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2012年8月

天からのプレゼント

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 8月もこれといったこともせずに過ぎてしまうかと手帳を開き振り返ってみると、これがけっこう忙しかった。

1、2日東北聖会北聖会。3~5日長男帰省。4日渡部宏チェロコンサート。11日エドウィン・モンニンガー&鎌田礼子チェロコンサーート。11~17日二男帰省。16日姉一家、弟、兄と合流。21、22日教会の姉妹の前夜式、火葬、告別式。25日写真講座に参加。25、26日長男帰省。27日もりおか童話の会お祝い会。30日茶道。このほか基本的に日曜日の午前、水曜日の午前は教会である。今月、日曜に教会に行けなかったのは26日。この日は自宅待機。

 連日気温は33、4度。こんなときに有難いのは葡萄の樹。2本ある真ん中にテーブルを置き、その上に高い目にネットを張ったところ、その上につるが伸びてくれ、頭上を葉っぱで覆ってくれた。風通しもまずまず。猛暑のあいだの多くの時間をこの下で過ごすことができた。

 葡萄はナイアガラ。どういうわけか片方の樹は甘い実がなり、片方は酸っぱい。ことしは甘いほうが不作で、例年は不作である酸っぱいほうにけっこう立派な房が下がっている。朝早くにヒヨドリがやってきては、甘いほうばかりをついばんでいった。その残りをたまに摘まんで口に放り込んでいる。
 聖書の中に「われは葡萄の樹、なんじらは枝なり」とあるが、葡萄の樹は葡萄をならせるばかりではなく、暑い日盛りから身を覆ってもくれている。

 8月には、トマト120個収穫目標を達成。キュウリ、サヤインゲン、大きなカボチャ、ゴーヤ、ピーマン、それにきょう見つけたのはスイカ。草ぼうぼうのあいだに径10㌢ほどになっていたのには驚いた。どの程度大きくなるものか興味津津。朝の楽しみが増えた。
 こんな小さな裏庭の畑にも、種をまき、苗を植えておくと、この炎天下に、これほどの野菜を実らせてくれる。この一つ一つも天からのプレゼントと思われてならない。

※写真は運動公園

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パラリンピック開幕

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 パラリンピックが始まっている。ハンディを克明にあぶりだし、自らのその課題の一つ一つの磨滅、殲滅をたくらみ挑む。凄まじい戦いが始まろうとしている。

 競泳の鈴木孝幸選手に関しては、もうウェブ上のいたるところにデカデカと出ており、このブログで二番煎じ、三番煎じではむしろ新鮮さが失せるかもしれないが、しかし今もって、凄い人だ!と思った北京の勝利が焼き付いている。
 彼を語るときに、先ず彼がどんな障害を負っているかが紹介される。それはやはりどれほどの困難を克服しつづけてきたかを知るうえでは重要であると思う。しかし北京のときには、私にはそういったことはほとんど見えていなかった。むしろ彼の芯を貫く鉄のような精神力、激しい陶冶への想い、そのときの哲学的な風貌といったものに打たれたのだ。
 その彼が、10年の世界選手権が終わってからのこの1、2年、一番タイムが出ていないという。50メートル平泳ぎに関しては、50秒が切れな いし、想定からかけ離れることが多く苦しんでいると言っている。このことばには決して諦めたくない葛藤、懊悩がある。やはり凄いことだと思う。

 岩手県からの大井利江選手。円盤投げだ。63歳。ほんとうにまた出るのか半信半疑だった。去年の東日本大震災でいよいよその感を強くしていたところ、練習のようすが映し出された広告などを見て納得。須恵子夫人はこの先も大井選手の快挙とともに語りつがれる人生の金メダリストであると私には思われる。
 

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樹木とともに

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 これは岩手県営運動公園の樹木。この日の外気温は33、4度はあった。空を見上げると、太陽が鋭い刃をぎらつかせる、そんな午後だった。それが、この木陰にはいると意外なほどに涼しかった。日向とは4度以上の差があったと思う。
 真夏日に新庄墓園に行ったときのこと。盛岡バイパスから岩山方面に入り、浄水場のあたりに温度計が立っている。日向で33度。さらに展望台を過ぎて動物公園の辺りの、周辺が林であるところに立つ温度計を見ると29度。4度差だ。この30数万の都市に、昼間に自宅にいる世帯が何軒あり、官公庁、病院、企業の数はどれぐらいであるか調べ上げる時間はないけれども、そのすべてに設置されているクーラーを用いて室温を4度下げるためには、果たしてどれだけの電力を必要とするだろうか。

 北上市の山際に住む友だちが、もう暑くてとても家の中にいられないというので、ならば裏の林の下草を刈って、そこに椅子とテーブルを置いて過ごしたらどうかと提案したところ、彼女は実行したのだった。ほんとうに涼しいと喜んでおられた。ただ時間帯によって虫の活動がありこれが課題だという。

 樹木はヒートアイランド現象を妨げる、大気浄化能力がある、延焼を食い止める力がある、心を癒すなどなど、すでに誰でもが知っている。けれども、その恩恵を実感している人は少ないように思う。申し分ない敷地があってもコンクリートで埋め尽くされているのをみると、もし土であったなら木の何本かを植えられるととても残念に思う。ただこれには、草取りをする暇がない、刈り込みをする手間も費用もないと理由はさまざまにあるかもしれない。

 できるだけ木を植えたいと思う。また行政が、街の土地の一定の区画に何らかの方策によって植林を義務付ける、或いは、行政自らがもっと真剣に取り組んでくれることを望むのは夢だろうか。

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平和を願う人のこぼす安らぎ

 なかなか打ちこみが進まない。この暑さで後頭部がマヒしてしまったか、ただただ眠い。
 朝5時起きで近所の方と歩いて35分の距離の朝市に行ってみた。買い物というよりも、すこしでも涼しいうちに散歩しようと思い立った。
 そして午前中は主人とパソコンショップに。手頃なコピー&印刷機、マウスを購入。とにかく暑い。帰る途中で食品2,3点買おうとスーパーに立ち寄ったが、木陰を選んで車を駐車。木陰が作り出す温度差に、もっと至るところに樹木を植えるべきだと痛感。

 夕刻になって、またまた不安なニュースが。中国人によって日本大使の車の国旗が盗られたというのだ。からかっているのか、侮辱しているのか、挑発しているのか。重たいできごとだ。

 ここで満州で、中国侵略という体制のもとでではあるのだが、本気になって中国の人々を大切にし中国との平和の実現をめざそうとした岩手出身のふたりの人物を思い起こす。ひとりは満鉄に入社した長男とともに渡満し、満鉄厚生会館で仕事をしていた梅村保。そしていまひとりは協和会で働いていた三田善右エ門だ。同じ吉林に暮らしながら、互いにその存在を知ることはなかったようだ。もしかすればこのように五族協和を純粋に信じた人々はまだあったかもしれない。
 満州は崩れ去ったけれども、一時期このような人々が岩手出身者の中にあり、かの地で中国の人々に誠心誠意尽くしたことを知り、いくばくかの安らぎを得ている。

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パソコン途上人

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 パソコンの新規導入で、先ずはデーター移動ツールを知らねばと思っていたが、土曜日の夜に帰省した息子が解決してくれた。
 思えば初めはワープロだった。ワープロの導入を強く勧めてくれたのは主人。これで原稿50枚までは書けた。100枚となるとちょっと厳しかったが、私はワープロで通そうと思っていた。しかし主人がこんどはパソコンにしたほうがいいという。そこで導入したパソコンを終生使うつもりでいたところ、数年後、息子が自費を投じた二台目のパソコンを提供してくれた。そしてまた思いがけず今回の入れ替え。こんどこそこれを最期まで使うつもりでいる。ただこれまで使っていたスキャナが使えなくなり、これを近々準備しなければならない。
 いつも自分の力で物事をなし得てきたかの錯覚で物言いをしていることがあるが、実際には家族に助けられてきた側面が大きかったと今にして思う。これから自分に与えられている時間で、どれだけ駆使することができるのか、すこしでもまともな作品をのこしたいと思っている。

 今日は、もりおか童話の会主催で、11時半から、ホテル東日本の介寿荘で渡邊治虫さんの北の文学優秀賞のお祝いがあった。会の代表菊池尋子さんが、これまで会を継続させてきた甲斐があったとコメント。
 指導くださっていた作家の須知徳平先生亡きあと、会員が激減したこともあったが、菊池尋子さんは、会員の浅沼誠子さんとともに会をまもり続け、このお二人の尽力によって、その後会員は10人となり現在に至っている。毎月一回、盛岡市中央公民館で小説、随筆、論文などの学びをしている。

