである。 気のせいかとも思っていたが、昨日の午後、盛岡の職場を退職し九戸に転居した友人が盛岡に出てきてくれて言うには、彼女のお姉さんが皮膚のかゆみをドクダミでぜんぶ治してしまったということだ。ドクダミ、やはり大変な植物であるようだ。帰宅して改めてドクダミを眺める。存在感がより増していた。

 

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 次は春菊の花。スーパーに売っている春菊には花がない。けれども実はこんな花がきれいに咲いている。咲かせた花は見られることもなく、葉っぱだけが春菊の全体と思われ食される。

 

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アジサイのたより

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 中学のときの友だちからの絵ハガキ。いつもは季節が変わるごとに、だいじょうぶ忘れてないからね、とでもいうように写真やカードを添付したメールが届くのだが、今回は、たまには絵葉書にしてみました、と文面にあった。横浜に住んでいる。彼女にはいくつもの負い目がある。本来ならこちらから挨拶するべきなのだが、そろそろ書こうと思っていると、なぜか向こうから届いてしまうのだ。もっとも桜といい、アジサイといい花は向こうがみな先に開花する。こちらが先行できるチャンスといえば、紅葉しました、初雪が降りました、の便りのはずが、なぜかこれも彼女が先を制した。人生においても然り。便りの“先制”はともかく、今私は、彼女がすべての面で私に先んじ上回っていることを嬉しく思っている。
       

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青い水を見ていたのか、それとも褐色の

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  これはきのう日曜日に教会から帰る途中、いつもは館坂橋を通るのだが、夕顔瀬橋を経由して撮った写真。岩手山がいただきに雲をのせてかすんでいる。北上川が青く輝き流れている。北上川が盛岡市に与えている景観美、それも河川敷が整備されてからは、絵画にでも描きたいところが何か所もある。 

夕顔瀬橋のすぐ近くに材木町がある。材木町は、南部氏が盛岡築城を始めた1542(文禄元)年頃に、木場の材木商によって興されたというから、関ヶ原の戦いよりも前に形成されていたわけだ。それが大いに繁盛し、次第に豪商が軒を連ねるようになる。明治後期から大正にかけては、盛岡市の郊外に工兵隊と騎兵旅 団が駐屯し、軍の御用達を務める商店もあり、市内きっての北大通り商店街として繁盛していた。盛岡市の中心的な繁華街だったのである。

チェリスト村井正一氏の実家も材木町にあった。村庄というせともの屋である。正一氏の御子息清一さんによれば、軍から兵隊たちに贈る記念品などの大量注文があったという。また村庄は仏壇も扱っていた。文献には、せともの屋としての記述だけがある。記録とは大方は何かが欠落している、そういったものかもしれない。

夕顔瀬橋から見るこの美しい川と同じ川を見ていたのは、どの時代の人であったか。というよりも松尾鉱山の鉱毒水の中和で水が褐色に変色したのはいつからだったろう。

松尾鉱山の硫黄の採掘は、明治44年に横浜の貿易会社増田屋が参画、経営を掌握してから本格的になったようだ。この後の浮沈に関しては省略するとして、昭和44年に事実上倒産、47年閉山。鉄筋コンクリートの建物と鉱毒水の流れが残った。2009年現在、中和施設が24時間体制で稼働し、岩手県では年間5億数千万円の処理費用を掛け続けてきている。2010年以降がどうなっているか、これを追うにはきょうはもう遅い。何れこのように美しい川の景観を見る事ができるのは、年間5億数千万もの経費を投じてのことのよう。果たして岩手県民はこれを支払わなければならないほどの恩恵を企業から受けていたのだろうか。仮に処理費投下が2009年までだけのこととして考えても。

ことの始まりは村井先生が子どものころに青い水の北上川を見ていたのか、それとも褐色の水を見ていたのかから。村井先生は大正元年生まれ。とすればこれをどのように考えたらいいのだろう。村井先生の物ごころついたときに、川は青かったか褐色だったか。鉱毒水はそのままでは透明、これを中和することで褐色になる。最初のうちは鉱毒水をそのまま流し、さんざん環境を破壊してからやっと中和したとすれば、大正のころはまだ水は青かったかもしれない。また鉱毒水が最初から毎分17~24トンも湧出していたかどうかもわからない。

これは必ず、県の資料か岩大の資料あたりにあるだろう。もっと探せばネットにも出ているかもしれない。かけ足の成果はこの程度だ。そうこうしているうちに、もう23時すぎ。これを書いていた時間が有益だったのか、それとも早くやすんだ方が賢明だったのかもわからない。ただ今の北上川の美しさを、また公害から守るために、営々と経費を必要としている事実に、高価な景色であるとの想いがしている。

ここからは25日の書き足しです。鉱毒水処理についてのページがこちらにありました。

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きょうのことば 『恵による変貌』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。20136 16日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

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【聖書引証】ピレモン書125

4 私は、祈りのうちにあなたのことを覚え、いつも私の神に感謝しています。
5 それは、主イエスに対してあなたが抱いている信仰と、すべての聖徒に対するあなたの愛とについて聞いているからです。
6 私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行いをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。
7 私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。
8 私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、
9 むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、
10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
11 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。
12 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
13 私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、
14 あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。
15 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。
16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。
17 ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。
18 もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。
19 この手紙は私パウロの自筆です。私がそれを支払います。あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。
20 そうです。兄弟よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけてください
21 私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。私の言う以上のことをしてくださるあなたであると、知っているからです。

(1~3節、2225節は割愛しました)

【説教】(冒頭の挨拶に相当する部分は割愛いたします)

イエスさまのお救いに与った私たちは一体何を期待されているのでしょうか。神様からの語りかけをしっかりと受け止めたあのツィンツェンドルフのような人物を、聖書の中から学びたく願い、きょうは、ピレモン書をお開きしております。

これはパウロがローマの獄中でしたためて、コロサイにいるピレモンに送った手紙です。ピレモンはパウロによって信仰に導かれました。ピレモンは人生が変えられ、多くの霊的な祝福に恵まれます。ですからパウロはピレモンにとって、謂わば大恩人であります。

