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豊かに咲いた花たち

こんなに華麗に咲いてくれたアマリリス。

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アマリリスはふつう、花は四輪。ところがアンカーは何と花が七輪だった。真ん中のちっちゃな蕾がその七輪目。球根、かなりお疲れかも。

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この春に植え替えたベルケア。

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いつのまにこんなに咲いていたのか。紫陽花が植木の蔭に。

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分け入ってよく見ると、はっとするようなその青さ蒼さ碧さ。

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 いま窓外には、暗闇の中で五階建ての建物をぼんやりと円形に照らして、まるで季節外れの巨大なアリウムのような電灯が白く灯っている。くるまが飛沫をあげて、おそらくはあの角の信号の青をめがけて疾駆しているらしい。
 G.カサドの無伴奏チェロ組曲が、半分に落とした照明の下に流れている。
 きょうは何をしたっけ…、そう…、舟越が美校にいたときに盛岡に帰省し、大雪の降る中を難渋しながら、反抗しては苦しめた父の墓参りに行ったときのことを考えていたのだ。やっと着いたその墓とは、おそらくは南部家菩提寺聖寿禅寺の奧にある聖ハリストス聖教会墓地ではなかろうか。そんなことを思っていた。
 そして午後には友人に誘われるままに絵画展へ。喫茶ママだ。画歴からルオーを思い出していた。運良く友人が遅れた。よく人を待たせる身としては文句を言える筋合いではない。そのあいだに、「喫茶ママ70年誌」というのを開いていたところ、舟越が奥様とつれだってこの喫茶店にたまに来ていたことや、原稿を寄せたその方が、ママが縁で舟越と知り合い、「白鳥」の運搬を手伝い、舟越から「白鳥」のデッサンをもらい受けたことが書かれてあった。

 雨音が激しくなった雑然とした部屋、先日処分できるものはみな処分したはずだが、なぜか健康がもどった途端にまた散らかりはじめたこのへやに、いまはカザルスの「鳥の歌」が流れている。村井正一先生は子どものころからいつも病気がちだった。他の子ども達のように思いっきり外を駆け回ることもできなかったろう。このチェロが友だちであり遊びであり慰めであったに違いない。すぐそこにいて、等身大で語ってくれる、きょうはチェロをそんなふうに感じながら聴いた。

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