きょうのことば 『エリコの城壁を前に』ー賛美歌の力ー
2012年6月17日(日)のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の礼拝説教をお伝えします。
説教題 『エリコの城壁を前に』ー賛美歌の力ー
聖書引証 ヨシュア記6章1~7節
1 エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。
2 主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。
3 あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。
4 七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。
5 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」
6 そこで、ヌンの子ヨシュアは祭司たちを呼び寄せ、彼らに言った。「契約の箱をかつぎなさい。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、主の箱の前を行かなければならない。」
7 ついで、彼は民に言った。「進んで行き、あの町のまわりを回りなさい。武装した者たちは、主の箱の前を進みなさい。」
きょうお開きしますヨシュア記は、旧約聖書の中にある歴史の書といわれる最初の部分です。十戒で有名なモーセに継いで指導者となった若いヨシュアの最初の難関はエリコの攻略でした。その戦いを目の前にしているところがきょうの主題となっています。
【説教】
先週は、心から神さまに賛美を捧げるとき、神さまがそれに呼応してくださること、そして私たちの小さな賛美が大きな神さまの力となって現れてくることをコロサイ3:16、使徒16:26から学びましたが、先週は、投獄されたパウロとシラスが、突然の大地震で扉が開き、鎖が解けて助かったお話をしました。これに付け加えたいのは、その後の看守のことです。当時、もし囚人に脱獄された場合には、看守はその囚人の受けるべき罰と同じ罰を受けなければなりませんでした。囚人たちに逃げられたと早合点した看守は、剣で危うく自殺するところだった。自殺を止めたパウロたちを看守は家に招きました。そして自分が救われる方法を訊いたのです。するとパウロは「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」と教え、看守はそうしました。パウロとシラスの賛美の力は、看守の、そしてその家族の救いにまで及んだのです。
さてきょうのエリコのお話です。攻撃目標の古代都市エリコには先住民がおり、堅固な城壁に守られていました。ヨシュアはヨルダン川を挟んで東側にいるあいだに斥候を放ちました。斥候はエリコの町のラハブという遊女に匿われます。こうして斥候たちはエリコの情報をヨシュアの陣地にもたらすことができたのです。
ヨシュアたちがエリコを攻略するには先ずヨルダン川を渡らなければなりませんでした。神さまが与えると仰ったカナンの地に最初に立ちはだかっていたのがエリコだったのです。ヨルダン川は折しも水嵩の増す時季、とても渡ることができません。このような状況下に、神はエリコに攻め込むことを命じられたのです。どうすればいいのか。
しかしこのとき、ヨルダン側の上流にあるアダムという町に大きな土砂崩れが発生しました。このとき、神の御臨在をあらわす契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川に足を浸ける否や、流れが切れ止まったのです。ヨシュアに率いられたイスラエルの人々はこうして難なくヨルダン川を渡ることができました。昔モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルが、追ってくるパロの軍隊によって海に追い詰められたとき、強い東風が吹き、背後の紅海が二つに分れた歴史を知っています。いま指導者としての力量を人々の前に問われているまだ若いヨシュアに、神さまはこれほどの輝かしいご配慮をくださったのでした。
ヨシュア記5:13をご覧ください。
さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた。ヨシュアはその人のところへ行って、言った。「あなたは私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。
いままさに戦いに挑もうとしているヨシュアの前に、いきなり抜き身の剣を持った人物が現れたとあります。そしてその人物は答えます。
14 すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」15 すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。
