きょうのことば 『永遠のいのちなる主』-召天者記念礼拝ー
日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要約をお伝えしています。きょうは2012年11月11日の國光勝美牧師の説教です。この日は、召天者記念礼拝であり、この教会で天に召された方々を紹介、特に、ことし亡くなられたY姉の紹介が多くなされました。
説教題: 『永遠のいのちなる主』-召天者記念礼拝ー
引照聖句:ヨハネ伝6:48
47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
【説教】
これはイエスさまの力強いおことばです。この中で特に「永遠のいのち」に心を向けましょう。
私たちが命というときには、ふつう自然的な命をさします。ところが聖書によると、いのちには、ビオス(bios)とゾーエー(zoe)の二通りがつかわれています。ビオスとは、いわば生物学的ないのちのことです。バイオ(bio)は、これに由来します。ビオスは自然の命であり、肉体的な死を迎えて終わります。寿命がある命です。ゾーエーは人格的な、霊的ないのちのことです。「ゾーエー」は、創世記にあるように、神様が地の塵をもって、ご自身のかたちに似せてお造りになり、いのちの息を吹き込まれたいのちのことです。
例を申しますと、個人的なことになりますが、私は1947年3月1日生まれです。これがというビオスといういのちです。そして私は1968年11月16日にイエス様を信じ、永遠のいのちを持つものとなりましたが、この神との関わりにおいて回復されたいのちがゾーエーです。
実は神様と無関係な生き方をしていて、聖書の厳しい表現でいうなら、神に敵対した生き方をしてきていた。この神から離れる理由の源である罪が、まことの命の根源である神の命とに断絶をもたらしています。神は何とか人間が罪から救われて命を回復させたいとイエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。このお方は人間と同じすがたで地上で罪のない生活を送ってくださいました。そして罪のないお方は、死ななくてもよかったのですが、私たちの罪を一身に背負って、私たちに代わって罰せられ、十字架のうえで死んでくださったのです。これを、「ありがとうございます」と信じることです。
ただいま故人を偲びましたが、このお一人お一人が、イエス・キリストの十字架は私の罪の身代わりであると信じ受け入れた方々でした。イエス・キリストを信じ永遠のいのちを信じるのは、なかなか難しいことです。信仰を持つということは、異常行動をとることではありません。正しく聖書に立脚した信仰は、そのようなイメージとは違います。ではイエスさまを信じるとは、一体どういうことなのでしょうか。
海外から来たある青年が、レスキューの指導教官になるための訓練の話しをしてくれました。後ろに必ず支える人がいると信じて、後ろに倒れる訓練です。これはなかなか勇気が要ります。そして訓練のクライマックスでは断崖のぎりぎりまで眼を閉じてそのまま後ろに倒れさせます。だいじょうぶ必ず支えるからと。これが信仰です。イエスさまが必ず救ってくださると信じることです。神様は決して意地悪なお方ではありません。倒れてくるぎりぎりまで手を出さず放っておくお方ではありません。「信じます」と決断したときには、神様の方から近寄ってきて支えてくださる。これが私たちが罪を悔い改めてイエスさまを信じるということです。そして罪の赦しをいただく。これをしていたのがクリスチャンなのです。
信仰というのは、このお方にすべてを委ねて、罪を悔い改めイエスさまを信じ、この永遠のすばらしい命を持つことなのです。「永遠のいのちを持ちます」とありますが、この「持ちます」には、英語で「has」と現在形が使われています。ですから、これは、「持つでしょう」という意味ではありません。「永遠のいのちを持つ」という神様の宣言です。これがtあるから、私たちは確信を持って生き、死に向かって大跳躍できます。天の御国へと跳躍する日が来ます。棒高跳びの選手のように、ポールにすべてをかけて跳ぶ。そのポールは、良い行いではありません。まじめさは尊いものですが、それも天に届く基準にはなりません。でもありません。それは神様が備えてくださっています。
47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
天の御国に至る道はイエスさまご自身であること、この朝、これをしっかりと私たちの心の中に留めさせていただきたいと思うのであります。
※文責:中ぶんな
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