それでは、ピレモンとオネシモはどういう間柄なのでしょう。ローマは奴隷制度で成り立っておりましたが、オネシモはピレモンに仕える奴隷でした。しかしオネシモは、主人のお金を持ち逃げしてしまう。彼が決して悪辣だったとは思えません。たぶん何とか一旗揚げたかったのかもしれない。都会であるローマに出てはみたものの、多くの若者たちがそうであるように彼もまた挫折し、遂には牢にまで入る羽目になったのでしょう。

 いきさつはともかく、オネシモは獄中でパウロに出会うのです。そしてパウロを身近にしながらパウロの価値観、在り方、生き方が自分とはまったく違うことに気付き、主イエスへの信仰に導かれます。そして、獄中でパウロに忠実に仕えました。パウロはオネシモに、悔い改めを説き、ピレモンから奪った金を返すように諭します。そして、もういちどピレモンのもとに帰るように勧めます。パウロがピレモン書を書くことになった背景はこのようでした。

パウロは、手紙で、オネシモがピレモンに何とか受け入れてもらえるようにとりなしています。パウロは自分に免じてオネシモを受け入れて欲しいと頼み込んでいます。

 オネシモは主人の金を着服して逃亡した人物です。私たちも、わがままで神様のもとから逃亡してはいませんか。神様からせっかくすばらしい賜物を受けながら、それを無駄に浪費してはいませんか。しかし、オネシモはパウロのもとで悔い改め変貌を遂げました。10節で、パウロは「わが子オネシモ」と彼を呼び、11節では「彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています」とオネシモを評価しています。

たとえあなたが以前に神のもとから逃亡した者であったとしても、オネシモのように悔い改め、真実に償いの心を持ち、恵に生き、神の願うところを行うならば、神様は「今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています」と評価してくださるのではないでしょうか。

1314節で、パウロは、オネシモを自分のもとにおいて仕えさせたいが、ピレモンの許可をえるべきだろうといっています。パウロは強制することもできるのですが、自発的にしてくれることを望んでいます。そして、もし私を親しいと思うならオネシモを受け入れてほしい、もしオネシモに負債があるなら、その負債は私が支払うと言っています。

どうでしょう、イエス様は私たちの負債をご自分の命をもって支払ってくださいました。そのことのゆえに私たちは神様に受け入れられています。オネシモとは「有益な」という意味です。私たちもどうか主のために有益なものとならせていただきましょう。

※説教は読みやすくするために、短く編集させていただいております。文責:中ぶんな

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主に感謝せよ

 きょうは朝いちばんの来客にコーヒーを出し、定期の健康チェックに行き、その帰りにはスーパーに立ち寄り、帰宅し、昼食を済ませ、昨日修理工場に入れた車を取りに行き、そのついでに調べものに図書館に行ったが目的のものは見つからなかったがちょっと感動的な人物が昭和26年に没していたのを見つける。帰宅し、近場の用足しをし、夕食前に草取りを30分。夕食後は、加藤九祚の「シベリア記」第4章に言いようのない思いに。生き物のうちでいちばん残酷なのは人間だという一つの実例に暗澹となる。




 今が平和かどうかはともかく、いまこのときに暗黒の中にいるわけではない。むしろ今は日々の暮らしは平和であるといえる。きょうに感謝しよう。仮にあした空模様が若干悪くなることがあったとしても、やはり一日の終わりには感謝するだろうけれども。

きょうの終わりに聴いた曲は SP盤レコードで「夕焼け小焼け」
 

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健康あってこそ

 さて今年の文芸誌に、予定通りの発表ができるだろうかと内心危惧している。主人公として設定する人物の人生のハイライトともいうべき受賞の年代を類推することはできても、まだ正確には掴んでいない。想像で埋めることはできるだろうが、自分としては何か物足りずすっきりとしないのだ。同じ時間をかけるなら“メジャーなもの”にかけた方がいいと言われたこともある。しかし、そういった系列は所謂大先生方がこぞって扱っているわけで、私の出る幕ではない。それと、たとえ有名ではなくとも値があるということがある。 

 ものを書くのは体力勝負だと思うようになった。健康あっての物ダネだ。

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疲れぎみ

疲れぎみちょっと重たい心持ち笑えるネタはないかどこかに

友だちが植えたスイカに早々と予約を入れて日々訪れる

滑り込みセーフ会議に間にあって足元を見れば靴下不ぞろい

実体を見定めかねて遠巻きに踊りたくとも踊らぬ人々

これはもう眠るに限る知恵もつき力も尽きたこんなときには

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われを咎むな

 本棚にある詩集を開くと、こんな詩があった。まじめに聖書を読んでいない頃に買ったものだったろうか。
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 作者不明となっている。これは高い所に立って、イエスを受け入れない人々を非難しているのではないように思う。むしろ心を注ぎだしてどんな艱難にも耐えて最期まで福音をつたえたのだろう。そしてキリストの嘆きを深く悲しんでいる。「われ、なんじらを責むとも、われを咎むな」。もう究極までわたしは尽くすことのできるすべてを尽くしたのだ、わたしはすべてをおもんぱかり今もおもんぱかっている。だからわたしを咎めだてするのは真理に照らしてそぐわないのだと響いてくる。作者は人々の反応をすべて言いつくすことができるほどに生涯イエスのために労したに違いない。

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等分に生かす術は?

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 日曜日の午後に撮った写真をアップしている。はて昨日は何をしていたかな、そう、11時半に来客があり、3時ごろまでともに過ごした。きょうは午後から、この地域のサロンがあった。こうして一旦は立ち止まって振り返ってみないと、あった出来事がみな両手の指の間からこぼれ落ちてしまいそうだ。庭は草ぼうぼう。草取りをする余力がない。

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 それと、是が非でも取らなければならないという意識が薄れている。我が家の庭でいまいちばん強いのはドクダミ。ことしはヒメジオンも健闘している。クローバーもかなり領分を広げた。スギナにはこちらが完全に敗北。しかし見ればどれもが素晴らしさを備えている。

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 どの命をも等分に生かす術はあるのだろうか。

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カザルス奏する 「鳥の歌」

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    中津川河川敷ー富士見橋からー

 昨日午後、自転車の後輪のパンク修理のために自転車屋さんへ行き、そのついでに河川敷におりて写真を撮った。見ると対岸に白鳥が一羽。カメラを向けると同時に首をたたんでしまったので、それとはわかりにくいかもしれない。

