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黒沢勉著『東北民謡の父 武田忠一郎伝ー東西音楽の架橋ー』に助けられる

 わたしは竹田忠一郎氏が岩手日報の「せん茶ばん茶」 に村井先生のチェロについて書いた記事が何年何月何日であったか、それこそマイクロから拾おうとこのために凡そ12時間ばかり費やした。記事の中に小学生のコンクールにも触れており、その後に書いたと推定し、またジンバリストが来た話も書かれていて、その年代がおよそ30年まえとあるところから、先ずジンバリストが盛岡に来た年代を調べ、その30年後にこの記事が書かれたと推定し、何と31年からの岩手日報を当たっていたのである。12時間費やした。といっても、専業主婦がまる一日図書館にいられるわけもなく、3回行っての延べ時間だ。
 また村井先生が、シベリヤ抑留になっているが、ただ一つわかっている町のなまえを、これもまた図書館で何冊かの地図帳を調べたが、出てくるものではないとわかった。せめて満州ではどこにいたかだけでも知りたく思っていた。
 ネットで、どうも『東北民謡の父 武田忠一郎伝ー東西音楽の架橋ー』に村井先生が書かれてあるらしいことを知り借りておいたのだが、きょう読んでみると、私が知りたかった年代、それと満州のどこであったかも書かれてあった。村井先生に取材されたようである。
 とにかく出てくるまで、昭和31年の分からずっとマイクロを辿ろうと腹を括っていたのだが、今この著書を開いたおかげで、注ぎ込もうとしていた膨大な時間を損なわずに済んだのだ。

 それと、村井先生は書き留めておくべき音楽家だという私の考えは間違ってはいなかった。著者は次のようにいっている。
 「『東北民謡集』全六巻、総曲数3308曲にのぼる気も遠くなるような東北民謡の採譜ならびにその民謡についての音楽的・民俗学的な研究で知られる武田忠一郎(明治25年~昭和45年)。岩手におけるチェロ演奏の草分け的存在であり、県民オーケストラを結成しその委員長、副会長として音楽を市民生活のものとした村井正一。この二人の仕事について県民の理解が行き届かないままに忘れ去られようとしているのは残念なことである。」


 

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