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きょうのことば『今の苦しみと将来の望み』ー東北聖会を越えて③-

 日曜日はインマヌエルキリスト教会(℡019ー646ー2924)國光勝美牧師の日曜礼拝説教をお送りしています。きょうは2012年8月19日の説教です。

説教題 『今の苦しみと将来の望み』ー東北聖会を越えて③-
聖書引証 ローマ8章18~25節

(太文字は聖書からの引証です)
18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。
20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意思ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
24 私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
25 もしまだ見ていないものを望んでいるなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。


【説教】
 きょうは、東北聖会北聖会で伊藤正泰先生からお話、「今の苦しみと将来の望み」からさらに恵をいただきたく願っております。

 18節を見ますと、「今の苦しみ」と「将来の望み」が書かれています。私たちは、なぜ今苦しまなければならないのか。
 イエス・キリストの十字架の贖いによって私たちの救いは完成しています。贖いはこのときに完全になされました。もうイエスさまは二度と私たちのために十字架につく必要はありません。しかし、来臨のとき、即ち栄化のときまで、私たち自身には、まだ救いが完成していない要素がある。これをわかっておく必要があります。信じ救われても、さまざまな肉体的な制限や足りなさ、弱さがあります。そして悩んでいます。
 では完全な救いとは何なのか。それはイエスさまが、今度は贖いのためではなく、王の王,主の主として来られるとき、私たちの朽ちるべきこの体が一瞬にして変えられて、キリストの栄光のからだと同じようになるというこの保障です。私たちがイエスさまの十字架の贖いを信じたときに、やがては栄化する保障、そうなる引換券を渡されている。だから私たちは喜んでいる。だから今の苦しみや試練に耐えることができるのです。
ローマ8:
15~17には
15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。
16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
 
このおことばを享けて、今の色々な苦しみは、「将来私たちに提示されている栄光に比べれば取るに足らない」と続いているわけです。
 信仰をもったときに悪魔から解放され、聖霊を与えられて神の子どもとされました。そしてこの地上にあっては、さまざまな苦しみがありますが、イエス・キリストの再臨のときには、私たちのうちにある聖霊とイエス・キリストのそれが引き合い共鳴し合って、私たちの体が栄光のからだに変えられる栄化に浴します。これは、キアゲハがさなぎから成虫である蝶に脱皮するのと似ています。蝶とは似ても似つかないさなぎと蝶とは同じ命なのです。

 ロマ書8章には三つのうまきがあると書かれています。それは、被造物のうめき(ロマ8:19)、私たちのうめき(ロマ8:23)、そして聖霊のうめき(ロマ8:26)です。
 とりなしながらうめいてくださっている。

 ロマ8:18の「今の時」に注目しましょう。ここで使われているのは、一般的な時間の概念ではありません。将来に対しての“今の時”であり、「今こうなっているこの時」という意味のことばが使われています。
 なぜ「今こうなっているこの時」になったのか。なぜうめいているのか。聖書によりますと、人間が罪を犯したことにより、その罪の影響が被造物全体に及び、その始めは神に祝福されたはずの世界がのろわれてしまった。科学者は科学者なりにこの過酷な事態、現象に見解を出していますが、聖書は、人間が罪を犯したので被造物全体に不調和を来していると大胆に教えています。ロマ8:22にある通りです。そして被造物全体が、罪から贖われることを願っている。

 この世界が贖われ調和を回復するとき、それはイエス・キリストの再臨のときです。そのとき、千年王国といわれるときがきます。このときには、肉食動物もわらを食べ、マムシも幼子とたわむれるとイザヤ書には書かれています。これは調和が回復された光景です。そのときを求めて被造物はうめいています。これは希望のうめきです。キリストにあるとき、今の苦しみは無意味な苦しみではない。それは新しい世界が誕生するまえの陣痛、そして再臨を待つうめき、秩序の回復を待つうめきとみることができます。

 ロマ8:21に「
滅びの束縛」とありますが、この束縛は「奴隷となっている」という意味です。被造物全体も滅びの奴隷となっている。もうここから解放されたい、そういううめきがある。このような角度から見ると、3・11という大きな悲しいできごとも、被造物全体の罪の結果及んでいるけれども、しかしこれは希望に与るためのうめきであることに心を留めましょう。
 それから私たちのうめき、ロマ8:23。これもまた希望のうめきです。
 そしてもう一つ、私たちの時は忍耐のうめきです。信仰のうめきともいえるでしょう。私たちは今まいっています。でもそれは栄化の保障です。そして尚イエスさまの再臨を待ち望むところの忍耐のうめきであることを心に留めたいと思います。

 最後に第一ペテロ1:6~21をお読みしましょう。
6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、
7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。
8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
10 この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。
11 彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊 によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
14 従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、
15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。
16 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。
17 また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。
18 ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。
21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

 どうぞわたしたちは、被造物全体のうめきのさ中にありますけれども、尚生ける希望をもって、主の前に、これを越えさせていただきましょう。  


※できるだけ1頁に収まるように編集してあります。聞き違いなど若干あるかとおもいますが、お気づきの点はご指摘ください。文責:中ぶんな
 

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パソコンの入れ替え

パソコンの入れ替えをいたします。どれだけ速やかに移行できるか予測がつきません。ブログの更新はお休みします。

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加害者は往々にして過去を忘れることがあっても被害者は決して忘れはしない。

 きょうは図書館にパソコンを持ち込んで10時から3時まで居座った。一緒に行った主人は館内のどこかで過ごしていたようだ。
 ある必要から蔵書検索してみると、集蜜書庫に『満州の旅 1982長春・吉林』(文:北小路健、写真:渡部まなぶ )があった。

 その中の北小路健の一文が目に留った。
「加害者は往々にして過去を忘れることがあっても被害者は決して忘れはしない。加害者の無神経さは、特に歴史の進展を逆転させることさえあることを肝に銘ずべきであろう。その上で我々は正々堂々と交わりたい。有耶無耶な卑屈さは、まことの友好につながることはあるまい。」

 そして日本軍の満州に於ける加害のいくつかを挙げていたが、その一つが、撫順郊外平頂山に立つ〝胞
殉難同骨館〟であった。
「昭和7年9月16日ーそれは満州事変勃発から殆ど1年を経過した時点にあたるのだが、抗日ゲリラの手引きをしたという情報に接した日本軍約200名が、この山麓の村を包囲し、800戸・3000余人の村民を一ヵ所に追い集めた上で、機関銃と小銃を乱射、それでもなお息のある者は銃剣で刺殺した。さらに死体の上にガソリンをかけて焼き、ダイナマイトで山を崩して土砂の下に隠蔽したという。ーこの日本軍国主義者の犯した憎むべき罪悪を暴露し、併せて殉難同胞の慰霊のために、遺体の一部を掘り出し、それをすっぽりと覆う形で遺骨館がたてられたのは、1971(昭和46)年のことである。これはまさしく〝日本のアウシュヴィッツ〟に外ならぬ。中秋節を祝った月餅が、黒焦げになってそっくりいくつも残っているし、子供を抱いた母親があり、また子の上に被いかぶさって守ろうとした親の姿態が、まざまざと想いみられる累々たる遺骨が目に入る。私はただただ絶句するほかなかった。聞けば、ここを訪れる観光客は、ほんの一握りだという。」

 今夕のニュースを見ながら、これらのことが、鮮やかに浮かんだ。

 そしてまた、自分の無神経さの数々を今更ながらに振り返り、あれは誤解であったやもしれぬ、勘違いであったかもしれない。相手を軽んじたわけではないが、思えば、ああいった自分の態度は失礼だったのだ……等々、さまざまに自分の不始末を振り返り、忸怩たる想いがしたのであった。

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休符

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 この猛暑に辟易しているが、一時期のように健康上の不安はない。それでまた夜更かしになっている。
 習慣的に夕食の後片付けが一段落するとパソコンに向かうのだが、きょうは早い目に休もうと思う。
 35、6度もあったかのきょう、夕方6時すぎの雷鳴と雨。真昼の空には、おどろおどろしい積乱雲が拳をふりあげ屹立していた。夕刻やっと雨が降り、からからになった庭の土に雨水が染みてゆくさまには潤された。雨の被害もなくて済んだようだ。いまは間歇的な虫の音が聞こえている。

