パラリンピック開幕
パラリンピックが始まっている。ハンディを克明にあぶりだし、自らのその課題の一つ一つの磨滅、殲滅をたくらみ挑む。凄まじい戦いが始まろうとしている。
競泳の鈴木孝幸選手に関しては、もうウェブ上のいたるところにデカデカと出ており、このブログで二番煎じ、三番煎じではむしろ新鮮さが失せるかもしれないが、しかし今もって、凄い人だ!と思った北京の勝利が焼き付いている。
彼を語るときに、先ず彼がどんな障害を負っているかが紹介される。それはやはりどれほどの困難を克服しつづけてきたかを知るうえでは重要であると思う。しかし北京のときには、私にはそういったことはほとんど見えていなかった。むしろ彼の芯を貫く鉄のような精神力、激しい陶冶への想い、そのときの哲学的な風貌といったものに打たれたのだ。
その彼が、10年の世界選手権が終わってからのこの1、2年、一番タイムが出ていないという。50メートル平泳ぎに関しては、50秒が切れな
いし、想定からかけ離れることが多く苦しんでいると言っている。このことばには決して諦めたくない葛藤、懊悩がある。やはり凄いことだと思う。
岩手県からの大井利江選手。円盤投げだ。63歳。ほんとうにまた出るのか半信半疑だった。去年の東日本大震災でいよいよその感を強くしていたところ、練習のようすが映し出された広告などを見て納得。須恵子夫人はこの先も大井選手の快挙とともに語りつがれる人生の金メダリストであると私には思われる。
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