きょうのことばー『助け主なる聖霊』ーペンテコステ講壇ー
日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。きょうは、國光勝美牧師の5月19日のペンテコステの説教です。日常さまざまなことを考えるうえでも、何らかの参考になればと願っております。
【聖書引証】ヨハネ伝14:16~17
16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
【説教】
きょうはペンテコステ、聖霊降臨を記念する日です。クリスチャンには三つの大きなお祭りがあります。クリスマス、イースター、そして、このペンテコステです。ペンテコステはユダヤの人たちの種を入れないパンの祭りであり、大麦の初穂を捧げてから50日目にあたるので五旬節とも呼ばれています。
ペンテコステで特に大切なことは、モーセの時代に神の指で石の板に記された十戒がユダヤの人たちに授けられましたが、実は、このペンテコステのとき、イエス様を信じる私たち一人一人の心に、天から聖霊の火が降されたことです。
きょうの聖書引証ヨハネ伝14:16~17で、イエス様は、私たちに授けられる私たちの助け主である聖霊のことを語っておられます。
イエス様は十字架に架かられ、墓に葬られ、三日目によみがえられました。イエス様は弟子たちの見ている前でオリーブ山から天に帰ってゆかれました。その時にイエス様は、「私が天にあげられ父の右に着座したならあなた方に聖霊を与える」とお約束くださいました。そして、「この聖霊はもうひとりのわたし自身である」と仰る。「私はあなた方から見えなくなる」。しかし聖霊が降されるとき、もうひとりの御自身ともいえるお方が与えられるというのです。イエス様が父なる神の右の座に着座しておられる場面は私たちには見えないが、しかし、着座したなら聖霊を下さるというのです。この聖霊降臨の事実は、使徒の働き2章に書かれています。
聖霊降臨、これは、信仰者にとって、非常に生命的なことです。聖霊は、イエス様の十字架の贖いを理屈ではなしにわからせて下さいます。もういく度も私たちは、神はあいであり、私は罪びとであり、イエス様は私の罪のために十字架に架かられた、だからそれを信じれば救われるのだと聞いています。この福音の真理を頭脳的にではなく、心の奥底から、ああ、ほんとうにそうですと心の中に命として働くのは、聖霊なる神様の働きがあってはじめて言える事なのです。
教会というのは、こういった聖霊経験を持った人たちの集まりです。逆に、どれほど神学的に優れた知識を持っていたとしても、聖霊とはこういうものであると的確に解説できたとしても、その人が必ずしもクリスチャンなのではない。このヨハネ14:16~17にある助け主である聖霊が与えられていなければ、いかにに学問的を哲学的を極めたところで永遠の命を得ることはできません。イエス様の贖いを信じ、聖霊経験をしたときに初めて、驚くべき救いに目が開けるのです。
このことによって、全く変えられたのがペテロでした。捕まることを恐れて逃げ隠れしたペテロが聖霊に満たされたとき、もはや何ものをも恐れることなく、果敢に伝道説教をする者となりました。私たちもこのように在ることができるのです。
私たちと聖霊との関わり合いはどのようなものでしょうか。地球ゴマを例にしてお話したことがありますが、コマが安定的に回っていれば、私たちと聖霊の関係は緊密で良好です。しかし、もしすこしでも中心がずれますと、コマは安定を失います。よく回らなくなる。私たちも、神への愛、十字架、復活と福音の軸がしっかりと定まっているなら、私たちの信仰はいよいよ豊かになります。地球ゴマが力強く回っている例がローマ8:31~にあります。
31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
私たちが今どこに居て、どんな状況にあろうとも、もし私たちが、聖霊様と揺るぎない関係を持っているなら、聖霊様は、「わたしが一緒にいるよ」と、ある時は励まし、ある時は導いてくださる。そして弱い私たちのためにとりなしていて下さる。聖霊様は、私たちの心に、イエス様をズームアップしてくださいます。これが聖霊なる神様のおお働きです。私たちが弱さからズームバックし、イエスさまを小さく捉えてしまっているところに、聖霊様は、イエス様を大きく捉え直し、そこでぴたりと焦点を合わせてくださいます。イエス様は聖霊様をもう一人の御自身であるとお示し下さったことが頷かれます。このような御聖霊様に想いを致しながら、きょうの聖餐式に与りたく思うことです。
※この説教は、初めての方々のために簡略に編集させていただいております。またユダヤの三大まつりについても、プロジェクターを用いて詳しく解説が為されましたが、ここでは割愛しております。文責:中ぶんな
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