きょうのことばー『暗闇を照らすまことの光』――Ⅰアドベントー
日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会の講壇で語られる説教の要約をお伝えしています。きょうは2012年12月2日(日)國光勝美牧師による礼拝説教で、この日は他出しておりましたが、CDをお借りできました。
説教題 『暗闇を照らすまことの光』
―Ⅰアドベントー
聖書引証 ヨハネ1:1~13
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
6 神から遣わされたヨハネという人が現れた。
7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
【説教】
すでにご存じの通り、長野県の松本におります牧師の母が11月27日(火)やすらかに天に召されました。葬儀に際しまして、皆さま方からのお祈りと心遣いを頂戴しまして、心から感謝を申し上げます。有難うございました。松本のホーリネス教会をお借りして執り行われました葬儀に関しましては、後ほど例会で御報告申し上げます。
きょうはアドベントの第一週でありますが、このたびの母の死という個人的な体験を通しまして、「すべての人を照らすそのまことの光」であられるイエスさまをお証しするのもまた相応しいことではないかと思っております。
私は昭和22年生まれですが、初めて死を意識したのは、近所の年上の子どもたちと日が暮れるまで外で遊んでいた頃です。子どもたちが簡単に「死んじゃえ」という意味がわかりませんでした。家に入って母に訊くと、「そんなこと、子どもは考えなくていいの」と言われ、いよいよ判らなくなりました。そんなとき、近所の1つ年上のひできくんが亡くなりました。ひできくんの母親は、感染症を恐れて、ひできくんには決して生水を飲ませない程注意していたにも関わらず、ひできくんは病気で亡くなりました。これが死というものなのかと思いました。それから間もなく祖父が亡くなりました。私の家は理髪店でしたので、1、2か月に1度は、娘である母のところに散髪に来たものです。私はその祭壇の前で子どもたちと相撲を取ってあそんだ記憶があります。大人たちが、「孫たちがこんなに元気で賑やかにしていればおじいちゃんも喜ぶ」と、咎められることもありませんでした。
決定的に死に直面したのは小6になろうという春、一緒に暮らしていたとおる兄ちゃんの死でした。私をとても可愛がってくれた人です。本当は叔父にあたるのですが、私と歳が近かったので、とおる兄ちゃんと呼んでいました。薬物で命を絶ったのです。その数カ月前から、私に記念となるようなものを作ってくれたり、古いアルバムを持ち出しては、夜遅くまで、あのときはこうだった、このときはこうだった、などと話していました。私は蒲団の中で相槌を打っていたのですが、いつの間にか眠ってしまっていました。それが松本の病院に運ばれることになろうとは。両親は、助かるかもしれないと付き添いました。私は姉と必死に仏壇や神棚でどうか助かるようにと祈りました。しかしついに3月29日に亡くなりました。
勝美は可愛がってもらったからと傍に行かせてもらい、とおる兄ちゃんに指で触りました.私は、自分はもう2度と笑うことはないだろうと思いました。担任が家庭訪問に来ました。私がぼうっとして窓の外を見ているのだが、何だかようすが変だと両親に伝えたようでした。とおる兄ちゃんが死んだ時から、私の心の中にどす黒い炎があり、いつまで経っても消えません。外から帰ってひとりになると、なにも苦しんで生きてることはない、薬を飲めば死ねるじゃないか。「なあに」「どうせ」が心の中で私の口癖になりました。実際それは死への甘やかな誘いでした。
同じ心境で中、高時代を過ごし、大学時代を過ごしていたところ、4年のときに、イエス・キリストを信じました。これが救いというものかと喜びを実感していたときに、はっと気づいてみると、あの黒い炎が心の中から消えていることに気づきました。この黒い炎を消すために信仰をもったのではありません。結果的にそれが消えていたのでした。
毎年3月に教団の年会が東京でありますので、そこから松本に足を延ばしては、とおる兄ちゃんのお墓参りをしています。とおる兄ちゃんの死を無駄にはできない。牧師になってからは一層その思いが募りました。
私が20歳になったとき、両親が私にとおる兄ちゃんが便せんに鉛筆書きした遺書を見せてくれました。そこには、「おれの人生は八方塞がりだ」と書かれていました。
とおる兄ちゃんは、中学生の頃か、何度かキリスト教会に行ったことがあったようです。路傍伝道のチラシや聖書を家に持って帰り、見せたところ、おじいちゃんが「そんなヤソ教に行ってはならん」と止めたのです。私は、もし彼がイエスさまを信じていたなら死なずに済んだかもしれないと残念でなりません。私は、とおる兄ちゃんのように苦しんでいるひとに福音をお伝えしたい。それがとおる兄ちゃんの死を無駄にしないことだと思っています。
そしてまた、今回、親の死を経験しました。寂しさはあっても、悲しみはありませんでした。ただ母は天に移されたのです。良かったという晴れやかな思いを持っています。ヨハネ伝に「すべての人を照らすそのまことの光」なるお方が世に来たとありますが、人生の暗闇は、罪、病気などさまざまですが、最大の暗闇は死です。それをどのように迎えるかなのです。
イエス・キリストは、わたしの罪を背負って十字架に架かり、神の呪を受け、死というものを余すところなく経験され、よみがえってくださいました。そして、イエスさまは、「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」「わたしを信じる者は死んでも生きる」と仰るのです。御自分がよみがえったことを弟子たちに証しし、そして、その弟子たちが、キリストの福音はよくできた作り話ではないのだと証ししています。
罪を赦し、永遠の命、栄光の望みを与え、暗闇を照らすまことの光であるイエス・キリストがこの世に来てくださった、これがクリスマスのできごとであります。これをしっかりと捉えて、この地上生涯をともに歩ませていただきましょう。
※文責:中ぶんな
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