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きょうのことば『主イエスを愛する』ーヨハネ伝連講(122)ー

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をおつたえしています。きょうは2012年10 月7 日の説教です。

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説教題 『主イエスを愛する』ーヨハネ伝連講(122)ー
聖書引証 ヨハネ伝21章15~19節

15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエス に言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたの で、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼 に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

【説教】
 いつ召されるかという際にあります両親を見舞いに、松本市まで行ってまいりました。昨年の12月に駆けつけ、信仰に導き、イエスさまの救いを確認しまして、近くの教会をお借りし洗礼を授けさせていただきました。あれからもう1年になろうとしております。このためにもどうぞお祈りいただきたく思います。

 前回は、伝道というものは、主のおことばと、主の助けなしには何もできないことを学びました。今回は、「食事」の意味するところを聖書から見ましょう。
 弟子たちが、エマオの途上で不思議な人物とはなしをします。誰であるかはわからない。しかしその人物が一緒に食卓に着いてお祈りをしたとき、弟子たちの心の眼がひらかれ、それがイエスさまであることに気づいている。また、使徒の働きの1:4の「いっしょにいるとき」には「食事をともにしているとき」という注釈がついていますが、イエスさまは食卓で、弟子たちに大切な申し送りをしている。これらのことから、イエスさまと食事をともにすることには、単に食物を摂取するだけではない大切な意味があります。復活の主といっしょに食事をする、これは交わりをするということです。

 復活のイエスさまは、ガリラヤ湖畔で、すでに朝餉の準備をしていました。ここに大漁だった153匹のうちの数匹を持ってこさせ、それを足して、一緒に食事をした。ここでイエスさまが意図されたことは何だったのか。
 ルカ5章には、弟子たちがまだガリラヤの漁師だったときのことが出ています。彼らがガリラヤ湖で不漁だったときに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と仰ったのはイエスさまでした。大漁に驚いたペテロ、ヤコブ、ヨハネたちに主の召命がかかり、彼らは舟を捨てて主に従っていったのです。ガリラヤ湖にあって、彼らは先ずこのことを否が応でも思い出したでしょう。

 ヨハネ21:15で主はペテロに、「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか 」と訊かれる。この人たちとは、ここにいるお弟子さんたちのことでしょう。ペテロは、「私があなたを愛することは、あなたがご存じです」とこたえると、主は「わたしの子羊を飼いなさい」と仰った。これが一回目です。21:16で主は再び「わたしを愛しますか」と訊き、そしてまた21:17でも同じことを訊いている。
 なぜ3回も繰り返されたのか。それは、ペテロが、かつてイエスさまが捕縛され十字架につけられたとき、自分の身に難が及ぶことを恐れて、イエスなど知らないと3回否定したことにあります。これはペテロ自身が、もう主の前に到底取り返しがつかないと思い悩んでいた背き、失敗だったでしょう。ペテロがそれを心に悩んで主の前に申し訳ないとの思いであるのを、イエスさまは見抜き、これを逃さずに、しかもこれを用いて、ペテロを潰すのではなく、ペテロをもういちど生かすために、しかしどうしても避けて通ってはならない部分をあつかわれたのが、「わたしを愛しますか」というこの3回の問いかけなのです。

 3回目で流石にペテロも、ああ、あの時のことをあつかわれているのだと思い当たったでしょう。では、あの時とはいつのことか。
 ヨハネ13:36、これは、イエスさまが捕縛されるのを目前にした最後の晩餐での会話です。
36シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし、後にはついて来ます。」
37 ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
38 イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

 ペテロは、イエスさまを裏切ることなどあり得ないと思い、そんなことはないと主張します。しか同じようなことが、マタイ26:31~35にも出ています。こちらは、もうイエスさまが捕縛される直前のことです。
31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。
32 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」

33 すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」

34 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

35 ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。

こんどはマルコ14章で同じところを確認しましょう。

27 イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』と書いてありますから。
28 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。

29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまづいても、私はつまづきません。」

30 イエスは彼に言われた。「まことにあなたがたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」

31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

 これで、復活のイエスさまが、ヨハネ伝21章でにあるように、ガリラヤで「わたしを愛しますか」と3回訊いた意味がわかるでしょう。

マルコ14章には、66 ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、67 ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」68 しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない」と言って、出口のほうへと出て行った。69 すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です」と言いだした。70 しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」71 しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。とありますが、これがペテロの生涯にとって、どれほどに大きなキズとなっていたかがわかるでしょう。そのペテロを回復させるために、イエスさまはペテロをあつかわれたのです。

 イエスさまは、「あなたはわたしを信じますか」と訊いてはいない。「わたしを愛しますか」と訊いておられるところに意味がある。あなたがわたしを信じていることは知っているが、あなたはわたしを愛していますか、この先わたしのあとを継いで教会にたましいを導こうとするときにいちばん大切なことは、愛していることなのだよと仰るのです。みんなイエスさまを信じています。そしてペテロのような致命的な失敗はしていない。しかし、ペテロのすがたは、私たちのすがたです。イエスさまは、そのペテロを受け入れて、「あなたはわたしを愛しますか」と訊いておられます。私たちがイエスさまを信じていくときに、多くの失敗をし、或いは回復不可能なほどの過ちを犯してイエスさまを悲しませることがある。しかしペテロを見てください。イエスさまはペテロに、「あなたはわたしを愛しますか」とお聞きになって、ペテロを回復させてくださる。そして、「わたしの子羊を飼いなさい」と仕事を与えてくださる。イエスさまは信頼し期待しているからこそ、その者に子羊をゆだねてくださるのです。

※以上は説教のぜんぶではなく要約です。例話などは割愛しています。文責:中ぶんな

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