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2012年11月

喜ぶ人

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 きょうの午後、あるクリスチャンの方のお見舞いに伺った。病状は重いと聞いていた。病室に入り、この方がどのようになられているか、お会いするのがすこしこわいところもあった。もし極端にやつれていたりしたらどうしよう、内心そんな場合も想定していた。
 ところがお会いしてみると、私の予測とはだいぶ違っていた。たしかに幾分痩せたように見受けられる。しかし、これまで私が知っているさまざまな場面のうちで、最も清々しく、品位を自然に保たれている。よく夢を見ると仰った。それがヤコブに天の梯子がおりてきたという聖書の中の場面なのだ。それを話されるときの嬉しくてならないという表情が強く印象に残った。ホーリネスの辿りつくところがここにあ
る。その証明の一つのすがたが。感情的な喜びというよりも、確かにこの方の内的な核心部分から湧き出ている喜びだとわかる。神がこの方の魂を喜んでおられる、そう思った。

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眼の休日

 

右目だけだが、パソコンの明るさに参ってしまった。それでサングラスを、あまり好きではないけれども、パソコンをする時には使うことにした。またまだ深刻というほどではなく、手術で治ることは分かっている。

 一応、休息を設けながら与えられている視力を保たせたいと思う。それできょうはお休みです。

 こんど、いわての文芸誌「天気図」 の原稿の中に、書きこめなかった齊藤直次さまの爆破された吉林の鉄橋の工事の記録など書いておくべきことが残っておりますが、恐縮ですが、もうすこしお休みをいただいてから、このブログに掲載いたします。

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松見ヴァイオリン教室の発表会

 きょうは午後から雨。いまも降っているらしい。 

 またまた松見ヴァイオリン教室の発表会のプログラムを見ていた。今回は年中から中2の方々が発表している。実際には中3、高校生の方々もいらっしゃるのだが、受験の関係などでステージには立っていないだけのこと。子どもたちが弾くヴァイオリンの音、すりガラスの向こうに見える光のようであったり、石が回転するうちに、どこかの穴から光がきらりと放たれたり、もうこれで大方は研磨されたのではないかと思われる石であったり。そんなことが楽しくて、ついつい聴きとおしてしまった発表会だった。こんな弦の音もいいなと思う。

 オートバイが駆け抜けていく。さっきまで落ちていた滴の音が止み、吹きわたる風の音がして、それも消えたところで、また降りだした雨。

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きょうのことばー八王子教会協力牧師夫人 江藤恵子先生のお証しー

 日曜日は、いつもインマヌエル盛岡キリスト教会の講壇の説教を1週間遅れでお伝えしています。11月18日は『魂の解放宣言』ー世界宣教強調聖日ーと題し、インマヌエル綜合伝道団制作のCDで、宣教地からの報告を視聴しましたので、盛岡の主牧からのいつものようなメッセージの時間はありませんでした。そこで今回は11月4日に盛岡に来られた江藤恵子先生のお証しの要約をお伝えします。

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  私は小5まで福島県の南相馬におりました。震災後たずねまして、声もでませんでした。その時に教えられたことが一つあります。防風林の松林が根こそぎ津波に流されたあと、平原のところどころに笹が残っていました。笹の根は深くのび、強靭で、庭などにはびこったときには取り除くのが容易ではありません。キリストに根を張るというのは、こういうことなのだと思わせられました。私は46歳のときに、この方に根を張っていけば大丈夫だと確信したのです。

 イエスさまに出会って24年過ぎました。シンガポールにいたときにイエスさまに出会い、思ったことが2つありました。一つは、このお方を、身近な大切な人々に伝えたい、教えてあげたい、知らせてあげたい、紹介したいと思いました。主人に、母に、子どもに、友人、知人に。
 洗礼を受けて間もない方と一緒に、「イエスさまってすばらしいのよね」 と語り合い、テープを聴いたり賛美をしているうちに、一人、また一人とクリスチャンではない方々が来るようになり、その方々も信じるようになりました。聖書に精通していたわけでなく、聖書が大好きで、イエスさまが大好きだという私たちでした。二つ目は、人生を180度変えてくださったこのお方を、もっともっと深く知りたいと思うようになりました。よく主人が、「君は僕なんかいなくてもキリストさえいればいいんじゃないのか」と言ったものです。

 イエスさまを知るごとに、夫婦、親、子ども、友人、知人、そして私自身と私との関係が変化してくるのがわかりました。イザヤ9:6に
6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
 とある「平和の君」であるイエスさまが、私の人生に来てくださいました。

 実は、私自身と私が平和ではなかった。自分と仲が良くなかった。セルフイメージ即ち自己像が低かった。劣等感が強く、自分に自信がなく、隣の芝生がいつも美しく、他者と自分を比較してまた自信をなくしてしまう。その繰り返しでした。自分の思っていることを言い表わすのが苦手で、何でも心の深くにしまいこみ蓋をしておく。しかしそんな自分は嫌いで、いつも人に愛されたい、認められたいと強く思っていました。そして自分はだめだという思いが、いつしか自分の心に穴をつくっていきました。自分を大切にしなければしないほど、その穴はだんだん大きくなっていきました。そんな私が、平和の君であるイエスさまに出会ったのです。

 キリストに出会うことは、今まで知らなかった自分自身と出会うことでもあります。私のそれまでの46年は、道として眺めると、随分疵つき、傷み、陥没しているところもありました。そして修理不可能だと思われるところも多く、どこから手をつけたらいいかわからないほどでした。
 しかし平和の君のことばは、ほんとうに真実で優しかったのです。
「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」
愛する子よ「わたしはあなたを愛している。わたしはもうあなたの罪を思い出さない」
愛する子よ「わたしを信じなさい」
愛する子よ「わたしは世の終わりまであなたとともにいます。」
「インマヌエル」(主はわれらとともにいます。)

 などなど、イエスさまの数えきれないほどの愛のことばが、私に、朝に、昼に、夕に語られました。f

 ある日、ほんとうに、あーと思って自分の歩んできた道を振り返ってみたとき、傷んでいたところがきれいに治っているところもありました。すこし残っているところもあります。まだまだ修理中というところもありました。けれども、眺めてみると、けっこう味わいのある、ちょっと素敵な道になっています。そして改めて気づきました。いつの間にか、あんなに仲の悪かった自分と私が仲良くなっていることを。こうなるまでに長い年月がかかりました。

