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2012年10月

【特集】名演奏家ランキング&名盤選 ヴァイオリン編ーレコード芸術2012年11月号ー

 いつかこのブログに、レコード芸術に載っていた、「【特集】名演奏家ランキング&名盤選 ピアノ編」を書いたことがある。第1位はウラディミル・ホロヴィッツ、2スヴャトスラフ・リヒテル、3位マウリツィオ・ポリーニ、第4位アルトゥール・ルービンシュタイン…となっていた。


 2012年11号は、何とヴァイオリンの特集である。ランキングなんてナンセンスと思いつつも、ページをめくる時には流石に期待が胸に押し迫った。どんな期待か。果たしてハイフェッツは何位か、そのことだ。

第1位 ヤッシャ・ハイフェッツ
第2位 ダヴィッド・オイストラフ
第3位 ギドン・クレーメル 
第4位 フリッツ・クライスラー
第5位 ナタン・ミルシティン
第6位 アルテュール・グリュミオー
第46位 五嶋みどり
第51位 庄司紗矢
第51位 諏訪内晶子
第56位 巖本眞理

 何を基準にか、また選者諸氏の顔触れは、本誌でご覧いただくとして。
何れ嬉しい結果だった。

 私が初めてハイフェッツの演奏にはっとしたのは、居眠りをしていたときに、ラジオから流れていた演奏だった。一挙に眼がさめて、あとでヴァイオリンが誰か調べてみると、ハイフェッツだったピアノはルービンシュタイン、チェロは
ビアティゴルスキーの「百万ドルトリオ」の演奏。曲はラヴェルのピアノ三重奏曲」とチャイコフスキーの「ピアノ三重奏曲」だった。グラモフォンから2000年に発売になったCDだろう。
 何れ、ハイフェッツの名は、私の中では別格である。

              ♪  ♪  ♪

 一時期、毎日のように聴いていた盤がこれ。

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 このアルバムに収録されているバッハのヴァイオリン協奏曲第1、第2番は1953年12月にハリウッドで録音されているが、この2つの協奏曲は彼が残した唯一の演奏である。共 演はウォーレンスティン指揮ロサンジェルス・フィル他。「2つのヴァイオリンのための協奏曲」は1946年10月にやはりハリウッドで録音されている。共 演はフランツ・ワックスマン指揮RCAビクター室内管弦楽団。ともにハイフェッツの絶頂期の名演奏であるという。(株)ソニー・ミュージックエンタティメント 2001

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こんな季節には

007   友人が体調を崩している。この季節には何者かが心の空洞をくっと押し広げる。うかうかしているとこんどは視界そぎ落とそうとする。
 天に伸びるこんな樹木を見上げよう。これはトチの木。もう実はぜんぶ落ちちゃったの?てっぺんの葉っぱはどうなってるの?木漏れ日はどのあたりを潜り抜ける?
樹間にのぞく空はどんなふう
 目線を下においてると、路に延びる影が喜ぶ。影はだんだん濃くなって、
それでも眼を凝らしてると、こんどはすっと闇に引きずり込んでしまう。とくにこんな季節には。ご用心、ご用心。
 見上げよう、青空とさざめきあい、しずかに冬を迎えようとしている木々を。そして
、早々と、雪景色を先取りする。光を浴びる眩い雪の朝を心いっぱいに思い描くんだ。

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「ここに愛がある」江藤博久キリスト教講演会ー2012/11/4(日) AM10:30~12:00 昼食 13:30~15:00 - -

 インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)では以下の広告のとおり、江藤博久先生をお迎えし集会をひらきます。昼食がでます。みんなで賑やかなお昼を。初めての方、特に大歓迎いたします。

  江藤博久先生は早稲田大学政治経済学部卒、野村証券入社。89年シンガポールにて受洗。帰国後はインマヌエル神学院教会へ。91~2000年野村グループ役 員。40年間内外の営業に従事。定年後インマヌエル聖宣神学院入学。2006年八王子教会牧師。現在、教団巡回牧師、八王子教会協力牧師。

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きょうのことば 『山にて示されし式様』ー教団創立記念講壇ー

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924) 國光勝美牧師の要約をお伝えしています。きょうは2012年10月21日の説教です。

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説教題  『山にて示されし式様』ー教団創立記念講壇ー
聖書引証 出エジプト25:40

40 よく注意して、あなたが山で示される型どおりに作れ。


 きょうは教団創立記念講壇の日です。そこで出エジプト記からのおことばを掲げさせていただきました。
 教団の創立者蔦田二雄牧師が、インマヌエル綜合伝道団の成りたちに及んだ代表的な説教を集約したものに、『山にて示されたひな形』があります。
 インマヌエルは、遡りますと、英国国教会のジョン・ウェスレーに辿りつき、メソジスト派、ホーリネス派の流れを汲んでいます。1890年、英国国教会の司祭で、貴族出身のバークレー・バックストンが来日、島根県松江市で宣教を始めました。これがインマヌエルの源流となるのですが、バックストンの霊的、人格的な影響は大きく、今日の日本の福音派の流れで、この恩沢を受けていないところはありません。
 バックストンの大きな影響を受けた人物に中田重治がいます。ホーリネス教会の原点となりました。アメリカでいうキャンプミーティング、日本でいう林間聖会のような大規模な集会で、第二の転機、即ちきよめを受けた人々が、それぞれの教会においてよい業に励むよう導くという大変すばらしい福音の働きをしました。
 中田監督は転機というものに重きを置きましたが、バックストンの場合は転機というよりも、その継続的なあり方、成長に比重を置いていました。
 中田監督とコンビを組むようにしていたのが笹尾鉄三郎です。蔦田二雄師は、笹尾師と直接交わりを持つ機会がなかったことを非常に残念に思っていたようです。
 またホーリネス系、或いは、福音派、きよめ派に大きな影響を与えた人物としては、米田豊、一宮政吉、菅野鋭、小原十三司、車田秋次がおり、聖書学院の5教授といわれています。

 非常に祝福を受け絶頂期にあったホーリネス教会は、見解の違いから分裂してしまいます。蔦田二雄師は、教会のなすべき真理は、イエス・キリストの十字架による贖いと、イエス・キリストの十字架によるきよめであり、これこそが聖書の主張であるという見解を堅持しました。
 戦時中に、多くのホーリネス系の教会が、まるで狙い撃ちに遭うがごとくに弾圧され、殉教にまで至ったことについて、蔦田師は、「髪の毛一本落ちるのも神の許しがなければ落ちない。その神がなぜこのようなことをお許しになったのか。それはホーリネス分裂のとき、互いが感情的に発したことば、また態度は、凡そキリストの福音に仕えるもののさまではない。キリストの御名を辱める有様、これは悔い改めねばならない。キリストはそのことを、私たちに鉄槌として与えられたのではないか」と摂理的なものとして理解しておられます。

 蔦田二雄はシンガポールの歯科医の家に生まれ、両親ともにクリスチャンでした。学齢期には岡山県のt尋常小学校、そして、中学は東京のカトリック系に進み、国際連盟で活躍したいとロンドン大学に進学。卒業間際に、神の召命を確信し、国連ではなく神の大使となる決意をシンガポールの父に手紙を書いている。父の返事は、「Obey God」、神に従え、でした。蔦田師は即刻帰国、中田重治のもとでホーリネスに身を置きました。

 蔦田は戦時中、弾圧で獄中に囚われの身となりました。これは何も蔦田特有の出来ごとではありません。私たちが真実に神に仕えているときには、やはりさまざまな試みを通ります。一本の髪の毛さえも神の許しなしには落ちない、だからこそ、その試みには必ず意味がある。その試みの時に、どういうあり方、あつかわれ方、神の前にどのように出るかによって、神さまが私たちに教えたく願っておられる、鍛えたく願っておられることがある。これを真剣に考えるときに必ずそこには勝利が与えられることを信じます。

 いにしえ、神さまは、モーセに、神を礼拝する幕屋、律法を納める契約の箱の設計図を与えてくださいました。彼は、よく注意して神に示されたその通りにこれを作りました。その結果が、出エジプト記40:16、25、32

16 モーセはそのようにした。すべて主が彼に命じられたとおりを行った。
25 そうして彼は主のともしび皿を上げた。主がモーセに命じられたとおりである。
32 会見の天幕に入るとき、または、祭壇に近づくとき、彼らはいつも洗った。主がモーセに命じられたとおりである。