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 白鳥は真ん中に映っている。近くには、まるで付き添うかにカモが一羽、動かない。白鳥は何らかの事情で、仲間たちと帰ることができなかったのだろう。この白鳥のすがたに、チェロが奏でる「鳥の歌」が思い出された。ユー・チューブにあるカザルスの演奏をつないでみた。もしかすれば、この曲は、カザルスの原風景なのだろうか。「鳥の歌」はカタルーニャ民謡。これをカザルスが編曲、演奏している。孤独な魂の呻きとも、人生への諦念とも聞こえる。涙をこらえているような淋しい風景が、曲の響く辺りを満たしている。


 原曲はカタルーニャ地方のクリスマス・キャロル、鳥が聖誕を祝っているのだという。「peace」とさえずるように演奏されるのだそうだが、私には、いまここに書いたように聞こえる。この白鳥が痛々しく思われ、センチメンタルになっているせいだろうか。


 

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きょうのことば 『私たちを囲むお方』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。20136 9日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

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【聖書引証】イザヤ4634 

3 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
4 あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
 

【説教】

きょうは、『私たちを囲むお方』というテーマで、この6月を伝道月間と意識し、お話を進めてまいりたいと思っております。

 ご覧になった方もあるかと思いますが、NHKの番組「こころの時代」に柏木哲夫先生が出演していました。先生は、内科医、精神科医であり、専門はターミナルケア。クリスチャンであり、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長を務めておられます。

柏木先生はこの番組の中で、生と死の関係というのは、ちょうど一枚の紙の表と裏のようなもの、表に生があり、その裏側に死が裏打ちされている。ちょっと風が吹けば紙が裏返って死が顔を出す。人は常に死を背負って生きているのだと語っておられました。

また、先生はこれまでに2500人余の患者さんを看取っていますが、特に印象に残っているのは、どちらも72歳のお二人。一人は膵臓癌の末期である男性。この方は大阪で倉庫会社を経営し、地位、名誉、財産があった。入院のときには立派な車に乗って、スーツにネクタイ。多くの物を持参していた。すい臓癌の悪化は速く、肉体的な苦痛は医療で大方対処できたものの、訴えてきた死の恐怖には、スタッフ全員で全力を尽くしたが解決されないまま亡くなられたそうです。癌の末期は、魂が剥き出しになる時だと言われています。もう一人は肺癌の末期の女性、クリスチャンでした。彼女はとても苦しい状態の中で、自分はまもなく神様のもとへ行けると信じていた。肉体的な苦しさの緩和のみを願っていた。モルヒネ、ステロイドで随分息切れも楽になっていた。柏木先生が回診したときに、彼女は「どうも明日か明後日ぐらいのような気がします。私 先に行っていますから、先生も後で来てくださいね。」と言った。ほんとうにもう死が近くなったときに、最後に彼女は娘さんに「じゃあ、行ってくるね。」と。娘さんも「行ってらっしゃい」と答えた。隣の部屋にでも行くような感じがしたといいます。

倉庫会社の社長は最期まで死の恐怖から免れることができなかった。クリスチャン女性は最期にも、死後の世界での再会の確信と、永遠の命を持っている確信、そして平安があったという事実です。

 また、柏木先生自身、これまでに2回入院したことがあるそうです。ベッドに仰向けに寝て天井ばかり見ていたときに、先生は自分が絶対者なるお方に生かされていることに気付いたというのです。確かに、私たちが上を見上げるときに響いてくるのは「私はあなたを愛している」という神様のおことばです。

 ダビデは詩篇13916節に、神がいかに自分を愛しているかを謳っています。5節には「そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。」とあるほど、ダビデは神様の自分への愛を知っていました。たとえ私たちに、社会的な地位、名誉、学歴、財産があろうとなかろうと、健康であろうと病であろうと、神様は「私はあなたを愛している」と仰る。ご自分のひとり子を私たちのために犠牲にするほどに私たちを愛しておられるのです。

詩篇1395には「あなたは前からうしろから私を取り囲み」とありますが、この神様は下からも支えてくださる。申命記3327に「永遠の腕が下に」とある通りです。

イザヤ5212には「主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられる」ともある。私たちの神様は、私たちの前になり、しんがりとなって臀部を務めてくださる。そしてイザヤ464では「なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」と仰ってくださる。神様は今このとき、私たちを背負ってくださいます。 皆さんは背負われた記憶がありますか。私が子どもの時、母に背負われたことがあります。母の息遣い、鼓動、温もりが伝わってきました。これは背負われる者の恵みです。神様は、さあ背負うよ、だからちゃんと捕まってるんだよ、と仰っている。イザヤ4011には何とありますか、「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」とあるでしょう。

第二テモテ4章で、パウロはいよいよ殉教するというとき、みんな私から去っていった今、主が私と共にあって私に力を与えてくださっていると言っています。パウロは、自分を背負ってくださり、抱いてくださる神様とともにいました。

ここでまた付け加えますが、ぐるりと取り囲むものには二つあります。一つはサタンが投げかけてくる罪の意識です。私たちが過ちを犯したときに、お前は何をしたのか! と逃れようもなく責め立ててくる。ダビデもこのような責めに遭いました。しかし、罪の告白をし悔い改め、罪の赦しをいただいたとき、第二コリント514にあるように「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる」ことを知るのです。このキリストの愛に囲まれている私たちは何を為すべきでしょうか。そうです、この伝道週間、キリストのために、持てるベストを主にお捧げしましょう。ツィンツェンドルが感動した言葉で締めくくりましょう。

「我はこのことを汝のために為せり、汝は我がために何を為せしや」 

短めに編集するために、割愛した部分が多くございます。柏木先生の番組からの引用もいくつか割愛しております。文責:中ぶんな 

 

 

 

 

 

 

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雑草

 雨後の地面からは草を抜きやすい。午前中は回覧物配布をしたが、午後からは夕刻まで草取り。そして今の今まで説教の起し。
 草取りをしていると、近所のSさんが声をかけてくださった。「頑張ってるね」と言われると、それだけでも元気が出る。外回りを一巡し、駐車スペースをきれいにしただけで午後を費やしてしまった。草を取らなくたって死にはしないと放っておいた一角は、もう雑草がびっしり。最低限花壇と畑部分だけは取らないと浸食されてしまう。

