舅の一周忌&姑の13回忌
キリスト教にも理解を示し、孫のために牧師さんに祈ってもらってほしいとよく献金を私に託してくれた舅。幼いときには教会学校にも通っていたこともあったようだ。青年時代、肋膜を病んだ頃かと思うが一時期教会に通った時期もあったらしい。結局、姑が仏式で葬られていることなどがあり自らも仏式の葬儀で旅立っている。それが1周忌。姑は13回忌。ふしぎだが危篤に陥る前に最後に面会したのは舅も姑も私だった。その時のことはいまも鮮やかに思い出す。
舅とは意見の違いで自分の考えを説明し納得してもらったことが1度だけある。大方は舅に反旗を翻すことはなかった。比較的合理的な考えをもっており因習を押しつけることはなかった。さまざまなやり方に関しては、私はいいえこれはこうしましょうと言ったことは無かった。舅のやり方を覆したところで大差はない。争うほどのことではない。それが大方のわたしのやり方だった。主人と舅の意見が異なったときは私は基本的に主人の側におるべきであろうと行動した。舅は若い頃は短気でもあったようだが、随分と他人の面倒見もよくこまめに動く人だった。一周忌がきて思いだしたのは、「最後まで起き上がろう立ち上がろうとした強靱な人だった」事実である。葬儀を終えて寺の外に出たときに桜が吹雪のように舞っていた。華やかに旅立ったという印象がある。
姑にはただの一度も嫌なことを言われたり強いられたりした記憶はない。認知症が出始めたときでさえ、こちらが為したことに対して最後まで「ありがとう」といってくれた。所謂嫁いびりをされた経験はない。わたしに対しては拘らず優しい姑だった。これは美化していっているのではない。何事も焦らず庭の草花が好きだった。一度だけ「きゅうりは2ミリの厚さに」といったことがある。勿論小言ではなく楽しそうにいったことばである。以来私は1ミリの厚さに刻んでいたきゅうりを2ミリに刻むようになった。今でもきゅうりを刻むときにはそれを思い出すことがある。
きょう10時からの法要を終え新庄墓園に墓参り。途中岩山に。眼下にビリジャンが眩しかった。会食し2時頃に散会。夕方はぐんと冷え込んだが好天に恵まれた一日であった。
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コメント
maruseiさま
舅と姑は対象的な夫婦でした。言い合いをしたこともあるようですが、結局は互いの意志を尊重しあっていました。90過ぎても姑の誕生日と結婚記念日は覚えていてお祝だと言って寿司などを振る舞ってくれるおもしろい人でした。maruseiさんとご実家のお父様には折あるごとに元気を頂戴しておりました。ほんとうにありがとうございました。
投稿: 中ぶんな | 2012年5月11日 (金) 19時38分
お疲れ様でした。
穏やかに法要を終えられてホッとしていることと思います。
おばあちゃんは存じ上げませんが、おじいちゃんにはお世話になりました。
釣りが大好き
いつも大笑い・・・というイメージです。
元気いっぱいのおじいちゃんとおだやかなおばあちゃん。
とてもよいご夫婦だったのだとお察しいたします。
投稿: marusei | 2012年5月11日 (金) 16時37分