34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
モーセはその設計図通りに作っていきました。

 蔦田師への獄中における神からの語りかけ、それは聖書の聖、即ち「きよめ」。「きよめ」は漢字で「聖め」と書きますけれども。それから宣教。これは使徒の働き1:8に、「 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とあります。

 聖と宣。

 私たちはきよめの恵の中に生きることができるし、生きなければならない。そして、それは宣教に実践されていかねばならない。山にて示されしひな形、それはメソジスト的監督政体として、自給、自治、自育、自展、つまり、インマヌエルの群れは、決してどこかのミッションから多額の援助があってできている教団ではない。むしろ、自分たちが開拓し、そしてキリストの福音によって救われた人たちが恵に感じて捧げた捧げものによって教会は自立していくし、教団もそのような教会によって成り立っていき、そして献身者も自らの手で育てるのが群れの基本です。主が捧げさせてくださり、主が養ってくださる。それがインマヌエルの群れの原点であるということを覚えることであります。

※割愛した部分も多くございます。疑問点は忌憚なくご指摘ください。文責:中ぶんな

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立川ゆかり氏の『是空の作家・光瀬龍』連載第11回ーSFマガジン12月号(早川書房)ー

いわての文芸誌『天気図』を率いる編集長である立川ゆかり氏の『是空の作家・光瀬龍』連載第11回(SFマガジン12月号 早川書房)が出ました。
 運動のためにも歩いて、盛岡市大通にある書店に行ってきました。棚には最後の一冊が。あと一分遅れたなら、もう売り切れていたかも。立川氏の躍進は、即ち『天気図』同人の躍進にもつながると、毎号応援しています。

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 今回、立川氏は、洗足学園の教員としての光瀬をズームアップ。筆名は光瀬だが、教師としては飯塚先生である。光瀬は、作家と教員という二足のワラジだった。となれば、必ず、どちらかが疎かになるか、からだをこわすかしかないと思いきや、教師は教師として、生徒の共感を得られる存在であったようだ。説教されたいと生徒に言わしめる教師などそうざらにいるものではない。

 さて、光瀬はどのような方法を用いて、どのような「お説教」をしたのだろうか。担任クラスでは生徒との間に交換日記を設けている。その中から2篇、紹介されているが、ただ単なるお説教ではなく、あるときには文学作品などを提示、或いは、それに光瀬が自作のストーリーを書き足すなどしているところは流石である。これがまた実におもしろいのだ。是非読んでいただきたい。

 教員のなかでは目立たぬように、作家然とした態度には極力気をつけていたらしい。ならば家族に対してはというと、これも意外や意外のサービス。
 作家というとどこか非日常的であり、奇想天外であり、アブノーマルだろうと、ややもすると探りたくもなるのだが、この評伝で光瀬を辿れば辿るほど、小説のおもしろさを書くには、何も必ずしも数奇な人生を生きる必要はないと教えられるのだ。ただしそこには厳しい創作態度の持続があるのだが。

 妻千歳に内緒でアパートを借りたこともあるようだ。立川氏は資料に基づいて、これを、光瀬が特に『百億の夜と千億の夜』を執筆するために借りたこと、そして、光瀬がこの作品に、どれほどすべてをかけていたかを
述べている。家庭の煩雑さからも逃れて、というよりは、一定時間独立しての独自の創作の時間を持ったようだ。互いに信頼し、尊重しあった夫婦像も鮮やかに掘り出されている。

 

 
 

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防災学習会に参加(某自治会主催)ー盛岡地方気象台訪問ー

 某自治会主催の防災学習会で盛岡地方気象台を訪問。技術課の係の方から約1時間、お話をいただいた。

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 天気予報の上手な利用方法、雷注意報、、大雨、土砂崩れ、洪水について学び、最後に、予報を作っている現場と、観測をしている現場を見学した。

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 個人的に興味を惹かれたのは、次の2枚。宮沢賢治関係のスライド。賢治もこの気象台を訪れています。 

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 このアメダスは勿論、模型です。

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 竜巻、洪水、落雷の対応、身の避け方など、参加した方々の関心は高く、多くの質問がなされ、有意義な学びとなった。

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雑感ーやっぱり菊池雄星・ベクレル茸・音の切り貼りー

米メジャーなり日本ハムなり、もうどこへでも飛んでいけば大谷くん。 それより菊池雄星くんはどうなってんのかな。 甲子園のマウンドの雄の星、あれからですよ、野球がおもしろくなったのは。なんてったって菊池雄星、勝っても負けても、負けて勝っても菊池雄星。…それにしても岩手の花巻の野球が、こ、こ、こんなに凄いことになるなんて!spade

 釜石市のキノコ採りが好きな遠戚から、4、9ベクレルの松茸が送られてきた。買ってまで食べる気のないわが家としては大歓迎。ところが、添えられていた手紙には、数値をこえたアミタケが出たために15日の夕方から茸の販売がストップされたのだそう。山菜は種類別で規制が掛かる。しかし野生のキノコは1種類でも出たら市町村単位でぜんぶ売ってはいけないという。この損害はいったいどこがどう埋め合わせてくれるの?crying

 しかし録音技術がここまで進化していたとは! ノイズを除くどころか、音の切り貼りまでができる。一生を通じての何十回、或いは何百回の演奏の中から最高の部分だけを切り取ってつなぎ合わせることも可能なのだ。もっと極端には、本人同士が望むと望まないにかかわらず、たとえば、ホロビッツとグレン・グールドの切り貼り盤だってできないことはない。グレン・グールドは眉間に皺…思えばこれにはホロヴィッツだって…やはり、これだけは、あってはならないという気がする。♪

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グラフィックデザイナー馬渕ひろみさんのコラージュ & 雑感 

 先ごろ行われた馬渕ひろみさんの「海・コラージュ展」の作品群の中の一枚です。少女時代にさまよった夢を思い出させてくれました。

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 馬淵ひろみさん、検索してみましたところ、宮古市出身でした。
 情報誌デザイン、挿画、装丁、その他のデザイン、イラストを手がける。イラスト個展11回。岩手広告賞奨励賞・美術展入賞。日本グラフィックデザイナー協会会員。岩手デザイナー協会会員。
 思えば、岩手日報社刊文芸誌「北の文学」や、岩手日報紙上の挿絵で何度もお会いしていたわけですが、挿絵は単色刷り。このように作品として拝見したのは初めてでした。
 馬渕さんのホームページを検索していただくと、さらにたくさんのコラージュをご覧になることができます。


   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 パソコンを変えてからどうも黒がきれいにでない。それでカラーで印字している。設定が適切を欠いているのだろう。きれいな黒で、すっきりと納まりたいたいのだが、その設定をゆっくり見る暇がないというよりは、それに充てる時間をもっていないのだ。

 きょうはグレン・グールドの「ゴールド・ベルク変奏曲 BWV988を2種類聴いていた。
 BWV988 が2つあるわけではなく、1955年録音と1981年録音盤のことだ。1955はグールドのスタジオ人生の始まり、1981は生涯最後の録音だ。音楽家が最後に立つ到達点とはどんなものだろう。絵画ならば並べて検証できるかもしれないが、音楽にその変遷をたどるのはなかなかに厳しいものがあるだう。最初と終わりぐらいならと聞き始めてみた。

 気がつくと、またタイムオーバー、0時21早い目の就寝を心がけようとしたはずがまた遅くなってしまった。

 

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病んでいる友へーきっとよくなるさー

きょうはブログに何を?…と思いめぐらした。きょうしたことといえば、学校時代の友だち3人とのランチ…しかし、いま大事な友だちが療養中、とてもああだこうだと公開する気分にもなれない。ほんとうはその友だちとだってランチしたいのだ。治るのを待っている。盛岡城跡公園が黄葉している。きっとよくなるよ。葉っぱが枝から落ちていくように、病もどんどん体から落ちて離れていく。秋はこうなんだ。だから秋はさびしくはない。やがてそこからは新しい命の芽が出てくる。たとえいまどこにいようともね。


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「楽譜 小さな手」(作曲アンサンブル5) & 「CD Lumiere」(木島由美子 作品集)