 私が主を愛して、イエスさまが私を愛してくださった眼差しのように自分を見つめること。これはもう、やがて主と顔と顔を合わせる日までの課題だと思っています。平和の君が助けて下さるだろうと思います。
 そして不思議なことに、問題のあった夫婦、親、子ども、友人、知人、私と私自身の関係に、大きく変化が出てきました。私と私自身との仲が平和になった分、他の関係も平和になってきていたのです。これはほんとうに平和の君がなさった業です。

 今年70歳を迎えました。これからどう過ごそうかと思っていて、ふと気付きました。
ああ、イエスさまとお会いした時とちっとも変ってはいない。「イエスさまはすばらしい」。このイエスさまをお伝えしたい。このお方を、個人的に、さらに深く親しく知っていきたい。この思いが今でも代わっていないことに気づきました。
 ちょっと耳を澄ませてくださると、「わたしはあなたを愛している」というイエスさまのおことばが。
 聖書には数えきれないほど、きら星のごとくに神様の愛のことばがありますので、どうか探してくださればと思います。

※文責:中ぶんな
 

 



  

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残務多々

  ここのところ非常に忙しかった。期限付きのものやら、宿泊客への対応などなど。こちらがお世話になっている関係で、これらはすべて当然のこととして行う。ただやり残していることが多い。これが問題。忙しいのになぜ音楽会にはでかけるのか。音楽会に行くことは、ほとんど仕事の一環という感覚である。それがプロ演奏であれ、アマ演奏であれ、必ず得るものがある。ただ単に聴くというだけなのだが、それでも何がしか自分の中に残るものがある。何かのときにそれが思い出され参考となる。
 きょうは、ここ何日間か更新したブログを加筆して修了とする。

 

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スオノ・ディ・モリオカ 第一回演奏会を聴く

ちょっと日は経ってしまいましたが、2012年11月17日、スオノ・ディ・モリオカの第一回演奏会がありました。トリオ、弦楽四重奏、或いは五重奏を聴く機会があまりないので、有難いと思いつつ聴きに行ってきました。

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【プログラム】
ミヨー作曲 :ヴァイオリンとクラリネットとピアノのための組曲Op.157b
ベートーヴェン作曲 :ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ短調Op.23
プーランク作曲 :クラリネットとピアノのためのソナタ
モーツァルト作曲 :クラリネット五重奏曲 イ長調K.581
アンコール曲 :                   Ⅰ 


 クラリネットは、ビブラートといった音は出せないと聞いていました。クラリネットは、オーケストラか吹奏楽団の一部でしかないという意識でしたが、今回で、これほどに表情豊かで奥深い演奏ができる楽器であることがわかりました。
 弦、きれいに響いていました。五重奏では、クラリネットをメインに決して出過ぎることのない、それでいてよく響き合う四つの弦のハーモニー、感心しました。「スオノ・ディ・モリオカ」、訳して「盛岡の音」だそうですが、すでに知られている音楽家たちがリニューアルしての第一回演奏会、楽しませていただきました。

 演奏者のプロフィール

大向佐保(クラリネット) ♪ 盛岡市出身。武蔵野音楽大学を経て、2007年岩手大学教育学部芸術文化課程音楽コースを卒業。長江杯国際音楽コンクール、日本クラッシック音楽コンクール共に最高位受賞。20011年、第23回大仙市大曲新人音楽コンクール優秀賞受賞。これまでクラリネットを船橋忠雄、柏野晋吾、中島誠一、小倉清澄、小谷口直子の各氏に師事。


三神樹美(ピアノ) ♪ 東京都出身、盛岡で育つ。2005年岩手県立不来方高等学校芸術学系音楽コース卒業。2009年、岩手大学教育学部芸術文化課程音楽コースを卒業。同年武蔵野音楽大学パルナソス修了。第18回日本クラッシック音楽コンクール大学の部、第20回日本クラッシック音楽コンクール一般の部共に入選。これまでのピアノを山口味希子、重野和彦、渡邊規久雄、エレーナ・アシュケナージの各氏に師事。

片桐薫(ヴァイオリン) ♪ 大阪府出身。ヴァイオリンを五十嵐由紀子、里屋智佳子、室内楽を長谷部雅子の各氏に師事。薫弦楽四重奏団所属。

片桐資歩(ヴァイオリン) ♪ 大阪府出身。ヴァイオリンを江村孝哉、長谷部雅子の各氏に師事する。アンサンブルアラカルト所属。

田山奏(ヴィオラ) ♪ 宮城県出身。ヴァイオリンを飯塚勉(才能教育)、ヴィオラを桂哲郎、室内楽を長谷部雅子、高木和男の各氏に師事。薫弦楽四重奏団所属。

石原博史(チェロ) ♪ 名古屋市出身。チェロを掘恭二郎、千本博愛、三森未来子、室内楽を長谷部雅子の各氏に師事。薫弦楽四重奏団所属。

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音楽の位置ー『異国の丘』

 軍歌を歌うと眉をひそめる方々もおられる。わたしも一時期、よく考えもせずに否定していたことがある。しかし今回戦前吉林に暮らした方の話しを伺い、また当時唄われていたさまざまな曲を聴いて思いめぐらすとき、たとえその始めが軍歌として作曲されたものであったとしても、その歌がどこでどのように愛され唄われ、或いは演奏されるかによって、その曲の、人にとっての価値が見えてくるように思った。だからと言って戦争を肯定するのではない。それとこれとは別問題で、謂わんとするところは曲の持つ独立性といった特質のことである。

 またクラッシクはたしかに素晴らしいけれども、どん底にある多くの人たちが励まされる曲が流行歌であったとしたなら、やはりそれは素晴らしいものであるという認識を持った。

 曲は歌詞によってイメージを決定づけられる場合も多い。しかしときには、曲と歌詞を切り離して聴いてみるとき、また違った共感が得られることもある。
 さまざまな芸術、芸能の中では音楽は、殊にも曲となると、独自の独立
性があるように思う。

 

『異国の丘』は一九四三(昭和十八)年に吉田正が軍歌として作曲している。そのとき吉田も満州にいた。陸軍上等兵だった。当時大興安嶺では耐寒訓練が行われていたが、この原曲はもともと『大興安嶺突破演習の歌』だ。戦後シベリアに抑留された増田幸治が作詞。原題は『昨日も今日も』であるが、この歌は抑留され極限にある多くの日本人の心を慰め励ました。

