きょうのことばー『天と地を繋ぐ道』――クリスマス聖日講壇ー
日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924
)の講壇で語られる説教の要約をお伝えしています。2012年12月23 日(日)の國光勝美牧師によるクリスマス講壇です。今回は録音の起こしではなく、聴きながら取ったメモをもとに書かせていただきます。
説教題『天と地を繋ぐ道』ークリスマス聖日講壇ー
聖書引証 イザヤ35:8~10
8そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。
9 そこには獅子もおらず、猛獣もそこに上って来ず、そこで出会うこともない。ただ、贖われた者たちがそこを歩む。
10 主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
きょうは『天と地を繋ぐ道』が、三つの角度から解き明かされました。
1、天から始まった道
詩篇40:7,8 には次のようにあります
そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
この部分は、聖書学者によると、天における神さまの話しあい、やりとりの場面を、私たちに少しだけ垣間見させてくださった場面であるといわれている。神さまは、父なる神と子なるキリストと聖霊なる神さまがひとつである三位一体であるが、詩篇40:7,8はこの三位一体の神さまのやりとりです。
神に似せて造られ、神の喜びであった人間が、罪の中に滅んでいることを、父なる神は憐れみ、救いたく思っておられることが、聖書には始めから記されている。その父なる神が、救いのために何をしなければならないか。それは、罪を犯さない方が人間の罪を身代わりとして一身に引き受けることでした。イエスさまが詩篇40:8で、仰っているのです。「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります」
天と地を結ぶ御計画は、先ずこの詩篇40:8から始まっています。人間の側から天に繋ぐ道をつくることはできない、人間の側からは届き得ないのです。イエスさまが地上に来るという〝着工〟がなければ、天に繋がる道はできませんでした。
2、贖いの道
イザヤ35:8に、「そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない」
この道は、贖いの道であります。これは2000年よりすこし前に着工されました。暦はイエスの誕生を紀元元年としてできております。では、その道を、天から地上のどこに作られたのか。それはベツレヘムのナザレでした。作られるその目的は、私たちを罪と死から解放してくださるためでした。
私は11月に母を天に送りました。このとき、母がこの道を歩んでくれたことに感謝し、不思議に心が満たされ、喜びと感謝が湧きあがりました。これほどの確信を与えてくれた道は、何からできているのか。
ノアの方舟はコールタールで塗り固められていました。コールタールは「贖い」おいう意味に通じるといいます。ノアは「贖い」により、滅びの水から護られました。天地を繋ぐ施工資材は、イエスさまの十字架の血潮です。イエスさまの贖いは、ゴルゴダの十字架の道にまで通じています。私たちにこのような道をつくってくださった。イエスさまは仰る、「わたしが道であり、真理であり、命なのです」。このように大胆に仰るのは、御自身がこの道を十字架によって完成された。これは十字架の上で成就した天から架けられた梯子です。「成就した」とは、十字架の道が完成したという意味です。
3、 迷うことのない道
イザヤ35:8「旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない」
「迷い込むことはない」は、別訳で「迷うことはない」です。迷うことはない、これには、高速道のゲートが思い出されます。然るべき手続きをし、通行券を手にすれば、バーが開いて入ることができる。この通行券が信仰です。本来人は、罪に汚れて、この道を歩む資格のない者です。きちんと自分の罪を悔い改め、十字架は私の罪の身代わりであると信じるとき、バーは開きます。御子イエス・キリストの血が、通行許可証なのです。私たちはイエスさまが備えてくださった道を、有難うございますと入っていくときに、神さまは、「ウェルカム!」、よく来ましたね!と喜んで迎えてくださいます。
天国への道は、故郷に通じる道です。贖われた者たちが還ってくる道です。「われらの国籍は天にあり」。ほんとうの私たちの心の故郷、帰るべき道、それは、この神さまが備えてくださった道以外にはない。2000年前に、この道が備えられていたとは、何と感謝なことでしょう。このできごとが、ルカ伝2章1~20にあるイエスさまの御誕生であります。
亡くなった母のことで、盛岡と松本の間を往復しましたとき、道路わきに三角表示板を置いて停止している車を数台見かけました。エンジンか足回りにか何らかのトラブルがあったのか、或いはガス欠でしょうか。点検や給油を怠れば、車は不具合を生じます。クリスチャンもそうです。クリスチャンも、聖書を読んでおことばに触れること、お捧げすること、集会出席に励むことを欠かしますと、せっかく通行券を手にしていても、三角表示板を出すことになりかねません。どうぞ聖書によく親しみ、整備、点検、給油をきちんとして、神さまが備えた天国への道を豊かに歩んでまいりましょう。
※聴き落とし、或いは、誤筆記がある場合もございますが、お気づきのときには御指摘ください。文責:中ぶんな
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