 考えがまとまらない。やはり力不足…。この手にはそれほどの力がないな。ま、こんなふうに思われる日だってあるさ。そして思いだしたのがこの曲。

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 これは、
演奏時間2時間ほど掛かるカンタータの中の1曲です。作曲:「アンサンブル5」、作詞:宮脇誠氏
「アンサンブル5」は、山形大学教官の藤原義久氏、卒業生の佐々木良純、小島湖、
峯田博子、木島由美子の各氏。各人が各人の担当で作曲。オーケストレーションは佐々木良純氏。震災後、ボランティアで自費出版されています。
 やさしい思いがあれば、自らを癒し、そして他人をも癒すことができる。他人を癒すことができたときには、そのことによってまた自らが癒されるだろう。
 この曲は、さびしいときにやさしい気持ちにしてくれる、力がないなとおもうときに、それでも小さな小さな一歩からだよと背中をそっと押してくれる。
 この楽譜は利益なしで、しかもCD付きで500円(送料別)で販売されています。お求めはうにさんのブログからどうぞ。

わたしの手は小さいけれど あたたかい手でいたいから
一人ぼっちでさびしい人に 手紙を書いてあげたいな

わたしの手は小さいけれど 
あたたかい手でいたいから
いつも病気で寝ている人に おりづる折ってあげたいな

わたしの手は小さいけれど 
あたたかい手でいたいから
つらい思いをしている人の 涙をふいてあげたいな

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 作曲家うに木島由美子氏のブログは、現代の作曲家がどのような機材を用いるものか、またオーケストラで使われる楽器の特性、その活かし方、演奏者との詰め、或いは楽典のこと、これは時として専門的で難しいこともあるのですが。またコンサート評や作曲家の日常に至るまで、作曲家の創作のようす、考え、思うところを知ることができます。ブログの文章には戸惑っている気配がない。実にストレートです。それだけに余計な詮索抜きに信頼しすんなりと読むことができます。

  この木島由美子氏が、「CD Lumiere」をだしています。こちらもご覧ください。元気の出る曲、そして、ブログから受ける印象とはまた趣きの異なる奥深い曲に出会うことができます。これも、うに・木島由美子氏のブログからお求めいただけます。

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       ~Program~
    1.歌に会いにでかけよう 
   Mezzo soprano:高橋直子 Piano:菅野清香

   働くオンナの事情
   
   2.Part 1:アクマの天国
   3.Part 2:夢の扉
   4.Part 3:仕事帰りのあこがれ
   Mezzo  soprano:高橋直子 Piano:木島由美子

   ソナタ「玉響(たまゆら)」
   
   5.1mvt.現世(うつしよ)
    6.2mvt.幻影(まぼろし)
   7.3mvt.遊戯(たわむれ)
   Clarinet:佐藤明 Piano:小林路子

     8.
紫苑
     Trumpet:井上直樹 Piano:小林路子

     9.
    Lumière〜彩り〜
     Bass Trombone:高橋智広 Piano:前田ひろみ

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きょうのことばー神われらと共に在すーインマヌエル綜合伝道団創始者のこと

 いつもは、インマヌエル盛岡キリスト教会の日曜講壇で語られた説教の要約を1週間遅れで掲載しておりますが、実は先週ICレコーダーの携帯を忘れてしまいました。CDをお願いすることもできましたが、先週は教会が超多忙であることから、頼みごとは遠慮しました。
 因みに、説教の起こしは、教会側からの依頼、意向で行っているものではなく、一応許可をいただいて、このブログ筆者が自主的に行っているものです。


 きょうは教団の創立記念講壇が持たれました。この講壇の説教は来週掲載いたしますが、インマヌエル綜合伝道団の創設者蔦田二雄先生について簡略にご紹介いたします。
 1906(明治39)年、シンガポールで開拓、1940年には聖書学校塾を開設。1942年より弾圧による2年間の幽囚生活で

 「インマヌエル(神われらと共に在す)」

の幻を与えられ、1945年イムマヌエル綜合伝道団を創設。翌年に船橋教会、1948年に丸の内教会、1949年に聖宣神学院を創設。1971年召天まで、初代総理として教団を指導した。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)では以下の広告のとおり、江藤博久先生をお迎えして、集会をひらきます。
 江藤先生は早稲田大学政治経済学部卒、野村証券入社。89年シンガポールにて受洗。帰国後はインマヌエル神学院教会へ。91~2000年野村グループ役員。40年間内外の営業に従事。定年後インマヌエル聖宣神学院入学。2006年八王子教会牧師。現在、教団巡回牧師、八王子教会協力牧師。

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天沼三津子七宝ジュエリー展ⅩⅩⅤ2012/11/20(火)~25(日)盛久ギャラリー & ある日突然

 第25回国際七宝展で奨励賞を受賞した天沼三津子さんの個展です。
 天沼さんの作品は七宝自体が洋服のうえで輝くというよりも、一見地味に見えながらも、つけたときにそのファッションを活かしてくれるという、そういったアクセサリーを多く制作しています。手を抜かない姿勢は暮しの随所に表れており、花作りなどもその一例です。

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 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 きょう午後、盛岡市中央公民館で、もりおか童話の会があった。代表の菊池尋子さんの司会で作品を発表、批評しあった。わたしは、きょうは原稿なしで参加。昨夜体調をくずし、書きかねた結果だ。体力の乏しさを実感する。

 風の音がしている。昨夕、近くのお店で買い物をした帰りに、どうしたことか、歩きながら、いつ自分が、このからだという仮住まいの場所を後にして、別な世界に移っていったとしても、それはごく自然なことであるように思われた。
 昔「脱皮」という30枚の短編を書いたことがある。蝶は卵、幼虫、これも何令幼虫と段階を踏むわけだが、それが蛹になり、やがて蝶になる。まったく形の違うものに変化を遂げてゆく。誰でもが知っていることだが、この変化を遂げる形の違いというものは驚異的なのだ。食樹にくっついているただの虫、大方はこういった捉え方だ。しかしこの生態の変化を人間大に拡大して日々眺めたなら、これがいかに奇想天外なことであるか。小説では虫が脱皮するたびに、ひとがそのときの痛みを共有する。その段階ごとに共有してゆくうちに、最後の激烈な苦痛に襲われる。そして気づいてみると、自分のからだに見事な翅がついており、生命力のあふれる自然界をいとも簡単に巧みに縦横無尽にとびかけるというはなしだ。そのときには、まったくの空想で書いたのだが、いまになってそれが非現実どころか、むしろそれに違和感のなさを感じている。
 昨夕、ふと、路上で、自分が自分から抜け出すことはありうる。抜け出した自分が、その傍らに立って、自分の抜けがらを見下ろしている、そういう事態はあり得ると思われた。

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エカテリーナコンサート & 女声合唱コーラス四季 を聴く

うた~心の故郷 Japanese Songs in Russian Heart

 2012年10月18日(木)盛岡劇場メインホールで、エカテリーナのコンサートがありました。チラシなどは友人に差し上げてしまったので、写真をアマゾンからお借りしています。
 主催は日本・ロシア協会 岩手支部。最近、ある必要から、デウという町の名を捜していたのですが、それがもしかすればチタではないのか(これは違っているかもしれませんが)という思いでいたところ、エカテリーナがチタの出身ということで、これも何かの縁と勝手に思ったわけでした。チタはたしかイルクーツクから列車で8時間と聞きましたが。
 ちょうど前後して、昭和20年、ソ連が満州に侵攻したところをさんざん書籍やネットなどで見たばかりで、なぜ? という思いが沈殿していた。しかし、日本人も中国に対しては同じことをしてきている。凡そ戦争はそういった残虐性が剥き出しになる。けれども、どちらがどれだけ残虐であったか、こういうこともあった、ああいうこともあったと羅列することに意味があるのだろうか。歴史的な事実として、或いは反省材料として、或いは戒めとして記録を集めようとも、また同じことが起きている。戦争がなかったためしがない。いつもどこかで争いがある。これが何に起因しているのか。わたしは、それはやはりひとのなかにある原罪、それではないかと思うのだ。それを解決しない限りはどんな争いもなくなることはないように思う。

 しかしそういった宗教観がないとしても、互いが理解しあい平和を希求しようとの思いは、戦争の惨さを嫌というほど知った後では、これは実体験ではないけれども、それでもやはり尊いことと思う。平和ということばが陳腐に聞こえるようになったときがいちばん恐ろしいときであるかもしれない。そういった意味で、このように音楽を通して、いま、ロシアへの理解を一歩すすめることができたのは幸運だった。

