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感謝いっぱいアマリリス

 きのうもきょうもアマリリスを観ながらコーヒーを飲んだ。観ながらというよりもアマリリスといっしょにという感覚だ。
 こんなに精一杯に、こんなに感謝いっぱいに咲いている。

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 ほかの春の花、ありとあらゆる春の花の苗が、自分の頭上のはるか高いところで、大切にあつかわれ、こまめな水やりに安心しながら活き活きと最初の花を誇らかに開示しているその下で、外皮が取りつきにくく剥がれ形がいびつとなって、まるで芽吹きのチャンスを逃したかに、5、6個の球根とともに器に転がされ、自分たちが果たして生かされるのか、それともうち捨てられてしまうのか不安におののきながら、それでもいつかは咲ける日もくるかもしれない、そうだ自分は咲きたいんだ、何とかして咲きたい、咲いてみたい、精一杯に、力限りに咲きたい、咲いてみたい。そして、命の可能性を抱きつづけていたに違いない。

 感謝いっぱいのアマリリス。一つの球根からそれぞれ4つの花芽を天に向け、5輪、6輪、5輪と咲き、それとまだ閉じたままの花芽が一つ。力限りに、感謝いっぱいに咲いている。
 いま流れているのはバッハのチェンバロ協奏曲第1番だよ。これが君へのきのうの賛歌、そしてきょうの賛歌だ。そう、君にぴったりの曲さ。いまの君に、そして球根のときの君にね。

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