 写真はいつぞやの運動公園の一枚。

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黙して語る死

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 きのうは亡くなられた教会の姉妹の前夜式が午後7時から、そしてきょうは11時から火葬、午後2時から告別式があった。
 きょうは亡き姑の命日でもあり、早朝に墓参りを済ませた。そのときに主人の関係の方のお墓がこの墓地内にあるので同行した。この方は無宗教、当然墓碑には戒名はなく亡くなられた年月日と氏名年齢だけが刻まれていた。献体もした方だ。暮らし向きは見習うべき点の多い非常にきちんとした方であった。同じく無宗教の方で、一般には墓石に何々家の墓と大きく刻まれる箇所に、物理記号を刻んだ方のお墓もこの墓園にはある。

 きょうの教会の告別式で、姉妹の学生時代の友人が弔辞に立ち、知り合ったときからこれまで姉妹は一度も人の悪口を言ったことがなかったことに驚いていると語られた。
 また葬儀社の方とおはなしを交わすときがあったが、その方が、多くのお葬儀に関わったけれども、キリスト教会のお葬儀はみんなが手伝ってくれるので、とても安心できること、そしてどうしてこんなにみんながきれいな声で歌えるのか、また聖書からの話は心に深くはいるものがあると仰った。
 わたしは椅子を並べたり、成り行きで下足のお手伝いをさせていただいた。靴をお預かりし番号札の半券をお渡しする。この仕事はとても大切であると思われた。舅の葬儀の時、番号札を出していたのだが、間違って履いて帰られた方があった。主人がだいたいの見当をつけて電話で何件か問い合わせたのだが探し出すことができなかった。弁償することにしたところ、その靴は或る方の記念として頂戴したものであり、その靴でなければ意味がないということを知った。こういうこともあるのだ。弁償の気持分を何とか受け取っていただくことで一応の決着はついたのだが、なくされた方の釈然としない気持はそのまま残っただろう。

 今回の姉妹のご逝去を私は比較的冷静に受けとめていると自分では思っていた。しかし、昨夜は、姉妹のことが心に通い、なかなか眠れなかった。夜中の一時が過ぎ、2時が過ぎ、3時半となったとき、明日しなければならないことを思い、これは困ったなと思いながら、起き上がって牛乳を温めて飲んだ。この姉妹とはあまりお話をする機会がなく、ほんとうに彼女の温かいお人柄をあらわす笑顔が浮かぶだけなのだが、その笑顔が消えないのだった。それでも明け方の1時間半ほどは眠れたことにほっとしたのだが。いまになって、きよらかな人格をもった方の死は雄弁であると思われる。
 

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いまある確かなこの一歩

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      さまざまな生き方があり
      逝くありようもまたさまざまに
      見えない扉が
      その日に開いて
      歩むことなく
      踏み入れてゆく
      それはあまりに容易くも見え
      それはあまりに重くも映る
      神の世界は
      神にゆだねて
      この一歩
      いまある確かなこの一歩

 ぶんな

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亡き姉妹に捧げるレナード・バーンスタイン指揮マーラー:交響曲第2番『復活』第5楽章

 昨夜、教会のY姉妹が亡くなられた。國光ひろ子牧師にお聞きしたところでは、ミッションスクールで学ばれたことが信仰の端緒であられたらしい。
 一時期心理的に彷徨ったこともある私などとは比べものにならないほどに、最初から真っ直ぐで、あるべきところに心をも置かれた信仰を貫かれた御生涯であったと思う。残念ながら個人的にお話する機会が少なかったことが惜しまれる。彼女の死に向かうなら、これから先はすこしでもまともに生きなければならない。彼女は復活するだろう。一度死の床に就いたものの必ずや復活するだろう。イエス・キリストへの信仰のゆえに。

 マーラーの『復活』が浮かんだ。誰の復活にしようか。そうだ、きょうはショルティでもなく、ラトルでもなく、アバドでもない、レナード・バーンスタインを捧げよう。佐渡裕がブザンソンコンクールのファイナルのときに、レニー(バーンスタイン)はユタカ(佐渡裕)のためにウィーンのムジークフェラインザールの楽屋で一心に祈り続けてくれていたという。バーンスタインや小澤征爾の引き立てで、勿論佐渡裕自身の芸術的な才能あってのことではあるが、佐渡はついに、夢であったベルリン・フィルハーモニーの指揮を2011年5月に果たすことになったのだ。日本人指揮者のために本気で祈ってくれた人物レナード・バーンスタイン。

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おお 死! すべてを征服するものよ!
いまこそおまえのほうが征服されたのだ!
わたしは かちえた翼をひろげ
愛するつとめにはげみつつ
ただよいとんで きえるだろう
いかなる瞳もむけられぬ
眩い光のもとに!
生きるためにこそ死ぬのだ!
蘇る そう 蘇るだろう
わが心よ たちまちのうちに!
おまえがはばたいて打ち克ったものが
おまえを神のみもとに担うだろう!

姉妹が安らかでありますように、などと私は言わない。姉妹はすでに彼の地で寛いでいるのが私にはわかる。

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きょうのことば 『患難さえも喜ぶ』―東北聖会を越えて②―

 このブログでは日曜日にはインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をお伝えしています。今日は2012年8月12日(日)の礼拝説教です。

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説教題『患難さえも喜ぶ』―東北聖会を越えて②―
聖書引証 ローマ書5章1~11節

1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらです。10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。

【説教】

 きょうは東北聖会北聖会で伊藤正泰先生が語られた第二日目の説教「希望を生み出す患難」を通し、私なりにこれを反芻し、神さまから頂いた恵をご紹介いたします。
 ローマ5:2、3に「神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。」とあります。ふつうは「患難」と「喜び」は対極にあります。それをクリスチャンは「患難を喜ぶ」というのです。これはどういうことなのでしょうか。
 イエスさまは患難とどのように向き合われたか、解決のカギはここにあります。
ヘブル12:2に「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」とあります。イエスさまにとって、十字架をしのぶというこれ以上の患難はなかったでしょう。しかしイエスさまは、この患難をしのんで勝利されました。
 私たちは患難に直面すると、どうしてなのかと落ち込んだり失望したりすることがあります。しかしイエスさまのように喜んでこれを乗り越えることができる。ではこのイエスさまの喜びとは何なのでしょうか。これは父なる神さまの御意(みこころ)を行うという喜びです。使徒たちもイエスさまの御名のために苦しむ者とされたことを喜んでいました。
 神の御意を行うとき、私たちは苦しみを受けたとしても、それは喜びとなっていきます。イエスさまにあっては、「患難」は「喜び」なのです。
 ここでイエスさまと患難について考えてみましょう。

 私たちの場合には、苦難、患難、試練に遭うのは大方罪が原因です。ついさまざまな誘惑に陥って罪を犯してしまう。パチンコ店に入り浸り、ギャンブルから抜け出せなくなった例もあるでしょう。これはそう特別な例ではないように思います。そこから生じる金銭トラブル、或いは人間関係の破綻。このような罪の帰結は、イエスさまの苦難、患難、試練と並べることはできない質のものです。ただ当人にとっては大きな苦しみであることは間違いない。
 ではこの患難をどのように乗り越えたらいいのでしょう。それははっきりしています。神の御前に罪を悔い改めイエスさまを信じることです。
 あのような困難に遭ったからこそ、キリストの救いに与ることができたという方が、どれほど多くいることでしょうか。ギャンブルの、アルコール依存症の泥沼から救われた方々がたくさんいらっしゃいます。救われるのです。イエスさまへの信仰によって救われるのです。これに続いて次つぎに多くの方々が導かれたなら何と幸いでしょう。
 やはりこの教団で救われました渡辺倉造勧士は、酒を飲みどぶ板枕に寝ていたこともある兄弟でした。よく「蔦田真理牧師はアメリカのホートン大学を出て牧師になったが、私も負けてはいない、私は放蕩大学を出てイエスさまに救われた」と証ししておられたことを懐かしく思い出します。渡辺勧士もその試練があったからこそ、あのような素晴らしい生涯に移っていったことです。
 罪が原因である苦難、患難、試練には、悔い改めてイエス・キリストの十字架の救いに与ることによる解決の道があります。
 しかしもう一つ、私たちは、理由のわからない、不条理としか思われない患難に直面することがあります。

 生まれながら目が見えず、乞食をしていたひとに、イエスさまは、「神の栄光がこのひとに現れるため」といって、目が見えるようにしてくださったという聖書の記事がありますが、しかし、私たちは、なぜこのような肉体的な弱さをと苦しむことがあります。また自分が置かれた環境的な不条理もあるでしょう。なぜこのような災害を受けなければならなかったか、理由がわからない。もっと罪深い人たちだっていっぱいいるというのに、なぜ私なのか。
 それと信仰のゆえの患難があります。クリスチャン信仰ゆえに嘲笑、迫害、不利益を受けることがあります。このように、私たちが世の中にある限り必ず試練がある。この世では患難がある。
「しかし勇気をだしなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」とイエスさまは仰っています。