 理屈はともかく、エカテリーナのプログラムから特に、オペラのアリア(トゥーランドットから)、PIEジャズ(いのり)は魂の歌声だった。饒舌なピアノも最高。大好きなロシア民謡もロシア語で聴くことができた。言語自体がすでに音楽、そう実感された。

 共演の女声合唱コーラス四季(会長駒木和子・指揮門脇次郎・ピアノ伴奏小笠原史)、20人の合唱からは、“あしたへの、未来への夢”が聞こえました。

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クラリネット奏者大向佐保さんボランティア演奏 & Suono di MORIOKA(スオノ・ディ・モリオカ)第一回演奏会 2012/11/17(土)18:00マリオス小ホール

 クラリネット演奏者大向佐保先生が、10月17日、天神町自治会のいきいきサロンにおいてボランティア演奏してくださいました。ご覧の通り、ステージ、照明、音響設備なし、ついでに出演料もないのですが、快く引き受けてくださいました。
 先生は岩手県盛岡市出身。9歳でクラリネットを始めました。武蔵野音楽大学でクラリネットを専門に学び、2007年岩手大学教育学部芸術文化課程音楽コースを卒業。同年、長江杯国際音楽コンクール、日本クラッシック音楽コンクール共に最高位受賞。2010年第22回大仙市大曲新人音楽祭コンクール奨励賞、2011年、同コンクール優秀賞受賞。天神町でクラリネット教室を主宰

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 オリンピックのエキシビションで荒川静香が採用した「ユー・レイズ・ミー・アップ」で幕のない幕は開きました♪お持ちの楽器はアフリカ原産のグラナディアという硬い木で作られ、5つに分解でき、素朴で温かみのある音色が特徴。クラリネット演奏にビブラートはないそうです。そして演奏くださったのは、 ♪「クラリネットポルカ」 ♪秋の歌メドレー「赤とんぼ」「小さい秋みつけた」 ♪ジャズ「枯葉」「ムーンライトセレナーデ」 ♪「見上げてごらん夜の星を」(全員で合唱) ♪アンコール曲「チャルダーシュ」

 短い時間でしたが楽しい音楽のひと時をみなさまと共有することができ感謝したことです。

 もうひとつ、大向佐保さん発で、この盛岡市で新たにアンサンブルが誕生したというニュースが! 盛岡市を中心に活躍しているクラリネットの大向佐保、ピアノの三神樹美、薫弦楽四重奏団団員、アンサンブルアラカルトメンバーにより結成された「 Suono di MORIOKA」 (スオノ・ディ・モリオカ) これはイタリア語で「盛岡の音」という意味だとか。次のように第一回演奏会があります。

           Suono di MORIOKA」 (スオノ・ディ・モリオカ)

               第一回コンサート  

           2012年11月17日(土)18:00開演

             盛岡市民文化(小)ホール

               


            
            日本クラシック音楽コンクール共に最高位受賞。
            
            2011年、第23回大仙市大曲新人音楽祭コンクール優秀賞受賞。
これまで盛岡にて4回リサイタルを開催。
            これまでクラリネットを舩橋忠雄、柏野晋吾、中島誠一、小倉清澄、小谷口直子の各氏に師事。

岩手県盛岡市出身。9歳でクラリネットを始める。
            
            2001年、武蔵野音楽大学音楽学部器楽科に入学し、クラリネットを専門に学ぶ。
            2007年、岩手大学教育学部芸術文化課程音楽コースを卒業。同年、長江杯国際音楽コンクール、
            日本クラシック音楽コンクール共に最高位受賞。
            2010年、第22回大仙市大曲新人音楽祭コンクール奨励賞受賞。
            2011年、第23回大仙市大曲新人音楽祭コンクール優秀賞受賞。
これまで盛岡にて4回リサイタルを開催。
            これまでクラリネットを舩橋忠雄、柏野晋吾、中島誠一、小倉清澄、小谷口直子の各氏に師事。

            

岩手県盛岡市出身。9歳でクラリネットを始める。
            
            2001年、武蔵野音楽大学音楽学部器楽科に入学し、クラリネットを専門に学ぶ。
            2007年、岩手大学教育学部芸術文化課程音楽コースを卒業。同年、長江杯国際音楽コンクール、
            日本クラシック音楽コンクール共に最高位受賞。
            2010年、第22回大仙市大曲新人音楽祭コンクール奨励賞受賞。
            2011年、第23回大仙市大曲新人音楽祭コンクール優秀賞受賞。
これまで盛岡にて4回リサイタルを開催。
            これまでクラリネットを舩橋忠雄、柏野晋吾、中島誠一、小倉清澄、小谷口直子の各氏に師事。
            大向 佐保
            

            
            大向 佐保

            
            

            
            
岩手県盛岡市出身。9歳でクラリネットを始める。
            
            2001年、武蔵野音楽大学音楽学部器楽科に入学し、クラリネットを専門に学ぶ。
            2007年、岩手大学教育学部芸術文化課程音楽コースを卒業。同年、長江杯国際音楽コンクール、
            日本クラシック音楽コンクール共に最高位受賞。
            2010年、第22回大仙市大曲新人音楽祭コンクール奨励賞受賞。
            2011年、第23回大仙市大曲新人音楽祭コンクール優秀賞受賞。
これまで盛岡にて4回リサイタルを開催。
            これまでクラリネットを舩橋忠雄、柏野晋吾、中島誠一、小倉清澄、小谷口直子の各氏に師事。

            
            
岩手県盛岡市出身。9歳でクラリネットを始める。
            
            2001年、武蔵野音楽大学音楽学部器楽科に入学し、クラリネットを専門に学ぶ。
            2007年、岩手大学教育学部芸術文化課程音楽コースを卒業。同年、長江杯国際音楽コンクール、
            日本クラシック音楽コンクール共に最高位受賞。
            2010年、第22回大仙市大曲新人音楽祭コンクール奨励賞受賞。
            2011年、第23回大仙市大曲新人音楽祭コンクール優秀賞受賞。
これまで盛岡にて4回リサイタルを開催。
            これまでクラリネットを舩橋忠雄、柏野晋吾、中島誠一、小倉清澄、小谷口直子の各氏に師事。

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最近の大信田時子さんの作品 & カンブルランの第九

10/1~15の水曜デッサン会の展覧会がありました。友人、大信田時子さんの作品です。撮るときに光ってしまいました。どうしようか迷いましたが、これもまたステキだと思われアップ。

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 わたしがmarusei さんとともに訪れたのは最終日。会場の喫茶ママは入れ替わり立ち替わり大勢の方々が観にきていました。

              ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ここからはレコード芸術からのはなしですが

 10月号にシルヴァン・カンブルランのインタヴューが載っている。読売交響楽団の常任指揮者だ。年末には、読響とベートーヴェンの第九を演奏予定らしい。さまざまな指揮者の第九の解釈を認めながらも彼はいう。

「私は、ベートーヴェンの楽譜に書かれていることをできるだけ忠実に再現して演奏したいと思っています。例えば、テンポに関してもベートーヴェンが書いた通りのテンポでやるつもりです。聴き手によっては、早すぎると感じるかたもいるでしょう。でも私はベートーヴェンが求めていたテンポに忠実でありたいのです。ベートーヴェンは時間が経てば経つほど、モダンであると感じています。なぜなら、その様式、リズム、音色、楽譜のテクスチュアがいつまでたっても新鮮で、常に新しいものを発見することができるからです…」

 第九を聴くひとは多いけれども、第九のスコアは、オケにでも入っていなければ読まないだろう。ベートーヴェンの楽譜がどんなものかを窺うことができる。朝比奈隆は、若いころは独自の解釈で演奏したこともあるようだ。しかし晩年になると、楽譜に忠実に演奏している。これを私は単純に、作曲者の創意を尊重してのことと理解していたが、シルヴァン・カンブルランのこのはなしでやっとわかった気がする。

 グロール・レーベルから、カンブルランのベートーヴェンの交響曲シリーズが出ているが、この中の第九は驚きの第九なのだ。第九と一緒にシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」を入れたのだという。第九のすぐその後に「ワルシャワの生き残り」が始まり、その後に、第九の最後の40小節が続く。この解き明かしはつぎのとおり