15節にある「主の軍の將」、実はこれは受肉前のイエスさまです。イエスさまがヨシュアに現れて、ヨシュアよ、お前は自分がこの軍の將だと思って何とかエリコを攻略しなければならないと思っているだろうが、まことの軍の將はわたしなのだと仰っているのです。ヨシュアはそれがわかったから顔を地につけて伏し拝んだ。さらにイエスさまは「はきものを脱げ」と仰った。これは奴隷が取る態度です。ヨシュアは聖なる地ではきものを取って奴隷の立場を取りました。
イスラエルの民はヨルダン川を渡ってギルガルに宿営します。いよいよエリコ攻略が目の前です。そして最初に掲げましたヨシュア記6:1~7にありますが、ヨシュアは主が命じられた通りに行進の隊列を組み、6日間毎日エリコの城壁の周囲を回りました。
「角笛を吹き鳴らす」、これを今の私たちがいうなら賛美歌を歌うということです。
剣を振りかざして総攻撃をかけるのではなく、イスラエルの人々は、先ず契約の箱を担いで、角笛を吹き鳴らして、6日間、ただぐるぐると回って歩きました。一体これは何を意味するのでしょう。
本当に戦われるお方は神ご自身であり、神さまが自ら敵を包囲してくださる。つまり、いま私たち一人一人が直面している課題がどれほどに難攻不落と見えようとも、神さまは戦いを命じておられる。それが困難であればあるほど、私たちはどのような対処、攻略をすべきかを、このヨシュア記6章のエリコの戦いは教えているのではないでしょうか。
問題、課題との戦いの將はあなたではありません。問題、課題との戦いの将はイエスさまです。このことを各々にしっかりと刻むための6日間の行進だったでしょう。
このようなヨシュアの軍勢を、エリコの人々はどのように見ていたでしょうか。二重の城壁に囲まれたエリコを攻略しようというイスラエルが、武器をもって戦いを挑んでくるどころか、ラッパを吹き鳴らしてただぐるぐる巡り歩くばかり。意気地無し、能なしとも珍妙、奇妙とも映ったことでしょう。嘲笑、揶揄したかもしれない。
私たちが直面している課題を乗り越えようとし神に祈り賛美するとき、或いは世の中の人々は言うでしょう。そんなことじゃこの世知辛い厳しい世の中を渡っちゃいけないよ。祈ったり賛美している間に、もっと援軍を頼むなり効率の良い手段を講じた方がいいと。
しかしヨシュアたちはただ黙って城壁の周りを回り続けた。これは尋常な戦いじゃない、神さまの戦いなんだ、必ず神さまが成就してくださる。このことを皆の者が得心するまでに6日かかったかもしれない。もしかすれば1日目にそれを確信しているのは指導者だけで他の人々は何でこんな馬鹿げたことをしなくちゃならんのかと呟いたかもしれず、この6日間の間、人々の胸中にはさまざまな想いが交錯したでしょう。しかし主の臨在のもとに角笛を吹き鳴らしながら、つまり賛美歌を歌いながら回れば回るほどに、確かにこれは主の戦いであることが自覚されてきたのではないでしょうか。
そしてついにヨシュア記6章20節には
そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。
このようにございます。
いま世の中に伝道することが如何に困難な時代であるかは周知のことであります。しかし敢て申しますが、堅固なエリコの城壁を、この福音伝道のために回り続けようではありませんか。
また、ヨシュア6:23~25
23 斥候になったその若者たちは、(ヨシュアが言ったとおり)、ラハブとその父、母、兄弟、そのほか彼女に属するすべての者を連れ出し、また、彼女の親族をみな連れ出して、イスラエルの宿営の外にとどめておいた。24 彼らは町とその中のすべてのものを火で焼いた。ただ銀、金、および青銅の器、鉄の器は、主の宮の宝物倉に納めた。25 しかし、遊女ラハブとその父の家族と彼女に属するすべての者とは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブはイスラエルの中に住んだ。今日もそうである。これは、ヨシュアがエリコを偵察させるために遣わした使者たちを、ラハブがかくまったからである。
ここにありますように、イスラエルの斥候をかくまった遊女ラハブとその家族と関係者らはみな助け出されました。エリコを攻略したとき、ラハブの家と他の家々との区別がつくように、ラハブの家は赤い布をおろしておいたのです。この赤い布はイエスさまの十字架をあらわしています。マタイ1章4、5節にあるように、イエスさまの家系にはこの遊女ラハブのような人物も記されています。それは主はすべての者の救い主であってくださるということなのです。
エリコの攻略のとき、イスラエルの人々は、7日目には7回この町を回りました。民が角笛の音を聞いて大声でときの声をあげると城壁は崩れ落ちました。
兵の数や武器の数や性能、優れた戦略で勝ったのではありません。ピリピの獄舎で賛美したときのように、エリコの城壁を回った角笛での賛美、これに神さまが呼応してくださったところの勝利です。私たちが心から神さまを賛美するとき、そこに神さまの驚くべき御業がなされることを知り信じている私たちです。このようにあらせていただきましょう。
※約50分の説教を1ページに収まるように(約半分に)編集してあります。プロジェクターで用いられた図、地図、絵画などは割愛しております。文責:中ぶんな
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