 今日も暮れゆく 異国の丘に

  友よ辛かろ 切なかろ

  我慢だ待ってろ

  嵐が過ぎりゃ

  帰る日も来る 春が来る

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最後の1頁

 原稿の中での満州行脚もあと1頁で終わる。文芸誌に寄せるための原稿だ。吉林が舞台だが、主人公は90歳であられる齊藤直次氏。現在話しがなかなか聴きとりにくくなっている、これは私もその傾向があるのだが、何れそういうことで、奥様が私に代わって齊藤さんに質問を取り次いでくださった。電話の向こうで答えられる齊藤さんのお声は、実は受話器を通してすぐに私に届いているのである。
「吉林会ももう男はみんな死んでしまって、生きているのはわたしぐらいのものだ」、「懐かしいなあ、吉林に帰りたい」とも仰った。奥様も吉林で暮らしたことのある方だ。地名の漢字を申し上げ、「この読み方を教えてください」というと、「パーコーモン」と即答くださった。ほんとうにお陰さまだった。
 短編ではあるけれども、あと一枚。あと一枚で脱稿だ。

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天沼三津子七宝ジュエリー展ⅩⅩⅤ2012/11/20(火)~25(日)盛久ギャラリー 

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きょう天沼三津子さんの第25回七宝ジュエリー展のオープニングパーティーがあり、40人余りの方々の祝福を受けました。ソプラノ歌手中嶋宏子さん、アルト歌手新田順子さんも駆けつけ、すばらし歌を聴かせていただきました。 展覧会は25日(日)までです。

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おざなりを反省

  パソコンの右下にある時刻が23:20と見え、あらら大変もうこんな時間と階段を下りて、居間の時計を見ると、23:20ではなく21:20であったことに気づいた。見間違えたのだ。お茶をのんで、また定位置に着き、とりあえずブログ書きをしている。☆

 音楽会のことはこの文芸誌用の原稿書きが終わってからすべきかと思うのだが、松見ヴァイオリン教室の発表会で、姪の子どもたちが弾くのを聴いた。小一で、ひとりは、アイネ・クライネ・ナハトムジークだった。私は40代でこの曲をやり、ついに完璧にどころか、一通り無難に弾くことすらできなかった。それで楽器をあきらめ、いつの間にか、音楽を文字で書くことに転向してしまっている。いまの子どもたちはすごいと思った。もしかすれば、楽器の技術習得は、理屈なしにまねられる低年齢のうちにやった方が無意識のうちに身につくのではと思わせられた。☆☆

 プロ作家にはなれないな。しかしきょう行った先のスタッフ
、これは出版業界とかではないけれども、それぞれに自分の責任を果たしてきちんと仕事をしているのを見て思った。たった数行でも、心をこめてきちんとした作品を書くことができるとしたら、人がそれを認めるか認めないかに関わらず、それは〝プロの仕事〟と言えるのかもしれないと。おざなりが多いことを認めざるを得ない自らだ。☆☆☆


 

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きょうのことば 『永遠のいのちなる主』-召天者記念礼拝ー

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要約をお伝えしています。きょうは2012年11月11日の國光勝美牧師の説教です。この日は、召天者記念礼拝であり、この教会で天に召された方々を紹介、特に、ことし亡くなられたY姉の紹介が多くなされました。

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説教題: 『永遠のいのちなる主』-召天者記念礼拝ー
引照聖句
:ヨハネ伝6:48
47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。


【説教】

これはイエスさまの力強いおことばです。この中で特に「永遠のいのち」に心を向けましょう。

 私たちが命というときには、ふつう自然的な命をさします。ところが聖書によると、いのちには、ビオス(bios)とゾーエー(zoe)の二通りがつかわれています。ビオスとは、いわば生物学的ないのちのことです。バイオ(bio)は、これに由来します。ビオスは自然の命であり、肉体的な死を迎えて終わります。寿命がある命です。ゾーエーは人格的な、霊的ないのちのことです。「ゾーエー」は、創世記にあるように、神様が地の塵をもって、ご自身のかたちに似せてお造りになり、いのちの息を吹き込まれたいのちのことです。

 例を申しますと、個人的なことになりますが、私は194731日生まれです。これがというビオスといういのちです。そして私は19681116日にイエス様を信じ、永遠のいのちを持つものとなりましたが、この神との関わりにおいて回復されたいのちがゾーエーです。

 実は神様と無関係な生き方をしていて、聖書の厳しい表現でいうなら、神に敵対した生き方をしてきていた。この神から離れる理由の源である罪が、まことの命の根源である神の命とに断絶をもたらしています。神は何とか人間が罪から救われて命を回復させたいとイエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。このお方は人間と同じすがたで地上で罪のない生活を送ってくださいました。そして罪のないお方は、死ななくてもよかったのですが、私たちの罪を一身に背負って、私たちに代わって罰せられ、十字架のうえで死んでくださったのです。これを、「ありがとうございます」と信じることです。

 ただいま故人を偲びましたが、このお一人お一人が、イエス・キリストの十字架は私の罪の身代わりであると信じ受け入れた方々でした。イエス・キリストを信じ永遠のいのちを信じるのは、なかなか難しいことです。信仰を持つということは、異常行動をとることではありません。正しく聖書に立脚した信仰は、そのようなイメージとは違います。ではイエスさまを信じるとは、一体どういうことなのでしょうか。

 海外から来たある青年が、レスキューの指導教官になるための訓練の話しをしてくれました。後ろに必ず支える人がいると信じて、後ろに倒れる訓練です。これはなかなか勇気が要ります。そして訓練のクライマックスでは断崖のぎりぎりまで眼を閉じてそのまま後ろに倒れさせます。だいじょうぶ必ず支えるからと。これが信仰です。イエスさまが必ず救ってくださると信じることです。神様は決して意地悪なお方ではありません。倒れてくるぎりぎりまで手を出さず放っておくお方ではありません。「信じます」と決断したときには、神様の方から近寄ってきて支えてくださる。これが私たちが罪を悔い改めてイエスさまを信じるということです。そして罪の赦しをいただく。これをしていたのがクリスチャンなのです。

 信仰というのは、このお方にすべてを委ねて、罪を悔い改めイエスさまを信じ、この永遠のすばらしい命を持つことなのです。「永遠のいのちを持ちます」とありますが、この「持ちます」には、英語で「has」と現在形が使われています。ですから、これは、「持つでしょう」という意味ではありません。「永遠のいのちを持つ」という神様の宣言です。これがtあるから、私たちは確信を持って生き、死に向かって大跳躍できます。天の御国へと跳躍する日が来ます。棒高跳びの選手のように、ポールにすべてをかけて跳ぶ。そのポールは、良い行いではありません。まじめさは尊いものですが、それも天に届く基準にはなりません。でもありません。それは神様が備えてくださっています。