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 雑草を書く私は雑草かな? 一瞬何の脈絡もなく思った。雑草だとすれば、得も言われぬ美しい花を救うために、邪魔だとばかりに刈り取られてしまうこともあるかもしれない。おお、そうか、己が命のためには決して美しい花の傍になど居てはならぬ。こんなたわいもない事、しかし十分にありそうなことを想う。ただその美しい花をまもるためだけの理由で、全存在を否定され、有無も言えぬように切り刻まれる、十分ありうる。しかし、たとえ根こそぎ駆逐されることがあったとしても、その命が神に繋がっている限りは命脈を絶たれることはない。命あるものは必ずまた息を吹き返す。そう、何度でも。

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卯の花 & 渡辺宏氏チェロと大平達也氏ピアノコンサート、15日(土)19時光源社

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これらは月曜日にちょっと郊外に出たときの写真です。4枚目の樹木が何であるのか判りませんでした。私は「あとで調べておくから」と言っておきながら調べるのを忘れていたのです。それが彼女の方から「卯の花だと思うの」と電話が。たしかに卯の花でした。こんなに高い樹木に咲くとは思っていませんでしたので、ほんとうに意外でした。

夏は来ぬ♪

歌:童謡・唱歌 作詞:佐々木 信綱 作曲:小山 作之助

 

卯の花の におう垣根に
ほととぎす 早も来啼きて
忍音もらす 夏は来ぬ


さみだれのそそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ


橘の かおる軒場の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ


棟ちる 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ


五月やみ 螢飛びかい
水鶏なき 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来

 窓からさあっと風が吹き込んできたと思っていたところ、待ちに待った雨がいまやっと降りだした。主人が急いで庭の椅子を片付けてくれた。鉢ものを軒下から雨のあたる位置にすこし移動させる。

     ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 あすは光源社で19時から渡辺宏先生のチェロコンサートがある。ほんとうにすばらしい演奏を聞かせてくださる。人気は高い。もうチケットも完売しただろう。事情あって行くことができないのが残念でならない。渡辺先生東京芸大を出られているが、はじめは村井正一先生に師事していた。光源社のある材木町は、村井先生の生家である村庄というせともの屋があった町。村井先生はこの界隈で育っている。喜んでおられるに違いない。今回は大平達也先生がご一緒なようだ。

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生気を食べて生き生き

  ブルックナーのアダージョ楽章2回、第4楽章1回聴いて今夜はおしまい。

【野菜苗】ミニトマト苗3.0寸

 それにしても庭の土がカラカラ。雨が欲しい。裏には桃太郎トマトが6本、まずまずに育っている。これには実は毎日鉢ものを一巡した後に忘れず水やりをしている。種から育てたミニトマト6本は昨夕地植えしたばかりだ。
 ことしカルミアやアヤメなどの花つきが悪いのは水不足のためかもしれない。茶道を教えておられる方の庭の飛び石の周りには、見事なスギゴケが敷き詰められているが、朝夕、びしょびしょになるまで水やりをしているという。
 農家の方の話では、野菜に水やりする場合には、ジョーロでかけた程度では何にもならない、ホースを使うなどして地面の深くまでしっかりと浸み込むようにかけるべきだ、でなければ寧ろかけない方がいいらしい。


 新鮮な野菜には生気が詰まっている。春菊も植えておいて、調理する直前に収穫する。新鮮な野菜は、元気回復のための何よりの薬だと信じている。買い込んだ食材に、たとえ少量であっても、今さっき採ったばかりの野菜をプラスすると、よいものを食べたという満足度までがアップする。

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ブルックナーの交響曲第7番 & 詩篇150篇

もう22時を回ったことでもあるし、さあてきょうは書かかずにやすもうかと思ったが、毎日最低3行は書かなければ筆力を維持することはできないということばを思い出し、一旦切ったパソコンの電源を入れ直す。



 パソコンを切る直前まではブルックナーの交響曲第7番を考えていた。この交響曲の初演は大成功し、ブルックナーは交響曲作曲家としての名声を得たようだ。第二楽章アダージョの作曲中に彼の敬愛するリヒャルト・ワーグナーが病気で危篤になる。そしてワーグナーの死を悲しみながら葬送曲としてのこの楽章を書きあげるのだ。
 ブルックナーに限らず、悲しみから派生する感性は、えも言われぬ美しさを紡ぎ出すことがあるように思う。しかしどんな名曲も、ひとたびナチとの関連を取りざたされた場合には、厳しい疎外、遠回りを余儀なくされることがある。音楽には独立性といった側面があるとしても当然のことかと思う。アドルフ・ヒトラーがワグナーに心酔したように、ブルックナーのアダージョ楽章を殊にも愛好していたらしい。しかし、ブルックナー自身は、生涯を通じて非常に信仰の篤いローマ・カトリック教徒だった。1892年には聖書の詩篇150篇を作曲。1896年に帰天。72年の生涯だった。


彼が最晩年に作曲した詩篇150篇の詩

1 ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよう。御力の大空で、神をほめたたえよう。
2 その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。
3 角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
4 タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
5 音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
6 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。

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え? またなの?

 今回もユニセフから届いた募金要請。いくらなんでも、もうそんなに寄付ばかりできない、一か所だけからならプレッシャーはまだ少ない。これが4、5か所からとなると、一瞬、もう無理! こんな思いになることがある。これからだって災害は起きるだろうし、地球上から問題はなくなりはしない。
 だけど気付くのだ。まとまった金額をしなければならないと思うから重荷になってくる。

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 これにも3000円あれば何々ができ、5000円あれば何々ができとあり、50000円までの例が書いてある。最低3000円しなくちゃ…ちょっとねェ~などと考えると重荷になってくる。1000円だっていいんじゃない、と思うと何か荷がぐ~んと軽くなる気が。とにかく沢山の人たちが参加することが肝心だろう。それこそ、一人1円からでも。1億人が参加すれば1億円。友だちと飲むコーヒ1一杯分、友だちとのランチ1回分といった感覚ですれば気軽に参加できるじゃないの!!