 理由のわからない患難にどう立ち向かったらいいのか。
 私は敢て言います。患難の理由はわからなくていい、わかる必要はないと。私たちにわからないことはいっぱいある。しかし、それを別な角度から見直すとき、視点を変えてみるとき、腑に落ちるものがある。
 中学校の幾何で図形の問題を解こうとするとき、一本の補助線を引くことがある。それで問題の解決が見えます。こういうことだったかと納得します。信仰はちょうどこの補助線なのです。信仰の補助線を引いておけば、天国に行って、ああこういうことだったのかと解ることになる。神さまの側ではすでに解決済みなのですが、今はわからない。しかし神さまの最善を信じ、神さまに委ねるというこの補助線を引くときに、もうすでに問題は解決しているのです。とあり、
ヤコブ1:12には「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」
ローマ5:8~11には「8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらです。10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。」とあります。


 なぜこの苦難が、患難が、不条理がと問いかけたときに、私は回答を得ました。それは、有史以来、キリストの十字架ほど不条理なできごとはないということです。神の愛するひとり子が、神に敵対していた私たちのために命を捨てたという事実。情け深い人のためなら自分の命を捨てる人も或いはいるかもしれない。しかし敵対している者のために御自身を捨てて私たちの罪の身代わりとして十字架の苦しみをその身に負われた。これほどの不条理がいったいあるでしょうか。この不条理のまえには、私たちの疑問や当惑は沈黙するのです。信仰という補助線と言いましたけれども、それはキリストの十字架のことです。これを引いたときに、私たちの疑問、当惑は沈黙します。
私たちが、なぜ今このような苦しみに遭わねばならないのか。なぜあの人ではなく私なのだろうと思うことがあるでしょう。しかし、キリストの十字架がわかったときに、それらが腑に落ちるのです。

 旧約聖書に、ヨブという人物が出てきます。彼の時代にあって、彼ほど正しい人はいませんでした。しかし次つぎに彼のあずかり知らぬ理不尽な出来事が起ります。ヨブの友人たちは、或る者は善意で、或る者は裁判官のように、彼らなりの人生観、価値観をもって、ヨブにそのことを説明します。しかし、ヨブが言いたかったことは何でしょう。それは「苦難の理由はわからなくていい」、このことではなかったでしょうか。「ヨブ、わかったか」と神さまはヨブにご自身を示されました。「ヨブ、わたしだよ、わたしは神だよ」。「やっぱりあなたは、あなただったんですね」とヨブ。ヨブはもうそれで十分だったのです。もしヨブ記がこのような主題のもとに書かれたとすれば、このヨブ記こそは、新訳を解くカギであるような気がしています。

 私たちは何故なのかはわからなくていい。イエスさまの十字架がわかったときに、それで十分なのです。
 「わかりました。わたしは口をとざします」
 イエスさまが十字架の贖いというこれほどの不条理を私たちのために成してくださったとするのなら、私たちはこの苦難を通して神を喜ぶという幸いに与るのです。

※この説教は読みやすさを考慮し、約半分の長さに編集しております。
 文責:中ぶんな

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きょうは何をしたっけ?

 今日一日何をしていたっけ?
 朝5時に起き、洗濯機を回し、外回りを掃き、鉢に水やり。アガバンサスはまだ咲かない。というよりも今年はもう咲かないのだろうか。春先に、昨年のアガバンサスの種を植えたものは4本が育っている。根が二股になってくれたところを見ると、本気で生きてくれるつもりらしい。 
 濃いめのコーヒーを庭のテーブルで飲み、そのまま教会の説教の起しをする。葡萄棚には葡萄の青い房が幾つも下がっている。熟しているかどうか摘んで口に放り込んでみるには及ばない。蜂が唸りながらとんで来たときが食べ頃である。

 今朝の朝食は庭でだった。

 説教の起しは、微力ながら社会に向かって何らかの役割を担いたいと毎週行っている。これを行うことによって、説教が右耳から左耳にただ通過してしまうのを防いでいる。多少なりとも自分を反省する。何処かについた埃が払われている。またこういったことにはやはり恩寵が伴うとやってきた結果実感している。

 一段落したところで、セロのCDを聞き直す。

 二男が昨日勤務地に戻っていった。キャンセル待ちで切符を取ってきていた。

 そして昼食。

 裏庭のトマト大17個、ミニトマト3個、ピーマン2個、ゴーヤ1個収穫。ゴーヤの形のすばらしさ。蝋をたらして造形したかの芸術的ななりをしている。ゴーヤの苗として手に入れた苗が、実はカボチャだよと正体を現わしてからの成長ぶりがすごかった。またたくまにスナックエンドウやキュウリやサヤインゲンの支柱を乗っ取ってしまい、それのみかトマト、ピーマン、果てはユリの領域侵犯までしでかし、たった一本の苗から幾つもの蔓が縦横無尽にのびるというふうで、いまもその勢いが止まない。10個ばかりも実がついているのを見たが、それらがどういう結末になるのか、手を掛けずに成り行きをとくと見せてもらうつもりでいる。

 岩手にある管弦楽団の年誌やらネットやらを探訪。
 暑い。蒸し器にでも入れられている気分だ。

 近所の友人を誘い、教会の墓地である松園墓園に案内。ここは山の上にある。比較的過ごしやすかった。
 滝沢の分れに向かいながらK種苗園に立ち寄る。営業はしていないが、秋に販売するためにポットに育てられた5センチ丈の花の苗が、開け放たれたハウスいっぱいに敷き詰めたように置かれている。壮観だった。クーラーは用いず、ハウスのビニールを上げ下げするだけの温度管理と聞いた。どれも見事に活き活きしている。実にすばらしい眺めだ。その足で詩の喫茶店「僕らの理由」の大坪さんに立ち寄り、コーヒーは飲まずにすぐ失礼したが、詩人西一知氏の詩集を一冊申し受ける。詩の同人の方々が詩誌の編集の真っ最中だった。喫茶店の下のこじんまりとした庭には西さんの文学碑が建立されている。
 同行してもらった彼女のためにアネックスカワトクに立ち寄り、またホーマックに立ち寄る。また秋まきの種を買い込んでしまった。

 夕方に来客。

 夕食。

 NHKの懐かしの歌謡曲をついつい聴いてしまった。弘田三枝子、ああ、高橋克彦氏の出版パーティーに来ていたっけ。このくらいの年齢でこれだけ歌える、やはりプロは凄いとあのとき思った。高橋氏がファンだという。いま海外でヒットしているのはこれか、「夜明けのスキャット」。しかしクラッシック人口はなぜ少ない? そうだあの本、佐渡裕の「僕はいかにして指揮者になったか」、みんながこんな本でも読んでくれたら、それじゃ、ちょっと聴いてみましょか、などという気になるかもと思うも、既に7刷でているものを、なぜここで宣伝する必要があるかなどと思ううちに9時。
 自分の歌える歌謡曲はといえば、加山雄三の「海、その愛」。さらに遡れば、これはもう自分の懐メロというのではないが、「丘を越えて」、「宵待草」等々、若干セピア色がかっているようで、実は曲そのものとして存在しつづけるこの不思議さ。

 23時に近いいま、風が吹き込みまずまず涼しくなってきている。

 何をどう過ごしたかすっきりとしないきょう一日をざっと書き出してみると、どうもこのような動きをしていたようだ。ほんとうは図書館にでも避難するのが良かったのだろう。

 あすは日曜日。予想気温は33度であったかと思う。

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大東亜戦争一周年記念 會舘増築落成祝賀 藝能大會(第一回音樂會) 主催/吉林滿鐵厚生會 會場/吉林滿鐵厚生會舘 日時/昭和十七年十二月二十日十四時

  このブログの音楽関連としては、かなり唐突ですが、満州の音楽活動についての記録があり、これもまたのこしておくべきと、プログラム並びに出演者をアップいたします。
 当時の満州に於ける巨大企業満鉄、正式には南滿洲鐵道株式會社ですが、この満鉄については、『実録満鉄調査部』上・下(草柳大蔵著 朝日文庫)に詳しく出ています。
 この満鉄の吉林滿鐵厚生會舘が竣工したとき、「こけら落とし」に社員芸能大会が開かれています。昭和17年12月20日、弟一日目のプログラムがのこっています。梅村保氏一家の満州時代を知る齊藤直次氏(昭和59年1月~63年9月現在で衆議院議員中川昭一秘書)より、昭和63年にコピーを頂戴しました。
 この芸能大会では梅村一家がピアノトリオ、弦楽四重奏を演奏しています。これは中でも圧巻であったと齊藤直次氏は述懐しています。