47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。

天の御国に至る道はイエスさまご自身であること、この朝、これをしっかりと私たちの心の中に留めさせていただきたいと思うのであります。

※文責:中ぶんな
 

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時には自分大事で

   きょうも、ああだこうだと思いめぐらしているゆとりがない。半日は地区の広報物のポスティング。半日は、原稿関係に。夕刻眼が疲れて仕舞い、これ以上のパソコンは無理と、主人にせかされるままに、これは実は私も聴きたかったのだが、スオノ・ディ・モリオカの第一回定演へ。しかし きょう書く体力はもう残ってはいないというよりも、あすのために温存の必要があり、無理はできない。自分をだいじにすることも時としては大事であるように思う。

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休符・休符・休符

文芸誌に寄せる原稿、どうも私はかなり遅れているもよう。
そんなわけで、
一つぐらいは
書きたいこともあるのだけれど、
ここは休符・休符・休符。


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天にも地にも

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ここには樹木しか映ってはいない。しかし、これで色々な空想遊びができるだろう。たとえば、真ん中のこんもりとした樹のうしろには、カモシカが隠れていて…といおうとしてはたと気づく。想像じゃなくてほんとうに隠れているものは何? 隠れていて見えないものは何? もしかすれば、隠れていないのに、すぐそこにいるのに、こっちからは見えていないものは…。

 隠れていて見えないもの、鳥や虫たち。もしかすれば子どもたちも樹の向こう側で遊んでいるかもしれない。誰かが銀杏の扇型の葉っぱを拾っているかもしれない。樹の後ろに隠れている樹、そしてまたその樹の後ろに隠れている樹。では、隠れてはいないのに見えないものは?


  わたしは近くにいれば、神なのか ―主の御告げ―

 遠くにいれば、神ではないのか。

  人が隠れた所に身を隠したら、

 わたしは彼を見ることができないのか。 ―主の御告げ―

 天にも地にも、わたしは満ちているではないか。 ―主の御告げ―

 レミヤ23章23、24節

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美しさって不完全?

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  このブログは自分の存在証明でもある。「生きています」。だけどこのひとことだけではつまらないかな。それで、「書いてます」と付け加える。

 なにも構えることはないのに、ああだこうだと、何かまともなことの一つも書かなければと身構えている自分は何だかおかしい。
 
 近頃は、頭を、からっぽにする訓練をしている。そうすると心がすっきりとする。

 こんどの土曜日17日は大向佐保さんが出演する「スオノ・ド・モリオカ」の第一回の演奏会がある。そして翌日日曜日18日の午後は、松見ヴァイオリン教室の発表会。あららら、日という字をこの2行で6つも使っちゃってる。まあいいじゃない。きょうは、ゆったりと、こうしてほとんどマンボウのような気分になって、何にも、どこにも気を遣わずにいよう。

 ああ、このホオズキですか、200メートルばかり離れたお宅の庭にあったものです。なるべくは枯れた葉っぱが写らないようにしたのですが、おもえばおかしなことですね。枯れた葉っぱも、一見歪んでいると見えるほおずきだって、実はこのホオズキの全体の一部であって、実は汚い葉っぱや歪なホオズキがはいって初めてこの一本の完璧、完全なホオズキであるというのに、誰もかれもが、完全な写真を撮ろうとはしない。誰もかれもが、どれもこれをも不完全に撮っては、これは完璧だと賞賛する。きれいなもの、美しいものって、もしかして完全じゃないんじゃないの

 
 

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終日 雨、雨、雨

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  もう13日。いったいどうなる、この緩慢さ。もっと体力がほしいな、もっと視力がほしいな。しかし与えられているのはこれぐらい。これぐらいで何とかやりくり、やりくり、やりくり。こんなところに、こんな散らかったへやに、この机の傍らに、もしイエスさまが今ほんとうに私の眼に見えるように現れてくださったらどうしよう。来客がきたときのように部屋をかたづけるなんてしないだろう。「どうしてあのことはこうなっているんですか」とは訊かないだろう。「これはいったいどうなるんでしょうか」とも質問しないだろう。もしここに立っておられたら、もうわたしにいうべきことは何もなく、言う必要もなくなる、そんな気がする。
 

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きょうのことばー八王子教会協力牧師 江藤博久先生の説教『隣人』ー

2012年11月4日インマヌエル盛岡キリスト教会の講壇に立たれた八王子教会協力牧師江藤博久先生の説教をお伝えします。

聖書引証ルカ伝10章25~37節
25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」
28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
35 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」


 特に昨今隣人の問題が出てきております。私たちにとっては勿論、東北3県がそうであり、これは同胞でもあり、皆が共に復興に向けて取り組んでいる。これと、領土問題が絡んだ隣人があります。ロシア、韓国、中国とはもしや戦争が起きるかと非常に心配されました。これらの国では、実は、日本よりもクリスチャンの数が多い。日本人は
100万人ぐらいしかいませんが、中国は1億人、韓国はもう3割がクリスチャンですから1600万人います。ロシアは東方教会の流れを汲みますがキリスト教の霊的な方面を強調するグループで、彼らもクリスチャンであることは間違いない。では、改めて、聖書では、隣人をどういっているのでしょうか。

「隣人を愛しなさい」

 これは旧約聖書の申命記、レビ記の中にも神の戒めとして出ています。新約聖書にも出ている。つまり聖書全巻を通してとても重要なこととしてリピートされています。同じことが、実は冒頭に掲げたとおり、イエスさまご自身のことばとしてマタイ223740に出ています。 この聖書箇所は、よく「よきサマリヤ人」として引かれるイエスさまのたとえ話しです。中心聖句はルカ1037
37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

 先ず第一に、この物語りには、苦しむ人を見捨てた祭司とレビ人のすがたが書かれています。彼らはエルサレムからエリコに帰っていく途中でした。エルサレムは海抜約800メートル、エリコは海抜下250メートルですから、帰り道は曲がりくねった急な下り坂でした。エリコはBC8000年から壁に囲われた集落があった歴史的にも重要な町です。

 祭司とレビ人が帰る途中、ひとりのユダヤ人が強盗に遇ったのか半死半生の状態で道の傍らに横たわっていた。

 イエスさまが、このたとえ話をしたときの背景には非常に厳しい差別があった。一つはイエス・キリストに向けられた時の宗教家たちの差別で、特に律法学者、パリサイ人らからの差別です。パウロも後には回心しましたが、それまでは、モーセの律法の権威でイエスを非常に圧迫しました。即ちイエスは、無学な大工の息子でしかなく、弟子たちペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネにしても、無学な漁師でしかないという差別です。人間は、学歴、職歴で差別するのです。律法学者たちは心の中で叫んでいました。「おまえたちは思いつきを勝手に話しているだけで、無学のただの人間である」。この差別は現代でも起こり得る。