 

 

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みどりの海へ

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 さてひとしごとと部屋にこもったものの、エンジンがなかなかかからない。気分転換、買い物と称して近所の方をさそい、ついでにほんのすこし車をとばしてみる。それだけでこんなみどりの中を散策することができる盛岡って、やっぱりいいな。

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きょうのことばー「主イエスの足元

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。2013年6 2日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

【聖書引証】ヨハネ伝123

3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった、家は香油のかおりでいっぱいになった。 

【説教】

 前回は、イエスさまのたとえばなしで、放蕩息子のはなしをしました。息子が財産を持って家を出て放蕩し、ついにぼろぼろになってお父さんのもとに帰ってきたとき、お父さんは彼を喜んで受け入れた、このときのお父さんは「この息子は死んでいたのが生き返ってきた」といいました。私たちの周りにおられる方々は、表面的には生きているように見えるとしても神からは離れている状態です。生けると申しました。これは、奴隷のような状態です。それは、自分では、このようではいけないとわかっていても、そこからどうしても抜け出せない、罪の鎖にがんじがらめになっている、それは、罪、罪過に死んでいる状態であります。パウロは、ほんとうに私は悩んでいるものだ、私は死の体を背負っている、と言っています。この死のからだを背負うとは、当時のローマの死刑の方法の一つで、罪人に死体を括りつけ、やがてその死体の病が感染し、死んでしまうという方法がありました。パウロはこれを念頭にいっています。そして、この死のからだから救ってくれるのはキリスト・イエスである、と言っています。

 愛なるお方であるイエスさまは、永遠の滅びがあることを教えておられます。信じない者は第二の死である永遠の滅びに行くと明言しておられるのです。この滅びから救われるために、イエス様は十字架に架かられました。この神様の最大の愛を、私には関係ないと拒絶するなら、もう滅びゆく責任は自らにある。自分で滅びを刈り取っているのです。

 キリスト・イエスはことばであり、そのことばには命があったとヨハネ伝1章には記されています。「はじめにことばがあった」。イエス様ご自身は、まことの命の根源です。それとともにイエスさまは、死んでよみがえってくださったことによって、死という試練を私たちより一足先にお通りになられ、復活してくださって、「われ生くれば、汝らも生くべければなり」、ほら、私はこのように生きているよ、私を信じる者は永遠に生きるとはこういうことなんだ、と復活の御自身を示してくださったのです。これを見たイエス様を裏切った弟子たちも一転して、キリストの復活の証人として命を賭けるようになりました。

 私たちは、回の国に生まれこむことができた。神の国の住人としての命があるから、私たちは神の国に入ることができる。たとえば、どんなに犬が好きであっても、犬の命にはなれません。もともと私たちの体は朽ちるべきものなのですが、朽ちないものを着ることによって全く異質な命となることができる。永遠の命を持つというのは、そういうことです。イエスさまは、ニコデモに、「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」といいました。はじめニコデモはもういちど母の胎から生まれることなのかと勘違いしました。ここでイエスさまは、神の国に入るには、神の命に生まれることが必要であることを説きます。

 前回は蔦田二雄先生とガントレット先生のこともご紹介しました。ガントレット先生の父は、山口県の鍾乳洞を発見、また初めて日本にテニスを紹介するなど、日本に大きな影響を与えています。

蔦田先生はたまたま、アメリカに渡るときに、船でガントレット先生と乗り合わせます。ガントレット先生は、「蔦田君、君は一生懸命聖書を勉強してるね。議論したって君にはとても敵わない。だけど僕は、あなたが持っていない永遠の命を持ってる。それがわかるか?」と言いました。蔦田先生にはわからなかった。するとガントレット先生が「君の読んでいる聖書に『信じる者は永遠の命を持つ』と書いてあるじゃないか」と。蔦田先生が新生経験をする大きなきっかけになったということです。

 私が救いに与って導かれた教会が蔦田二雄先生の教会でした。そこでは、ピアノの永井先生とフルートのガントレット先生の演奏が一か月に一度はありました。このガントレット青年が、蔦田先生に大きな影響を与えたことは、後になって知りました。今にして、ガントレット青年のフルート演奏を聴くことができたのは大変な特権であったと思います。

 その後蔦田先生はイギリスに渡り、献身し、東京の日本橋教会を開拓。このときに、蔦田先生はガントレット先生とコンビを組みました。ですので、ガントレット先生は、インマヌエルにも深い関わりがあります。

 この6月、私たちはさらに根を深くはるために、イエス様の足元に身を置くことが必要です。ここで私たちの信仰生活の点検、整備をさせていただきましょう。きょうはヨハネ伝123からのお話です。マリヤは、イエス様がこの地上における重大な役目を果たすときが迫っていることをわかっていました。そしてイエス様に、高価なナルドの香油を惜しまずに注いだのです。このマリヤから、今日、私たちは何を学ぶべきでしょうか。

マリヤはイエス様の恵みに生かされ、恵に生きておりました。ですからイエスさまの足元に来ていました。私たちが、きょう教会に来たのは、イエス様の足元に身を置くためです。今朝、私たちは、どういう思いで集ってきたでしょう。今イエスさまの足元に身を置こうとするとき、私たちはどのような状態の自分であるでしょう。

 その状態を、もし採取した血液を分析して成分を知るように知ることができるとしたら、白血球、赤血球、ヘモグロビンの数値がわかるように、信仰の状態を数値で表わすことができるとしたなら。白血球の数ばかりが多すぎてもいけない、それとおなじように、恵ばかりが多すぎてもいけません。まかり間違うと、福音は恵です、ただ恵のみです、といって、恵の成分ばかりを強調していると、律法的な要素は必要ないなどと真理からそれることになってしまいます。私たちは恵と共にキリストの律法をもしっかりと加えておくべきです。このバランスを保った健全な信仰生活が必要です。パウロもまたそうでした。

第一テモテ1章1216

12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
 

 イエスの足元でマリヤは自分のできる精いっぱいのわざ、つまり、ナルドの香油を惜しみなく注ぎました。それは主の贖いからあふれる愛のわざです。私たちもまずイエスさまの足元に集おうではありませんか。教会の、イエス様の足元、礼拝に、祈り会に。ジョン・ウェスレーは、恩寵の手段を無視して恵だけを強調するのは不健康なクリスチャンだといいました。主の御足の元で主の声を聞くものでありたい。そしてあのマリヤのように、私たちのできるわざを捧げたいとおもうのです。

