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きょうのことば 『小さな証人』ーある将軍の救いー

 

2012年6月24日(日)のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の礼拝説教をお伝えします。

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説教題 『小さな証人』ーある将軍の救いー
聖書引証 第二列王5:1~14

1 アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士で、ツァラアトに冒されていた。
2 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、
3 その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」
4 それで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。
5 アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。
6 彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。「さて、この手紙があなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを直してくださいますように。」
7 イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを直せという。しかし、考えてみなさい。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」
8 神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。
10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、
主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。
12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で、洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。
13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりにヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。


【説教】
 きょうは6月最後の聖日礼拝となりました。7月に入りますと、7、8日の2日間、MAY。。。さんの「童謡と賛美歌を歌う集い」が開かれます。このような特集を前にしたときに、必ず思い浮かぶ聖書箇所は、一つは、イエスさまの5000人の施食
で、一人の少年が持っていた僅かなおべんとうがイエスさまによって、5000人以上の食べ物となったこと。そしてもう一つは、旧約聖書にあるナアマン将軍の重い皮膚病が、奴隷の身として仕えていたイスラエルの少女の話をきっかけとして癒されるに至った話です。この少女のように、一人にでも福音をお伝えすることのできる者とならせていただきたいと、きょうここを立ち上がることができたならば、きょうのメッセージのお役目が果たされるのではないかと思っております。

 きょう教えられるのは一人の少女からです。このときの背景を簡略に申しますと、イスラエルはダビデ、ソロモンの後、北王朝のイスラエルと南王朝のユダに分裂します。南王朝は領土としては北王朝よりも狭い。しかしダビデの直系ですから血筋としての正当性があります。北王朝は対立したがゆえに成立しました。領土は広いけれども、直系ではないという難点があります。
 きょうお話に登場するエリヤとその弟子エリシャは北王朝の預言者です。ときは約BC850年頃のことです。南王朝ではヨシャパテ、ヨラムといった人物の時代です。
 北王朝イスラエルの北方にはアラム(現在のシリア)という隣国がありました。このシリヤとイスラエルは絶えず緊張関係にありました。国力ではアラムが強く、イスラエルに攻め込み、人々を売買するために捕え連れ去ったことがありました。このとき捕えられた中に、後にアラムの将軍ナアマンの妻に仕えることになった少女がいたのです。
 マアマン将軍は戦いでは必ずアラムに勝利をもたらす人物でした。王から人々から尊敬と敬意を集める勇士だったのです。当時の価値観としてはそのような人物でした。しかしこの将軍はツァラアトという重い皮膚病を患っていた。誰にも言えないこの苦しみを将軍の妻はよく知っていた。

 もしきょうの集会が伝道会であったなら、このツァラアトを人の罪としてお話したでしょう。人間の本質である罪。社会的にどんなに高い地位、名誉があろうと、人望も篤く幸福そうであろうとも、重い皮膚病を持っている。これが次第にツァラアトという病を成して表れてくる。ナアマン将軍は即ち私たちの姿です。

 ナアマンの妻は、略奪してきた少女から、イスラエルには、ツァラアトを治すことのできる神がいることを知って、王に告げると、王自らが、家臣を治してくれるように敵国に謙り、貢ぎ物をもって頼み込んでいる。ところが、自分の国にまことの神さまに仕える預言者たちがいるというのに、イスラエルの王は神さまを信じていない。いやしくも神の民であるというのにです。これは言いがかりに違いない、まことの神さまがいて何でも癒すはずだと言いながら、次には癒されないじゃないかと難癖をつけ、攻撃をしかけようという魂胆だろう、そう思ったでしょう。
そこで本気になって、この解決を神さまに祈り求めるべきところでそれをしない。
 結果的にナアマンは癒されるのです。

 福音は異邦人にももたらされた。ところが片や、神の民たちはこれを求めてはいない。イエスさまはご自分の民のところに来たのに、民は光よりも闇を愛して受け入れなかった。拒絶したのです。私たちクリスチャンも気をつけませんと、あの北王朝イスラエルの王のように不信仰なすがたを露呈してしまうのです。
 いま罪に悩み求めている人たちがいるはずです。悩み苦しみに直面し、どうしたらよいかわからない方がいらっしゃるときに、まことの神さまを提供する少女の立場にあるか、あの北の王のようであるか。もしあのとき、王に信仰があったなら、すぐにエリシャを紹介し、大きな栄光をあらわすことができたはずでした。しかしそれをしようともしなかった。

 私たちはどうでしょうか。あの少女は聖書に名前も記されていません。悲劇的な状況を潜ってきているわけで、自分の境遇を嘆き、神さまを怨んでいたとしても不自然ではない。しかし彼女は、この遠い異国にあって、きっと、神さまを賛美し、祈りながら、主を証ししていたでしょう。そんな少女にナアマンの妻は悩みを告げたのです。
 いま賛美の力に心を向けながら聖日を守っておりますけれども、私たちもこの少女のように、生けるまことの神さまを信じ生きていくとき、私たちの周囲の方々も、あなたの持っているものはなにか、あなたの持っているものが欲しい、このように問いかけ求めるようになるのではないでしょうか。

 また、あのときナアマンは、自分を戦勝国の将として丁重に遇さないエリシャに、自分の地位に相応しく迎え治療行為をしてくれないことに激怒します。しかし家来に、何も面倒なことをいっているのではない、たったこれだけの簡単なことさえやればいいんですからと諭され、ヨルダン川に7回身を浸しただけで見事に癒されたのです。
 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」
 難しいことをしなさいというのではありません。ただこれだけで救われるのです。このような救いをもたらすことのできるMAY。。。さんの集会であることを願うことです。

※プロジェクターに用いられた参考資料は割愛しております。また45分の説教を約半分に編集しております。文責:中ぶんな

 

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