 そしてもう一つの大きな差別、それはサマリヤ人に対するユダヤ民族の差別、これは民族間同志の差別です。ユダヤ人のうち、バビロン捕囚のとき、異民族との間に混血が生まれたりしたのですが、これらの人々をサマリヤ人として区別し、700年に亘って徹底的に侮蔑した。これには神の選民思想が大きくはたらいています。サマリヤ人も同じく旧約聖書を信じている。半分はユダヤの血なのです。

 ヨハネ伝4章を見ますと、昼に水汲みをするサマリヤの女性が出ています。ふうつうの女たちは朝に水汲みをします。この女性はいかがわしい仕事をしていたので、誰にも顔を合わせないように昼に汲んでいた。イエスがそこに現れて一杯の水を所望します。そして言いました。

13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

 非常に感動的な場面です。

「あなたはユダヤ人なのにどうして私に声をかけるのですか」とこの女性がイエスに訊ねたほどに、サマリヤ人は差別されていました。こういった背景の中で、「よきサマリヤ人」の話しがイエスさまの口からさらりと出てきたというのは、本当にすごいことです。そして神さまが、この物語りを通して「隣人を愛しなさい」と戒めるのは、これからは新しい愛の時代が到来するのだということを告げているのであります。まさしく不変の愛、人のために十字架に架かって命を投げ出すというイエスさまの限界のない愛の到来です。

 私たちもイエスさまに従っていこうとするとき、神の愛を実践しようとするときに苦しむことがあります。自分を圧迫し、自分を苦しめる者を愛するなど、普通のひとにはできません。それは神の愛を知る者にしかできない。聖霊によって神の愛が充満することによってしかできないのです。人間には不可能と思われることでも、実は、聖霊に満たされるとき、そこに奇跡が起こります。

本当に心の芯まで憎み合っている民族に登場し手を差し伸べるというのは、単に隣人愛を実践するといったレベルを超えています。イエス・キリストは、ここで律法の専門家たちに、新しい愛の時代が到来することを宣言しているのです。

 2000年後のこの日本でも、このような愛の奇跡が起こりました。新大久保駅のプラットホームから転落した人を、韓国人留学生が助けようとして命を落としました。すばらしいクリスチャン青年でした。多くの日本人が、ユダヤ人とサマリヤ人との確執ほどではありませんが、韓国との間にもそれがあります。しかしこの韓国人留学生の行為はこれを根底から覆しました。これは実はあのサマリヤでのイエスさまと同じ意味を持っているのであります。

 第三として、隣人になることは、大きな福音となります。痛みと犠牲が伴わない愛はありません。それが福音です。

 律法学者は訊きました。「では私の隣人とはいったい誰のことですか」。彼は傷ついた同胞を見ていた。ユダヤ人を見ている。ところが瞬間、これは私の隣人ではない、隣人にはしたくない、そう思った。私たち関西人は東北の同胞の痛み、傷を助けあっている。しかしここではそうではない。なりたくない。自分まで強盗に襲われちゃかなわない、お金もかかるし、血で汚れたくない、他に用事もあったかもしれない。とにかく隣人にはなりたくない。同胞を見捨てて横を通り過ぎていった。

 ルカ伝1036でイエスさまは、「 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」とお尋ねになっている。サマリヤ人こそ隣人になった人ですと言うべきところを、差別観があって素直に言いだせない。このあたりは非常にリアルです。37節に「その人にあわれみをかけてやった人です。」とあります。

 アメリカの黒人公民権運動のために尽力したキング牧師が言っています「祭司、レビ人は、先ず、この人を助けたら自分がどうなるかを考えた。しかしサマリヤ人は、この人を助けなかったら、この人がどうなるかを考えたんです」。

 私は、このたとえ話から、差別のことはともかく、人の心の美しさに感動しました。これこそイエスのかおりです。日本の麗しい国土の中に、このような日本人をつくることが必要です。先ずクリスチャンたちが、教会学校などで、子どもを豊かに育てなければなりません。一朝一夕によいサマリヤ人は生まれてはこない、こんなふうに思いました。

 ニューヨークのハーレムで、スラム街からバスなどで1回に2万人の子どもたちを集め、教会学校を開いているビル・ウィルソンという方がいます。日本人神学生も3カ月間短期留学をしていますが。そのビル・ウィルソンは『この子だれの子』の著者です。その中にある一人の少年が出てくる。来る日も来る日も、割れた鏡の破片を持って、賃貸アパートの窓に日光を反射させている。警官が何をしているのかを尋ねると少年は言いました「あそこには僕の弟がいるの。6歳なんだけど、ずっと歩くことができないの。お母さんには車いすを買ってだからあげるお金がない。僕たちが弟を抱えて外に連れ出すと、他の子たちが弟に石をなげる。弟も降りてきたがらない。だから僕は毎日ここにいて、照らしてあげてるんだ。この光が、弟に見えるたった一つの光だから」

 最も大切なことは心の優しさです。イエスさまが明らかにしている隣人とは、身ぐるみはがれ半死半生となっている気の毒な男のひとのことではないようです。第二の御命令、「あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい」。このみことばを実行する人のようです。道の反対側、これはわずかな距離です。これを渡るのにはとても勇気がいる。豊かな神さまの聖霊を浴びなければ渡れない。

各家庭の夫婦間の、親子間の問題などなど、ほんとうに大変です。私たちにはなかなか歩み寄りができない。

隣人とは、道を渡って、傷に油を、葡萄酒を注いで、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れていき介抱したサマリヤ人のことです。宿屋というのは、この教会を指しています。

私たちの生涯には、生活には多くの苦しみがある。そのような中で、魂の平安と、魂の回復を得て、そして傷ついた魂を介抱して回復することによって、第一テサロニケ5章にあるように、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」というすがた、きよめられたすがたとなります。これは愛で覆われて出てくるすがたではないでしょうか。愛に覆われていないと、進む道をイエスとともに横切っていくのは難しい。

 きよめられなければすばらしい生涯は与えられません。その根源は愛でおおわれているということです。聖霊に満たされて、私たちもまた互いに教会で助け合い、励ましあい道を渡っていくのであります。だから教会はとてもだいじなところです。ただみことばを聞くだけのところではありません。先生によって牧会され、愛に満ちている。みなさまがたは本当にしあわせです。主が一緒に支えてくださいます。苦難を栄光へと導いて下さいます。 

