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原罪

氷点 (上) (角川文庫 (5025))

 三浦綾子の『氷点』。ああよくクリスチャンが読む本ね。そういえば映画会でまたやってるらしいよ、ポスター貼ってあったね。実は私も、またか、と思ったことがある一人だ。しかしこの著書がどれほどに人間の根本的な、核となる悪、諸悪の根、即ちそれが原罪というものなのだが、それが書かれているという点で朽ちさせてはならないと再認識するに至った。

 いま満州のこと、といってもできるだけ吉林にだけ絞って、さらに吉林の音楽活動に焦点をあてて書いている。満州時代の梅村保について空白となっており、誰か知っている方はいらっしゃらないかと故梅村功二先生にお訊きしたところ、満州時代に頻繁に梅村重光宅に出入りしていた齊藤直次さんを教えてくださいました。私は、20ばかりの質問を設けて文書で回答をお願いしましたところ、幸いにもこの方が何に関しても誰に対しても面倒がらずに、仕事をこなすような仕業で全部に回答くださったのです。それがもう20数年前のことです。この中から、私が著書『光炎に響く』に書かせていただいたのは、ほんの1部分しかありませんでした。しかし後のものを没にはできない。これまでに何度か出して読んでいたのですが、軍国色が濃く、これ以上は書けないという思いでした。しかし没にはできない。なぜなら、そこには青春の真っただ中を、こんなふうに生きた、こんなふうにも生きたという生きた証しともなっている。たしかに知らずして満州の“恩沢”を享受したという側面もあるけれども、人ひとりの人生、当時そこに生きた人々の生きた証拠を蔑にすることはできない。いつかは何らかの形で書かなければならない、そう思い身近に置いてきたものでした。 

 今回文芸誌を書くにあたって、はじめは別なテーマを考えていたのですが、そのテーマは思いのほか時間がかかりそうであることがわかり、ならばこの機会に書くのがいいかもしれないといま400字詰めで42枚書いたところです。まだまだ書き足したいのですが、9月末の締め切りには間に合いませんので、まず書きたいことの半分を書いたというところではあります。

 これに伴い、やはり満州のソ連軍入城からの日本人の悲劇、そして侵略された中国人の側の悲劇は、必ず読まなければならなくなるのですが、そこでぶつかるのはやはり原罪という人間の根本にある罪の問題が見えたことでした。文芸誌には原罪のことにまでは及びかねました。音楽関連を中心にしか書いてはおりませんが、この原罪がすべての破壊の素であると納得したことです。そしてその素は誰にでもある。何らかの事情に触発されてそれが見える形をとり恐ろしい様相を呈することになる、そう思わせられたことでした。


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