芦野文雄(アシノ音楽学苑主宰)夫人斐子さん100歳でご逝去
昭和24年に盛岡交声会合唱団を誕生させた芦野文雄(アシノ音楽学苑主宰)氏夫人の斐子さんが、10月2日の夜に亡くなられました。今年5月に100歳に。御遺言により家族葬での旅立ちでした。喪主は芦野真弓先生。ご近所でもあり、きょうの午後、見送らせていただきました。芦野文雄先生が築かれた華やかな音楽環境に美しく生きられた方とお聞きしています。100人近い方々が出入りしたこともあるアシノ音楽学苑とともに生涯を過ごされました。彼の地での幸いをお祈り申し上げます。
以下は昭和56年の岩手日報からです。
芦野文雄氏は昭和8年東洋音楽学校(現東京音楽大学)を卒業。東京でアシノ音楽学苑を開いていたが、太平洋戦争末期に盛岡に疎開。その後アシノ音楽研究所
(後に音楽楽苑と改称)を盛岡市天神町に開いた。結成に大きな役割をはたしたという小笠原哲男(盛岡鉄道学園長)の話によれば、盛鉄局には昭和23年4月
から混声合唱団があり、芦野の指導を受けていた。ところが、24年8月の国鉄定員法で女子職員がほとんどいなくなり、合唱団は解散に追い込まれた。そこで
歌を続けたいという仲間が、他の職場やアシノ研究所の人たちと一緒になって盛岡交声合唱団が生まれたという。結成当時は3、40人。25年には約60人に
増え、25年11月25日岩手県公会堂で第1回発表会を開く。
当初のメンバーには後に第8回晩翠賞、第5回H氏賞を受けた詩人村上昭夫
(盛岡郵便局勤務)がいた。
第1回発表会は1000人ホールがほぼ満席。ピアノ伴奏は平野愛子(仙台市)。曲目は、ウェルナー「野バラ」、チャイコフスキー「トロイカ」、シューマン
「流浪の民」など。他に佐々木育子、小野寺光子、福田清、藤原徳二郎の四重奏、土屋和子のヴァイオリン独奏など。大成功だった。
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