※若干割愛した部分、或いは聞き落とした部分、聞き間違いということもあり得ますが、お気づきの際はお教えください。文責:中ぶんな

 

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きょうのことばー八王子教会協力牧師 江藤博久先生の証しー

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要約を、1週間遅れでお伝えしています。2012年11月4 日は八王子教会協力牧師江藤博久先生の説教です。
 尚、先生の説教は100分に及びましたので、きょうは先生が前置きとして話された部分のみを掲載いたします。

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【証し】
 わたしが、信仰をもって救われたの
47歳、洗礼を受けたのは49歳でした。クリスチャンになるまでは兎に角精力的に仕事をこなし、退社後は無茶苦茶な事をやっていました。伊藤忠商事の伊藤忠兵衛さんとは、仕事上で親しかったのですが、晩年、熱海で隠棲生活しておられるところに訪ねますと、ドクターストップにも関わらずタバコを吸っておいででした。忠兵衛さんのような大実業家でも、タバコには勝てないのだ、自分もタバコを止めるのは諦めようなどと思いながらビジネスマンをやっておりました。昼間は、仕事を疎かにする男じゃない、と非常に激しい競争の中で猛烈に仕事をし、後は、英雄色を好む、法律に触れなければいいだろうといった有様。そんな男が、まさにクリスチャンになったわけです。光と闇の劇的変化。聖書のみことばとの出会いです。クリスチャンになってから、さまざまな悪習慣はスッパリとなくなり、どうしてああいう状態だったのかなと思わせられます。自分の身の上に起こったことからも、みことばは真理であり、御子イエスさまの業はすごいなと心から思っております。きょうはこのように盛岡の講壇のご奉仕を与えられ感謝しております。有難うございます。 

私は中学校から受験勉強、そして会社に入ってからも競争に明け暮れていました。定年退職まで国内外で営業を40年間やりました。機関投資家という大企業相手の、或いはシンガポールでは政府相手の仕事でした。シンガポールでは政府の委員会の議長を任せられ、英語のキャッチングに苦労したこともあります。とにかく昼はバリバリとハードに働いて、夜はソフトにとバランスを取っていました。国内では単身赴任でした。九州の博多ではどっぷりと罪の世界に浸かっていました。

孔子の論語に「三十にして立つ。四十 にして惑わず」とあります。ま、30か40になったら大丈夫だろう。昼は給料もらってるからしっかりと働いて、夜は、法律に触れるようなことがなければ大目に見てもらおう、そう思っていました。ところが40になってもおかしい。惑いが無くなるどころか、心の中から邪悪な思いがこみ上げてくる。まさにガラテヤ書に書いてある罪の世界の実でした。

そんな世界にどっぷりと浸かっていた私も、さすがに、もう邪悪な思い、不品行などに耐えられないと思った。しかし孔子にも仏教にも救いはないなと思いました。

私が無茶苦茶なことをするものですから、妻は苦しんでいました。妻に「教会へ行きたい」と言われたとき、私には負い目がありますから、「憲法に信教の自由があるから、どうぞ」と賛成しました。しかし「洗礼を受ける」と言われたときには、「ちょっと待ってくれ」と言いました。そして聖書を必死で読みました。それまでは妻を支配し圧迫していたわけですが、その妻が別な世界に行ってしまう。

とにかく聖書を読みました。そのときにぶつかったのがロマ5:5でした。

5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

心は悩んでいましたから、みことばが瞬間的にぐさっと突き刺さりました。神の愛が注がれているから、邪悪な心がきよめられて出てこないのだと瞬時に悟りました。そのあとも紆余曲折はあり、抵抗もありましたが、私は妻に、1週間後には洗礼を受けると言いました。聖書というのは本当にすごいものです。

クリスチャンになる前、よく私を励ましてくれたのは、石川啄木と宮沢賢治、このふたりの詩人でした。海外駐在が特に長かったのはアメリカです。強烈なビジネスの競争の中で逆境に陥ったとき、「ふるさとの山に向かいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」、「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」、「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ …」等など。母をふるさとを想わせるやさしく素朴なこれらの詩が私を励まし慰めてくれていた。ですから私は関西人ですが、盛岡は心のふるさとです。盛岡には感謝しています。そして今は、聖書が私の慰めであり励ましとなっています。                                                   

昨日、國光先生に、盛岡地方裁判所にある石割桜に案内していただきました。アメリカ駐在のときにも、イエローストーン国立公園、グランド・キャニオン、ナイアガラといった雄大な景色を見たことはありますが、生命力という点で、あんなすごい石割を見たことはありません。小さな種があれほどに大きな岩を割って成長し生きている。

エゼキエル書には、ともかく心の中からすべての罪を放り出して生きぬきなさいといったことが書かれています。被造物である人間に対する神さまの励ましの、神さまの愛の書です。そのおもいが、あの石割に現れている。桜が石をたち割る力。割るには気の遠くなるような年月と努力が要ります。これからの東北の復興にとって、あの石割桜は東北の心の宝物でしょう。私たちはクリスチャンだから希望がありますが、日本も、これから経済、社会とあらゆる意味で困難な時代を迎えます。その中であの石のシンボルは超国宝級、実際に神さまの愛と力をとても感じました。有難うございました。

311のときには、東北の方々は停電などで情報が遅れたようですが、八王子では揺れながら、点けっぱなしのテレビで、押し寄せる津波や湾が火の海になるなど被災の惨状を見ておりました。親戚が福島県の南相馬で、何もかも流され、2人亡くなりました。半年後だったでしょうか、見舞いに行く途中、飯舘村とかあるスーパーなども無人、ゴーストタウンになっていました。これは神さまにしか復旧、復興はできないだろうと思いました。荒涼たるありさま、全滅したソドム、ゴモラを思い出しました。

教会でも心からの支援を送りました。家族旅行に積み立てていたものを差し出した方もあります。子どもも大人も心から進んで捧げ、差し出す方も大変恵まれました。今後も続くでしょう。祈りと信仰の深さが、支援を続けられるいちばんの秘訣です。

―つづくー

 

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からっぽ

  11月も、もう3分の1過ぎてしまった。

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どこへ行くの?
この時間
どこへ行くの?
この青空
どこへ行くの?
このわたしは

