きょうもブランデンブルク
台風4号は仙台方面から海上に逸れたようだ。きょうはくもり、夕方に小雨がぱらつく。またしてもブランデンブルク。トレヴァー・ピノックのチェンバロで協奏曲第3番が明るいヴァイオリンを和気藹々と引き連れて、それでも先急ぐ時の流れのように滑ってゆく。
一時期毎日ゼルキンのチェンバロを聴いていた。勿論バッハ。あの切れのよい響きが自分の中に基礎と収まっているように思う。別な盤を取り出すときでも、先ずゼルキンが鳴りだす。最初に聴いた盤の影響の大きさを思う。
イングリッシュ・コンサートは1973年にピノックによって結成された古楽器演奏の団体だ。いまはブランデンブルクの2番。リコーダー、トランペット、オーボエ、ヴァイオリン。神経が安まる第2楽章は終わり、第3楽章が互いの楽器に追いつ追われつしながらリズミカルにあそんでいる。
そしてその時は去り、管弦楽組曲第2番ロ短調。こうだよ。そう、こうなのさ、何やら人生訓を垂れる響きにフルートが屈託なく笑いながら那辺ををかけめぐるようでもある。
そしてきょうもまもなく一日がおわる。無駄な一日だったかな、無駄なんかじゃないさ。この一日の中に何か一つ、どんな小さなことでも、したことが何かあったとしたら、それはもう無駄な日なんかじゃない。そう、いい一日だったのさ。
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コメント
こちらにもコメント有難うございます。
何しろ聴いていたのは独身時代。CDなどというものもまだ出ておらず、テープでした。ゼルキンはピーターではなくルドルフのほうでした。そのテープがどうなったか、引っ越すときに処分してしまったか、いまここにないのです。
繊細な部分というのは実はあまり記憶に残っておらず、ピシピシと打ち込まれる流麗さが残っております。
きょうもチェンバロを聴いておりました。
投稿: 中ぶんな | 2012年6月21日 (木) 22時14分
ピノックのブランデンブルグは最高ですね。
昨日やっと雨が上がったかと思えば、今朝はまた雨です。
こんな日は、私もチェンバロの響きで、心を慰めましょう。
バッハは、宗教曲も素晴らしいですが、こうした純粋な器楽曲もまたいいものですね。
ゼルキンは私も良く聴きますが、まだチェンバロは知りません。
弱音が美しいゼルキン、チェンバロはさぞ繊細に鳴ることでしょう。
投稿: aosta | 2012年6月21日 (木) 07時22分