きょうのことば『生ける望みを持つ者』ーY姉御召天-
日曜日は、インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をおつたえしています。きょうは2012年8月26日の説教です。この日は事情あって教会に行きませんでしたが、CDに録っていただきました。
説教題『生ける望みを持つ者』
聖書引証 第一ペテロ1章3~5節
3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
4 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです
5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに表されるように用意されている救いをいただくのです。
―聖書朗読のあと、8月29日に天に召されたY姉妹の略歴と信仰の歩みが紹介されました。-
【説教】
突然のY姉の帰天でした。生活をともにしておられた方々には、とても現実とは思われなかったことと思います。御家族から、とにかくお母さんの気持ちを尊重した葬儀をとのお話があり、このたびのキリスト教での葬儀となりました。
火葬のときに待つあいだ、次女のT子さんがお話くださったことがあります。それは、お母さんの訃報を受け取ったちょうどそのとき、T子さんは、お母さんに連れられて教会に行ったときに歌った讃美歌『ジャイヤ・ボーロ』を歌いたくなり、ウェブ上で歌詞を検索している真っ最中だったというのです。『ジャイヤ・ボーロ』ってどういう意味ですかと訊かれました。これはインドのヒンディー語で、ただ単純に「イエスさま万歳!」と歌っている讃美歌ですとおこたえしました。不思議だと仰っていました。
Y姉妹の告別式のときに、第一ペテロ1章3~5節から『生ける望みを持つ者』と題して語らせていただきました。「生ける望み」を持つことができる根拠はどこにあるのでしょうか。単なる願いといった望みは、たとえば七夕の短冊に、こうあればいいな、こうあってほしいと書きますが、これは生ける望みというほどのものではない。
私たちの生ける望みというのは、「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」と3節にあるこれです。イエス・キリストの復活が、死に勝つ力、天国、永遠の命の根拠です。イエスさまの弟子たちが、殉教に至るまで福音を述べ伝える者と変えられたのは、イエスさまが事実よみがえられたことを目の当たりにしたからでした。これがあるからこそ、私たちは全世界に福音を述べ伝えるのです。私たちは空しい望みを持っているのではない。私たちの望みはキリストの復活に裏付けられていることを先ず心に留めましょう。
もうひとつ、第一ペテロ1章の3節には、「私たちを新しく生まれさせて」とあります。私たちがなぜ天国に対し、永遠に対して確かな望みを持つことができるのか、それは私たちの心の中に第二の誕生によって、新しい命が与えられている、生まれ変わっているからです。
ニコデモという人がイエスさまに、どうしたら神の国に入ることができるかと訊いた時、イエスさまは「人は新しく生まれなければ、神の国に入ることはできない」と仰いました。
第一ペテロ1章の3節、「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」とありますが、これは、私たちにとって決定的に大切なことです。
聖書に好意的な人生観を持っている人がクリスチャンなのではない。さらには、教会に行っているからクリスチャンなのではない。新しく生まれ変わって天国の命をほんとうに持っている人がクリスチャンなのです。
新しく生まれる、これは何も難しいことではありません。イエス・キリストが私の罪のために裁きを受けて下さったことを信じるのです。自分の罪を悔いあらためて、ほんとうは私が神さまの罰を受けて地獄に、滅びにいかなければならないところを、私に代わって神の裁きを受けてくださったイエスさま、ありがとうございますと信じることです。
信じたときに何か劇的な超自然的な経験をすることが新生なのではありません。聖書がいっていることを自分に当てはめて、「はい」と真心から応じるときに、神は新しく生まれさせてくださると聖書には書いてあります。新しい命を与えてくださるのは神さまです。
第一ペテロ1:3には、もうひとつ大切なことがあります。それは保障です。
「生ける望みを持つようにしてくださいました」
エペソ1章12~14節にもあります。「12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。13 この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」
昔、不動産売買をするときに、契約が成立した証に一握りの土を相手方に渡しました。これが売買成立の保障でした。私たちが信じたときに、ちょうどこの一握りの土が心に与えられます。約束の聖霊が与えられます。
聖書には天国がどのようなところかさまざま書いてありますが、私たちは、まだ実際に天国を見たことはありません。しかし、イエスさまを信じて新しく生まれたときに、天国のまえあじわいとして新生の喜び、罪赦された喜び、神を愛し神を喜ぶ想いが心にあふれてきます。ですから生ける希望を持ちます。朽ちることも汚れることも消えてゆくこともない資産を私たちは受け継ぐようにさせていただいた。やがては私たちの故郷天国に帰る日が来る。これがクリスチャンの生ける望みなのです。
さて第一ペテロ1:23をご覧ください。
23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
私たちの生ける望みは、生ける神のことばに支えられています。私たちクリスチャンが何を土台に生ける望みを持つのか。それは聖書にある生ける神のことばです。
第一ペテロ2:4
4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
イエス・キリストは死んでよみがえり、今も生きている石、生きて神の右の座に坐して生きておられるお方なのです。そしてイエスさまは仰る「わたしが生きるので、あなた方も生きるのです」と。
私たちの生ける望みというのは、生ける神のことば、そして生ける主イエス・キリストによって支えられているということを、どうぞしっかりと心に留めさせていただこうではありませんか。
※ 約40分間の説教を、半分に編集しております。文責:中ぶんな
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