きょうのことば 『パウロと賛美歌』ー特集を前にー
2012年6月10日(日)インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の礼拝説教をお伝えします。
説教題『パウロと讃美歌』―特集を前にー
聖書引証 コロサイ書3:16
16 キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
【説教】
私たちは7月7(土)、8日(日)にMAY。。。を迎えて、「童謡と賛美歌を歌う会」を持とうとしておりますが、プログラムが決まったと連絡をいただきました。3人のクリスチャン音楽家の姉妹方が貴く用いられますように祈り待ち望みましょう。
きょうはコロサイ書でございます。
パウロはローマで軟禁の身にありました。それまでは果敢に伝道しておりました。投獄によって命に関わるほどの迫害は免れたようです。この軟禁状態の身で、パウロはエペソやコロサイにある教会に獄中書簡といわれるお手紙を書きました。これが貴重な写本となって廻し読みされたと考えられます。ですからエペソ5:19「詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」と掲げましたコロサイ3:16などはほんとうに共通しております。
このエペソ、コロサイにある「互いに」ということばに注目してください。教会というのは建造物のことではありません。教会というときには、当然そこにはイエス・キリストを信じる人と人との交わりが前提としてなければなりません。聖書は一人だけの信仰というものを教えてはいません。私たちは教会というイエス・キリストの体を通し、互いに語り主に向かって讃美する。そして知恵を尽くして互いに教え、互いに戒めあう。これがありませんと、私たちはどうしても自分本位の理解に陥りやすい。コロサイを見ますと、知恵を尽くして互いに教え、また教えられやすい心を持っていることが必要です。戒めを素直に聞くことを期待されております。そして、その人たちと神に向かって心からの讃美を捧げます。
コロサイ3:16には「キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに住まわせ」とあります。これは一体何のことなのでしょう。「キリストのことば」、これはイエスさまが実際に語られたおことばのことだとする解釈もあります。またイエスさまについて語られていることばであるとする解釈もあります。何れにせよ、ここにだけ書かれている表現です。何れにしろ「キリストのことば」には命がありますから、そのことばが私たちの内に住まうとき、そこに命が与えられます。「聖言うちひらくれば光をはなちて愚かなるものをさとからしむ」というおことばがありますが、正しく、これが私たち信仰者の命の中心です。
「詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」
MAY。。。さんとともに、賛美歌、そして童謡も歌います。そのときに、その賛美を通してキリストのことばが私たちの心の中に住まうことができますように祈りつつ臨みましょう。
使徒の働き16章には「25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。」とあります。これはローマが直轄する拠点ともなる都市ピリピでのできごとです。
パウロたちがのべ伝えている福音は、ローマ人にとっては不都合なものでした。パウロとシラスはきものを剥がれムチ打たれた挙げ句に牢にぶち込まれてしまいました。このときに使われたムチは、掃除に使うはたきのようなもので、握る先には何本ものロープがついており、そのロープに鉄片か何かの鋭いものが結びつけられているもので、40回以上ムチを加えると死に至らしめるものでした。ですからパウロとシラスは血まみれだったでしょう。囚人たちも一体この2人の男がどんな大罪を犯したのか興味津々。ふつうの者なら、こんな場合、失望落胆のうちに痛みを堪えるのがやっとです。しかしパウロとシラスは神に祈り、賛美の歌を歌っていた。激痛の中で、他の者たちが聞きとれるか取れないかのか細い声であったかもしれない、しかし2人は神への賛美の歌を歌ったのです。そしてどうなったでしょうか。
使徒の働き16章「26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。」
ここに、私たちの届くか届かないかのか細い賛美が、しかし神への心からの賛美が、実は途轍もない大きな力に結びついていることを見ることができます。これは共振といっていいものかもしれません。
例として相応しいかどうか、3・11のとき、東北にいた人たちはもう自分のことで精一杯でした。ラジオから東京、大阪の状況が流れても意識の片隅に置く程度でした。TVも点かず電話も通じない。自分たちの住む盛岡の映像を見たのは
24時間後、或いは地域によってはもっと経ってからです。ずっと後になって、あの時東京、大阪も高層ビルなんかもけっこう大きく揺れたんですって。このようなことでした。
それは共振ということがありますね。或いは共鳴といったらいいのでしょうか。ある種の揺れの周期といったらいいのか。それにちょうどぴったり合ったときに共振する。小さな揺れであったとしても、それがある条件に適うと非常に大きくそれが揺れる。建築に携わっておられるかたはそれを慎重になさるのでしょうけれども、そういう大きな建物の場合には共振というようなことが今の私たちの社会の中であるわけです。
私たちは、この使徒の働きを見たときに、まさにこれは共振だ。そういうくくりで見るときにぴったりするのです。波長が合うのです。
それは何か。私たちがこのような苦しいときに、そして、迫害の中にあっても、パウロやシラスが神さまを誉めたたえて、たとえそれが途切れとぎれの小さな声であったとしても、その小さな声は、贖われたクリスチャンたちの賛美というものは、神さまを共振させる。神さまを共振させて大きな力となって、この使徒の働き16章のできごとに結びつくのだろうと思います。
私たちの賛美、一人一人のそれは小さなものであるかもしれない。しかし、心から神さまに賛美を捧げるとき、それは神さまに共鳴を与え、神の波長と、つまりそれは贖われた救いの恵に与ったクリスチャンだけが持っている固有の振動といったらいいのか、それに神さまが呼応してくださる。私たちの小さな賛美が大きな神さまの力となって現れてくる。これが賛美ではないでしょうか。私たちはそれを心から期待し、そのような賛美を歌う者でありたい、そう願うものでございます。
※約40分の説教を半分に編集いたしました。地図、絵画、イラストでの説明は割愛しております。文責:中ぶんな
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