ユートピアの世界を表現している第九では、最後の歓喜の部分で人類愛が高らかに謳われます。何故、その直後にシェーンベルクを演奏するかといえば、現実の世界では、まことに残念ながら、人類愛が存在しないことが多いからです。再び第九の最後の40小節を演奏するのは、人類愛が存在することを信じていきたいという願いからなのです」

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「秋のアンサンブルコンサート」ーシンフォニエッタ盛岡withフレンズ-を聴く

2012/10/13(土)の午後、シンフォニエッタ盛岡withフレンズの「秋のアンサンブルコンサート」に出かけた。

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  プログラム第一部での小、中学生のヴァイオリン、ピアノ独奏、畑村保裕代表の挨拶にも、「将来シンフォニエッタの団員になるか、それとも県外のどこかで活躍するようになるか」とあったが、何れ将来期待できる予備軍である演奏には感心した。特に中1生の「チャルダーシュ」には、ほんとうに中1だったかなとプログラムを見なおしたことでした。

 ふだんは交響曲、協奏曲を聴くことが多いのですが、今回のようにギター&フルートデュオ、ヴァイオリンの、ピアノの、クラリネットの三重奏、そしてビオラカルテットといった内容は、楽器がきままにオケから飛び出してきて、それぞれの響きの個性を聴かせてくれたような楽しさがありました。ギター&フルート、秋の日だまりのような心地よさ、you tube で聴いたよりもよかったです。風邪ひきさんの関係でこれは初見での演奏だったのでしょうか、日本の歌メドレー、心に染みました。ヴィオラカルテット、4台ともなると腸にまで響きます。身の丈に自然に響いてくれるとも。クラリネット、ファゴット、この楽器も調べてみると奥深い、近頃書いた文章に、管もプチっと書きましたが、何しろ聴く機会はすくない、というわけで聴くことができ感謝でした。休憩のお茶、手作りケーキ美味しかったです!!

 楽器が思うように弾けるっていいな。身近に楽器を置きながら取り出すことがあまりなかった。いまになってすこし悔しい。

                   【programu】


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                    ♪こんどの予定

                 2012/11/3 (土)14:00~

             もりおか歴史文化館(内丸の旧県立図書館跡)

             シンフォニエッタ・盛岡によるトリオコンサート

                出演 ヴァイオリン 宮野ゆかり

                    チェロ    畑村保裕・安保尊
 

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お詫びー10月15日(月)にアップした記事を削除しましたー

 昨日アップしたシンフォニエッタ・盛岡の記事に、きょう書き足しておりましたところ、操作に失敗、不具合を生じたために一旦削除しました。お詫び申し上げます。後日改めてアップさせていただきます。

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きょうのことば『主イエスを愛する』ーヨハネ伝連講(122)ー

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をおつたえしています。きょうは2012年10 月7 日の説教です。

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説教題 『主イエスを愛する』ーヨハネ伝連講(122)ー
聖書引証 ヨハネ伝21章15~19節

15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエス に言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたの で、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼 に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

【説教】
 いつ召されるかという際にあります両親を見舞いに、松本市まで行ってまいりました。昨年の12月に駆けつけ、信仰に導き、イエスさまの救いを確認しまして、近くの教会をお借りし洗礼を授けさせていただきました。あれからもう1年になろうとしております。このためにもどうぞお祈りいただきたく思います。

 前回は、伝道というものは、主のおことばと、主の助けなしには何もできないことを学びました。今回は、「食事」の意味するところを聖書から見ましょう。
 弟子たちが、エマオの途上で不思議な人物とはなしをします。誰であるかはわからない。しかしその人物が一緒に食卓に着いてお祈りをしたとき、弟子たちの心の眼がひらかれ、それがイエスさまであることに気づいている。また、使徒の働きの1:4の「いっしょにいるとき」には「食事をともにしているとき」という注釈がついていますが、イエスさまは食卓で、弟子たちに大切な申し送りをしている。これらのことから、イエスさまと食事をともにすることには、単に食物を摂取するだけではない大切な意味があります。復活の主といっしょに食事をする、これは交わりをするということです。

 復活のイエスさまは、ガリラヤ湖畔で、すでに朝餉の準備をしていました。ここに大漁だった153匹のうちの数匹を持ってこさせ、それを足して、一緒に食事をした。ここでイエスさまが意図されたことは何だったのか。
 ルカ5章には、弟子たちがまだガリラヤの漁師だったときのことが出ています。彼らがガリラヤ湖で不漁だったときに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と仰ったのはイエスさまでした。大漁に驚いたペテロ、ヤコブ、ヨハネたちに主の召命がかかり、彼らは舟を捨てて主に従っていったのです。ガリラヤ湖にあって、彼らは先ずこのことを否が応でも思い出したでしょう。

 ヨハネ21:15で主はペテロに、「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか 」と訊かれる。この人たちとは、ここにいるお弟子さんたちのことでしょう。ペテロは、「私があなたを愛することは、あなたがご存じです」とこたえると、主は「わたしの子羊を飼いなさい」と仰った。これが一回目です。21:16で主は再び「わたしを愛しますか」と訊き、そしてまた21:17でも同じことを訊いている。
 なぜ3回も繰り返されたのか。それは、ペテロが、かつてイエスさまが捕縛され十字架につけられたとき、自分の身に難が及ぶことを恐れて、イエスなど知らないと3回否定したことにあります。これはペテロ自身が、もう主の前に到底取り返しがつかないと思い悩んでいた背き、失敗だったでしょう。ペテロがそれを心に悩んで主の前に申し訳ないとの思いであるのを、イエスさまは見抜き、これを逃さずに、しかもこれを用いて、ペテロを潰すのではなく、ペテロをもういちど生かすために、しかしどうしても避けて通ってはならない部分をあつかわれたのが、「わたしを愛しますか」というこの3回の問いかけなのです。

 3回目で流石にペテロも、ああ、あの時のことをあつかわれているのだと思い当たったでしょう。では、あの時とはいつのことか。
 ヨハネ13:36、これは、イエスさまが捕縛されるのを目前にした最後の晩餐での会話です。
36シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし、後にはついて来ます。」
37 ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
38 イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

 ペテロは、イエスさまを裏切ることなどあり得ないと思い、そんなことはないと主張します。しか同じようなことが、マタイ26:31~35にも出ています。こちらは、もうイエスさまが捕縛される直前のことです。
31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。
32 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」

33 すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」

34 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

35 ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。

こんどはマルコ14章で同じところを確認しましょう。

27 イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』と書いてありますから。
28 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。

29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまづいても、私はつまづきません。」

30 イエスは彼に言われた。「まことにあなたがたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」

31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

 これで、復活のイエスさまが、ヨハネ伝21章でにあるように、ガリラヤで「わたしを愛しますか」と3回訊いた意味がわかるでしょう。

マルコ14章には、66 ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、67 ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」68 しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない」と言って、出口のほうへと出て行った。69 すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です」と言いだした。70 しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」71 しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。とありますが、これがペテロの生涯にとって、どれほどに大きなキズとなっていたかがわかるでしょう。そのペテロを回復させるために、イエスさまはペテロをあつかわれたのです。

 イエスさまは、「あなたはわたしを信じますか」と訊いてはいない。「わたしを愛しますか」と訊いておられるところに意味がある。あなたがわたしを信じていることは知っているが、あなたはわたしを愛していますか、この先わたしのあとを継いで教会にたましいを導こうとするときにいちばん大切なことは、愛していることなのだよと仰るのです。みんなイエスさまを信じています。そしてペテロのような致命的な失敗はしていない。しかし、ペテロのすがたは、私たちのすがたです。イエスさまは、そのペテロを受け入れて、「あなたはわたしを愛しますか」と訊いておられます。私たちがイエスさまを信じていくときに、多くの失敗をし、或いは回復不可能なほどの過ちを犯してイエスさまを悲しませることがある。しかしペテロを見てください。イエスさまはペテロに、「あなたはわたしを愛しますか」とお聞きになって、ペテロを回復させてくださる。そして、「わたしの子羊を飼いなさい」と仕事を与えてくださる。イエスさまは信頼し期待しているからこそ、その者に子羊をゆだねてくださるのです。

