齊藤直次さんの旧満州「吉林における終戦体験 その2
吉林を占領した国府軍は、八路軍の反攻を極度に恐れ、吉林を取り囲む山や河や野などいたる所にトーチカ陣地や砲台の建設を始めました。人夫は勿論日本人の使役です。いちばん辛いのは山上の陣地構築で、重い砂やセメント、砂利、それに水をt運ぶのに大変な苦労を重ねました。
トーチカ陣地の構築に並行して、八路軍に破壊された松花江の鉄橋の修復工事が日本人に下命されました。八路を進撃するためには、この鉄橋の修復は絶対に必要なのです。6月鉄橋工事が開始され、私も陸軍兵舎の生田、今村家族に別れを告げて、厚生会館の塾に戻り、松花江の工事現場に向かいました。
鉄橋工事は3工区に分かれ、満鉄グループ、市内一般グループ、対岸の化学工場グループがそれぞれ工区を受け持ちました。応急処置ですから、材木のピーヤを何本も打って枕木を並べるわけですが、私らはいわゆる土方で、ヨイトマケの綱引きを昼夜兼業でやりました。河岸に引き込まれた貨車の中が宿泊場です。満鉄組は私ら若者を中心に200名が動員されました。日本人が大勢でエカ(クーリー・土方)をやっているというので、中国人が次つぎと見物に来ました。それを当て込んで物売りが声をはりあげ、賑やかな盛り場に一変しました。
やがて、新京から持ち帰った鉄道局幹部の情報によると、吉林日本人の帰還事務開始近しとの朗報に、工事現場の一同は雀躍して喜びあいました。この工事が終われば、日本に帰れるという大きな期待が確実になりつつあるので、夜を日につぐ突貫工事も順調に進捗し、予定通り試運転を迎えたのが7月3日のことでした。
その日の喜びは二重でした。苦労したかいのあった鉄道の貫通と、内地引き揚げがほぼ現実となったことです。河原の炊事場では、当番がこの日の為に取っておいた白米のおにぎりと、豚肉の御馳走を準備しています。もう夕方に近かったのですが、国府軍の偉い将校も列席し、私たちは茶飲み茶碗にパイチュウをなみなみと注いで、今や遅しと、試運転機関車の通過を見上げておりました。めでたく試運転を終えて、すばらしい美酒の乾杯をと考えた塾長の粋なはからいだったのです。
やがて蒸気をふかしながら待機していた機関車の先頭に赤と青の手旗をもった操車員が乗り、その脇に日本人の工務区長が現場責任者として乗りました。機関士も助手も中国人です。ひときわ高い汽笛を鳴らして試運転車は静かに動き始め、満鉄班の工区を通りました。メリメリメリ…と枕木がきしむような音がしましたが、そばにいた工務区線路班の男が、木のピーヤだからああいうめり込む音がするのだと云ったので、少し安心しました。しかし、悲劇はその直後にやってきたのです。
満鉄工区を過ぎ、市内班工区にさしかかったとたん、機関車は轟音と共にまっさかさまに水の中に落ち込んでしまいました。 -つづくー
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