 ツィンツェンドルフは、デュッセルドルフにある美術館で、「エッケホモ」(この人を見よ)という絵画にくぎ付けにされました。それには、次のようなことばが記されていたのです。

我はこのことを汝のために為せり、汝は我がために何を為せしや」

ツィンツェンドルフに導かれたモラヴィアンという群れの人々は、大嵐の船の中でも賛美し祈ることができました。この人々の信仰の在り様は、ウェスレーにも大きな影響を与えました。

 私たちは今、イエス様の足元に来ています。一人一人の心の耳で主のお声を聴きましょう。そしてイエス様に目をあげましょう。

我はこのことを汝のために為せり、汝は我がために何を為せしや

※短めに編集するために、割愛した部分が多くございます。文責:中ぶんな

 

 

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昭和6~37年の盛岡市の弦楽四重奏団の流れ

   不来方弦楽四重奏団が、村井正一先生らが守ってきた盛岡弦楽四重奏団という名称を1962(昭和37)年にバトンタッチさせてもらい開いたのが、昨日述べた盛岡市の高校会館でのコンサートだった。村井氏は、この時点に至るまでの盛岡市のカルテットの流れを交えた一文を昭和37年6月23日(土)の岩手日報に寄せている。
 これは、このほどプログラムが手に入ったお陰で、この記事の掲載月日を37年6月と特定することができ、やっと、きょう図書館で資料を得ることができた。このプログラムに出会うまでは、私は、村井先生の寄稿は昭和51年ごろと誤算していたのです。ほんとうに有難いことでした。
 以下にご紹介します。(青字部分)

一九二九(昭和六)年頃、盛岡弦楽四重奏団結成。第一回、玉置、梅村(保)、茅場、村井。第二回、寺崎、原、梅村保、村井。原、梅村両先生がいたのでコチコチになり、パート練習の時には完全に弾けても、いざ合奏となると、どうしても合わない。ついに、原先生がたまらなくなり、犯人はチェロだと決めつけた。私は絶対に正確に弾いたつもりだったので、メトロノームに合わせて正確に弾いてみせたのだが、やはり間違っていない。実は原先生が間違って弾いておられたことがわかり、あとで大笑いしたことがある。第三回、玉置、千葉、梅村保、村井。第四回、岩崎、佐々木(一)、松坂、村井。第五回、嵩、佐々木(一)、松坂、村井。第六回、多田、佐々木(一)、松坂、村井。第七回、工藤、多田、松坂、村井。第八回、松坂、内藤、梅村重光、村井。第九回、小柳、鶴田、内藤、村井。第十回、小柳、内藤、松坂、村井。三十年間で十回の編制替えをし、その後、不来方弦楽四重奏団にバトンタッチ。板谷栄紀、成田浩、鈴木真、斎藤敬。第一ヴァイオリンの板谷栄紀君は、四重奏に最も大切なすべてのバランスに細心の注意を払い、またよき指導者でもある。第二ヴァイオリンの成田君も、必要以上の誇張もなく、よく気をつかって弾いている。ヴィオラの鈴木君は、持ち前の耳のよさが何と言ってもこのカルテットにプラスだ。アレンジャーとしてもよい人。チェロの斎藤君は、技巧も最近相当に進み、情熱的な努力は好感が持てる。なほレッスンは三年間休みなく続けたという。四人の精進は頭がさがる。私はいつか彼らの練習を聴いたが、とにかくひたむきな練習をしていた。正直いって、ひたむきこそ彼らのすべてと言いたい。この不来方弦楽四重奏団が、こんど、盛岡弦楽四重奏団と改名して、その記念発表会を二八日に開く。楽団では数少ない四重奏団だけに、大きく育ってもらいたいと願っている。四十五年の歴史を誇るカルテットの都盛岡に、新しい生命がつながれたことを心から感謝したい。


※村井氏がいうカルテットの45年の歴史には、大正時代の弦楽四重奏団太田カルテット(梅村保、赤澤長五郎、佐々木休次郎、館沢繁次郎)を含めての45年であると思われます。

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不来方弦楽四重奏団が盛岡弦楽四重奏団と改名し第一回コンサートを開く

 1962(昭和37)年6月28日(木)午後7時から岩手高校会館ホールで、
morioka string quartett recital(もと不来方弦楽四重奏団)の第一回リサイタルがあった。
そのプログラムは以下に。写真は右から鈴木、斎藤、成田、板谷の各氏。

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 チェリスト村井正一氏は、このプログラムに、次のような祝辞を寄せている。

「セロの斎藤君から『好きで集まって居る』と言われたのは確か3年程前だった。私は知らない振りして、そっとして置きたかった。その間にスクスク伸びて、新しいカルテットが形作られて居た。この様に、生まれながらにして純粋なのが何より嬉しい。演奏を批判するよりまず力づけてやりたい。今夜は、4人にとって、想い出のステージになるでしょう。心から御祝い申し上げます。 6月19日 ヨル 村井正一」

 またこのコンサートについては、村井氏は、同年同月の岩手日報紙上でも、それまでの盛岡市のカルテットの歴史、歩みを交えながら、改名に至るまでの不来方弦楽四重奏団の精進への喜びを表わしている。もともと盛岡弦楽四重奏団は、村井氏がもっていた“看板”である。この名称を譲り受けるために、板谷英紀氏が村井氏を訪れて、村井氏から許可を貰ったという経緯がある。

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感謝、感謝!

