わがやの晩餐
最後の晩餐で主は弟子達と共に食事を摂った。この意味をさまざまに思い巡らすようになってからは、それをどのように認識していようとも同じテーブルに着くことには大変な意味があると思うようになった。
息子の帰省できょうは家族4人が揃っての夕食。仰々しいセレモニーはないけれども、同じテーブルに着き同じ料理を食する。晩餐といえば宮中晩餐会などを思い浮かべるかもしれない。題字に晩餐と書いたからにはかなり豪華な食卓かというとそうではない。皆が揃って同じ時間に同じものを食しありきたりの会話をする、それで晩餐は成立する。今回は東京で私の姉とその息子達と食事したときのことなどが話題となった。
二男が食べたいといっていたカキフライ、そして二男が美味しいといった鯖の味噌煮、それにもやしと春菊の芥子醤油和え。デザートは二男の好きな葡萄とゴールデンキューイのスライス。長男の喜ぶ山菜は明日からのメニューとなる。長男も鯖の味噌煮のショウガと味噌の味が絶妙と喜んで食べていた。キャビア、フォアグラ、トリュフはないが、これがわが家の晩餐である。ノンアルコールだ。これは主人がアルコールを飲む習慣が無いからである。習慣がないだけで、年に2、3回ビールを一杯だけ飲むことはある。息子たちは外で友人と飲むことはあるようだ。
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