ペチカ
ここのところよく冷え、よく雪がふる。きのうなどは盛岡バイパスも、わたしが通った区間のかぎりでは圧雪となっていた。真っ白な路の前方3か所の交差点の信号がみな赤となる。銀世界に火の球が浮かんでいる。
雪のふる昼ではなく、雪のふる夜の歌だけれども、『ペチカ』が思い出された。大正14年につくられた曲のようだ。ペチカは、日本では一般的にロシア式暖炉 を指していうらしい。
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔 昔よ 燃えろよペチカ
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ 表は寒い
くりやくりやと 呼びますペチカ
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
今にやなぎも もえましょペチカ
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ だれだか来ます
お客さまでしょ うれしいペチカ
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉ぱちぱち はねろよペチカ
作曲:山田耕筰
作詞:北原白秋
わが家には勿論ペチカはない。一般的なファンヒーターだ。居間がいちばんあたたかく居心地がいい。主人がパソコンを持ちこみ、帰省中の息子もパソコンを設置、さながら共同書斎のようなありさまとなっている。私までが持ち込むスペースはないのだが、私には書かねばならない緊急性はない。もっぱら取り片づけ方に専念。二男と私は書くときには自室にこもる。
火のあたたかさをさまざまに思いだす。子どもの頃、近所の方に連れられ、弟と共に岩手山の8合目に宿泊したことがある。夏だったがとても寒くて眠るどころではなかった。そんなときに、誰かがストーブに薪を燃やしてくれたのだ。みなで感謝しながら温もったことがある。温かい火の思い出は、多くが、肉親や他人の温かさとともに思いだされる。
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