※以上は説教のぜんぶではなく要約です。例話などは割愛しています。文責:中ぶんな

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ひと仕事を終えてみると…休符

 きょうは馬渕ひろみさんの個展を観、シンフォニエッタ・盛岡の秋のコンサートを聴いた。帰宅してひと仕事を終えてみると22時半。休符!休符!と心の声。連日忙しかったこともあり、その声に従うことに。
 しかし絵も描きたかった。楽器もどこか初歩的なグループに入っていればと悔やまれもしたけれども、実家の母の介護で7年間。それが終わると同時に舅の介護が去年の5月までとなれば、これは所詮無理だったかもしれない。しかし、文芸だけは辛うじてまだ残っている。感謝なことである。
 

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「秋のアンサンブルコンサート」ーシンフォニエッタ盛岡withフレンズ-2012/10/13(土)

 13日土) 13時~ は、シンフォニエッタ・盛岡の秋のアンサンブルコンサート!!
ヴァイオリン、ピアノ、ギターの独奏のほか、ギター&フルートのデュオ、木管三重奏、ピアノ三重奏、チェロニ重奏、クラリネット三重奏、ヴィオラカルテット、弦楽合奏と思いがけないプログラム。曲目をご覧になりたい方はこちらです。
 もう朝の9時から午前いっぱいのリハーサル。私たち聴衆が動き出すのは12時以降ですが、弾いてくださる団の方々は朝から。本番当日というのは大変なのですね。
 楽しみに明日を待つといたします。♪

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休符・休符・休符

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 きょうはちょっと疲れ気味、というわけで、お休みいたします。写真は、またしても月下美人。

 と書くうちに、ひとつ思いだしました。梅村保の満州時代をつたえてくださった東京在住の齊藤さんという方に、これはもう数年ぶりということですが、果たしてお元気だろうかとお電話してみたところ、奥様が電話口に出られ、いま外出中であるが、15日には帰られることがわかった。これで原稿内容の可否を伺うことができる。よかった!! 90歳になられていた。実は岩手の作家未満であると申し上げると、「面白いじゃありませんか。応援しますよ」との励ましのおことばを頂戴した。

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被災地めぐり

 きょうはこの自治会の女性部の被災地巡りに参加。
釜石、山田、宮古を訪れたことはありますが、大槌は初めてでした。ガイドさんの説明では、平成22年の国勢調査時で大槌の人口15000人だったのが、亡くなられた方800人、行方不明の方々500人ということでした。
 大槌町役場に立ち寄り被災状況説明を受けましたが、マスメディアで流された多くの証言の方々の説明、証言が生々しくよみがえりました。

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大槌町の海の景観は美しく、3・11の悲劇があったことが信じられない思いです。3枚目の写真の山際には寺があったといいます。本堂などは流され、傾斜地の墓地が残っていますが、ここに多くの方々が逃れたことは、すでに報じられたとおりでした。

 きょうの海は青く、空に白いくもが沈黙しているのですが、その空もまた明るく青く、地には土台だけを残したところどころにコスモスが咲き、空き地にはセイタカアワダチソウの黄色い花が咲いている。しかし悲しみ、無念の想いが消えない方々のうえに時間はあまりにゆっくりと流れている。きょう乗ったマイクロバスにも、津波で娘さんを亡くした方が乗っていたのです。

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カボチャ、おおいばり

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 カボチャを台にしたゴーヤの苗が、まもなくカボチャを繁らせたことは前にも書きましたが、それがどんなに物凄い勢いで裏庭狭しと延びに延びたかは、いくらことばで説明しても、見えてはこないわけで、きょうは屋根の上から写真を撮ってみましたが、、見えている大きな葉っぱはみなカボチャです。これが、写ってはいない右側の庭の部分も、いっぱいに占領しています。後ろの木にも這いあがったのですが、隣に迷惑がかかるので切り落としました。
 まだまだ延びそうですが、写真を撮ったすぐ後に、全部刈り取り始末しました。なぜたった一つの株からこれだけ増え広がることができるのか、片づけてみてわかったことは、茎からけっこう立派な根が何か所にも出ていたことです。この生命力にはたじたじです。凄いものです。
 ただトマトなどは、脇芽を摘んだりしてよい実をならせるために手入れをすることを考えると、このように延び放題にまかせることは、収穫の為にはよいことではないかもしれない。
 片づけているあいだに、また大きく育ったカボチャが一つ見つかりました。これでぜんぶで三個の収穫です。
 たかがカボチャのはなし、しかし、このカボチャの生命力の凄さにはすっかり感心してしまいました。

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キンモクセがよいかおりを放っています。ヒガンバナも咲きました。

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月下美人の健闘 & 天気図編集会議

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   昨日7日に開いた月下美人。自分の開花予想は外れたものの、咲いたのが 7 の日であるという嬉しさがある。昨夜は月下美人を観に近所の方もきてくださった。それから23時に観た星空には、星雲が、眩い光を放って瞬く星がかかっており、流れ星が幾つも落ちた。そして今朝の月下美人は、

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今朝は7時起床。去年のように、もう月下美人はまるで咲きつかれたようにぐったりと垂れさがっているだろうと思っていた。ところが、まだ咲いていたのである。ちょっとした驚きだった。上は午前9時に撮った写真。

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 明るく日の差す玄関を開けて外に出ると、近くにある教会の十字架が樹木のあいだに見える。私が毎日曜日に行っている教会ではないけれども、十字架が立っていることに安心をおぼえる。

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これは午前11時に撮った写真。午前中いっぱいは、このようなようすを保っていた。去年までは、もう明け方に萎んだ花が垂れさがっているのがふつうだった。ほんとうに私は不思議だと思った。一点から花芽が2つ出ただけでも驚きだったが、二つの花がこのようにバレエを連想させて午前中いっぱい形態を保って観るものを楽しませてくれたのである。

 息子は、友だちと会い、星を観、月下美人を観、芋の子汁に満足して今夜帰っていった。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


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 きょうの午後、こんど新たに移転した矢巾町広宮沢の出版社ツーワン・ライフで、文芸誌「天気図」の編集会議があった。脇役で同席、文芸誌づくりの面白さを覗かせていただく。感謝、感謝。




 

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きょうのことば『復活の主との交わり』ーヨハネ伝連講(121)ー

 日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をおつたえしています。きょうは2012年9 月30 日の説教です。この日、私は地域の運動会に参加し、教会を欠席しましたが、CDにとっていただきました。

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月下美人が今晩(10月7日22時撮影)咲きました。日曜日の開花です。


説教題 『復活の主との交わり』ーヨハネ伝連講(121)ー
聖書引証 ヨハネ伝21章1~14節

1 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現された。その現された次第はこうであった。
2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。

3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。

4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。

5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」

6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。

7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。

8 しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。

9 こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。

10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」

11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた、それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。

12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねる者はいなかった。

13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。

14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。



【説教】
 きょうも、先週とおなじヨハネ伝21:1~14からです。特に、復活された主との交わりについて語りたいと思います。
 なぜイエスさまは、ガリラヤでよみがえりの御自分を弟子たちに現わされたのか。イエスさまがカルバリの丘で十字架につけられ、三日目によみがえったことを御使いによって知らされるという一連のことは、弟子たちにとって、凡そあり得ない非現実的な出来事でした。イエスさまは、これを弟子たちが得心できるようにしたく願っておられた。十字架が、復活は現実のことであるが、かつて初めてイエスさまと出会った謂わば弟子たちの信仰の初発の地であるガリラヤでお会いする復活の主もまた現実であることを教えたかった。その同じ主が生きておられ、いまこのときにも、私たちを導いてくださっています。

 このイエスさまが仰る通りに網をおろしたところ大漁となったという 6節 に心を向けましょう。
 さて、網をおろすのが右側であるか、左側であるかによって収獲が違うのでしょうか。これにはさまざまな解釈があります。その中から私が同意できるものを挙げます。
「右側におろしたから獲れた、左側におろしたから獲れなかったということは、ここではあまり大きな意味を持ってはいない。そうではなく、この不思議なお方イエスさまの仰ることをそのまま受けて、自分はこうしたい、ああしたいという思いがあったとしても、それは措いて、先ずそのお方に従うときに大漁となった」
 これには大きな意味があります。漁にかけては彼らはプロでした。ですから方策は誰に訊くまでもない。彼らは最も効率がよいと思う方法でやっていたのです。しかし、獲れなかった。そしてイエスさまに従ったときに大漁となったのです。
 11月4日には、この教会で特別集会を行います。救霊の営みを為そうとするとき、このヨハネ伝21:6をしっかりと捉えて、励ましをいただきたいと思うことです。

