きょうのことばー八王子教会協力牧師 江藤博久先生の証しー
日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要約を、1週間遅れでお伝えしています。2012年11月4 日は八王子教会協力牧師江藤博久先生の説教です。
尚、先生の説教は100分に及びましたので、きょうは先生が前置きとして話された部分のみを掲載いたします。
【証し】
わたしが、信仰をもって救われたの47歳、洗礼を受けたのは49歳でした。クリスチャンになるまでは兎に角精力的に仕事をこなし、退社後は無茶苦茶な事をやっていました。伊藤忠商事の伊藤忠兵衛さんとは、仕事上で親しかったのですが、晩年、熱海で隠棲生活しておられるところに訪ねますと、ドクターストップにも関わらずタバコを吸っておいででした。忠兵衛さんのような大実業家でも、タバコには勝てないのだ、自分もタバコを止めるのは諦めようなどと思いながらビジネスマンをやっておりました。昼間は、仕事を疎かにする男じゃない、と非常に激しい競争の中で猛烈に仕事をし、後は、英雄色を好む、法律に触れなければいいだろうといった有様。そんな男が、まさにクリスチャンになったわけです。光と闇の劇的変化。聖書のみことばとの出会いです。クリスチャンになってから、さまざまな悪習慣はスッパリとなくなり、どうしてああいう状態だったのかなと思わせられます。自分の身の上に起こったことからも、みことばは真理であり、御子イエスさまの業はすごいなと心から思っております。きょうはこのように盛岡の講壇のご奉仕を与えられ感謝しております。有難うございます。
私は中学校から受験勉強、そして会社に入ってからも競争に明け暮れていました。定年退職まで国内外で営業を40年間やりました。機関投資家という大企業相手の、或いはシンガポールでは政府相手の仕事でした。シンガポールでは政府の委員会の議長を任せられ、英語のキャッチングに苦労したこともあります。とにかく昼はバリバリとハードに働いて、夜はソフトにとバランスを取っていました。国内では単身赴任でした。九州の博多ではどっぷりと罪の世界に浸かっていました。
孔子の論語に「三十にして立つ。四十 にして惑わず」とあります。ま、30か40になったら大丈夫だろう。昼は給料もらってるからしっかりと働いて、夜は、法律に触れるようなことがなければ大目に見てもらおう、そう思っていました。ところが40になってもおかしい。惑いが無くなるどころか、心の中から邪悪な思いがこみ上げてくる。まさにガラテヤ書に書いてある罪の世界の実でした。
そんな世界にどっぷりと浸かっていた私も、さすがに、もう邪悪な思い、不品行などに耐えられないと思った。しかし孔子にも仏教にも救いはないなと思いました。
私が無茶苦茶なことをするものですから、妻は苦しんでいました。妻に「教会へ行きたい」と言われたとき、私には負い目がありますから、「憲法に信教の自由があるから、どうぞ」と賛成しました。しかし「洗礼を受ける」と言われたときには、「ちょっと待ってくれ」と言いました。そして聖書を必死で読みました。それまでは妻を支配し圧迫していたわけですが、その妻が別な世界に行ってしまう。
とにかく聖書を読みました。そのときにぶつかったのがロマ5:5でした。
5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
心は悩んでいましたから、みことばが瞬間的にぐさっと突き刺さりました。神の愛が注がれているから、邪悪な心がきよめられて出てこないのだと瞬時に悟りました。そのあとも紆余曲折はあり、抵抗もありましたが、私は妻に、1週間後には洗礼を受けると言いました。聖書というのは本当にすごいものです。
クリスチャンになる前、よく私を励ましてくれたのは、石川啄木と宮沢賢治、このふたりの詩人でした。海外駐在が特に長かったのはアメリカです。強烈なビジネスの競争の中で逆境に陥ったとき、「ふるさとの山に向かいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」、「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」、「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ …」等など。母をふるさとを想わせるやさしく素朴なこれらの詩が私を励まし慰めてくれていた。ですから私は関西人ですが、盛岡は心のふるさとです。盛岡には感謝しています。そして今は、聖書が私の慰めであり励ましとなっています。
昨日、國光先生に、盛岡地方裁判所にある石割桜に案内していただきました。アメリカ駐在のときにも、イエローストーン国立公園、グランド・キャニオン、ナイアガラといった雄大な景色を見たことはありますが、生命力という点で、あんなすごい石割を見たことはありません。小さな種があれほどに大きな岩を割って成長し生きている。
エゼキエル書には、ともかく心の中からすべての罪を放り出して生きぬきなさいといったことが書かれています。被造物である人間に対する神さまの励ましの、神さまの愛の書です。そのおもいが、あの石割に現れている。桜が石をたち割る力。割るには気の遠くなるような年月と努力が要ります。これからの東北の復興にとって、あの石割桜は東北の心の宝物でしょう。私たちはクリスチャンだから希望がありますが、日本も、これから経済、社会とあらゆる意味で困難な時代を迎えます。その中であの石のシンボルは超国宝級、実際に神さまの愛と力をとても感じました。有難うございました。
3・11のときには、東北の方々は停電などで情報が遅れたようですが、八王子では揺れながら、点けっぱなしのテレビで、押し寄せる津波や湾が火の海になるなど被災の惨状を見ておりました。親戚が福島県の南相馬で、何もかも流され、2人亡くなりました。半年後だったでしょうか、見舞いに行く途中、飯舘村とかあるスーパーなども無人、ゴーストタウンになっていました。これは神さまにしか復旧、復興はできないだろうと思いました。荒涼たるありさま、全滅したソドム、ゴモラを思い出しました。
教会でも心からの支援を送りました。家族旅行に積み立てていたものを差し出した方もあります。子どもも大人も心から進んで捧げ、差し出す方も大変恵まれました。今後も続くでしょう。祈りと信仰の深さが、支援を続けられるいちばんの秘訣です。
―つづくー
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