考えないことにしよう、きょうは
さっきね
頭の中を風がひゅーっと吹き抜けたらね
いろんな形やことばや感情やらがね
どこかにすっと消えちゃって
いまは
まるっきりお気楽なのさ

からっぽってのは
ずいぶんと軽やかで
心やすらかなもんだね

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第33回青の会展ー20121114(水)~17(土テレビ岩手ロビーー & ネット不調

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        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ネットの調子がいまいち。故障がくるまえに急ごうと、慌てて大信田時子さんが 届けてくださった案内葉書をアップ。

 一日に1時間は歩こうと、忙しそうな主人をせきたてて中津川沿いを散歩。昼食は珍しく外食となった。 

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 きょうはまとまったことをしたという実感がない。
 やり過ぎて意外な展開に戸惑ったり、或いは、為すべきことが抜け落ちていたり。
 反省したり、やり直したり。
 後悔することも、納得することも、満足することもある。
 結局のところ、
 人生は未完となるのかも。
 わたしの欠けているところを補ってくれるのも
 神の愛
 そんな気がする
 

 また雨が降っている。ブラームスの弦楽六重奏の3回目を聴きながらきょうを閉じようと思う。 

  

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スオノ・ディ・モリオカ 第一回演奏会ー2012/11/17(土) マリオス小ホール18:00開演ー

 先ごろ、この自治会における「いきいきサロン」においてボランティア演奏をしてくださったクラリネット奏者で、教室を主宰している大向佐保さんから、新しいアンサンブルが立ちあげられたことを知りました。それが「スオノ・ディ・モリオカ」(盛岡の音)。第一回演奏会が開かれます。



【出演】
Cl:大向佐保/Pf:三神樹美/Vn:片桐薫/Vn:片桐資歩/Va:田山奏/Vc:石原博史

【プログラム】
ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ
ミヨー:ヴァイオリンとクラリネットとピアノのための組曲
モーツァルト:クラリネット五重奏曲





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ゆく秋を惜しんで

 きょう、中央通り、県庁前を走ったところ、街路樹の落ち葉が歩道の縁石に堆く吹き寄せられていた。この落ち葉の始末にはまたそれなりの経費が要るのだろう。しかし、樹木のある街は豊かさと安らぎを感じさせてくれる。写真に撮りたかったが、カメラを携帯していなかった。
 11月3日の盛岡城跡公園の写真でゆく秋を惜しむとしよう。

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        旅愁

  1. 更け行く秋の夜(よ) 旅の空の
    わびしき思いに 一人悩む
    恋しや故郷(ふるさと) 懐かし父母(ちちはは)
    夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
    更け行く秋の夜 旅の空の
    わびしき思いに 一人悩む
  2. 窓うつ嵐に 夢も破れ
    遥(はる)けき彼方に 心迷う
    恋しや故郷 懐かし父母
    思いに浮かぶは 杜(もり)の梢(こずえ)
    窓うつ嵐に 夢も破れ
    遥けき彼方に 心迷う

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雨降りでも暗闇でも

  きのうの午後は珍しく岩手山がすっきりと雪の冠を見せていたが、きょうは終日雨となった。八幡平アスピーデラインも昨日で閉鎖、雪化粧をした山並みがニュースに映し出されていた。

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 近頃はテレビの引力が大きく、特に動物の生態を生き生きと追う「ダーウィンが来た!生き物新伝説」などは、ついつい最後まで見てしまう。唸ってしまうのは撮影の見事さ。ハイスピードカメラや特殊機材を用い、或いは生物の体にカメラを装着するなどして撮っているようだ。それにしても、スタッフの忍耐や苦労は並々ならぬものがある。捉えられているすがたは、ただただ驚きの連続だ。いまに多くの生き物たちが映像でしか見られなくなるかも、そう思うといよいよ貴重な映像に見えてくる。

 きょうの午後は戦争映画だった。全体を見なければいえないことだが、人を撃つ、打ち抜きたい、そんな人物が映っていた。いやな気分になった。それでなくとも雨降りで窓外も重たい。たぶん結末は人間的に仕上げてあるか、或いは、哲学的な何かを考えさせる展開となっているかとも予測されたが、それ以上見る気になれなかった。

 やはり音楽はいい。クラッシック、シャンソン、ポップス、ジャズ、演歌も時としてわるくはない。讃美歌などはや
はり心がやすまる。たとえ眼が見えなくとも音楽なら聴くことができる。雨降りでも暗闇でも光がさすことがあるから不思議だ。

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シンフォニエッタ・盛岡「チェロとヴァイオリンの調べ」

 紅葉に囲まれたもりおか歴史文化館で、土曜日の午後2時から1時間、シンフォニエッタ・盛岡のトリオ演奏がありました。コンサートには出不精の夫も、なぜかシンフォニエッタには付合ってくれます。

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 コンサートは軽快な曲で滑り出し、トークは宮野ゆかりさん。会場が熱いかと再びチューニングする畑村さん。秋田出身の安保さん。「アイネクライネ・ナハトムジーク」、「愛の夢」、よかったです。そして昭和の懐かしさこみあげる曲の数々、コンサート直前に公園を散歩しましたが、すばらしい紅葉でした。演奏中、この紅葉が弦に乗って脳裡を流れておりました。「旅愁」からは会場と一つとなり合唱。室いっぱいの方々、座るところがなく立って聴いておられる方々とともに、久しぶりのトリオ演奏、楽しく聴かせていただきました。 
 トリオの方々は、それぞれに職業を持っておられ、その傍ら練習しては市民に音楽を提供してくださっています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 このコンサート直前に、すこしのあいだ畑中美耶子さんが登場。本番までの間に方言でお話しくださったのですが、
・もりおか歴史文化館は65歳を過ぎると入館料無料。小、中生も無料。入場料300円。
・南部家には最後の将軍徳川慶喜の姉の松姫こと明子夫人が嫁いでおり、そのときの嫁入り道具がニ階の展示室に飾られている。嫁に来たといっても盛岡に来たわけではなく、水戸から南部藩江戸屋敷に来たわけだが、嫁入り道具は大切に保存されている。
・展示物は時節に応じて入れ替えるので、一回見たから良しとせずに何度でも足を運んでいただきたい。
・もりおか歴史文化館の入場者は30万人を超えた。
以上のようなお知らせがありました。

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きょうのことば 『あなたは、わたしに従いなさい』-ヨハネ伝連講(124)ー

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)の講壇で語られる説教の要約をお伝えしています。きょうは2012年10月28 日の國光勝美牧師の説教です。

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説教題 『あなたは、わたしに従いなさい』
聖書引証 ヨハネ伝21:15~23
        -ヨハネ伝連講(124)ー

