三田照子さん、95歳で、著書『ぐるぐる回しー私の戦後史』 を出版
この6月に花巻市にお住まいの三田照子さん(95歳)が、著書『ぐるぐる回しー私の戦後史』 を出版された。
第1部は「私の戦後史」で5~156頁。味わい深い短歌を叢林に咲き出でる花のように随所に散りばめながら、夫三田善右衛門氏とともに歩んだ人生、そして、善右衛門氏亡き後、米寿を迎えるまでの感動の人生を綴っている。
第2部は「エッセイ集」で161~205頁。1986~2008年に新聞掲載されたもの。
弟3部は「小説」で209~226頁 。第49回岩手芸術祭県民文芸作品奨励賞受賞作品。
既に出版されている三田照子著『再見』、そして三田善右衛門著『光陰赤土に流れて』を読んでいるが、またこの著書を開いて新たな感動があった。
特筆したいのは、夫の三田善右衛門という方は、すべてを他人の為に注ぎ込んだ人物だった。満州から引揚げる目処が付いたその時、「まだ難民が北方から来るし、今動かせない病人もいる」といって、妻子を先に帰国させ、自分は最後の帰国列車にも乗らずに彼の地に留まり同胞の面倒を見、また日本人難民収容所で自分が最期を看取った814人もの名簿と遺品、家族への伝言、遺言を預って帰国し、それを何年にも亘って遺族に問い合わせ、面会し、届けている。そして遺族が見つからない方々を法要を以て礼を尽くした人である。善右衛門氏の人生は、その友人の証言にもあるが、すべてこのようだった。善右衛門氏の終戦直後の同胞の救済は、その人となりを見そなわした天の配剤であると思われてならない。その妻である照子さんが、どれほどその使命を理解し、ひと言も不平を言わず幾多の困難を乗り越えながら快く協力してきたかは想像に難くない。照子さんの精神土壌は聖書であり、クリスチャンである彼女は事ごとに祈りながら様々な局面を乗り越え、そしてそれが感動の積み重ねとなっていることである。多くの人々を生かそうとする夫を生かし、自らを生かし、3人の息子たちを生かし、そして、夫亡き後は、夫の遺志を生かそうと生きた証しの書がこの『ぐるぐる回しー私の戦後史』です。
晩年ガンと闘い復帰。そしてまた昨年12月骨折するという試練に遭われましたが、厳しいリハビリも人の2倍の意志と努力とで退院できるまでにお元気になられました。
この感動の1冊を、どうぞ手にお取りください。
申込先:岩手県花巻市高木20-200-350 ℡0198-23-4804 三田宅
花巻市御田屋町1-33 ℡0198-22-3030 三田商会 まで
【三田照子氏略歴】
大正6(1917)年山形県鶴岡市に生まれる
昭和9(1934)年県立鶴岡高等女学校卒業
昭和13(1938)年仙台市宮城学院専攻科卒業(現宮城学院女子大学)
昭和16(1941)年中国に渡り結婚、中国青年のための無料夜学塾を開く
昭和20(1945)年敗戦 夫善右衛門、日本人難民救助活動を行い、日本人全員帰国に加わらず、中国にて活動を続ける。
昭和21(1946)年帰国 夫は遅れて帰国
昭和22(1947)年東京にて職を得て一家上京
昭和33(1958)年夫の郷里花巻市にてガソリンスタンドを開業
昭和36(1961)年夫善右衛門死亡により、三田商会を引き継ぐ
昭和47(1972)年照子の『再見』(ヅァイジェン)出版と夫善右衛門遺稿集を『光陰赤土に流れて』として共著出版
昭和60(1985)年以降、この頃より中国残留孤児帰国、その支援活動に参加する
当時、一攫千金を求め、或いは職を、或いは新天地での経済的な夢を求めて満州に渡るかたが多かったが、三田善右衛門氏は五族共和を純粋に信じて渡ったことは、その前後の人生の在り方からも知ることができる。また照子氏晩年の中国残留孤児の支援には長男三田望氏も、孤児達のために集められた物資、家電の配送、孤児の身元引き受けに関わる煩雑な書類手続きなどを担ったと照子氏より聞いております。
7月7日には、花巻市のホテル花城において出版パーティーが開かれ、100人余りの方々の祝福を受けました。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 盛岡タイムスに連載の「楽都のユニゾン」第62回が出ました。(2019.08.23)
- 盛岡タイムスの連載「楽都のユニゾン」第61回が出ました(2019.08.09)
- 盛岡タイムスに連載の「楽都のユニゾン」第59回が出ました(2019.07.12)
- 「楽都のユニゾン」連載第58回がでました(2019.06.28)
- 第26回小川未明文学賞大賞ちばるりこ著『スケッチブックー供養絵をめぐる物語ー』が出版されました(2018.12.21)
コメント