« エカテリーナコンサート & 女声合唱コーラス四季 を聴く | トップページ | きょうのことばー神われらと共に在すーインマヌエル綜合伝道団創始者のこと »

天沼三津子七宝ジュエリー展ⅩⅩⅤ2012/11/20(火)~25(日)盛久ギャラリー & ある日突然

 第25回国際七宝展で奨励賞を受賞した天沼三津子さんの個展です。
 天沼さんの作品は七宝自体が洋服のうえで輝くというよりも、一見地味に見えながらも、つけたときにそのファッションを活かしてくれるという、そういったアクセサリーを多く制作しています。手を抜かない姿勢は暮しの随所に表れており、花作りなどもその一例です。

Img027

        

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 きょう午後、盛岡市中央公民館で、もりおか童話の会があった。代表の菊池尋子さんの司会で作品を発表、批評しあった。わたしは、きょうは原稿なしで参加。昨夜体調をくずし、書きかねた結果だ。体力の乏しさを実感する。

 風の音がしている。昨夕、近くのお店で買い物をした帰りに、どうしたことか、歩きながら、いつ自分が、このからだという仮住まいの場所を後にして、別な世界に移っていったとしても、それはごく自然なことであるように思われた。
 昔「脱皮」という30枚の短編を書いたことがある。蝶は卵、幼虫、これも何令幼虫と段階を踏むわけだが、それが蛹になり、やがて蝶になる。まったく形の違うものに変化を遂げてゆく。誰でもが知っていることだが、この変化を遂げる形の違いというものは驚異的なのだ。食樹にくっついているただの虫、大方はこういった捉え方だ。しかしこの生態の変化を人間大に拡大して日々眺めたなら、これがいかに奇想天外なことであるか。小説では虫が脱皮するたびに、ひとがそのときの痛みを共有する。その段階ごとに共有してゆくうちに、最後の激烈な苦痛に襲われる。そして気づいてみると、自分のからだに見事な翅がついており、生命力のあふれる自然界をいとも簡単に巧みに縦横無尽にとびかけるというはなしだ。そのときには、まったくの空想で書いたのだが、いまになってそれが非現実どころか、むしろそれに違和感のなさを感じている。
 昨夕、ふと、路上で、自分が自分から抜け出すことはありうる。抜け出した自分が、その傍らに立って、自分の抜けがらを見下ろしている、そういう事態はあり得ると思われた。

|

« エカテリーナコンサート & 女声合唱コーラス四季 を聴く | トップページ | きょうのことばー神われらと共に在すーインマヌエル綜合伝道団創始者のこと »

催事のご案内」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 天沼三津子七宝ジュエリー展ⅩⅩⅤ2012/11/20(火)~25(日)盛久ギャラリー & ある日突然:

« エカテリーナコンサート & 女声合唱コーラス四季 を聴く | トップページ | きょうのことばー神われらと共に在すーインマヌエル綜合伝道団創始者のこと »