15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエス に言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたの で、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼 に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。
21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
23 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである。


【説教】 
 きょうはヨハネ伝21:
22にある「あなたは、わたしに従いなさい。」というおことばに焦点をあてましょう。この語りかけは、ペテロにとって、イエスさまからの最初の語りかけであり、また最後のことばでもあります。マタイ4:19にある「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』」との召命にはじまり、その締めくくりのように語られたのが、「わたしに従いなさい」でした。ペテロは、これこそ自分にとってすべてであると受けとめ、第一ペテロ2:20にこう書いています。
21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
主はこの朝、私たち一人ひとりにも、このように語っておられることを先ず心に留めましょう。

 
 「あなたは、わたしに従いなさい」。これには毅然とした絶対的な響きがあります。従うのはどんな者たちなのでしょう。私たちは、週ごとの礼拝で「主の祈り」をお捧げしております。これを唱えるときに、いったいどの程度、自分の願望、思いではなく、イエスさまの願われることを優先させているでしょうか。先週は、蔦田二雄師が、献身の決意を手紙で父に伝えたときの話をしました。返事はただひとこと、「神に従え」でした。

 神従うときには、私たちの眼が開かれていることが大切です。マルコ伝10章に バルテマイの話が出ています。バルテマイは必死で眼の癒しをもとめていました。そして52節、「52 するとイエスは、彼に言われた。『さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。」。眼が見えるようになったバルテマイは、イエスの行かれるところに従って行きました。

 私たちの霊の眼は開かれているでしょうか。イエスさまは仰いました。「あなたの信仰があなたを救ったのです」。眼が開かれたとき、イエスさまの足跡がよく見えるようになり、私たちはおことばに従って、イエスさまの足跡を追う者となります。主を愛するものは主に従っていきます。何よりもイエスさまを慕って歩ませていただきましょう。

わたしに従いなさい」。イエスさまはなぜペテロにこのように仰ったのか。これは失敗したことのある者へのことばです。ペテロは、たとえ何があろうとも最後までイエスさまに従ってゆこうと本気で思っていた。ところが、イエスさまが捕縛され十字架に架けられたとき、恐れから、ペテロはイエスさまを否認してしまいます。このようなことがあったペテロに、イエスさまは、だいじょうぶだよ、ほんとうにわたしを愛しているね、わたしに従いなさい、このように語ってくださっている。これは十字架に続く道です。この道をイエスさまと一緒に歩むようにと命じておられる。これは日々十字架を負ってキリストに従うことを意味します。十字架を背負わないでイエスさまに従うことはあり得ません。

 主は私たちの信仰のはじまりに、「わたしに従いなさい と命じられました。そして主は、その締めくくりに、「わたしに従いなさい」と命じておられるのです。

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「ここに愛がある」江藤博久キリスト教講演会ー2012/11/4(日) AM10:30~12:00 昼食 13:30~15:00 - -

 インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)では、江藤博久先生をお迎えし、集会をひらきます。午前中は江藤先生のお話を聞き、お昼には、みなさんで楽しくお料理をいただきましょう。午後にもお話があります。初めての方、特に大歓迎いたします。
 よく「キリスト教のお葬儀はいいね」、「キリスト教の結婚式にしたいね」という話を耳にします。その理由はいったいどこにあるのでしょう。どうしてそう思わせられるのでしょう。結婚式や葬儀のときだけではなく、教会は毎日曜日、みなさまに門戸を開いているのです。

  江藤博久先生は早稲田大学政治経済学部卒、野村証券入社。89年シンガポールにて受洗。帰国後はインマヌエル神学院教会へ。91~2000年野村グループ役 員。40年間内外の営業に従事。定年後インマヌエル聖宣神学院入学。2006年八王子教会牧師。現在、教団巡回牧師、八王子教会協力牧師として主に仕えておられます。

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ロシア詩人オクジャワ「真夜中のトロリーバス」

 ロシア語の響きに誘われて、一曲なりともロシア語で歌ってみたいと、ロシア愛唱歌を開いてみた。一応はロシア文字と発音早わかりなどというページもついている。らしく歌うのはそう容易くはない。

 ページをめくるうちによい詩にであった。それがブラート・オクジャワ(1924~1997)の「真夜中のトロリーバス」だ。オクジャワの父は1937年にスパイ容疑で銃殺され、母も逮捕され収容所送りとなっている17歳で学徒兵に志願。10歳年下の弟と共に祖母に引き取られる。17歳で学徒兵に志願。2度負傷し生還。戦後トビリシ大学卒業、小学校の国語教師となる。処女詩集出版。自作の詩を歌う。1957年モスクワに上京。出版社に勤務。一般大衆の前で詩を歌うようになる。小説執筆もする。作品は、口伝えやテープの複製で広まり、ペレストロイカを促し、時代の価値観を変えた。彼の詩はソ連崩壊後、民主化運動のシンボルとなる。1997年、講演先のパリで客死し、モスクワでの葬儀は国民葬のようであったという。

      真夜中のトロリーバス

1、悲しみに打ちひしがれ 絶望に沈むとき
  ぼくは乗る青いバス 最終のトロリーバス
  ぼくは乗る青いバス ちょうど来たトロリーバス

2、真夜中のトロリーバス 街を走れ
  並木道まわりこんで 拾い集めろ
  並木道まわりこんで 夜の遭難者を

3、真夜中のトロリーバス 扉を開けて 
  乗客は君の水夫 命綱投げて
  乗客は君の水夫 冷えた身体あたためる

4、肩寄せ合い揺れるとき 悲しみを逃れ
  ぬくもりを感じながら 互いに黙って
  ぬくもりを感じながら 黙って揺れている

5、真夜中のトロリーバス モスクワを走る
  川のように街は眠る 悲しみ鎮めて
  川のように街は眠る 静かに静かに

             
 (山之内重美 訳詞)

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秋深く

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 用事があって、近所の方と市街に出たが、途中、盛岡城跡公園内を通ってみた。

 貫禄ある樹木たちの幾千本もの梢はみな緑、黄、紅で織りなされた天蓋を広げている。はや11月。時はひたひたと迫り、すれ違っては足早に去っていく。頭上のはるか高くには風の輝き。枯葉と向かいくる時を踏みゆけば、後ろには、誰にも知られることのない、しかし神
のみが知る足跡が点々とつづく。

 冬の陰影を引きつれたヴィヴァルディの弦の音が、白く冷たく透明に研ぎ澄まされて耳奥に鳴る。

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