 伝道のはたらきが、イエスさまのおことばと御干渉なしに進むことはあり得ません。弟子たちは、私たちは、今までも右側におろしていたかもしれない。しかし同じ右側におろすのでも、ここでは、イエスさまが「右側におろしなさい」と仰ったということです。主のおことばに従って、精いっぱい網をおろす作業をいたしましょう。同じ6節には「
おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。」とあります。
 伝道をしてもなかなか難しいという現状はあります。しかしリバイバルはありました。そしてリバイバルはあるのです。
もういちど網をおろしましょう。

 11節には、153匹の大漁だったが、「網は破れなかった」とあります。大勢の人々がお救いに与るとき、時として、網が破れることがあります。使徒の働きには、初代教会において網が破れたことが書かれています。同じキリスト教に入信しながらも、文化背景がユダヤ教である人々、或いはギリシャ文化を背景とする人々とさまざまでしたから、苦情や不満が出て、不一致となり分派を生じました。悪魔が祝福を手をこまねいて見ているはずはないわけで、残念な方向に導かれていってしまった。しかし、この11節には
「それほど重かったけれども、網は破れなかった」とあります。
 教会のお一人お一人には、さまざまな背景があり、また個性的なキャラクターの方がいらっしゃいます。それでも網が破れないようなリバイバルの働きがなされますように、教会の一致が保たれますようにと心から願うことであります。

 こんどはイエスさまが食事の準備をし、弟子たちとともに食事をしたことに眼を留めましょう。9~13節です。
 イエスさまが準備してくださった食事をイエスさまとともにしたときに、弟子たちは、眼からうろこが落ちるように、いまここにおられるのが、まさしく復活したイエスさまであることが心底わかったのです。あのエルサレムにおいて霊的な興奮状態でイエスさまの復活を知ったときに勝って、いっしょに食事をしているこのときに、イエスさまはほんとうによみがえられて、生きて今実際にここにおられることを得心したのです。
 ルカ24:30、ルカ24:36、ルカ24:41~42、また使徒1:4の「いっしょにいるとき」の欄外の注釈を見ましても、「食事をともにする」ことには大きな意味があるのです。このことを踏まえ、ヨハネ21にもどりましょう。

 9節では炭がすでにおこされ、魚とパンが載せられていました。ところが10節でイエスさまはいうのです。

「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」
つまり、さっき右の方に網をおろして大漁になった魚のうちの幾匹かを持ってこさせ網に載せて、そして食事となりました。
 この魚は、イエスさまが私たちに与えてくださるおことばのことではないでしょうか。勿論ここにはイエスさまが、すでにパンも準備しておられたわけで、それと合わせて、聖書のおことばであるといえましょう。イエスさまは、私たちにおことばを備えてくださり、このおことばを介して、私と一緒に食事をしよう、交わりをしようと仰っているのではないでしょうか。そのときに私たちは、イエスさまとの交わりの祝福に与り、養いをうけることができるのです。このような教会の働きと信仰生活とを進めてまいりたく願うことです。


※これは説教の要約です。さらに詳しくお聞きになりたい方は、教会にご連絡いただくか、御来会ください。
 

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ちょっと宮古市に駆け足

 今朝は4時起きで原稿書きをしてから、昨夕帰省した息子と主人とで宮古市に、それこそ〝駆け足〟で行ってきた。行きの車中では、やはり二男の話題となり、「一緒に来たかったね」というと、長男が「年末の親の上京に合わせて時間を取ってもらったよ」と。東京に行った時には合流するつもりらしい。盛岡に帰っているときは、予定がぎっしりの二男だ。
 川井の大峠(蜂蜜の品質が良い)で文字通り純粋蜂蜜を買い、おなじく川井の道の駅やまびこ館で舞茸、やまぐり、あけびなどを買い、昼食は宮古市駅前で海鮮を。駅前は、観光客でけっこうな人通りがあった。
 浄土ヶ浜の遊覧船は高波のために欠航。散歩に切り替えた人々が遊歩道を歩いたり、またこの荒波を津波に重ねながら眺めていたようだ。

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                主人と息子。

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この遊覧船だけが津波で流されずに助かったという。

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並んで荒波に顔を向けるウミネコたち。

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帰りはかつて住んでいた西が丘経由で帰途に。息子たちが幼いころに遊んだブランコがあのときと同じように子どもたちが乗るのを待っているようだった。明るいうちに盛岡に無事到着。感謝したことである。

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黒沼令の彫刻『感傷』を観るー「北の風展Ⅳ」第34回国画会彫刻部試み展ー

 「北の風展Ⅳ」第34回国画会彫刻部試み展に大急ぎで行ってきました。会期は2012/9/29~10/8、あと幾日もない。またもや滑り込みセーフ。
 しかし驚きました。青山町にあった明治、大正期のレンガ造りの兵舎が、「盛岡ふれあい覆馬場プラザ」として、まるで芸術村の趣きに改築されていたからです。この広場に芸術家たちが集まり、車座になり、終日芸術論などを戦わせる様を想像する、或いは、この場所で、さまざまな彫刻製作の実演などを観る機会があったならどんなに面白かろうと思いました。

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中は体育館のようなのですが、それだけにさまざまな催事に使い勝手がありそうです。45点もの彫刻が展示されているのですが、まだまだゆとりの空間が。写真には写っていない作品もあります。

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きょうの目的は黒沼令氏の『感傷』。これは新国立美術館に今年出して、賞をいただいた作品です。

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頭部の方から表情が大きく入るようにうつしたかったのですが、脚立でも準備しなければ厳しいものがありました。このような独特のポーズ、黒沼令氏が作品に取り掛かるまえに、いかに熟考され、着想を得たものであるか。氏独特の内奥にある凄まじさを覚えます。

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作品はトータルで鑑賞するべきものかもしれませんが、人体に切り込まれた、今回氏が自らにメスを入れるかに表出に入れたこの切り込みにメッセージがあるように思い、三つの部分を写してみました。

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これはは背後から撮ってみました。それぞれの角度にそれぞれの〝表情〟がある。

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独特なこのイメージのこれからの行方が楽しみです。

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芦野文雄(アシノ音楽学苑主宰)夫人斐子さん100歳でご逝去

 昭和24年に盛岡交声会合唱団を誕生させた芦野文雄(アシノ音楽学苑主宰)氏夫人の斐子さんが、10月2日の夜に亡くなられました。今年5月に100歳に。御遺言により家族葬での旅立ちでした。喪主は芦野真弓先生。ご近所でもあり、きょうの午後、見送らせていただきました。芦野文雄先生が築かれた華やかな音楽環境に美しく生きられた方とお聞きしています。100人近い方々が出入りしたこともあるアシノ音楽学苑とともに生涯を過ごされました。彼の地での幸いをお祈り申し上げます。

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以下は昭和56年の岩手日報からです。 
芦野文雄氏は昭和8年東洋音楽学校(現東京音楽大学)を卒業。東京でアシノ音楽学苑を開いていたが、太平洋戦争末期に盛岡に疎開。その後アシノ音楽研究所 (後に音楽楽苑と改称)を盛岡市天神町に開いた。結成に大きな役割をはたしたという小笠原哲男(盛岡鉄道学園長)の話によれば、盛鉄局には昭和23年4月 から混声合唱団があり、芦野の指導を受けていた。ところが、24年8月の国鉄定員法で女子職員がほとんどいなくなり、合唱団は解散に追い込まれた。そこで 歌を続けたいという仲間が、他の職場やアシノ研究所の人たちと一緒になって盛岡交声合唱団が生まれたという。結成当時は3、40人。25年には約60人に 増え、25年11月25日岩手県公会堂で第1回発表会を開く。
 当初のメンバーには後に第8回晩翠賞、第5回H氏賞を受けた詩人村上昭夫 (盛岡郵便局勤務)がいた。
  第1回発表会は1000人ホールがほぼ満席。ピアノ伴奏は平野愛子(仙台市)。曲目は、ウェルナー「野バラ」、チャイコフスキー「トロイカ」、シューマン 「流浪の民」など。他に佐々木育子、小野寺光子、福田清、藤原徳二郎の四重奏、土屋和子のヴァイオリン独奏など。大成功だった。
 

