« きょうのことば 『福音を語り続けよう』 | トップページ | 豊かに咲いた花たち »

そこに自分の考えはあるかー吉田秀和ー

 今晩のNHK番組クローズアップ現代、観る予定はなかったのだが、主人が「きょうは吉田秀和だ」というので観ることにした。

201274_018
 吉田秀和氏は1913年生まれ。ー番組とは関係ないが、岩手県のアマチュア音楽家村井正一氏や彫刻家舟越保武氏、画家松本竣介氏が生まれた翌年に生まれた方かとその長寿に改めて驚く。ー5月に98歳で亡くなられた吉田秀和氏のクローズアップ。日本の音楽文化の礎を築き、「そこに自分の考えはあるか」と、音楽評論を通して自分で考えることの大切さを訴えてきている。丸谷才一は、「彼は音楽が社会の中で位置を占めるにあたって最も必要なもの、聴衆をつくった」と追悼したという。

 カラヤンの『田園』については、「それはいわばアウトバーンを快速で走る自動車の中に座ったままドイツの森の杉や檜や楡といった木立とその傍らの名もないような野草や灌木まで見逃さない 優れたカメラのような目を感じさす。しかもその各個の映像の明らかなこと。それはごつごつした輪郭をすこしも持っていないにも拘わらず一つ一つがはっきり わかる」、このような調子なのだが、評論を読むとき、私はいつも詩を読んでいるような感じがした。そして押しつけがましくないのだ。

 「文章で表現するのは難しいといわれる音楽の世界を卓越した文章力で紹介、演奏家の内面や音の構成にまで入り込み深く見つめる鋭い視点。客観性をだいじにしつつも自分の感動から出発し自分で考えたこと自分でわかったこと、特に自分に感じられたことを中心に書き語った。クラッシック音楽に詳しくないひとの想像力をも掻きたて文章を読んで、その音楽に耳を傾けたくなるような魅力で人々を惹きつけた。世間の空気や既存の評価にはとらわれない。自分を持つという姿勢をもっとも大切にしていた。自分の目から離れてはいけない、そこに自分の考えはあるかと問い続けた。」と解説していた。感じたことに素直に生きようとする確固たる信念だったという。

 意外だったのは、オーディオルームや最新式の音楽機器は一切無かったことだ。ただ、「機械は立派なものの方がいいとおもうけども、そうでなきゃいけないともおもわない」と語っている。

 吉田秀和の名がしれわたるきっかけとなったのは、やはり、グレン・グールドをめぐる論争。いち早く天才性を認めたことだった。
「グールドはわたしたちより遙かに微視的な感受性を持っていて異常に鋭敏で迅速な感覚を持っているのではないかという気がしてならない。これだけの演奏をきいて冷淡でいられるというのは私にいわせれば到底考えられないことである。私は日本のレコード批評の大勢がどうであるかとは別にこのことに関しては自分一人でも正しいと考えることを遠慮無く発表しようと決心した。」、こう語っている。この後、グールドは日本人に最も愛されるピアニストの一人になったという。

 20歳代で音楽翻訳をしていたのが内閣情報局への転属となる。新聞出版などの検閲、戦争反対の弾圧、統制への加担だった。勿論本意にははんすることだった。片山杜秀氏は、この時期を潜ったからこそ、「わたしはどんな小さなことにしろ自分の本当の仕事がしたくなったのだった。そうして死が訪れたときに、ああ、自分はほんとうに生きていたのだという気がする、そう思える生活に入りたいという願いだけがあった。」という思いを彼は持ったのだと言っていた。

 1983年の20世紀最高のピアニストホロヴィッツ78歳の日本公演に対する“罅”評に私は一種聞くに堪えない思いがしていた。いやしくもあの素晴らしい最盛期を持つホロヴィッツに対していう言葉だろうか。失礼じゃないか。しかしやはり、その時点での聞いたまま観たままをそのままに語るのが正しい優れた評論というものなのだと知らされるのだ。これが評論家の責任ある姿勢というものなのだろう。ここが単なる1ファンとの決定的な違いなのだ。評論家であるからには、音楽の神様がやってくると一枚数万円のチケット我先に買うところまでは赦されても聴いた後の行動、言動には責任が伴うということなのだろう。 

 「骨董としてのホロヴィッツ。罅が入っている。珍品、欠落、完成を欠く。」として次に続くことばはこうだった。「私たち今日の日本人は流行におそろしく敏感になっている。何かが流行ると誰も彼もが同じ事をしたがる。こんな具合に流行をまえにした無条件降伏主義、大勢順応主義と過奮(?聞き違いかも)症をこれほど正直にさらけ出している国民は珍しいのではないかとわたしは思う。…みんなが表ばかり見ないで裏側を、何が裏にあるかを日本人は考えないできたのではないか。前に進むばかりで。21世紀はそういう走り方じゃないものを学ばなければいけないというところに立っているのではないか。」

 そして最後に、吉田氏と親しかった慶應義塾大学準教授片山杜秀氏が国谷さんの「信頼の源は?」との質問に以下のように答えていた。
「直感力、明察力。見抜く力がすごい。天性のものでなく。たとえばグールドのバッハのゴルドベルクを聴いて、バッハの音楽というのはこれだけの可能性がある。現代のピアノで聴くとどうなるか、現代人のセンス、感性はどうなのか。そのときグレングールドのあのスタイルとバッハを組み合わせてそれが許されるのか、素晴らしいのか、可笑しいのか、そういうことがあっというまに判断できる。だからそのセンスの裏にあるバッハとは何かグレングールドとは何か、現代人がピアノを弾くとは何か、現代人のスピード感覚とは何か、そういうことがぜんぶ入ったうえで、ぱっと閃いてしまう。閃いたことをただ閃きとして示すのではなく、いまいったようなことを嚼んでふくめるように、しっかりと確かめながら文章に書いていく、その文章力、表現力の素晴らしさですね。こういったことがぜんぶトータルに入ってでできるというのは他の日本人では真似できる人がいなかったということです。」
国谷さん「ホロヴィッツ3年後に吉田に聴かせたいとまたやってきてます」
片山氏「冒険なんだけれども、自分の判断で、ぱっと言うことが如何に大事か。みんながいいといっているものをいいと言ってしまっては生きている甲斐がないという姿勢をしっかりとお持ちだった、しかも、吉田さんがいって説得力をもってしまうのは、吉田さんは白州次郎、白州正子ご夫妻とか青山二郎とか小林秀雄とか交際して骨董品というものをよく知っているんですよね。そういう意味でも最高の目利き。良い骨董はいいんだけれども欠けているものは欠けている。でもいいというニュアンスが必ずあるんですよね、あの批評には。だからホロヴィッツのことをものすごく認めている。認めているんだけれども、ここは駄目なんだということははっきりという。ただ立ち上がって拍手してああよかったと思いこもうとする人に常にブレーキをかけながら相手に対する礼も欠かさない、そういうスタイルでものを言い、書けたということですね。」

|

« きょうのことば 『福音を語り続けよう』 | トップページ | 豊かに咲いた花たち »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/461668/46437557

この記事へのトラックバック一覧です: そこに自分の考えはあるかー吉田秀和ー:

« きょうのことば 『福音を語り続けよう』 | トップページ | 豊かに咲いた花たち »