クリックし拡大してご覧ください。 

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画像が不鮮明ですので、以下に書き出します。

大東亜戦争一周年記念
會舘増築落成祝賀 藝能大會(第一回音樂會)
主催/吉林滿鐵厚生會
會場/吉林滿鐵厚生會舘
日時/昭和十七年十二月二十日十四時

團體演出者名簿 

〈吹奏樂團〉
指揮/加藤哲之助・武井昌平
監督/佐藤栄一
ピッコロ、フリゥート/浮田茂
第一クラリネット/中村喬
第二クラリネット/齊藤直次・板垣倉造
サキソフォンアルト/梅村重光
第一コルネット/松尾主税・津金五郎
第二コルネット/井上義一
トロンペット/畑野徳男
第一アルト/梅村功二
第二アルト/山口久男
バリトン/大石錦吾
トロンボン/山本貞雄・万代正治
小バス/関貞吾
エスコントルバス/小林薫
コントルバス/岡村圭造
小太鼓/中平(一文字判読不可)倫・齊藤四郎
大太鼓/中谷健三

〈絃樂團〉
ピアノトリオ
    バッハ曲『ベニスノ船歌』、プレイエル曲『アレグロ』
  ピアノ/横瀬夫人
  ヴァイオリン/田中勇夫
  チェロ/梅村保
絃樂四重奏
    ベェートーヴェン『メヌエット』、ボトッーベン『軽快曲』
  第一ヴァイオリン/梅村重光
  第二ヴァイオリン/梅村郁子
  ヴィオラ/梅村功二
  チェロ/梅村保


※〈合唱團〉、〈鼓笛隊〉は割愛します。

 齊藤直次氏はこういっておられます。、
「このときもすばらしい演奏でしたが、その後演奏したチャイコフスキーの『アンダンテカンタービレ』のメロディーの華麗さは例えようもなく、五十年近くたった今でも、わたしの脳裡に残っております。『メヌエット』もそうですが、演奏会が近づくと、私は毎日のように會舘に行き、親子四人の練習風景を見学させてもらいました。」
 

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休符・休符・休符

 久方ぶりに北上してきた姉一家とともに過ごす。
兄弟姉妹といえど、距離が離れていると、顔を合わせて話すことは滅多にない。
すこし疲れ気味だが、心地よい疲労感だ。

 きょうは庭の野菜と花の写真でおしまいに。

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カボチャの花。10センチ大。

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運動公園

 きのうは、お盆中に毎年来てくださる方々が、昼過ぎまでにみな見えたので、もう来客はないだろうと、みたけにある大型書店に行った帰りに、岩手県営運動公園に立ち寄ってみた。
主人が行こうと言ったとき、暑さに辟易しており、内心、外でまた暑さに晒されるのはかなわないとも思ったが、運動不足なのも確かで、すこし歩く必要もある。それと、そう思ったときに、いや待てよ、自分が否定的であるときこそ従ってみると案外それが役立ったりしたものだという経験の積み重ねから同行することにする。果たしてそれは正解だった。

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 夕暮れ間近の公園でジョギングするご夫婦、2匹の犬の散歩をする女性、ウォーキングする人、キャッチボールする親子、デイトらしいカップルとすれ違った。遊園地では7、8人の子どもたちが滑り台で遊んでいる。
 公園のそちこちに創り出された光と蔭の芸術。近頃はカメラの写りが悪く、カメラを取り出すのが億劫になっていた。最近撮った写真も掲載するには耐えない写りだった。しかしこの景色の前につい取り出し、照らし出された樹木に向けてみる。

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 立っているのは主人だが、これで木の大きさがわかるだろう。これはトチの木。樹高50メートルかと思われる見事なメタセコイアもあった。樹木の下にいるとクーラーとは違った自然な涼しさがある。これほど涼を得られるとは思わなかった。

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  鮮明さ、透明度に欠ける写真ではあるが、樹木の素晴らしさがその欠陥を補ってくれている。樹木がいかにすばらしいものであるか。厳しい夏の暑さからも身を挺して動物や人を守ってくれるものであることをまたもや実感したひと時であった。

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第47回「音楽の夕べ」~共に生きる~ 宮古ジュニア弦楽合奏団コンサート

 今年はやむを得ない事情から、宮古市で開かれる「音楽の夕べ」に行きかねた。大変残念だった。
 去年は東日本大震災で、「音楽の夕べ」の開催は厳しいのではと思っていたところが、思いがけず国内外からの支援があり、津波で楽器を失った宮古ジュニアの生徒たちに楽器がプレゼントされるなどし、幾多の困難を乗り越えて開催に漕ぎ着けている。
 そして今年また、「音楽の夕べ」は途切れることなく開催されました。

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    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 3・11という未曾有の大災害を如何にして乗り越え、梅村ヴァイオリン教室が沿岸の宮古の地に音楽を灯し続けたかを、私は皆さまに知っていただきたく、これを「パッヘルベルの『カノン』」と題し小説化し、文芸誌『天気図VOL10』(ツーワンライフ刊)に掲載いたしました。まだ盛岡市の書店にも出ておりますし、県下の書店、または出版社に問い合わせていただくこともできます。どうかご覧いただき、大正時代からの伝統をもち、宮古市の音楽活動の拠点、核ともなっております梅村ヴァイオリン教室をご支援いただきたくお願い申し上げます。

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きょうはサン=サーンスの大伽藍

 けさは朝4時半起床で半日は家事。早朝の墓参り。昨日午前中に二男が帰省。すこしはきれいなところに、すこしは美味しいものをと心配りを(したつもりだが)。
 「何が食べたい?」と訊く。「何をしたい?」とは訊かない。スケジュールはいつも決めてから帰ってきている。
 「きのこのお汁が食べたい」 といわれ、内心マツタケは高いな~と算段するうちに、はたと気づいた。エノキダケのことだ。エノキダケと豆腐の味噌汁。とにかく作った汁物が食べたいらしい。インスタント味噌汁で間に合わせていたのだろう。

 連日すこし遅いめの就寝ですこし疲れ気味。もうすこし体力が欲しいなと思う。しかし持てるだけの体力にうまくつき合っていかなければならないのだ。

 庭の石の上に置いた月下美人の花芽が出ていることに気づいていたのだが、去年のように家の中に入れないでしまった。きょう見ると、咲き終えた月下美人の花房が垂れ下がっていた。咲きはじめることを予告していたものを。花開いた瞬間を見逃してしまった。何か申し訳ないような気持がした。

 ずっとチェンバロ、チェロが続いた。きょうはサン=サーンス。交響曲第3番(オルガン付き)たしかに見上げるような大伽藍の下に自分が立っている、そんな心地よい錯覚をくれる。
 聴きながら、民謡というものが主に第一次産業に従事する人々のあいだに生まれたことをなぜか思い出した。土や森や林、海とそして光との、そして対価である穀物や野菜、果物、木材、魚との関わり、労働の汗から自然発生的に生まれたものといっていいのだろうか。
 一方作曲家たちが曲を産み出そうと向かうのは先ず先人達の名曲。環境、経験、学びによって培われた感情を潜らせ、呼び出し、そして五線譜に向かい書き付ける。幾多の推敲を経て曲は完成する。
 現代の民謡は、すでに労働からはかけ離れあらゆる曲想にアレンジされた、謂わば「芸謡」ともいうべきものだという。
 民謡は、もしかすれば、そのように生きてみなければ決してわかって歌い聴くことはできないのかもしれない。民謡の根底には労働の苦しみがある、そんな気がする。 

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きょうのことば 『いったいこの方は』―東北聖会を越えてー

 このブログでは日曜日にはインマヌエル盛岡キリスト教会(019-646-2924)國光勝美牧師の説教をお伝えしています。きょうは2012年8月5日(日)の説教です。

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説教題『いったいこの方は』―東北聖会を越えてー
聖書引証 マルコ伝4章35~41


【説教】

 7月31日~8月2日に花巻市で開かれた東北聖会北聖会では、特に「試練ときよめ」というメッセージが取りつがれました。伊藤正泰先生、島田房子先生、田辺岩雄先生がご奉仕くださいました。島田先生とは聖会が終わってからもう一日を頂戴し、被災地をご案内いたしました。