 なにかにとネットを見ているうちに、ついつい時間が過ぎてしまった。

見ていた内容は、きょう我が家にやってきた「くまモン」とは?
熊本県PRマスコットキャラクターだった。



これのだきまくらタイプ。

生誕地:熊本県
誕生日:3月12日
性別:男の子
性格:好奇心旺盛でやんちゃ
趣味:くまモン体操
体型:メタボ
職業:公務員
一番の友だち:熊本県知事、熊本県宣伝部長スザンヌ

近頃はこんなゆるキャラが人気らしい。
きょうから我が家の一家族。

九州旅行から帰って来た友だちからのお土産だ。

メタボまではよかったけど、職種がね~、ラーメンが好きな私としては、ハイ、ワンタンメン一丁あがり~なんていう威勢のいいラーメン屋のおじさんとかがよかったけど。知事さんが一番の友だちなんて、ちょと私にはほど遠い感じ。でもこの愛想のない顔がまた我は我と言う感じで悪くはない。何よりかにより、高校以来の彼女の優しさが染みます。

       ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

aostaさんのコメントを拝見した10日19時15分に、写真撮りしました。

並んでいるのはプリモ・プエル、友だちがやってきて大喜びです。くまモンの身長45㌢、ウエストは、ナ、ナ、ナント55㌢、脚の長さは約8㌢、腕の長さは一応10㌢はありますが、胴体にくっついていて使えない状態。

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雑感

 きのう20歳年上の大先輩が連れていってくれたワラビのあるところとは。これが道路沿いで頻繁に車が走っているところだった。彼女がいうには、「ここならいつ倒れても必ずドライバーが見つけてくれるでしょ」。爆笑! 楽天家、好奇心のかたまり、思い浮かんだら面倒がらずに即行動。食事はできるだけ自分で作って食べる、これが今もって若さが保たれている理由であるようだ。

 きょうはついつい柄にもなく野球を観てしまった。ゆっくりしたいと寛いでいるところに、たまたま流れていた番組が「日本ハムー巨人」。大谷の初巨人戦。わたしはへそ曲がりで、大谷を見ると決まって菊池雄星を思い出す。「あの時の高校野球は最高に面白かった、最高に面白くしてくれた。やっぱり雄星、なんてたって雄星でしょ!!」
 今夜の試合は9回の表まで1-1のところで切り上げ。今ネットで確かめると1-4だったようだ。

エデンの東(デジタル・リマスター版)の画像 

 午後は映画DVD「エデンの東」を観る。つまりきょうは一日中のほほんと、ゆったり時間のエスカレーターにあったわけだ。
 この映画、聖書のカインとアベルを思い出させる。勿論、登場の双子の兄弟に殺しまでは起きないのだが
 父アダムの誕生日に、まじめな長男アロンは自分の婚約をプレゼント。不良の二男キャルは父が事業で失敗した穴埋めのために、大豆の先物取引で手にした金をプレゼントする。父は長男の贈り物を喜んで受け入れるが、二男の贈り物を拒否するのだ。
 あらすじは省略するが、この映画の謂わんとするところは、親への反抗或いは、反社会的な行動は、時として愛情の渇望の裏返しであること。その魂は、実は、自分を呼んでほしい、信じてほしい、頼って欲しい、愛して欲しいと切ないまでに叫んでいるのだと教えている。

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三町歩の長いも畑

 ワラビ取りにいってきました。

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といってもそれは二の次。友だちが向かっているこの先にはロック・ガーデン・春子谷地があります。 

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 たしかにロック・ガーデンは素晴らしかった。しかしそれよりも素晴らしかったのは次の三町歩の長いもばたけでした

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 いかがです、この見事さは。足元には堆肥を置いたあとでしょうか、この辺りだけ黒々として肥料の匂いがたちこめていました。恐らくはトラックでここまで運び込み、一旦この場所に山積みにしておいて、こんどは、トラクターか、或いは何らかの農業機械で畑に散布したのではないかと想像しました。土もかなり深く耕し、しかも土が細か砕かれたっぷりと堆肥を混ぜ込んで種を植えたのでしょうか。つるのために張られた延々と続くこのネットも実に見事なものです。ほんとうに豊かな実りを予感させます。ロック・ガーデン、畑ともに家族三人態勢で当たっていると仰っていました。三人でこれほどに大掛かりな仕事を着々と遂行されているわけです。むこうに、ただのほほんと青空に首をつっこんでいるばかりの岩手山よりもはるかに壮大です。

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障子

 八畳間には、廊下を隔てて雪見障子が4枚、外に面した出窓に4枚の障子戸がある。これを延べ日数4日間をかけて2枚ずつ貼り変えた。きょうはその第4ラウンド、残されている出窓側の2枚だった。
 障子戸を外して外に持ち出し、霧吹きで障子ののりをはがし、小さなタワシとハブラシを使って汚れを洗い流す。生渇き程度に乾かしてから室内に持ち込み、のり付けし、予め裁断しておいた障子紙をのせて上から軽く押しつけながら貼りつける。障子紙がだいたい乾いたら桟に立てかける、ざっとこんな手順だ。
 障子貼りの苦労を後継の者にはさせたくないと、障子戸を障子に似たガラス戸に変えたお宅もあった。いやはやとんだ時間潰しの建具もあったものだと嘆息しながら最後の一枚を仕上げていたところで、はたと、いったいどこの誰がこんな手間暇かかるものを考えだしたかに思いが及んだ。これほどの時間と労力をかけて貼り変えるなら、もっと楽しいデザインの薄紙にしたかったとも思った。

           

 障子は平安時代にはあったようだ。wikipediaには、「古来より、日本家屋独特のほの暗さの文化や陰翳の美を演出するものとして、日本 の建築文化の象徴的な存在であった。現代においてはインテリア としての再評価の他、ガラス戸との組合せによる断熱効果、紫外線 の軽減効果などで見直されつつある」と出ていた。
 今はデザイン的な障子紙もある。材質としては、超強プラスチック障子紙といったものもある。ネットのそこかしこを検索するうちに思い出したのは、去年だったろうか、ふだんは空疎とも思われるこの障子戸に、庭に繁る桂の枝葉のシルエットが風に微かに震えていたのだ。その風情がきよらかで美しく、これだとばかりにカメラに撮ったのだった。もし障子戸の向こうに、明るい光や鳥や樹木といった自然があるなら、障子紙はやはり白であることが望ましい。廊下との間仕切りであるなら、或いは部屋に明かりが灯っているなら、あたたかな人の影や子どもたちの指のキツネやウサギの影絵が見られるかもしれない。もし障子戸の向こうにビルの壁でも覆い迫っているようなときには、そのときこそ思いっきり絵画的で斬新なデザインの障子紙もいいだろう。

 いっときは手間暇ばかりかかる非合理的な建具だと思われたが、また今しばらくは、ぴんと張り直された真っ白な障子に映るシルエットと、にじみでるようなほのぼのとした明るみを楽しもう。

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きょうのことばー『永遠のいのちを持つ』

日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。2013526日の國光勝美牧師の説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。

