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地区活動に参加

 昨日は、地域の運動会があった。子どもたちが、元気いっぱいに競技をしているすがたを見る。また地域の方々が何かに協力しようと競技に参加してくださった。いつもながら端っこでではあるけれども私も楽しく参加。台風の動きが気になるこの日に、行き帰りに雨具がなくとも済んだのは幸いだった。

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 図書館から督促があった。大急ぎで返却に。ふと児童図書をのぞきたくなる。それほど考えながら選んだわけではない。書架をざっと見て、ほとんど適当に抜き取ったのがロシアのウラル地方に伝わる『石の花』。マラカイト(孔雀石)の細工の親方と弟子のはなしだ。たしかプロコフィエフのバレエ音楽にもあったと思う。石工の親方のもとに何人もの弟子が送り込まれるのだが、親方の扱いはあまりに非道であるうえ、また職人として才能が見られない者ばかりだった。ところが、みなしごのダニーラだけは才能があった。ダニーラだけは親方に愛され、優れた職人に成長し婚約者も得る。しかしダニーラは結婚よりもよりすばらしい孔雀石の作品を創り上げるのに夢中なのだ。花を刻んだ孔雀石の鉢は見事でみなを驚嘆させるのだが、彼はそれにも満足できずに壊してしまう。そして生きた石の花をさがしはじめる。
 ここにいたるまでも、孔雀石から刻まれるものの美しさが創造できるのだが、生きた石の花の美しさがどれほどのものであるかを想像してみた。

 時間がなく、最後の結末までは読まなかった。今ネットでみると、結局どんな素晴らしいものも婚約者カーチャへの愛には代えられないという結末になっているようだ。確かに人の想いを踏みにじってまで手に入れる物は、ほんとうの意味で、それは値打ちのあるものではないだろう。もっとも彼が愛を選んだときに、選ばなかったすべてのものも与えられる結果になるのだが。

 この民話では、親方のダニーラ以外の弟子たちに対する傍若無人にも驚いたが、孔雀石の細工、石の細工という美しさが見えるように綴られるこの一冊は、ちょっとした時間に、高価なプレゼントでももらったような気分にさせてくれた。またネットで結末を知り、それ以上に大切なものをこの民話は教えていたのだ。

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