最後の晩餐
日常にも食事の機会はさまざまにある。育つ過程では実の両親や兄弟姉妹との食事。そして就学してからは学校でクラスの全員と食べる給食。中学校、高校は弁当だったがこれもクラスの皆と同じ時間に同じ場所で食べた。遠足、修学旅行、結婚披露宴、法事での食事。高校の帰りに親戚でご馳走になったこともある。職場での昼食。忘年会、新年会。結婚してからは主人と子どもたちとの食事、そして義父、義母、義兄弟姉妹と。また友だちとの食事。教会に行くようになってからは愛餐会があり兄弟姉妹とともに持ち寄りの手料理を食べる機会にも恵まれた。

この他に食べ物をいただくにしても特別ないただき方があり、小さなパンきれ、パンきれというにもごく小さなものだが、それと葡萄液。これはお腹の足しにはならない。腹をみたすためにいただくものではない。これは嚼みながら飲みながらイエスさまをいただく思いをもっていただく。つまりは儀式として食する。クリスチャンたちと一緒のテーブルで。ただここで重要なのはイエスさまとご一緒にイエスさまの御身体を食させていただくのだ。
最後の晩餐でイエスさまはイスカリオテのユダが自分を裏切ることをご存じだった。いまここでイエスさまは、おまえはどうだね、と私に仰っておられる。そしてずきりとしたところを悔い改めなさいと仰っておられる。
いまは受難週。そしてこの木曜日は最後の晩餐の日にあたっている。
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