きょうのことばー『天からの梯子』――第Ⅱアドベントー
日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会の講壇で語られる説教の要約をお伝えしています。きょうは2012年12月9日(日)國光勝美牧師による礼拝説教です。
【説教】
おはようございます。本格的な冬になりました。7日にはまた大きな地震がありましたが、皆さまは何処におられましたでしょうか。再び3・11の惨事が起こるかもしれないと思うと、胸に突き上げる悲しみ、疼きがあり、思わず涙ぐみました。沿岸の人たちは一刻もはやく逃げてくれと念じました。報道によると、まだまだ余震は起こり得るということです。また気を引き締めて対応しなければならないと思っております。
昨日から本格的な降雪、数時間かけて除雪しましたが、今朝見ますと、また積っており、雪かきをいたしました。これからが冬本番です。
きょうの御聖言(みことば)ですが、S兄が書いた多くの書の中に、篆書(てんしょ)で書いた一枚「かしこに 大路 あり』があります。篆書は隷書や楷書のもとになっている字体で、よく印章や碑銘に用いられています。この『かしこに 大路 あり』は、イザヤ35:8にあるおことばで、イザヤ書に記されているメシヤに関する預言のひとつです。S兄のお見舞いに行ったときに、これを揮毫するときの思い入れを伺うことができました。
創世記28:10~にはヤコブという人物が、お父さんをだまし祝福を先取りしてしまい、双子の兄弟エソウを裏切り、エソウに憎まれ命が危なくなり、逃れるために急遽お母さんの実家であるバダン・アラムへと旅をしたことが書かれています。ヤコブという人物は、歴とした神の祝福の血筋です。イエス・キリストの系図にもアブラハム、イサク、ヤコブとその名が記されております。ヤコブという人物は狡猾であり、どちらかといえば、あまり友だちにはしたくない、付合いたくないタイプです。それでもけっこう神の祝福を受けているところが鼻もちならないと感じる方もいらっしゃるでしょう。しかし神様は、そのような人物をも恵に加えてくださっています。
創世記28:20~22には、
20 それからヤコブは請願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、
21 無事に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられるなら、
22 石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る十分の一を必ずささげます。」
とありますが、これは、ヤコブという人物の性格がよくあらわれているところでもあります。
ここからが本題ですが、28:11~を見ますと
11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。
13 そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。
16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。
17 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
19 そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。
S兄は、書で、『路』を象形化すると、上る足と下る足が含まれていると仰います。ヤコブが見た、天と地をつなぐはしご、そこには神の使いたちが上り下りしている。S兄が書かれた『路』に含まれる上る足とは、神様への賛美を頭上に掲げて上っていく足であり、下る足とは、神様のみことば、祝福をいただいて下りてくる足のことです。「かしこに大路あり」とイザヤはいいました。まさに天と地を結ぶはしご、これは天と地を結ぶイエスさまの十字架のことであります。私たち汚れた者たちを救いに至らせ、神様に結びつけてくださる十字架のイエスさま。
イザヤ書の方には、贖われた者のみがこれを通ることができるとあります。このはしごは、地に立てられ、天に届き、そしてそのかたわらには主が立っておられる。インマヌエル、「神われらとともにいます」。これはまさしくクリスマスのできごとです。
主御自身が、天からこの地上に降りてきてくださった。そして、イエスさまは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)「わたしを信じるものは永遠のいのちを持つ」と仰って、そこに大路を敷いてくださった。あとは、私たちがこのクリスマスに、感謝と賛美を満たした器を神様にお捧げし、そして神様から、みことばと祝福をいただいて下ってくる。この上り下りが、あのイザヤの35:8と創世記28章に書かれていることなのです。
創世記28:16、ヤコブは眠りから醒めて、「まことに主がこの所におられる」とわかった。ほんとうに主はここのところに、私たちとともにおられるのです。
8 そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。9 そこには獅子もおらず、猛獣もそこにて来ず、そこで出会うこともない。ただ、贖われた者たちがそこを歩む。10 主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
※書に関して説明不十分な個所もございますが、実物をご覧になりたい方は、教会にお問い合わせください。文責:中ぶんな
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