きょうのことば 『アブラハムー築壇の生涯』
日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要旨をおつたえしています。きょうは、2013年3 月3 日の國光勝美牧師の礼拝説教です。
また、3日午後からは、2月28日に亡くなられました愛兄の告別式が執り行われました。自ら、ただ一人のキリスト者として、極力質素であることを選ばれた御遺言を尊重しての心打たれるお葬儀でした。
【聖書引証】創世記22:6~14
6 アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。
7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」
8 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。
9 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。
10 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。
11 そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」
12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。
14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。
【説教】
2月28日に安らかに天に召されました愛兄の前夜式、火葬をすでに執り行わせていただき、そして今日の午後の告別式を控えての礼拝となっております。
先週は、アブラハムから、信仰を全うするための「離別」ということを学びました。この朝は、アブラハムから、「築壇」を学びたく願っております。 アブラハムが、神を礼拝するために壇を築いた場面を聖書から引いてみましょう。
創世記12:7 そのころ、主がアブラムに現れ、そして、「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
創世記12:8 彼はそこからベテルの東にある山の方に移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のために、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。
創世記13:3、4 彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。
そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。
創世記13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。
創世記22:9 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。
このようにアブラハムの生涯は、今自分が置かれた状況や現実を受け止めながら、節目節目に壇を築き、神との関係を更新し、刷新しつづけた生涯でした。
このほど召されました愛兄も、この築壇の生涯を全うされた方でした。入院したときから、御自分の病状、そして、近く天に帰ることを把握されておりました。お見舞いに伺いました私に、教会の今年の御聖言であり、また愛兄が書として表わされたことのある「かしこに大路あり」(イザヤ35:8)を、創世記28章のヤコブのベテルでの経験を結びつけて説明くださったのでした。また愛兄はペヌエルの経験をお話くださいました。大きな壁の前に立ったときに、ヤコブがしたように本気で神様と相撲をとった。つまり、きょうのお話でいいますと、神様の前に壇を築いて、神様と1対1で向き合い、神様と自分との関係を整え、神様から自我に触れていただいた。それで、信仰の危機を乗り越えられたということです。いよいよ御自分がこの世を去るとき、愛兄は仰いました。
「私は天に帰った時に、イエス様から義の冠を頂戴したい、ただその一事です。それ以外のこの世の地位、名誉は塵芥にすぎない」
愛兄の信仰者としての真実なすがたに触れたときでした。また、葬儀の在り方については、ご自分で、極力質素であることを選ばれ、ご家族の御理解を得た上で、教会に託されました。
愛兄の信仰による葬儀が、私たちの信仰の壇を築くときとなりますように。私たちはこのときに、神の御前にもう一度壇を築き、信仰を整えさせていただきましょう。
文責:中ぶんな
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