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きょうのことばー『主イエスに従う生涯』―ヨハネ伝連講(125)-

 日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会の講壇で語られる説教の要約をお伝えしていますが、ブログ筆者が日曜日にかけて他出したことと、帰宅後ネット接続の不具合を生じたことで、掲載しかねました。大変遅れましたが、きょうは20121125日(日)國光勝美牧師による礼拝説教を書かせていただきます。

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 11月には國光勝美牧師のお母様が、牧師ご夫妻と御親族に見守られながら天に召されました。天にある更なる祝福を心からお祈り申し上げます。

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説教題『主イエスに従う生涯』―ヨハネ伝連講(125)-

聖書引証 ヨハネ伝212025

20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。
21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
23 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである。
24 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

【説教】

 クリスマス節季を迎えようとしております。きょうで一先ずヨハネ伝の連講を締めくくらせていただこうと思っております。

 前回では、信仰生活というのは、主イエスさまから「わたしに従いなさい」というお声をかけられたなら、生涯このお方に従って歩んでいくことであるとお話ししました。きょうは、このおことばをまた別な角度からお話しします。

ヨハネ211819には次のようにあります。

18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

 ここにはペテロの殉教が予言されています。ペテロが最後にどのような死をもって神の栄光をあらわすことになるかをイエスさまは御存じのうえで「あなたはわたしに従いなさい。」と仰ったのです。ところが、ペテロはそれに対して、イエスの愛された弟子、即ちヨハネを指して、ではあの人はいったいどういう死に方をするのですかとイエスさまに訊いたのです。イエスさまの弟子の中で、誰がいちばん偉いのか、自分はいったい何番目なのか、自分が筆頭格であると思うものの、どうもヨハネの方がイエスに近しくあるようだなどと、ペテロにとってヨハネはいつでも気になる存在でした。ペテロの気持ちをよく理解しておられるイエスさまは、22節でお答えになりました。

「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

 信仰生活を送りますとき、案外このような課題にぶつかってしまいます。聖宣神学院に深く関わりながら神様に仕えておられたK先生でさえ、同じところに共に労するI先生の働きの素晴らしさに、ちょうどペテロのような想いに陥ったといいます。神様の光が強い環境にいるだけに、一層追い詰められていく自分を感じていた。そんなときに、K先生は高熱に冒されました。医師が「危ないから会わせたい人たちを呼んでください」と言いました。駆けつけたK先生の母親Y姉が言いました。「K子、神様の前に悔い改めることがあったら悔い改めて天国に備えなさい」。高熱に冒されると体質が変わるといいますが、命を取り留めてからは、以前にあった健康的な課題やI先生に対する感情的な課題がなくなり、体力的、霊的に強められ、全く新しくなった自分を実感したそうです。

 信仰生活にサタンが持ち込むいちばんの罠は、「あのひとはどうなのか」という思惑です。しかしイエスさまは、「あの人がどうとかこうとかいうのは、あなたにとって何の関係があるのか、あなたはわたしに従いなさい」と仰る。こういったさまざまな思惑は、信仰生活を全うするうえで、神様からあつかわれなければならない大きな要素です。その角度からみますと、イエスさまのペテロとヨハネのあつかいは実に的確です。

 また、「わたしに従いなさい」というのは、無批判で無責任な盲従を強いているのではありません。服従しないと必ず悪いことが起きるなどといって人に恐怖心を与えようとするものでもありません。私たちが神様に従う、イエスさまに従うというのは、喜んで仕え従うことです。Sご夫妻がよい例です。S兄弟はいま人生の締めくくりを意識され、信仰生涯の締めくくりを的確に見据えておられます。訪問するたびに、むしろこちらが恵をいただき励まされました。

 S夫妻は真剣に聖書に向き合われるがゆえに、またホーリネスを求め続けて幾つかの教会を経て、最後にこの教会を選ばれ来会されました。ちょうどS夫妻が訪ねてこられたとき、この教会は会堂問題に直面していました。会堂が手狭になり、どうしても新たに獲得しなければなりませんでした。私は率直に、いまこの教会にいらっしゃいますと、皆さま方と共にこの重荷を負っていただくことになると申し上げました。するとS夫妻は仰いました。「私たちはイエスさまに献身して信仰生活を始めた者です。こんな光栄なことはありません。喜んでそれに加わらせていただきます」。これがS夫妻の選択でした。盲従ではありません。何が、どのような選択がイエスさまに喜ばれるのか、それが選択の基準だったのです。S兄弟は病床で、あの時の選択を、「私たちにとって、生涯の大きな喜びでした」と振り返っておられました。

 第一ペテロ221
21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

 このようにあります。「従いなさい」というとき、これはイエスさまの十字架への足跡をたどることなのです。その十字架の先には、復活と栄光があります。イエスさまと一緒に十字架を負ってはじめて、復活と栄光という勝利があります。

 またこの十字架を負って歩む中にも、たとえリーダーであっても、完璧な人間はいません。神は完全です。しかしどんなに優れていようとも、完全な人間はいません。その欠けたるところを互いに補いあい、支えあいましょう。初代のリーダー蔦田二雄師を補佐する方々が周りにおりました。Y姉妹もそのひとりでした。Y姉妹は、蔦田師が苦境のときにも、聖書が説くように、油注がれた者、即ち聖職者には敬意と尊敬をもって仕えました。そのあり方に、私は、多くを教えられたものです。

 私も、果たしてどれだけのものを持って、この講壇に立っているだろうかと、自らに問いなおすことがあります。私には、この講壇で、教会に集っているこれだけの方々がゴールのテープを切るまでお導きする責任があります。どうか牧師の為に祈っていただきたい。このような者が、尊い神様の、キリストの体である教会をマネージメントし、聖言を取りつぐ立場にあるのです。皆さまに忍んでいただいて、そして祈りをもって助けていただきたい。

 イエスさまに従うということは、結局、キリストの体である教会に喜んでお仕えすることにつながっていく。そのような働き人であらせていただきたい、祈っていただきたい。ヨハネ伝連講を締め括ろうとするとき、きょう掲げました引証聖句に眼が留まり、またS兄姉方にそのありようを大きく教えられたことは、まことに相応しいことであると心から思うことであります。

 信仰生涯、これは始めから終りまで、主に従っていく生涯であるということ、そしてそれは決して、「主よ、このひとは如何に」というようなことではなく、飽くまでイエスさまを見上げて、イエスさまに従っていくことであり、そして、それはまた、キリストの体である教会を愛し建て上げるために自分はいったい何を為すべきかを、心から謙って、そこに身をあてはめていく、そのことに尽きると教えられたことであります。私自身も、まだ十分にこれを咀嚼しきれていないかもしれません。しかし、大切な真理を共にさせていただいたことであります。

※文責:中ぶんな

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