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きょうのことば 『讃美歌の力』ー特集を前にー

毎週日曜はインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教を載せております。インマヌエル教会は福音的な教会です。統一原理、エホバの証人といったカルト教団とは関係ありません。何らかの参考ともなれば幸いです。

説教題『賛美歌の力』

聖書引証 詩篇4013

1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私の方に身を傾け、私の叫びを聞き、
2
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
3
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。

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【説教】

7月7日()、8日()には、「MAY…」さんをお迎えして讃美の集いを持とうとしております。「MAY…」というのは、西谷葉子(ソプラノ)、石鍋敦子(メゾソプラノ)、木下真樹子(ピアノ)という3人の音楽ユニットであり、それぞれにクリスチャンとしてのすばらしい証しをお持ちです。準備をして待ち望んでおりますが、この讃美の力というものについて、聖書の3箇所、詩篇、第二歴代、使徒から学んでみたいと思います。

この教会で毎年出しております文集『葡萄の樹』の今年のテーマは「讃美について」でした。さまざまな角度から綴られた原稿をお寄せいただきましたのはとても感謝なことでした。

現在この教団では「インマヌエル讃美歌」を使っておりますが、こんど福音讃美歌協会の編集により「教会福音讃美歌」が刊行されました。これは聖書を神のことばと信じる福音的な諸教会によって編纂されており、インマヌエル讃美歌にあるものも多く取り入れられております。教団としては、今後は、この「教会福音讃美歌」に緩やかにシフトしていく方針でございます。

因みに聖書は現在「聖書 新改訳」の3刷を使っておりますが、2016年には新改訳聖書の改訂による新しい翻訳聖書が刊行予定です。以降は、私たちの公用聖書としては、この聖書が用いられることになります。

さて、賛美歌とはいったい何なのでしょう。先ずそれは、神への捧げものです。それからもう一つは、神さまへの証しの歌である。讃美歌には救われた喜びに満ちています。そしてもう一つは、神さまの前に永遠に続く奉仕であります。

詩篇33:「1 正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。2 立琴をもって主に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。3 新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。

このように私たちは神さまから讃美を捧げるように命じられている。勿論神さまは暴君ではありませんから、「歌え」と命じられるときに、歌うことのできる恵を与えてくださっております。

もし私たちが救いの恵に与っていなかったら、いまどんな歌を歌っていたでしょうか。私は牧師になる前は、あるレコード会社に勤めておりました。忘れもしません、当時大ヒットしていたのはJRT1015『長崎はきょも雨だった』、SV2045『港町ブルース』でした。もうレコードナンバーが記憶に焼き付いております。もしあのまま会社にいたなら、もしかすればどんなものがヒットするか、そんなことばかりに一生を費やしていたかも知れません。それが今こうして心に力を与えてくれる讃美歌を歌うものとせられている。これはけっして当たり前のことではないな、きっと皆さま方も同じ想いなのではないでしょうか。

きょう礼拝のために選びました讃美歌『めぐみの光は』には、「恵の光は/わがゆき悩む/闇路をてらせり/神はあいなり/我らも愛せん/愛の御神を」と歌詞がございます。

神さまは私たちに歌えと命じておられる。行き悩む、闇路もある、悲しみもある、なぜかはわからない。「後に悟るべし」。天国に行ってからわかることがたくさんあります。だから讃美しなさい。神さまは歌うに足る充分な恵を与えておられます。

正しい者たち。主にあって、喜び歌え

先ほど、讃美歌とは、神さまへの証しの歌であると申しましたが、詩篇40篇をご覧下さい。

1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私の方に身を傾け、私の叫びを聞き、2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。

このほど、MAY…さんから、紹介のチラシの原案が送られてまいりました。『童謡と賛美歌を歌う会』と題しまして「心あたたまる賛美歌を歌いたい方、童謡をなつかしいと思う方、子育て中の方などどなたでもお越しください。楽しく歌いながら、童謡や賛美歌にちりばめられている生きる力に触れてみませんか?」とございました。集会は77日(土)午後2003308日(日)は日曜礼拝午前10301200、昼食を挟み、午後2003303回予定しています。童謡に賛美歌がもとになっているものがありますが、特に土曜日は、来会された方々とともに童謡を歌いたいと願っております。MAY…さんのお証しは日曜日にお願いしております。この集会に来会された方々が、このような人世があることを見出し、「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、に信頼しよう。」と証しすることができたなら何と幸いだろうかと、このように思うことでございます。

賛美歌とは、神さまへの永遠の奉仕であると申しました。

第二歴代誌20:「20 こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。『ユダおよびエルサレムの住人よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。』21 それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。『主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。』22 彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。

ここには、神さまを恐れるヨシャパテ王が敵の襲来に直面したときのことが記されています。ヨシャパテ王が、武装した自分の兵士たちの前に、神を賛美する一群を配備したというのです。そのものたちが歌いはじめたとき、主は伏兵を設けて敵を打ち破ったとあります。楽隊が先陣を切るのは異例です。ほんとうに不思議なことです。ちょうど戊辰戦争のときの官軍マーチを思い出しました。新撰組、旧幕府軍はこれに弓を引くわけにはいかず矛を収め敗走します。まして私たちがほんとうの神さまを誉め称える賛美を心の底から歌い前進するときに、ヨシャパテのような勝利を経験できると期待してはいけないでしょうか。新しい歌、われらの神への賛美をMAY…さん、そして私たちが歌うとき、「多くの者は見、そして恐れ、に信頼しよう」というこの神さまの御業を期待いたしましょう。

そして賛美とは、神さまへの永遠の奉仕です。

黙示録5:「9 彼らは、新しい歌を歌って言った。『あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、10 私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。』

私たちが神さまに向かっていつまでも為しうる奉仕は賛美です。これは御使いさえもが羨む奉仕です。というのは御使いは、神の愛のゆえに、神のひとり子の命と引き換えに罪赦されて救われたという経験を持っておりません。黙示録にあるような賛美は、罪人であった者のみが歌うことのできる賛美です。わたしたちはこの恵を永遠に神のまえに捧げ続ける存在なのです。何と大きな意味のあることでしょうか。賛美、それは神が私たちに命じられたものなのです。

私たちはこの世にあっては、証しをするために賛美歌を歌いますけれども、しかし、私たちがやがて主の前に出るときには、いつまでもいつまでも続く喜びのものが子羊の賛美の歌であることを心に留めたいと思います。

※文責:中ぶんな

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