降ろうと照ろうと
大型連休も終わった。来客や帰省した息子たちの“世話役”に終始した一週間だった。帰省早早、次男がスポーツで足をねんざ、しかし一日で復活、きょう勤務地に帰っていった。長男は咳をしていたが、結局は当初の予定をみなこなして昨日帰っていった。やってきた姉一家、「向こうでいえば冬の気温かな」などと言いながら寒い岩手をそれなりに楽しんだようだ。
近頃は、パソコンに向かって何かを書こうとするときに、個人情報にあたるか否かに戸惑い、二の足を踏んだり書くことを止めてしまう事が多くなった。良かれと思って書いたことでも、字義通りに世間に受け容れられるかどうかはわからない。さして深い意味を持たずに使ったことばが、まったく逆に捉えられていたこともある。何よりも迷惑をかける事になってはと思ってしまう。加えて、第三者によって何をどのように情報化されるかもわからない時代になっている。では、書いても誰にも何処にも迷惑がかからず、支障を来さず、差し支えない事柄は何だろうと考える。そして書こうとする意欲が希薄になっている自分に気づくのだ。
お天気のはなしと、食べ物のはなしが無難だという方がいた。そうかもしれない。それにしてもこの5月の寒さは。きょう農家の方とすこしだけ話をした。この寒さで、田んぼに水を入れられないで困ったと仰っていた。野菜が高くなるという。ハウス内の作物だけは順調らしい。春の花もそこそこ、農耕にもすでに大きく影響しているこの天気。こうなると天気の話が無難かどうかも怪しくなってくる。
この寒さについてすこし検索してみると、「春の寒さ、北極圏の海氷の減少が原因か」があった。氷の減少は、気温の上昇につながるんじゃないの、こう思っていたのだが、どうもそう単純なことではないらしい。
「もし神なかりせばこの世は闇、その闇の深さはいかばかりであろうか」。そんなことばが心を過った。降ろうと照ろうと光はあるのだ。
※一枚目は最寄りの児童公園にある歌碑です。
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