誕生日
きょうの関連で思い出すのは、亡き舅の誕生日。
80歳を過ぎたあたりだったろうか、朝の食卓でみなが「おめでとう」と声をかけていたときにこう言った。
「きょうは爺さんの誕生日だから、爺さんがみんなのために何かをする日だ」
私は、誕生日にはやはり何があるかと楽しみにしているだろうと、ささやかながら準備をしていたのだが、舅はどうも逆を考えていたらしい。舅は、平たくいうと身銭を切って、ちょっとした買い物を私に頼んだのだった。
ふつううなら、自分がこの日に何かをしてもらえるはずだと、またそうまで思わないとしても、何かいいことはないかなと思ってもみるだろう。ところがその逆バージョン。 この発想には感心したものだった。
さて、クリスマスはイエス・キリストの誕生日。
もしキリストが、この地上で多くの物を手に入れようとするなら、今でいうなら中東あたりの石油王の邸にでも生まれただろう。しかしキリストはナザレの馬小屋に生まれた。キリストは十字架に架けられ死ぬために来たという。それを信じる者には天国への“パスポート”を与えるのだという。イエス・キリストの誕生は、そのはじめから、人を救うため己が身を切って生まれきた、そういう誕生であったのだ。
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