 津波は第1波、第2波、第3波とあったのですが、それがあったのは、あの3月11日に一回でした。一挙にすべてを失ってしまった方々が受けた心のダメージを津波という言葉でいうとしたら、実は、その後でも、この津波の第1波、第2波、第3波は、幾度も幾度も押し寄せていると私は思っています。心に押し寄せる津波は消えることがないかのようでしょう。これはボクシングで打たれ続けるボディブローのような津波です。

 ここで聖書のマルコ伝4章35~41節にある「嵐のなかにおられる主」をお開きします。
35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。36 そこで弟子たちは、群集をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか。」39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
 ここでイエスさまが「向こう岸に渡ろう」と言い出さなかったなら、彼らはこのような試みには遭わなかった。イエスさまが仰ったとおりにした結果、乗った舟で激しい突風に遭ってしまうのです。伊藤先生は、「クリスチャンになったらすべては順風満帆、ぜんぶがうまくいくと言うべきではない」とある老練なクリスチャンの方から注意されたことがあるそうです。よく御利益宗教は、それを信じればすべてがうまくいくと言います。しかし、聖書は、イエスさまを信じたならみなうまくいくとはいっていません。むしろ、イエスさまを信じたがゆえに、もし信じなかったらもっと気楽に生きられただろうにという場合も有り得る。信じたが故の試練に遭うこともあるのです。


 では、この試練にはいったいどういう意味があるのか。私たちが試練に遭ったときには、本気になってイエスさまと向き合います。そのときにこそ、自らが問われ扱われるのです。そしてこのことを通して、イエスさまがどのようなお方であるかを一層深く知らされることになります。このことが無ければ知り得なかったことを知らされるのです。それが試練の持つ大きな意味です。
 舟が波を被って、溺れそうになった弟子たちは、こんな事になるんじゃ信仰を持ってたって意味がないと泣き言をいいだします。イエスさまはどうされたか。見捨てませんでした。風を叱りつけて凪に変えたのです。そして彼らに言われた「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」と。
 ここでイエスさまは、弟子たち、即ち私たちの信仰の暗闇に光をあて、またそこを鋤(すき)や鍬(くわ)で耕します。そして新たに、「風や湖までが言うことをきくとは」と、イエスさまがどういうお方であるかを知るのです。
 これが神さまが、聖会の第一夜に伊藤正泰先生を通して、お語りくださった「信仰ときよめ」の内容でした。聖会にいらっしゃることができなかった方も、きょうのこのお話で恵を共有していただきたく思います。
伊藤先生が主題とされたロマ5:1、2を揚げます。
1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらです。10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。

 私たちは、試練を通してキリストの十字架が、試練を受ける前よりももっと深くわかるものと変えられるでしょう。

 「いまの苦しみと将来の望み」はロマ8:18~25にあります。
18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意思ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。24 私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。25 もしまだ見ていないものを望んでいるなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
 神さまがアダムとエバをエデンに住まわせたとき、そこに罪はありませんでした。しかしやがてふたりが罪を犯すことによってすべての被造物は罪人となり罪に呻いています。そして被造物自体が贖われることを願っています。
 いまのこの苦しみがなぜなのか分らないかも知れない。しかし神さまは御子イエスさまを十字架ののろいにまで架けてくださった。それほどに私たちを愛していてくださったのです。私たちは、この身が十字架によって贖われること、栄光の希望をほんとうに待ち望んでいるのです。だから私たちは試練に耐え、乗り越えていくことができるのです。

 そして聖会の最後の集会では、第二コリント1章1~11から「慰めの神」が語られました。
1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。3 私たちが主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。8 兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危なくなり、9 ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。11 あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。


 最後に、伊藤先生が語られた例話をもって締め括りましょう。
 『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルはユダヤ人でナチスのアウシュヴィッツ強制収容所の体験者です。精神科医としての立場でこの著書を著わしました。
 彼は、極限状態にあるユダヤ人に、これからまさに死に追いやられようとしているその人に、「あなたはそれでも神を信じるんですか」と問われたとき、フランクルは答えました。「信じます。神がおられるからです」

※この説教は、読みやすさを考慮し、約半分に編集してございます。文責:中ぶんな

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音楽の旅300年に渡って~チェロとピアノの調べ~ーエドウィン・モンニンガー(チェロ)・モンニンガー鎌田礼子(ピアノ)ーを聴く

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チェロ:エドウィン・モンニンガー
  楽器は、松本伸氏製作によるチェロ
ピアノ:モンニンガー鎌田礼子


【プログラム】
Ludwig van Beethoven
ヘンデル「ユダ・マカベウス」の「見よ勇者は帰る」の主題による
  12の変奏曲 ト長調 WoO45
David Popper
ハンガリー狂詩曲 Op.65 
Sergei Rachmaninov
ヴォカリーズOp.34 Nr.14
Johannes Brahms
ピアノとチェロのためのソナタ ヘ長調 Op.99
ーアンコールー
Felix Mendelssohn
無言歌より


エドウィン・モニンガー氏については、2001年から1年間、奨学生として桐朋学園オーケストラアカデミーに留学し、また2005年4月ドイツ国立マンハイム音楽大学修了。現在SAPオーケストラ団員。教会オルガニストとしても活躍。
モニンガー鎌田礼子氏は盛岡市出身。1997年山形大学音楽文化コース入学。2005年マンハイム音楽大学修了。伴奏者として活躍。両氏ともにマンハイムは最高点で修了。
デュオとして2003年第1回ヒュベリオン国際室内楽コンクール(ローマ)入選。
2005年第11回ピネローロ国際室内楽コンクールセミファイナリスト。
2005年ヴァル・ティドーネ国際室内楽コンクール第4位。

 今回のコンサートは松本伸氏製作のチェロが演奏されるということで、いつもなら、奏者が曲をどのように弾くかというところを傾聴するのだが、果たしてこの楽器がどのような音を響かせるかというところに神経を使ってしまった。音楽を楽しむというところからは外れた怪しからぬ聴衆だったかもしれない。
 弦楽器というと、いまだに1600年代1700年代にある。この時代のクレモナですべては出尽くした、そういった思いこみがある。
 多くはCD、DVDに頼っている。しかし、倍音といったものを余すところなく聞き取ろうとするならば、こういった音盤には限界があるのではないか、いま行われているミキシングもどこまで本来の音に近づくことができるのか、或いはまずい音を或る程度デフォルメしてしまうこともできるのかもしれない。しかし弦楽器が本来持っている音色のそのままに与ろうとすれば、やはり生演奏ということになる。名器というものを確かめようとストラディバリウスサミットコンサートに駆け付けたことがある。ヴィオラとヴァイオリンの五重奏だった。輝かしい音色であると思った。
 今回はチェロ。それもイーハトーブ岩手県で製作されたチェロだ。チェロ奏法は村井正一先生を調べている関係で、わかろうとわかるまいと読んでみようと、弾いてみようと、ではないのが甚だ情けないのだが、読まなければならないと思っているが、もっと多角的なというか、多くの奏法による、多くの曲の演奏を聴いてみたい気がした。しかしきょうの限られた演奏時間内でこれだけ聴かせていただいたことは感謝だった。
 帰りの車の中で主人に「どうだった?」と訊くと「よかったよ」と実感のこもる返事が返ってきた。演奏も楽器もということだった。チェロの外観も美しい。岩手にこのような楽器が存在するのだ。
 久方ぶりにセロの評論などを捲ってみた。

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黒沢勉著『東北民謡の父 武田忠一郎伝ー東西音楽の架橋ー』に助けられる

 わたしは竹田忠一郎氏が岩手日報の「せん茶ばん茶」 に村井先生のチェロについて書いた記事が何年何月何日であったか、それこそマイクロから拾おうとこのために凡そ12時間ばかり費やした。記事の中に小学生のコンクールにも触れており、その後に書いたと推定し、またジンバリストが来た話も書かれていて、その年代がおよそ30年まえとあるところから、先ずジンバリストが盛岡に来た年代を調べ、その30年後にこの記事が書かれたと推定し、何と31年からの岩手日報を当たっていたのである。12時間費やした。といっても、専業主婦がまる一日図書館にいられるわけもなく、3回行っての延べ時間だ。
 また村井先生が、シベリヤ抑留になっているが、ただ一つわかっている町のなまえを、これもまた図書館で何冊かの地図帳を調べたが、出てくるものではないとわかった。せめて満州ではどこにいたかだけでも知りたく思っていた。
 ネットで、どうも『東北民謡の父 武田忠一郎伝ー東西音楽の架橋ー』に村井先生が書かれてあるらしいことを知り借りておいたのだが、きょう読んでみると、私が知りたかった年代、それと満州のどこであったかも書かれてあった。村井先生に取材されたようである。
 とにかく出てくるまで、昭和31年の分からずっとマイクロを辿ろうと腹を括っていたのだが、今この著書を開いたおかげで、注ぎ込もうとしていた膨大な時間を損なわずに済んだのだ。