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【聖書引証】ヨハネ伝647

47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。 

【説教】

きょうお話いたします「永遠のいのち」ですが、このことばはある意味、もうさんざん手あかにまみれていると敢えて申し上げます。講壇では幾度となく繰り返されてきました。教会はこれからも何度も繰り返すでしょう。また? とお思いになる方があるとしてもです。 私たちは、ことし天に帰られたS兄のことを知っています。その信仰にどれほど教えられたことでしょうか。召される前の数日間、S兄はこう仰いました。「私のただ一つの望みは、天に帰ったときに、主から義の冠をいただくことです。望みはただこの一事です」。S兄は、天国を、永遠の命を確信しておられました。「永遠のいのち」、クリスチャンにとって大切なものは、これを措いて他にはありません。朝の連続ドラマ「あまちゃん」に、いつも琥珀を磨いている人が登場しますが、私たちも、この福音という使命に磨きをかけ続けたく思うものです。

 それでは、聖書がいうところの死について語らせていただきます。

第一の死は、神から離れている状態をいいます。創世記2161716 神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ』」とあります。エバが食べたときに、劇薬でも食べたときのように、すぐさま死んだとは書いていません。しかし、聖書には、食べたなら必ず死ぬ、と書かれているのです。これは、人間の自我を優先させ神に背いた時点で、命の源は断ち切られるということです。ある方々は、「何だってそんなことを聞かなくちゃならんのだ、食べたっていいじゃないか、私は好きなようにやる」と行動するでしょう。悪魔はそんなところにつけ入ってきます。「神様はね、もっといいことを隠してるのさ」と。そして食べてしまい死を招いてしまう。

 また聖書には放蕩息子のたとえばなしが出てきます。自分を愛してくれている父の家にいたくないと、相続分の財産を貰って家を飛び出していった挙句に、放蕩で使い果たしどん底になってはたと気付き自分の愚かさを認め、お父さんのところに帰ろうと決心します。お父さんの家に向かって歩み出す、これが即ち悔い改めです。お父さんの家に辿りつくと、何と、お父さんの方から駆け寄ってきて、「よく帰ってきた、待ってたぞ?」と出迎えてくれたのです。見ていたお兄さんが不平をいったとき、お父さんは言いました。ルカ1532 だがおまえの弟は死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」と。聖書ではこのように神から離れた状態を死といいます。

この死は、生けるしかばねともいえる状態です。あたかも鎖で縛られているかのように、悪の力に縛られ、引きずりまわされてしまう。パウロはこの経験をロマ71924に書いています。19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」。しかし、このように呻いた後でパウロは25節でこう言っています。 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します」と。神はキリスト・イエスによって、罪に縛られ生けるしばねとなっていた自分を解放してくださったといっています。

聖書はまた、最も厳粛な第二の死があることを教えています。これは永遠の滅びのことです。神様が私たちを愛し、罪の赦しを得させるキリストの十字架を提示しているにも関わらず、それを知っていながら拒絶するなら、これは最も大きな罪です。神の御子イエス・キリストが、自分の命と引き換えに救いへの道を開いてくださった、にも関わらず、私は頼んだ覚えはない、2000年前にあったことなど私には関係ない、勝手に結びつけられては困る、私は私のままで行くとこれを拒んだ者には神様は容赦しません。神様は愛なるお方です。しかしまた聖なるお方であり、義なるお方だからです。裁きの側面をあまりに強調しますとバランスを欠きますが、しかし罪に対する裁きがあることもまた真理です。

ヘブル92728を見ましょう。27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」

いちどは私たちの罪の救いのためにご自身を捧げ十字架の贖いを成し遂げられたイエスさまは、こんどは、来るべき日に、王の王、主の主としてこの世においでくださいます。そのとき私たちも、キリストの復活の体に倣い栄光のからだとなってよみがえります。待ち望んでいる者たちのために、イエスさまはもう一度いらっしゃいます。

命であるイエスさまを、簡略に項目で述べさせていただきます。

1、 ヨハネ伝1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

2、 ヨハネ伝1010わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

3、 ヨハネ1125わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 

復活の死を私たちは知っています。「信じる者は永遠のいのちを持つ。」

 蔦田二雄先生は、クリスチャンホームに生まれました。彼自身は自分はクリスチャンであると思っていた。しかし、永遠のいのちをいま自分が持っているという認識はなかった。それが、イギリスに渡る船に乗っていたときに、たまたまその船に乗り合わせていたガントレット青年によって本当の生まれ変わりがあることを知らされます。蔦田先生は、神に喜ばれる生き方をしてこの地上生涯を終えるときに、神からの御褒美のように天国に行けるのだと考えていた。生きているうちに天国に行けるなどというのは傲慢でしかないと思っていたのです。蔦田先生は論理的にガントレット青年を追いこんでいった。しかしガントレット青年は言ったのです。「僕は永遠のいのちを持ってるよ。だってあなたの持っている聖書にも『信じる者は永遠のいのちを持つ』と書いてあるじゃないか」。蔦田先生は、このことばに心動かされました。そして、これがきっかけでほんとうの救いに導かれたということです。

「信じる者は永遠のいのちを持つ」。そうです。信じる者は永遠のいのちを持つかもしれない、ではない。持つでしょう、でもない。神のことばである聖書には、「信じる者は永遠のいのちを持つ」と書いてあるのです。どうかこの信仰をしっかりと保ちながら私たちの歩みを進めて行こうではありませんか。

※説教は約半分の長さに編集させていただいております。

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ん?

005
 今夜9時ごろに二男に電話をしてみた。元気そうだったので一先ず安心。受話器を置くとすぐに電話の呼び出し音が鳴った。二男が何か言い忘れたのだろうと急いで出てみると長男からだった。ん? 用があればパソコンの方にメールを入れるはずが何事かと訊くと、ふと心配になってかけたのだという。二男と話し終えて直ぐに長男からというこのタイミング。こちらの気がかりがどこか通じていたようで不思議な気がした。ふたりとも今のところ巨大地震以外の不安材料はなさそうだ。それにしても、南海トラフが今起こることもあり得るというのに原発に依存の動きが。空恐ろしい。

  このアマリリスのアンカーがいま咲いている。第三陣はあれからまた花芽が一つ増え6つに。最初から合わせて14輪の立派な花を咲かせてくれた。球根の力の素晴らしさだ。

 あすはこの地域の一斉清掃。そして教会の日。

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