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自らの花の大きさを知る月下美人

 一つの点から月下美人の蕾が二つ出ました。これはとても珍しいのです。この株にも一度もないことでした。果たしてこの蕾がどのような位置関係を保って花をつけるか、それが興味でした。上が昨日撮った写真、下が今日撮った写真です。

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 月下美人の花の花径は約20~25㌢です。この大きな花冠がいったいどうやってぶつかりあわずに咲くのだろう。
 写真を見る通り、時間とともに蕾が大きくそむき合ってゆくのでした。わたしは、はたと気付きました。月下美人は自分の花の大きさを知っている。だからこそこのように互いが互いを阻害するまいと反対方向にそむき合うのだと。何とすばらしいことでしょうか。そしてこうしてきちんと花の大きさを計算して定位置を定めることのできる月下美人は自分の花の美しさをも知っている。そう考えたときは、ほんとうにわくわくしました。
 
 きょうあたりの開花と期待したのですが、ちょっと今日はまだ早かったよう。あすになるでしょう。(ここは後日の書き足しですが、6日のきょうもまだ咲いておりません。開花予測は大きくはずれました。しかし1週間までは遅くはならないでしょう)

   
 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 もうひとつ、不思議なカボチャのことです。

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 このカボチャは買ったときはゴーヤでした。ゴーヤの苗として売られ、確かに見た目もゴーヤの苗に間違いありませんでした。それが植えて10日ばかり経ってみると、つるも葉っぱもカボチャに変身していたのです。販売元から聞いたところ、カボチャを台としたゴーヤなのだとか。
 これがとにかく根元から何本もつるが出て所狭しと庭中にどんどんのびて遂には塀を越えてこの通り。これもどこまで延びるか切らずにおきたかったのですが、人様に迷惑がかかるので、切ることに。その直前の写真です。

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  つるの長さ、総延長やついた花の数を記録したいほど面白みがありました。何しろ、屋根の高さの樹木に、背丈以上にも生い茂る草の上を間を、キュウリやサヤインゲンの手芝の上にと、物凄い勢いで縦横無尽に延びるために、計測には大変な労力が予測され、諦めたわけです。測って何に役立つかはわからないのですが、或いは、1㌔、2㌔の長さともなったら面白いと、まったく単純な動機ではありました。

 花粉の媒介を行う昆虫がいない場合には人工受粉が必要なのですが人工授粉は、午前9時までに行わなければならないとWIKIにありました。これもどうしてなのか、気にはなりますが、知らないでいることにします。とにかくこのような花が何十とついたのです。まったくそれはもう驚異的でさえありました。これはゴーヤのつると花のつき方が、そのままカボチャに反映された結果としか思われません。収穫した二個のカボチャは、3300グラムと3600グラムでした。二つは、幾多に分かれたつるの、同じつるになりました。他のつるが這ってあるいたところとの決定的な違いは、日陰である時間が長い地点に位置していたことです。この猛暑のため虫の出没も少なかったように思います。ハチも葡萄の木のあたりで、2、3匹見かけただけでした。それで花が多く咲いた割にはこの結果となったようです。とにかく凄いカボチャでした。これまでにさまざまなカボチャを見ましたがこのようにおどろおどろしく這い葉を繁らせ花を数多く咲かせたカボチャは初めてでした。

 味はといえば、カボチャの内側はズッキニのような食感。外側の皮の部分にカボチャのようなほくほくした食感があります。甘味に乏しいので、一般には受け入れられにくいでしょう。しかし、甘味を極力抑えた食生活に取り組んでいる私にはもってこいなのです。

 しかし、それはともかくこのカボチャのお陰で楽しい毎日でした。そろそろ秋じまいで刈らねばなりません。それにしても、人工授粉は午前9時までにとは、いったいどんな理由からか、やはり気になります。

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立川ゆかり氏の『是空の作家・光瀬龍』連載第10回ーSFマガジン11月号(早川書房)ー

 立川ゆかり氏の『是空の作家・光瀬龍』の連載第10回が掲載されたSFマガジン11月号が出ています。

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 この稿によれば、1960~70年代、テレビや雑誌の普及とともに、SFは文化として認められ始めたようです。SF作家たちも様々な媒体に活躍の場を広げていったとあります。
 光瀬の交流したSF関係者は、「今日泊亜蘭をはじめ、小松左京、星新一、柴野拓美、眉村卓、豊田有恒、筒井康隆、半村良、平井和正、手塚治虫(このほかにも多くいらしたようですが)」といった顔触れ。
 これらの錚々たる作家たちがどこに集まり、どんな話題に沸いていたか、殊にも、光瀬がもっとも親交を深めたのは、大先輩作家の今日泊亜蘭だったという。さてこの今日泊と光瀬が何に興じていたかは意外や意外、大の作家たちが? そう思ってしまうのだが、これをめぐっての会話がまた作家ならではの面白さ!
 同じく東洋文化の作風の色濃い作風の
今日泊と光瀬だが、アメリカの戦後SFの見解は異なった。光瀬は真っ向からメスを入れる。さて親交深かったこの二人が対立するほどの見解の違いはどこにあったのか。これもお読みいただきたいところだ。
 光瀬は世話好きでもあった。生活感覚のない今日泊のために仕事の世話などしている。今日泊のほうも今日自分がSF作家としてあるのは光瀬のお陰だと感謝を厭わない。事実、今日泊は代表作『光の塔』で、主人公の水原宇宙少佐が黎竜四郎を慈しんでいるが、その想いは光瀬龍への想いであると立川氏はいう。
 SF作家たちとの付き合いが広くあった光瀬だが、SF作家の集まりから受ける刺激はほとんどなかったという。作品作りに役立ったのは、画家、演劇関係の人たちの付き合いからだった。そして、金森達、依光隆など、挿絵画家たちの名があげられている。
 また光瀬は、SF作家となっても教職を辞めない。これは生きがいであったという。ジュヴナイルSFを書く上で役立ったようだ。教職にあったときの取材に答えているのが、舞台プロデューサーをしている、文芸部だった山口千鶴子さんだ。
 生徒との交換日記に光瀬が書いたイラスト「新婚旅行用自動車」、これがもう実に楽しいイラスト。このブログでは決して見かけない楽しさといったらどうだろうか。是非本誌をご覧いただきたい。

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地区活動に参加

 昨日は、地域の運動会があった。子どもたちが、元気いっぱいに競技をしているすがたを見る。また地域の方々が何かに協力しようと競技に参加してくださった。いつもながら端っこでではあるけれども私も楽しく参加。台風の動きが気になるこの日に、行き帰りに雨具がなくとも済んだのは幸いだった。

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        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 図書館から督促があった。大急ぎで返却に。ふと児童図書をのぞきたくなる。それほど考えながら選んだわけではない。書架をざっと見て、ほとんど適当に抜き取ったのがロシアのウラル地方に伝わる『石の花』。マラカイト(孔雀石)の細工の親方と弟子のはなしだ。たしかプロコフィエフのバレエ音楽にもあったと思う。石工の親方のもとに何人もの弟子が送り込まれるのだが、親方の扱いはあまりに非道であるうえ、また職人として才能が見られない者ばかりだった。ところが、みなしごのダニーラだけは才能があった。ダニーラだけは親方に愛され、優れた職人に成長し婚約者も得る。しかしダニーラは結婚よりもよりすばらしい孔雀石の作品を創り上げるのに夢中なのだ。花を刻んだ孔雀石の鉢は見事でみなを驚嘆させるのだが、彼はそれにも満足できずに壊してしまう。そして生きた石の花をさがしはじめる。
 ここにいたるまでも、孔雀石から刻まれるものの美しさが創造できるのだが、生きた石の花の美しさがどれほどのものであるかを想像してみた。

 時間がなく、最後の結末までは読まなかった。今ネットでみると、結局どんな素晴らしいものも婚約者カーチャへの愛には代えられないという結末になっているようだ。確かに人の想いを踏みにじってまで手に入れる物は、ほんとうの意味で、それは値打ちのあるものではないだろう。もっとも彼が愛を選んだときに、選ばなかったすべてのものも与えられる結果になるのだが。

 この民話では、親方のダニーラ以外の弟子たちに対する傍若無人にも驚いたが、孔雀石の細工、石の細工という美しさが見えるように綴られるこの一冊は、ちょっとした時間に、高価なプレゼントでももらったような気分にさせてくれた。またネットで結末を知り、それ以上に大切なものをこの民話は教えていたのだ。

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