 それと、村井先生は書き留めておくべき音楽家だという私の考えは間違ってはいなかった。著者は次のようにいっている。
 「『東北民謡集』全六巻、総曲数3308曲にのぼる気も遠くなるような東北民謡の採譜ならびにその民謡についての音楽的・民俗学的な研究で知られる武田忠一郎(明治25年~昭和45年)。岩手におけるチェロ演奏の草分け的存在であり、県民オーケストラを結成しその委員長、副会長として音楽を市民生活のものとした村井正一。この二人の仕事について県民の理解が行き届かないままに忘れ去られようとしているのは残念なことである。」


 

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遺るコード番号ーシベリヤに逝きし人々ー

 終戦記念日が近づいているからというわけではないが、最近、岩手県立図書館でシベリヤ抑留関係を調べたことがある。当たった書籍の中で特に胸を衝かれたのは、村山常雄著『シベリヤに逝きし人々を刻すーソ連抑留中死亡者名簿』であった。46,300人が記されている。全員にたとえば「コードA1ー049」といった番号が振られている。推定地名、漢字氏名、生年、階級、死亡年月日、出身地の項目がある。一通り見ていくうちに、記載項目のどれかが空欄になっていく。さらにページを捲るうちには、人ひとりの空欄の数が増えてくる。そして名前の一字しか分らない方、そしてついにはコード番号だけの方となる。こうして、誰であるか分らない方々の数を数えると212人であった。酷寒の地で苛酷な重労働と餓えと病で倒れていった方々。そして誰であるかも確認されぬまま逝った方々の無念さを思う。

  9時になってしまった。窓から見える5階建てのビル。改装なのだろうか、西側全面に足場が組まれている。その足場を格子として、覆われたシートから各階の窓の明かりが滲んでいる。
 この部屋の窓に吹き込む風はもう肌寒い。しかし猛暑に耐えたときを思えばこの冷気を避けて窓を閉ざそうという気にはまだならない。  

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宮沢賢治の詩を作曲した最初の外国人作曲家は誰?

 ここにその楽譜があります。といっても芦野真弓先生から一時お借りしたもの。

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 日本万国博覧会記念基金助成

 盛岡少年少女合唱隊依嘱作品
 ピアノと少年少女合唱のための組曲
 日本への歌
 曲・ペーター・ストゥーペル
     (ブルガリア国家功労芸術家)
 詩・宮沢賢治


=初演=
1982(昭和52)年10月9日(土) 6:30pm
岩手県民会館大ホール
観客動員1,800名

合唱:盛岡少年少女合唱隊
指揮:芦野真弓
伴奏:ペーター・ストゥーペル
アシスタントピアニスト:渡部達
独唱:冨山和香子
詩朗読:吉田恵美
詩詠唱:高橋直巳


Ⅰ 高原
  林と思想
  高原
  青い槍の葉
  報告
Ⅱ 高原
  馬
  高原
Ⅲ 曠原淑女
Ⅳ 雨中謝辞
  高原

編者・発行者:芦野真弓
発行所:盛岡少年少女合唱隊
印刷所:株式会社杜陵印刷
昭和59年2月25日 第一刷発行

 書いているうちに、芦野先生にちょっと確認しなければならないことが出てきましたので、きょうは取りあえず楽譜の紹介のみに留めます。
 なぜこのストゥーペル氏が作曲することになったかはまたの機会に書きます。
 この楽譜は初演のときかに新聞紙上に紹介済みかとおもいますが、このように書いておきますと、WEB世界にも登場することとなります。

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雑感

 帰省していた長男が日曜日に夕食を済ませてから新幹線でまた勤務地に戻っていった。宮古ジュニア弦楽合奏団の「音楽の夕べ」を気にかけつつ、この日はすこし事情もあり100キロ先まで出かけるのには無理があり家に留まった。長男も梅村功二先生のお墓参りをしたいと言っていたのだが。

 きょうの午後思い立ってアシノ音楽楽苑の芦野真弓先生のお宅にお邪魔してみた。村井先生に関してお尋ねしているうちに、盛岡交声合唱団の話題となった。真弓先生のお父様は芦野文雄。その時代を知る方々で知らぬ方はないだろう。写真の一葉一葉にすばらしい音楽活動が類推された。ヴァイオリンも教えていた。きょうお邪魔した室に100人もの方々が練習した時期があったという。
 真弓先生は昭和25年真夏の真夜中に生まれている。そのときに団員達が六日町の産科まで駆け付けて祝い、六日町から岩手公園まで団員達で歌いながら行進。真夜中の岩手公園でも歌いつづけたという。
 村井正一先生は、このアシノ音樂學苑の音楽会にも招かれてチェロを演奏している。その集合写真の中央に先生のお姿があった。

 裏庭が草に覆われてしまった。当初ミニトマトと桃太郎を合わせて120個収穫するつもりだった。もう50個は収穫済み。ざっと見回してあと70個は確実に採れそうだ。青い予備軍が幾つもかたまりあって枝についている。

 

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きょうのことば 『活ける水なる主イエス』ー東北聖会を前にー

Scan10031_2                              「東北聖会・北聖会」写真報告

                        
 毎週日曜日には私が行っているインマヌエル盛岡キリスト教会(019-646-2924)國光勝美牧師の説教を一週間遅れでお届けしています。きょうは2012年7月29日(日)の礼拝説教です。

説教題『活ける水なる主イエス』―東北聖会を前にー
聖書引証 ヨハネ伝7:37~39

37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

【説教】

 この猛暑のなかですが、暑い!あつい!というよりも、むしろ私は暑いのが大好きだ!と暗示をかけておるところでございます。
 先週の月曜日、別府教会の方々と被災地の視察に無事行ってまいりました。とにかく暑かったです。現地で昼食を終えて車に戻っったひろ子先生が、車のドアを開けたときに、蒸れかえった車内の空気に思わず「ワー」と声をあげると、別府の兄弟姉妹方は事も無げに「これぐらいふつうですよ」と。大分と岩手はこれほどに違うかと思ったことです。別府のみなさんは火曜日にはお帰りになりました。

 きょうはヨハネ7章37、38節です。
 
 聖会を前にして、このおことばを以て、聖会の恵とは何かを覚え、行くことができない方々にも祈っていただきたいと思います。
 インマヌエル綜合伝道団の聖会の歴史をたどりますと、1950年の第1回林間聖会が浦和の神学校で開かれました。この神学校は、後に横浜市の藤が丘に移転しております。このときの写真には蔦田二雄先生ご夫妻が中央に写っております。若い信徒の方々がしっかりと信仰の根を張り、神の召命の声をきくための聖会でありました。この後このような聖会が営々と続くことになります。
 1951年には京都伏見教会に於いて、第1回関西聖会が開かれております。今回東北聖会・北聖会にお招きする伊藤正泰先生は、この京都伏見教会を牧会しておられます。
 節目節目を見て参りますと、1970年には第18回林間聖会が、このときはもう横浜の藤が丘で持たれております。1967年には、東京後楽園、或いは武道館でビリー・グラハム大会が開かれております。そして私は1968年11月に後藤牧人先生のお導きで信仰に立ちました。1970年の林間聖会が、私が入信後に初めて参加した聖会でございます。そこに蔦田二雄先生がおられ、メインスピーカーはジョージ・ヘイリング先生でした。
 そして、何とか東北の地でも聖会をと、この盛岡教会が開拓された翌年に、仙台の作並を会場として第1回東北聖会が開かれました。河村襄先生、藤本栄造先生がいらっしゃいました。以降毎年、東北聖会が開かれるようになり、1988年からは花巻に会場が移っております。

 改めて聖会の意義を考えさせられます。イスラエルの人々は年に3回主の前に出るようにと3大祭りがありました。過ぎ越しの祭り、ペンテコステ(五旬節)、仮庵の祭りでございます。
 ペンテコステ(五旬節)は初生りの収穫を感謝する、或いはそれが後の十戒が与えられることを記念する祭りとして定着していくわけです。仮庵の祭りは自分たちの父祖がエジプトの奴隷の身から救い出され、神が岩から出した水を飲み、マナで養われながら荒野を40年間導かれて約束の地カナンにたどり着いたことを記念します。このようにユダヤの人たちも節目というものをきちんと守るように神さまから命じられていました。

