ほっと一息
遠路はるばるかけつけた義姉夫婦。また遠いところを明日、明後日と新幹線の乗り継ぎとなる。
冠婚葬祭が滅多に集まることのない人々を離合集散させる。3・11のような場合、或いはさまざまなこういった類の場合にはこのような言い方はできるものではないが、今回の舅1周忌姑13回忌は一応90、80まで寿命を全うした形でもあるので、こうした人の動きも普段にはない交流ともなりよいものだと今回思うことができた。以前は義理のあいだである場合にはやたらに神経が疲れるということもあった。接待が苦手なので重く感じられてもいた。それが今回自然に受け止められた。アメイジング・グレイスが時折心に通った。
生きていて一同に集まることができる。これはよいことだ。あまりに度重なると互いに大変さもあるだろうが、このぐらいの頻度であれば若干疲れるという側面もあるが楽しいこともある。何れみな息災で集まることが出来るのはよいことだ。
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