 私たちは毎週日曜日に主の前に出て礼拝を守っておりますけれども、こんどの聖会もある意味、節目に神さまが祝福を与えようとして命じられている、このように私は思っております。特にこのヨハネ伝3:37、38でイエスさまは言います。
“その水の実体はわたしなのだ。誰でも渇いているならわたしのもとに来てのみなさい。わたしを信じるものは、その人の心の奥から生ける川の水が流れ出る。水の実体がここにいるのだ。祭りはひとつの儀礼、儀式。しかし実体であるわたしを飲むときこそ、ほんとうの命があなた方に与えられます”
 今マスメディアでは、くどいように水を飲むことをすすめています。高齢の方は、渇いた自覚がないことがあり、水を飲んでいないことがある。渇きを感じるのは健康な証拠です。イエスさまがいう「渇いているならわたしのもとに来てのみなさい」というのは、体のための水分補給であることと共に、人間の核心部分である魂における渇きはどうなっているでしょうか。私たちは神さまとの交わり、みことばの交わり、祈りの慕わしさに渇きを持っているでしょうか。

 ここで羽鳥明先生の三つの井戸の話を思い出します。
京都の由緒ある寺、格式のある寺に行くと、そこには必ず古井戸があります。近づいてみるとゴミがいっぱい投げ込まれていたり、セメントで固められたりしている。心が、そういった井戸のようになっている人はいませんか。井戸には季節によって水が湧くものもあります。渇水期には水汲みができません。雨量によって汲むのです。深く掘られていないので、水脈が十分ではない。そこで水が湧いたり湧かなかったりする。雨が降ると湧き、降らないと涸れる。ところがイエスさまは仰る。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」
罪を悔い改めてイエスさまを信じるとき、イエスさまという水脈に届きます。そしてそこに届いた人には、生ける川の水が流れ出るようになる。そしてそれが、私の心から流れ出るようになる。このお方に信仰の根を下ろし自らを整備するとき、私たちの心には、祈りの、みことばの慕わしさ、神の御意(みこころ)に従いたいという思いが湧き出てきます。

 聖会は、私たちがイエスさまに繋がっている管を掃除するときです。必要ならば小さな爆発を起こして通りをよくしなければなりません。聖会は、それに与ることのできるチャンスなのです。盛岡教会員同志の交わりも恵ですが、聖会で他の多くの兄弟姉妹がたと交わり、互いの近況や動向、状況を確認しあい、久しぶりに語り、祈りあう、これが聖会ならではの恵でしょう。油注がれた器方が講壇に立たれますが、そこで我らはほんとうに主を見たということができるような恵に与りましょう。
 伊藤正泰先生は京都伏見教会の牧師として活躍。島田房子先生は、ながい間大阪伝法教会で朝比奈先生の副牧をしておられました。真実に主に仕えておられる器です。今は引退し、杉本先生とともに、女性教役者ホームにおられます。どうぞ島田先生を覚えていただきたく思います。東北は初めてでらっしゃいます。青年部の講師には田辺岩雄が立たれます。

 もし私たちの心の井戸が罪の故に或いは何らかの事情で、イエスさまとの管を詰まらせているなら、またあなたの信仰に浮き沈みがあるときには、どうぞ来たる聖会において、主に扱っていただき、爆発を起こしていただいて、通り良き管とされて恵の深みに入らせていただきましょう。

※約40分の説教をICレコーダーに録り、読みやすさを考慮し約半分に編集。プロジェクターで用いられた資料など割愛してございます。文責:中ぶんな

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~賢治を想う~チェロとピアノによる物語ー渡部宏(こう)&ティモシー・ボザース コンサートー

 8月1日からくり広げられた盛岡さんさ踊りの最終日のきょう、光原社ではティモシー・ボザース氏のピアノ伴奏で、岩手出身の渡部宏氏のコンサートがあった。やはり弦楽のソロは大きな劇場で聴くものではない。そういった意味で今回の会場は理想的。2列目という位置で弦から流れだす音にじっくりと与ることができ、チェロという楽器の人気の高さの理由を噛みしめた。
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【プログラム】

グラズノフ:吟遊詩人の歌 作品71
シューマン:トロイメライ「子供の情景」より
宮沢賢治:星めぐりのうた
       飢餓陣営のたそがれの中に
    「イーハトーヴ組曲」中村節也編(渡部宏監修)より
日本民謡:南部牛追い唄
       石川晧也編(松下修也監修)
モシェレス=バッハ:前奏曲 第10番 ハ短調
  平均率クラヴィア曲集にチェロの独奏を加えた
  10の前奏曲集 作品137aより
J.Sバッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調BWV1009
チャイコフスキー:感傷的なワルツ ホ短調Op.51-6
ポッパ-:ハンガリアン狂詩曲 作品68


ーアンコールー
ヴィラ=ロボス:黒鳥の歌
ビアソラ:リベルタンゴ
カザルス:鳥の歌

ー拍手鳴りやまず、つづくアンコール曲はー
ボッケリーニ:ロンド
ビアソラ:忘却
日本民謡:斎太郎節
   これはこのほど新しくリリースされるCDに収められる
   曲のひとつで本邦初演


 グラズノフには漂泊の魂を想わせられ、深みのあるシューマン、モシェレス=バッハに深遠さをのぞき見、そして休憩にコーヒーブレイクを挟み、既に繰り返し氏のCDで聴いているバッハの無伴奏だが、きょうは3番の全曲を。チィコフスキーも心地よく、ポッパーの斬新さテクニックの絶妙さに嘆息。開け放たれたコンサート会場の入り口の樹木のざわめきとともに、チェロの魅力を余すところなく聴かせていただきました!!

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宮古ジュニア弦楽合奏団「音楽の夕べ」&渡部宏氏 チェロ コンサート  

 ここのところ飛ぶように時間が過ぎさる。それでも8月にはいるまでは、時の流れのうちに自分が振り落とされもせずに、まるでそこに静止しているかの折り合いのよさで共に進んでいたのだ。ところが、いまは気持のどこかが「待ってくれ」と先ゆく時に手をのばし時を引き戻そうとしているかの感覚を覚える。焦りだ。むしろここで深呼吸でもして浅瀬に静まるウミウシのように、ただのほほんと海面の碧い揺らめきを眺める想像をしてみよう。

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 そんなときに光原社で渡部宏氏のチェロコンサートがあることを聞いた。煩雑な忙しさにあるまっただ中のセラの一ときとなるか。梅村保氏、村井氏、そしてその始めには村井氏から習った渡部氏のチェロである。明日7時。会場が近いことにほっとしている。天の慮りに感謝。

 宮古ジュニア弦楽合奏団にお電話すると、妙子夫人が出られた。行きたく願いつつも時間的窮乏状態。「音楽の夕べ」は5日(日)の午後3時からだ。いまのところまだ陸中ビルしか会場とできる場所がないだろう。成功を祈りつつ。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 息子が帰省。玄関前のフラワーポットはもうっとくに咲き終えていたのだが、植え替えなければと思いつつ先延ばしにしていた。やっと種から育てたサィニア3株を新たに植え込んだ。
 家庭菜園を作っている或る方が、私が花やトマトなど苗を買わずに種から育てていることを伝え聞き、白菜の苗を買わずに種から作ったところ、このほど立派な白菜を幾つも収穫でき喜んでおられると聞いた。
 種を種苗用ポットに植え込むとほぼ確実に発芽する。単純なことのようだが、これが実におもしろい。5センチほどで定植する。植える所が手狭なので、友だちにお分けする。喜んでくださるので、こちらも喜びをもらうことになるのだ。

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インマヌエル綜合伝道団の東北聖会・北聖会に参加

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 聖会は謂わば教会員たちの年に一度の夏の“合宿”。含蓄あるメインスピーカーをお招きし、心の一斉大掃除を図るのです。
 今回は、京都伏見教会の伊藤正康先生、女性部のためには島田房子先生、青年部には浜松教会の田辺岩雄先生がお話くださいました。
 島田先生がこの聖会の感想を求められたときに、「北聖会は昔ながらのインマヌエルの在り方を踏襲していらっしゃる」と述べられました。その通りで、聖会はちょっと硬いめ。しかし私のようなものにはそれも必要であろうと、数秒居眠りしてしまった局面もありましたが、咎められるどころか、終始にこやかな温顔に赦され、守られ、諭されて、心新たに帰って参りました。
 イエスさまを信じて間もない私の友人は、何と、一部始終を目を見ひらき、心をひらいて聴き入ってらっしゃる。恐れ入りました。
 登壇された先生方のアップ写真も撮ったものの、実物とは若干違った写りとなり、残念ですがこの写真だけをアップいたしました。

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